7話『二度目の襲来』(noll)
『じゃあね~!』
姉ちゃんの言葉が何度も脳内に反響を起こしていた。そしてそれと同時に、姉ちゃんの残したあの言葉がグルグルと海のヘドロのように胸に残っていた。
……というか、あの姉ちゃん最後に何て言った? え、地球防衛軍……は? なにそれ? え、どこのアニメの題名ですか? というより、どっかの番宣かなにか? え、姉ちゃんとうとうテレビデビューでもすんの?
「……わからん」
俺が独り言のように呟き、言葉にならない唸り声を上げた。しかし、いつまでも脱衣所の前にいる訳にはいかない。俺は不完全燃焼の思いを抱えながら、リビングへと向かった。
スリッパのペタペタという可愛らしい音を一人で奏でながら、俺は廊下を真っ直ぐ歩く。リビングへと続く扉をいつものように何気なく開いた。
「……………………、ん?」
ガチャガチャと扉のノズルを捻る俺。確かに今、扉を開けた。いや、正確には開けようとしたのだが、扉は一向に動こうとしなかったのだ。そもそもノズルを捻ればその後は簡単に開く筈なのに対し、扉はピクリとも反応しない。おいおい、マジかよ。立て付けが悪くなったのかと一瞬不安になるも、朝方までは普通に出入りしていたことを思いだし、俺はその考えを速攻で消し去ってやった。
そこで俺は思い切って、扉を押し開こうと全体重を掛けながら扉に身体を預けた。だがしかし、俺の体重をもってしても扉への反応は全く無く、俺は半分泣きそうになった。
「おいおい、どうしたんだよ?」
機嫌か? 機嫌なのか? というか、扉に今日の機嫌も明日の機嫌もあるのか分からないが……、と扉の前で呆れた行きと共に両肩を落とした。
俺が一人途方に暮れていると、先程までうんともすんとも云わなかった扉が急にガチャッと大きな音を立てた。
――キィ、と留め金が擦れる音を耳に入れながら扉の先を見つめていると、そこは一面、氷に包まれていた。
………………………………………………は?
「ちょ、な、ええええぇええぇ~!!!!!!!?」
俺は目の前の光景を上手く処理しきれずに、キャパシティーがとんでもないことになってしまった。正直な所、もはやキャパシティーが一体どういう意味だったのかさえも分からなくなってきた。
しかし、しかしだ。落ち着け、冷静になれ。一人そんな言葉を脳内で呟きながら、自分を冷静にしていく。けれど恐怖と驚きによる胸の高鳴りはどうしても治まらない。ええい、さっさと落ち着けてバカヤロー。むしろ足が震えているのはこの氷を見て脳が勝手に寒がっているんだと、むしろ笑いを誘えるほどの冷静さが出てきてくれ!!
…………というか、なんでリビング全体が四方八方、氷漬けにされてんの? え、新しい冷蔵庫買ったっけ? てか、ソファやテーブルまで凍るとかどんな威力ですか!?
「最近の日本の技術パネェ!!」
カタカタと、俺の脳内が勝手な自己完結を導きだした結果、俺は日本人の日本によるこの素晴らしい新技術搭載に感動する事にした。とりあえず、あり得ないという自身のツッコミが胸の奥底に仕舞っておくことにする。
いやぁ、凄い凄いと一人関心を抱きながら、冷たいリビングとなった部屋に何気も無く入った。
…………しかし、それがそもそもの間違いであった。それに気が付いた時にはすでに遅く、俺は部屋に入ると同時に身体が宙に浮いた。目を丸くする暇も無く、俺は苦痛に耐えきれず顔を渋めた。
「なぁに、ふざけたこと言ってんのよ。
このカス」
そのまま俺の首をへし折るのではないか……、と思ってしまうほど、誰かが俺の首を掴み上げていた。
「……そのまま死んじゃえよ」
苦しみのあまり目を閉じているが、耳に入ってきた罵声はどこか幼い印象を感じた。けれど、そんなことを悠長に分析できるわけもなく、俺の意識が徐々に薄れていくのを感じ、俺は無我夢中でもがいた。
「グッ……!!」
きっと俺の呻き声は世界中の誰よりも多分汚い、そう心の底で思いながら、俺はほとんど出てくることのない強靭的な力がここで発揮された。これがいわゆる、火事場の馬鹿力というものなのだろうか……。
俺は放す気が毛ほどにもない相手の腕を掴み、抵抗を試み始めた。首へと掛かる手の指を必死に外そうともがくと、俺の行動に驚いたのか、相手は俺への締め付けを緩め、そして…………落とした。
それも盛大に。
「ゲホゲホッ!!」
しかし首の締め付けから解放された俺は、途端に開通された肺との道に脳が驚き、上手く酸素が取り込めない状態に陥ってしまった。思わず目頭に涙が溜まるも、俺は相手の顔を一目拝もうという心意気で相手を見やった。
するとそこには、白い女の子がいた。目も、髪も、服も、肌も、何もかもが白いという印象が俺の目を通して脳が処理を始める。
彼女の感情が見受けられない真っ白な目が、俺を突き刺す。
「……死ななかったのね。
残念」
あからさまに肩を落とし、そして自分の両手をマジマジと眺めはじめた少女に、俺はこれからどうすればいいのか分からない状況下にされてしまった。
――というか、おいおい待て待て、一体どうなってんだよ! やっと脳に酸素もまわって咳も止まって全快!! ……て、までにはいってないけど、ほぼほぼ回復してきた俺に何が起きてんの!? え、てか女の子? さっきの首絞めってこの子がやったの!!? 嘘だろ、最近の子、力強すぎだろう!!! つーか、なんでこの俺がいきなり女の子に狙われなきゃなんないわけ!!?
