旅立ちと別れ。
「具合はどうですか?」
メリッサは手を取り、脈を測りながら聞いた。
「ずいぶんと楽になりました。いつまでも寝ているのが落ち着かないくらい」
カシムの母、セリカはそう言って笑った。
「うん。熱も下がったし、脈も正常です。でもまだ体力は戻りきっていないのでムリはダメですよ。後、最低でも三日は寝てて下さい」
しっかりと念を押して、メリッサも笑う。
メリッサがこの集落を訪れてから三日が経つ。
最初に症状が出て、他の誰よりも重症であったセリカが身体を起こし話ができるまでになった。
そろそろお役後免かな、とメリッサは思う。
後はしばらく薬の服用を続けて、しっかり寝て食べて体力の回復をはかるだけだ。
もう薬師の出番は終わりだろう。
あの後も二人ほど熱や腹痛を訴えていたけれど、早めに薬を飲み、身体に入り込んだ虫を下すことでそれほど悪化することもなく、一番早かった人は一日で動けるまでになっていた。
この集落を襲った流行り病。
その正体は寄生虫だった。
コモイタチは山の中腹に生息するネコほどのサイズの動物である。
見た目はクリッとした目の愛くるしい様をしているが、肉食で兎や鼠を狩って食べる。
普段は山に土を掘ったり柔らかい木の根元に穴を作り、生活している。
だけども山に獲物が少ない年だと人里近くに餌を求めて降りてくることがあり、沢の側で見かけたという個体もそうだったのだろうと思われる。
コモイタチは身体の中に主に二種類の人に害を成す寄生虫を持っていて、コモイタチのフンにはその卵が混じっていることがある。
餌を求めて降りてきたコモイタチが沢の近くやその中でフンをし、その沢の水を飲んだ人が熱を出したり腹痛を訴えたりした。
ただし、この寄生虫は熱に弱い。
なのでしっかり煮沸してあれば飲み水としても問題はないのだ。
けれど、集落の人たちはこれまでの何度も沢の水をそのままで口にしてきた。
それで平気だった。
だから、今度も大丈夫。と油断して、結果病にかかった。
今は皆しっかりと煮沸してから口にしている。
「でも本当に運が良かったです。別の寄生虫だったら私の手には負えませんでしたから」
メリッサはセリカの身体を診た時、そのことに心底安堵したのだった。
コモイタチが連れてくる禍ーー寄生虫には主に二種類がある。
一つは今回セリカを襲ったもの。
もう1つは今のこの国の医術では決して手の出せないもの。
どちらも煮沸で死滅することも症状も、よく似ている。
ただもう1つは身体に入り込んだ後、身体の中に袋を作る。
その袋を内臓の壁に粘着性のある糸を出して張り付け、その中で成長していく。
成長すると袋も大きくなり、下腹部にコブができる。腹水をが溜まるので腫れもあり、喉や腋の下、肘膝の裏側の部分にブツブツと赤い湿疹がでるのも特徴だ。
袋はある程度大きくなると虫下しでは外に出せない。お腹を切って、直接切り取らなくてはならないのだ。
「これからも必ず沢の水は煮沸してから使うことを習慣にして下さいね」
メリッサはそう言って立ち上がる。
さあ、そろそろカシムにお別れを言おう。
カシムは村長の老人と共に村の井戸にいた。
「……ダメだ。水は戻ってない」
「やはりここに住むのも限界かのう」
二人のそんな会話が聞こえて、
「集落ごと、引っ越すんですか?」
とメリッサは訊ねた。
「ああ、これは薬師様。ええ、年々水が安定しなくなっているように思います。実は山向こうに昔この辺りにいた者たちが作った集落がありましてな。ひとまずそこを頼るつもりです」
「そうですか」
国賓級の魔法の使い手ならなんとかできたかもだが、メリッサではとてもムリだ。
メリッサにできることは集落の皆が無事に山を越えられるように祈ることだけである。
「メリッサはどうしたんだ?」
「そろそろおいとましようと思って……」
実はこのまま集落を出ようと荷物や薬箱は持って来ていた。
「行くとこあるのかよ」
「それは……」
「……やはりこのままこの集落に残るつもりはございませんか?山向こうに行っても薬師様なら歓迎されますし。まあ、向こうもここと同じで何もない若いお人には少々退屈なところではありますが」
それはカシムにもこの村長さんにもセリカにも何度も繰り返された提案で、メリッサにしてもとても嬉しいし喜ばしいことなのだけれど。
そう、思わず飛び付いてしまいそうな程に。
だが、とメリッサは頭を横に振った。
王都に近すぎる。
メリッサのことを、マリエラのことを知っている人が通りがかるかも知れない。
「見かけたら殺したくなる」
使用人が告げた言葉は紛れもない事実だろう。
使用人なら逃げればいいかも知れない。
でも、もしもそれがマリエラを慕う貴族の子息なら?
メリッサだけでなく、集落の人たちにもその人は害を成すかも知れない。
メリッサはこの三日間、すごく集落の人たちに良くしてもらった。
ずっとここでぬるま湯のようなその優しさに浸っていたいくらい。
「いえ、もう行きます。あの、色々とありがとうございました」
「礼を言うのはこちらの方です。貴女がいなければこの集落はきっと滅んでいたでしょう」
「メリッサ!ボクたちが行くのは山向こうの一本松が生えた付近なんだ!近くに寄ったら必ず来て!!何か困ったことがあっても頼りに来るんだよ!」
「ありがとう、カシム」
メリッサはこのまま話を続けていると出ていく決心が鈍りそうだと「じゃ、またねカシム」とわざと明るく別れを告げて、集落の入口に足を向けた。
「絶対絶対絶対絶対っ!困ったことがあったら来るんだぞーっ!」
薬箱を負った背中にカシムの声が突き刺さる。
メリッサは少しだけ溢れた涙を指で拭うと、そのまま振り向くことなく集落を後にした。