3話『対等な関係になるために』(noll)
オレンジ色の温かな光に包まれる店内。カランッとグラスに入った氷が解け、小さな音色を奏でる。俺は目の前に座る小さな存在二つに対し、俺は非常に重い息を吐いた。机の上には俺が買ったドピンク色の背表紙のエロ本【桃色天国】こと【オルディスワールド】が置かれていた。長い沈黙が訪れる中、纏まらない頭を必死にフル回転させて、俺はロリータファッションに身を包む女の子、ロエの方を向いた。先ほどの失態のせいで彼女はほぼ俺に対して恐怖心を抱いている。その証拠に俺が視線を寄越しただけで肩を小さく振るわせている。
……本当に申し訳ないと思う。とりあえず時が戻れるならばその時の俺を殴り飛ばしてやりたい。
「……つまり、こうですか? 君たち二人は遥か銀河系の彼方からやってきた云わば”宇宙人”だと」
「はい、わたくし達はここから約百四十六億光年離れた銀河系からやってきました”宇宙人”です」
可愛らしい顔が少しだけ無理矢理作った笑みで構成されると物凄く申し訳なくなる。本当に時が戻れるならば自分であろうとも殺してやりたいと思える程であった。しかし、そんなことをしても今はどうにもならないのである。俺は彼女の表情を無視し、話を進めた。
「そして、その君たちの星だと魔法文明と機械文明が仲良く手を取り合って栄えていった……と。それで。その宇宙人さん方は、実は俺が知らず知らずに買ってしまったこのエロ本? いや、オルディスワールド? は、世界を改変させる恐ろしい魔道書で、君たちは改変を企てている一味からそれを阻止する為に、銀河系の彼方から遥々逃げてきた………………と?」
「凄いです、地球の方!」
「それなりの脳みそはあるんだな、おっさん! 少しだけ見直したぜ!!」
ロリータファッションのロエと、燕尾服を身に纏うロイが声を上げて絶賛する。しかし、ロエの発言はまだ良いとしてもロイの発言に関してはいただけない。俺は顔を引きつらせながらロイを見やる。
「君たちの中で、この星の住人をなんだと思っているんだ?」
「屑じゃないの?」
屈託の無い顔で即答され、俺は言葉を詰めた。しかしここで何か発言しないと全世界の人間が屑扱いされてしまう。それは駄目である。俺個人ならばともかく、総理大臣、ましてや国を支える偉い人たちも屑扱いされたら世界は終わる。いろんな意味で終わる。そしてそれが俺のせいだと知らされた瞬間、俺の人生は終わる。死刑どころの話じゃ収まらない。むしろ地球から追放されると思う。一人でスペースシャトルに乗らされ、そのまま宇宙の果てを彷徨うであろう。怖い、考えるだけで冷や汗や震えが止まらない。
「……でもまあ、屑は取り消しておくか。おっさんみたいな”例外”もいるだなんて予想外だったし」
「だからそのおっさん呼びをいい加減やめろ! まだ十代だ!!」
「いや、十八歳なんて、ボクたちの星じゃあおっさん枠だって! そもそも”年を取ろうなんてする物好き”なんてボクたちの星にはほぼいないし」
「おいまて、“年を取ろうとする物好き”って、いったどういう……?」
ロイの言葉に俺の動きが止まる。正直な所、ロイの言っている意味が分からないからである。人とはどうしても年を取る生物。それが生命として外れてはならない倫理である。それを覆す等、ある意味では神への冒涜に等しい行為である。よくファンタジーの世界において【不老不死の薬】などが登場するが、それはあくまでフィクションであり、ファンタジーの世界だけである。しかし、今はどうだ。先ほど俺の目の前で意味の分からない出来事が起きたじゃないか。それにその有様を元に戻したのは紛れも無く俺自身だ。でも、それでも、そんな神を冒涜するような力が……?
