4話『人間っていいよね』(十秋 一世)
「ただいま~」
そう言って俺は靴を適当に脱いで、そのまま二階へと上がろうとした。
のだが、
「良っ! 今日の夕飯の支度、あんたの当番だったでしょ!!」
びくッ!!
俺は怒鳴られて、肩が震えた。
階段に掛けた足をそっと下ろし、廊下の奥、リビングから姿を現した“鬼”に顔を向けた。
「ね、姉ちゃんっ」
そこにいたのは姉の喜希だ。
腰まである黒髪ロングをポニーテールにしている。
弟の俺が言うのもなんだが、姉ちゃんは美人だ。
理知的な鋭い目に泣きボクロが良いアクセントになっている。色白で、食っちゃ寝生活をしても崩れない、ボンッキュッボンッ、のいい体。
俺と違って頭の出来も良く、大学二年生の姉は学年でトップを張っているらしい。教授からの覚えもめでたく、今から院に進まないかと誘われてるとかなんとか、本人がそう自慢していた。
つまり、すごく優秀で美人の姉なのだ。
だがしかし、性格がすこぶるキツイ。
今だってそうだ。
こちらを睨みつけるその眼はまさに鬼。
“喜希”じゃなくて、“危機”もしくは“鬼気”に改名した方いいだろう。
その姉が口を開く。
「約束を破った罰として、あんた、明日から一週間、ずっと夕飯当番ね」
「で、でも、今日は俺の誕生日だぞ? ちょっとぐらい大目に見てくれても……」
「うるさい! それとこれとは別。大体、誕生日プレゼントは朝にもうあげたでしょ。母さんたちからの物も渡したし、ケーキだって買ってきてやったんだから、夕飯の当番はキチンとやりなさいよ」
「ちぇっ……冷酷女め。だからこの年まで彼氏が出来ないんだっつーの」
「……あんた、誕生日プレゼントを返したいみたいねぇ~。あと、ケーキも夕飯もいらないようね」
「わぁぁっ! 嘘々!! 優しいお姉さま! どうか御慈悲をっ!!」
「じゃ、明日からしばらくあんたが夕飯作りの担当だからね。――優しいお姉さまだから、特別に一週間じゃなくて五日間にしてあげる♪ もう夕飯は出来上がってるんだから、荷物置いたらさっさと下に降りてきなさいよ」
そうして姉ちゃんはリビングへと姿を消した。
一日交代である夕飯当番をさり気なく五日間押し付けるその強引さは流石である。
ああしかしながら、この姉弟の関係は覆ることはない。
永久に続くのだろう。
俺は姉にいいようにこき使われるに違いない。
儚い人生である。るーるるー。
――と、ふざけるのはやめて、とりあえず、荷物を置いて来よう。
俺は二階にある自室へと向かった。
さて、俺の家のことを説明しておこう。
家族構成は、父・母・姉・俺の四人家族。
家は二階建て。小さいながら庭もある。ただ手入れは誰もしていない。
両親は海外へと出張中。よく漫画で見かける設定である。
現在は姉と俺の二人暮らしを満喫していると、こういう訳である。
庭付き一戸建て、姉は有名私立大、俺はバイトせずに公立高校に通っているので、まあ、家庭環境は普通か裕福な部類に入るのかもしれない。だからと言って、特別何かあるわけでもない。平々凡々を地で行く日々である。
「……ま、それもピリオドっぽいけど」
俺は自室に入ってポツリと呟いた。
そして持っていた袋を覗き込む。
中に見えるのはピンクの本だ。
本当はこれについて色々と調べたいところだが、早く着替えて下に行かないと、また雷が落ちる。
風呂掃除まで五日間担当になったら目も当てられない。
俺は袋ごと本を机の上に置き、部屋着に着替えて素早く一階へと降りて行った。
*
食卓の上にあった豪華な料理たちはすべて平らげた。
口は悪いが、料理の腕はいいのだ、この姉は。
食後のチョコレートケーキを頬張りながら、俺は相対に座る姉ちゃんに何気なく声を掛けた。
「魔法ってさ」
「え、なになに?」
俺の発言に、姉は怪訝な顔をする。
その顔には『気でも狂ったか?』と書いてあった。
こいつ、本当失礼。
「いやだから、魔法についてなんだけど」
「なによ、急に。ハリー○ッターの続編でも見に行きたいの?」
「ちげーよっ! いや、違くなくはないけど。興味はあるし、映画館に見に行きたい気持ちはあるけど、そうじゃねぇよ!」
「お姉ちゃん、原作の本、まだ全部読んでないのよねぇ。あと、映画より原作派」
「聞いてねぇし!」
「やっぱり箒で空を飛んでみたいわねぇ。あー、懐かしい。もし組分け帽子を被ったら、何になるかと昔想像したものだわぁ。まぁ、私だったら間違いなくグ○フィンドールだろうけど」
「てめぇはスリ○リンだろ」
