第一話「図書室」
〝すぎてもなお であへるであろう
このみちを たどるべからづ
かさなるふたつめのとき めぐるひとよ
しがふたりを わかつまへ〟
睡 蓮
ー蒸し暑い夏が来た。
毎年毎年、最高気温は更新されていく。蝉の声が響き、緑の葉が茂る。僕は、1年の夏休みを迎える1ヶ月前、父親の転勤先にある
この高校へ転校してきた。
〝川岸私立高校〟
今日もいつもと変わらず学校へ登校する。
自転車で家から学校までは15分程度のところにあって学校の周りは田んぼで覆われている。
そう。この〝川岸私立高校〟はひっそりと田舎に立つ、ただ一つの高校である。
生まれは都内の僕だが、ここに引っ越してきたとき 何故か懐かしさを感じた。
きっと、自然とは新参者も 優しく受け入れてくれるのだろう…。
転校してきてから、この学校に僕はすぐ馴染めた。
学校生活にも慣れ、少しずつだけどクラスの人達と溶け込んでいった。その中でも特に仲のいいやつが2人いる。アカギとショウ。2人は幼馴染で、幼稚園から一緒らしい。それもある意味凄いなと、初めて聞いた時には思った。
毎日同じルートで登下校をする。家からまっすぐ進んだ道。赤いポストが見えたら右に曲がる。そして、少し急な坂道が続く小道を左へ曲がれば、僕の通う高校はすぐだ。
高校の周りは自然で溢れているため
道端にはカエルがいたり、都内では見たことのない 美しい鳥がいたりする。
学校の周りも木が茂っていて たまにイノシシが出てくるらしい…。
校門には綺麗な赤い花が咲いている。なんて言う花なのかは知らないが、この花も都内ではまず咲いていない。
都会との違いは自然だけではない。なんとなくだが、人も情に溢れた人が多いなと感じていた。
いつもと変わらぬ朝。
今日は朝に寝坊をしたせいで慌ただしく学校へと向かっていた。急いで自転車に乗り、赤いポストを右に曲がる。予鈴のチャイムがなる前に着かなくては。
(くっ…。この坂は何度登っても慣れない…)
気合を入れて立ちこぎをしようとした時。
すごいスピードで誰かが僕を追い抜いて行った。それは僕と同じ高校の制服を着た女の子だった。その子はさも簡単に坂道を駆け上がってゆく。
(すごい速さだ…。)
僕は驚いてその場に片足を地面につけて立ち止まった。あまりにも簡単に登り上がるその子。ふと、その子は僕の方を向いた。
その時、逆光のせいか 女の子の顔が見えなかったー。
ー予鈴の音が鳴り響く。
急いで向かった教室にはアカギとショウがすでについていた。
「おう!おはようリョウ!」
「リョウおはー。お前、凄い顔してるな。」
遅刻するかもと思って、全速力で走ってきたから、全身汗だくだった。
「おは…。まじで暑いな。クーラーいつつくんだよ…。」
「あははは。もう、校長室に訴えに行くしかないんじゃね?」
アカギは暑がりながら席に着く僕に、下敷きで扇いでくる。風が生ぬるい。
「てかさ、もうそろ夏休みじゃん!?俺、海行きたい!女の子と!!」
「お前、その前に彼女作れよ。」
「うっせーなー、ショウこそ勉強ばっかりでいねーくせに。あー、天から美女が降ってこねーかなー!」
いつだったか、似たような映画を見た気がするなと思いながら、僕は…。
僕は、登校中に見かけた女の子のことを思い出していた。うちの制服を着ていたけど、見たことのない子だった。
その子は、すっごく色白で。自転車を立ちこぎしながら、黒くて長い髪をなびかせていてー。
(知らない子だったよな…。)
「あのさ、さっき…」
「はーい、席ついてー。出席とるよー。」
僕が2人に問いかけようとした時、担任の東海先生が入ってきた。
「はいはい。暑いのはわかるけど、下敷きで扇がない!」
クーラーの付いていない教室は蒸していて、他にも下敷きで仰いでいた生徒達で少しざわつきだした。続々と生徒たちが自分の席へと戻って行く。
その時、ふと、窓から眩しく太陽が照らしてきた。今日は晴れ日和だ。美しいスカイブルーの青空を見上げる。雲ひとつない空には、うっすらと白い月が浮かんでいた。
今日もまた普段の生活が始まる。
僕はぼんやりと窓の外を見ていると
何故か校庭にさっきの女の子がいた。
「えっ…。あの子…。」
「こら!リョウ!前向きなさいー!じゃあ出席取るね〜。安藤〜…」
黒く、長いサラサラした髪が、涼しげな風になびいている。夏を知らないように肌は真っ白で、すらっとした姿に目を奪われた。
「…おい、どした?リョウ。」
前の席のアカギが振り返ってくる。僕の目線の先を追うように、校庭を見る。
「あの子…誰。」
「あれ…?あいつ…マキじゃん。」
「〝マキ〟…?そんな子いたっけ?」
「俺らの同い年。でも、何やってるんだあんなところで。」
僕は〝マキ〟と呼ばれている子を目で追った。その子は校庭をウロウロしている。