すると脳の片隅にあのドピンク色の本が現れる。そして俺のはじき出される結論はこうである。
「ま、まさか…………敵!?」
俺が声を上げ、尻すぼみながら後ろに後ずされば、少女は歪な笑みを俺に向けた。
「あらぁ~、出来の悪すぎる屑なオッサンでも物分りは言い様ですね。
そう、正解」
年上を敬う気配さえも無くむしろ俺を屑だのオッサンだと罵るのは完璧に魔法少女とか名乗る地球外生命体の一人であろう。何が嬉しくて十代でオッサン呼ばわりされなくてはならないのだ。
ということは、つまりこのリビングの惨状はむしろこの目の前にいる魔法少女によるものらしい。なんということだ、まだ日本も部屋を凍らせるほどの力は持ち合わせていなかったのか!!
「……て、違う違う」
「は?」
「あ、いやこっちの話っす」
俺の独り言に反応した魔法少女は素っ頓狂でなんとも愛らしい可愛い声を上げたものの、その時の眼差しはまさに屑か下衆を見るような蔑んだ目であった。むしろ知らず知らずの内に俺の心というHPが悲鳴を上げる程に削られていた。
しかし、ここで負けてしまう訳にはいかない。何故なら、そう! 俺にはあの女神ことスーパー美少女ロエたんがいるからだ!! ……ま、といっても今は別行動でいないんだけどね。
………………………………………………………ん、ロエたんがいない。つまりは、俺はこの魔法少女をどうにかこうにか一人で何とかしないといけない。それってつまり…………。
「終わった、俺の人生ここで終わりじゃん!
嫌なんだけど、まだ美人で巨乳のお姉さんの胸に顔を埋めたことも、ロエたんの可愛らしい声で「お兄たん」とか呼ばれてないんだよ!!
てかむしろ、エロ本さえも読んだことが無いんだぞ!!!」
「知りたくもない情報を涙ながらに語りながら、そんな程度の低い命乞いなんてはじめて聞きましたよド変態のオッサン」
「……おかしい。
何故か君へと好感度が一気に最低値になったような気がする?」
「気がするんじゃなくて、実際になってるんだけよゴミカス野郎。
てか、仮にも私たちの世界の巫女になんて卑猥な妄想してくれてんのよ」
魔法少女の懐から一丁の銀色に輝く銃が取り出され、それは真っ直ぐと俺に向けられた。まあ、そうだよね。うん、魔法少女からしてみれば俺って殺される対象者だもんね。知ってた。
しかし、しかしだ。ここで終わるほど、俺は落ちぶれている訳でも諦めが良いという訳でもない。何故ならこの俺にはあの魔法少女たちが生唾を呑むほどまでに欲しがる、魔道書を持っているからである。昨日も合図も無く発動したのである。ならば、今回もなにかのきっかけで発動する可能性がある。ならばならば、俺にも勝機はある!
「ふははははは!
むしろ貴様こそ、俺にそんな態度をとってもいいのか?」
よっこらしょ、とまるで本当にオッサンのような言葉を思わず零しながら冷たい床から尻を上げ、魔法少女を仁王立ちして見つめれば、魔法少女は「はあ?」と再び素っ頓狂な声を上げて俺を半目で睨みつけてきた。
「なぁーに、強がっちゃってんですか?
オルディスワールドを持ってるからって調子こいていると痛い目みますよ?」
「いやむしろ、貴様こそが痛い目をみるに値する!」
……だんだんと演じてきてて俺の中でもなんだかノリノリになってきた。いいな、このキャラ。めちゃくちゃ楽しい。俺が余裕の態度でいれば、魔法少女はハッとしたように何を思ったのか切羽詰ったような顔で俺を憎々しげに睨んだ。
「まさか、お前みたいなオッサンがオルディスワールドを自在に操れるというの!?
オッサンみたいなお前が!!?」
「オッサンなどと言うのではない!
まだ、貴様と同じ十代だ!!」
「十代であろうとも、毛が生え始めた糞野郎はもうオッサンの領域なんだよ。
脱毛でもして出直してきな」
「貴様、少しは慎みを持て!!」
「はあ?
私はただ毛としか言ってないんだけど、なに勝手に妄想曝け出してんの?
キモいんですけど」
弓よりもアーチェリーなみの鉄製の矢が俺の胸目掛けて一直線に何本も襲い掛かってくる。もう俺の顔は涙で半分以上は濡れているのではないであろうか。くそ、魔法少女の言葉が正論過ぎて何も言い返せねぇ。なんでこの俺はこんな桃色ピンクのことしか出て来ねぇんだよ。
しかし! しかしここまで心を抉られても、俺は負けない!! 何故なら秘密兵器オルディスワールドがあるから!!!
俺は一人、ふふんと鼻を高く鳴らし上げ、腕を上げた。
「ふん、この俺をオッサンと呼びキモいと言ったことを後悔させてやろう!
いでよ、俺の秘密兵器!!」
――オルディスワールド! そう名を呼び、頭上よりも高く上げた手の平に魔方陣がクルクルと地球儀のように回転をしながら出現する。小さな円がやがて大きくなり、魔方陣を中心に光の粒が生まれる。俺はそれに対し内心『おお!』と関心の声を上げた。流石は俺と契約しただけはある本だ。主人のピンチにはちゃんと応えてくれる、なんと主人想いの魔道書だ。素晴らしい。
魔方陣から湧き起こる風に髪が遊ばれていくが、もはやそんなことはどうだっていい。俺は光りの粒が本へと形作られていくのを目にし、喜びを感じながらその時を待った。