「ん、ん、ん、ん~? あんた、お姉ちゃんへの口の利き方がなってないわねぇ~。お姉さまに向かって、『てめぇ』? そんな口を利いていいのかしらぁ~」
「すんませんしたっ!」
「よろしい。それで、魔法がどうしたって? あんたももう十八歳なんだから夢見る年でもないでしょう。やめてよ~。学校の屋上から箒に跨って飛び降りて『空を飛びたかった』って言ったりするの。引くから」
「まず姉ちゃんの中で俺がどんだけ馬鹿なのか知りたいのと、それからもしそんなことやったら喋る前にあの世逝き確実だから理由なんて言えないだろう」
俺の姉ちゃん、俺のこと馬鹿にし過ぎだろ。いや、馬鹿だけど、そこまで馬鹿じゃねぇよ。
姉ちゃんは俺のツッコミにニヤリと笑って、手を振って『冗談よ』といつもの仕草をしてみせた。
そして、飲んでいたコーヒーのカップをテーブルの上に置いて、「で?」と聞いてきた。
「魔法がどうたっての?」
それに俺は何を聞こうとしたのか忘れてしまって、だが、自分から声を掛けたのだから何か喋らなければと適当に会話をはじめた。ある意味、自分の中の考えをまとめたかったのかもしれない。
「……魔法なんて、あるわけないじゃん」
「そうね。あるわけないわ」
「だけど、もしあったらどうする?」
「夢のようね」
「姉ちゃんは宇宙人の存在は信じる?」
「地球外生命体の存在の可能性は否定できないと思うわよ。何せ、宇宙は広いから。だから信じているといえば、信じてるわ。それを証明するために大学で研究してるわけだし。だけど、テレビで見るUFOはいただけないわね。あれは嘘クサい」
「その宇宙人が、魔法使いだったら、どうする?」
「また突飛な設定ね。宇宙人が魔法使いって。珍しい組み合わせだこと。まぁ、どうするもなにもないけど、その発想は面白いわね。現代科学が理解できないものを、魔法という言葉に置き換えれば、確かにそれも間違いでないのかもしれない。人間が出来ない超常現象を、すべて魔法という言葉で片付けてしまう。それはそれでありなのかもね」
「いや、そういう言葉の遊びとか取り換えとかじゃなくて、本当に、『魔法』が使えたら?」
「宇宙人が魔法をねぇ」
「それが人を殺せるような、すごい魔法。人間が敵わないような、すさまじい攻撃力を持ったやつとか使い出したら、姉ちゃんはどうする?」
「どうするって、そんなの決まってるじゃない」
「どうするの?」
「白旗上げて降参するわ。逆らうかどうかは、仲間になってから決めればいいじゃない。それから死んでも遅くないし。その方が合理的よ」
姉ちゃんはそう言って、そして「あっ」と声を上げた。
「やだ、九時過ぎてるじゃない! テレビ見なきゃっ!」
そう言ってそのままリビングの端にあるテレビの元へと駆け寄っていった。
そういえば、姉ちゃんがハマってるドラマの放送、今夜だったか……。
俺はテレビにかじりつくようにしている姉ちゃんの背中を見ながら、頭の中ではほんの一時間前の出来事を思い返していた。
*
「はじめて飲みましたが、コーヒー、とても美味しかったです。ご馳走様でした」
店の外に出て、ロエはそうしてニコリと微笑んだ。
本当に美少女である。
姉が色々と残念なせいか、どうしても年下の方が好みになってしまう。
彼女が宇宙人でなければ、すぐさま口説いていた。
しかも、雑談の中で得た情報では、彼女はなんと十七歳だという。俺と一つしか違わない。日本人で言えば結婚も可能な年齢だ。
本当、宇宙人じゃなければ、いや、せめて、
「こいつがいなければなぁ」
「良のおっさん、声に出てるぞ」
「スマン。本音だ」
「知ってる」
ロイは不機嫌を露わにしているが、姉のロエの眼があるせいか手は出してこない。
極度のシスコンであるロイの扱いはこの短時間で何となくではあるが分かった気がする。
雪は止んでいた。
いや、正確に言えば、雪では無くて、『ホワイトデーヴィー』だかの魔法なのだが。
だからこうして三人店外で緊張感も無く喋れるという訳だ。
「それで、俺はこれからどうすればいいんだ?」
「契約解除の方法が見つからない限り、待機としか……」
俺の問いにロエは困り顔である。
そう、俺が誤って『オルディスワールド』と契約してしまったが為に、俺はこの本を手放せなくなってしまったのだ。
というのもこの『オルディスワールド』は、契約者以外が持ってもなんの役にも立たない本なのだという。じゃあ、契約を解除しようとなった時、それも問題になった。現在知られている契約解除の方法だと契約者が死ぬしかないとか……きゃあ、恐ろしい!