「何か探し物でもしてるのかな…。」
「さあな。でもあいつ…。」
すると、その子は突然にしゃがみ込み、手で校庭の砂を触っている。少しして、何かまでは見えなかったが、その何かを拾い上げて校舎の方へ戻っていく。
戻る途中、〝マキ〟は立ち止まって顔を見上げた。うちのクラスの窓を見ているようだった。
「あ…。こっちに気づいたのか?」
アカギは〝マキ〟に手を振っている。
(アカギの知ってる子なのか)
〝マキ〟はそれに応えず、また校舎へと戻っていった。
僕は今朝見えなかった彼女の顔を見ようと
目を細めてみたけど、又もやよく見えなかったー。
「はぁ〜。相変わらずだなあいつは。」
「アカギ、あの子のこと知ってる?」
朝礼のHRの時間をさぼってまでの探し物。
余程大事な物だったのだろう。今朝のこともあり、僕は彼女のことが気になった。
「ん〜。知ってるって言ったらまぁな。でも、変わったやつだよ。」
「変わったやつ?」
「自分のことあんまり話してくれねーから、詳しくは分かんねぇけど。」
「あのさ、あの子って…。」
僕は〝マキ〟という子を学校ではまだ見かけたことがない。アカギに聞いてみようとした時ー。
「こら!!いい加減に前を向きなさい!アカギ、リョウ!!」
「あっ、ごめん、後で話すわ!」
東海からの注意の為、この話は一旦止まった。東海は怒らせると怖いって聞いていたので、素直に向きなおる。少ししてから僕は、前を向いてた視線を、もう一度校庭に向ける。誰もいない校庭に、さっきまでいた〝マキ〟の残像が残っているような気がした。
うちの学校は生徒一人一人の時間割が決まっていて、皆違う時間割を持っている。そのため、大学生みたく、選択教科ごとになっており、一日中移動教室というのはごく普通のことだった。
昼休みになった。結局あれから〝マキ〟の事については聞く時間がなかった。アカギもショウも、午前中は学科で被ることがない。
移動教室での廊下で、その〝マキ〟を見かけられるか。僕はそう思いながら探してはみたものの、結局見当たらなかったー。
僕たちは学食へと向かう。
いつも通り学生たちで混雑している。学食のおばちゃんの元気な声が聞こえてきた。
僕たちは、いつも通り券売機で食券を買おうと、列に並んだ。
「俺、今日はカレー!」
「おい。〝今日は〟じゃねぇだろ。〝今日も〟だろ。」
アカギとショウの会話ん聞いてると ボケとツッコミみたいで笑えてくる。
「いやお前、まじ美味いから!学食のカレー!ショウも今度食ってみって!」
「いや、俺カレー好きじゃねぇし。」
2人の会話を聞き流していると、教室に財布を忘れたことを思い出した。
「あっ…。やば。財布忘れた。」
「はっ!?お前はバカか!」
「ここまで並んどいてかよ。」
「ごめん、ちょっと取りに行ってくる。先食ってていいから!」
(ここまで並んでおいて…。やってしまった。)
アカギとショウにそう告げて、列から離れる。駆け足で教室へと向かった。
廊下にはポツポツと生徒たちが歩いていた。
急ぎ足で避けていくと、前方に図書室が見えた。
(あの図書室を左に行けば近い…。)
そう思ってた時、見覚えのある子が図書室へ入って行ったのが見えた。
黒くサラサラした髪、すらっとした姿。
(あっ…。今朝の…。)
僕は廊下に立ち止まっていた。今のは間違いなく〝あの子〟だろう。
僕は、強く引き寄せられるように、図書室へとゆっくり歩み出したー。
図書室への入り口の扉はスライド式になっていた。その扉は、先程〝マキ〟が入っていってから 開きっぱなしになっている。僕は、恐る恐るゆっくり中へ入って行く。そもそも図書室を、僕はこの高校に転校してきてからは一度も利用したことがなかった。昼休みに図書室を利用するものは少ないようで、室内には生徒がほとんどいないようだった。
軽く見渡すが、〝マキ〟がいる気配がない。
(さっきの子は…)
今朝見かけた〝マキ〟という子を思い出す。
黒髪と色白の肌。すらっとした身長。校庭で何かを拾っていた姿。そこまでははっきり見えたのに。
(顔は…。)
僕は、〝マキ〟という子の顔だけ見えなかった。それがどうしても気になったのだ。
自分でもわからない。ただの偶然なのだろうかー。
室内の中間部にある本棚と本棚の間をゆっくり見ていく。だが、やはり見当たらなかった。
室内の奥へと進んでみる。そこには校庭が見渡せる窓が六つあった。その側にテーブルが四つ並んでいる。そこまで進んで、ようやく見つけられた。
(やっぱり…そうだ。)
一番奥の、窓に近い角席に〝マキ〟は座っていた。近くの窓から入ってくる柔らかな風で、彼女の髪は揺れていたー。