ということで、まだ俺は死にたくないので、他の解除方法を探してもらうことにした。
それに伴って、敵から命を狙われる危険性があるため、俺は身を守る為、『オルディスワールド』を持っているように、と言われたのだ。
――まぁ、ロイは『このおっさんから本を奪って、おっさんが死ぬの待てばいいじゃん』と外道なことを言っていたが、ロエに諌められたのでこの形で落ち着いたというのが本当のところだ。
「一度、星と連絡を取ってみます。ただ、星の位置によっては今夜は連絡が取れないかもしれません……。しばらく時間が掛かるかもしれないことだけ、ご理解下さい」
「了解。でも、なるはやで頼むわ。俺もこんな物騒な本、早々に手放したい」
「大丈夫だって。おっさんなら、えーと日本の言葉であるじゃん、『豚に小判』って」
「それ、『猫に小判』と『豚に真珠』が合体してるからな。つか、よく知ってるな」
「ボク、優秀なんで。ま、そんなわけで、おっさんが持ってても、『オルディスワールド』も無害だから。さっきみたいな一時的な改変は出来ても、世界全体を改変する力までは無いし、安心安心」
ロイはそうして笑う。
……なんだかなー……ガキに馬鹿にされてイラッとするわ。
そりゃあね、俺は真っ当な日本人であるし、魔力なんてさらさらないと思いますわ。
だけど、もうちょっと期待されてもいい気が……。
「良さん、間違っても変なことはお願いしないでくださいね! わたくしでも、さすがに命の保証はできかねますので」
「うっす、肝に命じときます」
そうだ。いいのだこれで。俺は人畜無害の魔力皆無能無し人間。
欲深いことは罪なのだ。
ただ本を預かってるだけ。それでいいじゃないか。
うんうん。人間、身の丈を知った方がいい時もあるのだ。
「情報が入りましたら伺いますね。それでは一度失礼いたします」
ロエがネックレスを握りしめ、そして、何かを素早く唱えると体全体が光だし、そしてそのままロイと一緒に消えていなくなってしまった。
うーむ。これが魔法というやつなのだなぁ、と俺はしみじみ思う。
二人と別れた俺は、薄ら雪が積もった道を慎重に歩いて家へと帰ったのだ。
*
夕飯を作らなかった者が洗い物をする決まりになっているので、俺はそれを守り、先に風呂に入ってから、また部屋へと戻った。
明日はまた補習である。
全教科赤点を取った自分が悪いのは分かっているが、何も高校三年生の冬休みを補習で潰さなくてもよかろうに、とも思う。
本当はサボろうと思ったのだが、担任から『留年させるぞ』と魔法の呪文を唱えられれば俺もサボる気にはなれない。
何せ、スポーツ推薦でもうすでに進学先の大学は決まっているのだ。これで留年になったら、来年、受かる大学なんて絶対に見つからないに決まっている。俺はなんとしてもこの退屈な冬休みを乗り越えて、ハッピー大学ライフを手に入れるのだ!
と、思う前のその前に、まずは当面の問題は……。
俺はチラリと机の上に置きっぱなしの本を見た。
俺は机に近づくと、袋の中から本を取り出し、そのままベッドにダイブ。
ピンク色の表紙の『オルディスワールド』。
「お前さんは、なんでまた俺の前に現れたんだろうな……恨むぞ、あんなエッチな場所にいたなんて……エロ本と一緒にいるなっていうの」
俺はぼそりと独り言を呟く。
だが、当然のことながら返答は無い。
そこで思ったのだが、こいつ、喋ったりできたよな。
魔法使えばもっと喋ったりできるんじゃないのか?
そう考えついて俺はベッドの上で体を起こした。
そして『オルディスワールド』の表紙を撫でる。
「起動」
部屋に俺の声が静かに落ちる。
俺は『オルディスワールド』の反応を待った。
しかし、何の反応もしない。
「って、本当、つっかえねぇぇぇ!!」
俺は思いっきり『オルディスワールド』を壁にぶん投げた。
バンッ、と小気味いい音が響く。
するとすぐに、スマホが鳴り、見れば姉から『うるさい黙れ』とメッセージが入っていた。それに『ごめんなさい』とだけ返して、俺は床に落ちた『オルディスワールド』を拾い上げて、またベッドに座った。
はぁ……魔力がないってのはこういうことなわけね。
つまり、『オルディスワールド』は魔力が無いと反応しない。
ロエ達の説明によれば、最初に起動した時は、敵の魔力に反応して起動したのだという。
だから、俺一人では『オルディスワールド』を起動することもできないのだ。
まぁ、ロエのさらなる説明によれば、俺が上手く魔力を外に放出できるようになれば、起動は出来るようになるかもしれない、とのこと。だけどそれには、数か月から数年の修業は必要だろうという話だ。まさか俺もそこまでこの本と付き合うつもりはないので、あっさり魔力鍛錬は諦めた。
「ま、次にこの本が起動する時は、敵が現れる時ってことか」
俺はそうポツリと呟き、迷って本を通学に使っているリュックサックに突っ込んだ。
敵が襲ってくるかも分からないが、一応、保険として入れておこう。
別に邪魔になるわけでもない。
それにしても世界を改変する力ねぇ~。
俺は別にいらねぇけど、欲しい奴は欲しいんだねぇ。
「ふぁぁ、ねむ……」
今日は色々あり過ぎた。
今夜はもう寝よう。
俺はそう決めて、部屋の電気を消した。
その部屋で寝るのが最後の日となるとは知りもしないで……。