図書室の本の独特な香りと、普段は感じない静かな空間に 話しかけようかと思ったけど すごく緊張してしまった。先程まで分からなかった〝マキ〟の顔は、今しっかりと見ることができる。とても綺麗な顔立ちをしていて、とても同い年とは思えないくらいだった。
(何読んでいるのかな…)
興味本位で〝マキ〟が手にしている本を、本棚から見つめていた。だが、ここからでは少し遠くて作品名が見えない。目を凝らしていると、今まで僕の存在に気づいていなかったのか〝マキ〟が驚いた顔をしてこっちを向いた。
「…!!!」
「あっ…。ごめん。その本、何かなと思って。」
僕は必死に変な誤解をとこうと思った。
そりゃそうだ。人が熟読してる時にじっと自分が読んでる本を見つめられていたら…しかも見知らぬ男に…。
不気味がるに決まっている…。
僕は苦笑しながら、すぐ横の本棚で適当に探すふりをして誤魔化した。
(何してんだ…自分。)
変な奴だと思われたと確信しかけてた時、突然後ろから声がした。
「ここで、何してるの…」
「えっ…。」
僕は、まだ誤解が溶けきれていないと思い、冷静に本を探しているんだよ、と伝えた。
「そうじゃなくて…。そんな…。」
「えっ?」
僕の必死の誤魔化しを否定されたのと、〝マキ〟の悲しそうな顔に、僕は驚いた。
〝マキ〟は、ジッと僕のことを見つめている。なんだか、思いつめた表情をしながら。
「あの…。ごめん。」
僕は、不愉快な気分にさせてしまったのではないかと思い謝った。
「ただ、何読んでるのかなと思ってそれで…。」
だが、〝マキ〟はそれには応えず、ただジッと僕の顔を見続けていた。
(な…何なんだ?)
僕の困った顔を見続けたまま尋ねてくる。
「ねぇ、君、リョウ?」
僕はいきなり名前を呼ばれ驚く。
(何故会った事ないのに、名前を知ってるんだ?)
だが、それを言ったら僕もそうだ。僕の場合は今朝アカギから〝マキ〟と聞いた為、知ってはいたがー。
「そうだよ。君は、マキだよね」
僕は、一応の思いで尋ねてみた。予想通り彼女は驚いた顔をして「それ、どうして…」
と呟いた。
僕はまた誤魔化し笑いをして、今朝の登校中と校庭で見かけた事、その後にアカギから名前を聞いたことを正直に話した。
「…という訳でさ。まぁ、いきなり当てられたら驚くよな。」
「そう…。」
だが、マキはボソッと言い捨てるように呟いた。不機嫌にさせてしまったのかもしれない。そういえば、アカギが言っていたっけ。
〝あいつ、自分のこと話したがらないから〟
あまり女の子と仲良くなる機会がなかった為、どうすればいいのか戸惑ってしまった。
「ははは…。ごめん、邪魔しちゃったね」
本日二度めの謝罪をして、その場を去ろうとした時ー。
「待って。ちょっと、話そう。」
突然引き止められ、マキの方へ振り向く。
「ここに来た話、聞かせて。」
「ここって?」
「この学校へきた理由。」
何故尋ねてくるのかと一瞬考えたが、マキの真っ直ぐな視線に耐えられなくなり、僕は身の上話をした。
「父さんの転勤でだよ。この学校には、1ヶ月前に来たんだ。今までは都内での生活だったから、自然豊かですごく新鮮だよ。人もすごくいい人達ばかりだし…。いい学校だね。」
聞かれたので、今思っている事を話すと突然マキの形相が険しくなった。
「ど…どうしたの?」
「ダメ。」
「え?なにが…」
「楽しんではダメ。馴れてはダメ。」
一体マキが何の話をしているのか。僕には理解できずにいる…。
「あのさ…。ダメッてなにが…」
「とにかく、明日から登校してこないで。」
いきなりの意味深発言に何の話か余計見えなくなってきた。
「だから!突然なんでそんなこと言うんだよ」
僕は自分が拒否られていると感じて、反発する。初対面なのに随分と酷い扱いだ。
「じゃあ、うちの学校のこと知ってるの?」
〝学校のこと…?〟
「聞いたことない?校長の話とか。」
〝校長の話??〟
「七不思議は?」
「七不思議…。」
よく学校には昔からの言い伝えで七不思議が存在すると言うけれど、僕がのこ高校に来てからは一度も聞いたことはなかった。
確か以前の学校ではー。
(あれ?以前の学校って…?僕の過去は…)
何故だか知らないけど、思い出せなかった。
「手遅れになる前に、ここから出て行ったほうがいい。」
「だからさっからそれ…」
学校のこと、校長のこと、七不思議のことー。
「知らなくていいから。あなたに関係ない。」
今、目の前で話している〝マキ〟のことー。
「それよりも、あなたはやらなきゃいけないことがある。」
「やらなきゃいけないこと?」
「そう。だから、ここにいてはダメなの。」
自分自身の過去ー。
「私が手助けしてあげる。あなたが、本当の場所に帰れるように。」
本当の場所ー。僕には、マキが言ってる意味が全くわからないまま…。
ただ呆然と、マキの鋭い目を見つめることしかできなかったー。