「大分、混乱をしていらっしゃいますね。……それでは、わたくしがロイに変わってお話しいたします」
見かねた俺に、ロエが手を上げて進言する。ロエは苦笑しながら俺を見つめ、見た目から反し、落ち着いた口調で話し始めた。
「わたくしたちの星は魔法と科学が共存できた唯一の星。しかし、その共存の結果、星はとうとう神の領域を渡ってしまったのです。それが【道化師】です。ああ、【道化師】とは魔法の一種で、その【道化師】の登場により、わたくしたちは年老いていく必要が無くなったのです。そしてこれにより魔力自体の低下も改善されました」
「魔力低下? 魔力って年老いていくと消えてしまうものなのか?」
「ええ。生物学上、それだけはどんな魔法薬も科学薬も手も足も出ませんでした。しかし、【道化師】により年をとるという根本的な問題が解決したことにから、わたくし達は魔力低下を阻止することが出来たのです」
「へぇ……不老ってことか」
「ええ。しかし、これにより今度は別の問題が出てきてしまいました」
その一言を言い終えると、ロエの眼が酷く冷めたい色を帯び始めた。強張る顔を見せるロエ。その身体はかすかに震えていた。唇を噛み、目を左右に彷徨わせるロエは、なんだか言うのを躊躇っているように見えた。
「……無理して言わなくても」
「いいえ。巻き込んでしまった地球の方にお話ししないだなんて……、そんな非礼は出来ません!」
思わず声をかける俺であったが、その声に押されたのかロエはバッと顔を上げた。そして小さな声でポツポツと喋りはじめた。
「その【道化師】を作り出した生みの親である“ウォーマ・ユイダ”が、神の領域から神の座を取ろうと考え出したんです。それが、その【オルディスワールド】なんです」
ロエは窺い見るようにして本を見やる。それに釣られて俺自身もドピンクの表紙の【オルディスワールド】を見た。先ほどレンタルビデオ店で何かを起こした本とは到底思えない。見るからにエロ本である。しかし、そのエロ本が彼女の言った通り、地球の本ではないことは確かである。
「そもそもコレはいったい何なんだ?」
俺は【オルディスワールド】の背表紙をそっと撫でる。すると、俺たちの会話を静かに聞いていたロイが呆れたような溜息を零したことにより、俺とロエはそちらの方に首を動かした。
ロイは二人の視線を感じ、俺の方を若干……いや完璧に呆れた眼差しで見やりながら話し始めた。
「……まあ、おっさんじゃあ知らないのも当然さ。【オルディスワールド】それは、ドデカい魔力の塊さ。基本機能は主の魔力補助と防衛。だけど、持ち主である主が望めば、世界を望みどおりに作り変えることができる」
「それって、例えば俺が大金持ちになって俺だけのハーレムがある世界を作れるってことか?」
「低レベルだな」
「ぐっ!」
「でもまあ、そういうこと」
なるほど、確かにそれは羨ましいことである。
「だけど、その世界を改変する魔法を発動するためには、【オルディスワールド】の魔力だけじゃあ足りない。じゃあ、どうするかって言ったら、主の魔力を使う。しかも【オルディスワールド】の恐ろしいところは、加減が出来ないところで、命令を実行する為だったら、“主の魔力を食い尽くして”でも世界を改変させるのさ」
……なんか、聞けば聞くほどこのエロ本、もとい【オルディスワールド】を手放したくて仕方がない。しかし、それよりも先ほどロイは何か不穏な言葉を言わなかったか……? なんだか俺の体温が徐々に冷えていくのを感じる。アイスコーヒーの飲みすぎであろうか?
「あ、あの、主の魔力を食い尽くす……て?」
「あ? あぁ、そう。まあ、もともと魔力がある幼児とかだったら助かる可能性大だけど、おっさんじゃあ残ってる魔力なんてほぼ無いだろうしね。魔力食い尽くされて死ぬんじゃない? 二十を超えたら“よっぽどのこと”が無い限り、魔力なんて残りカスぐらいしかないだろうし?」
「そもそも魔法とか、魔力とか……」
「そうそれだ!」
――ありえない、そう言いかけた俺に、ロイはすかさず口を挟んで妨害した。その表情は険しく、そして苛立ちがあるようにも見えた。
「その考えこそが一番、魔力を無くす根源だ。魔力は命持つ存在ならば誰にでも持っている。水、火、風、木、光だって闇だって自然界にはいつも生まれては死んでいる。根本として魔力は誰にでも備わっている。しかし、失くす理由として地球人の場合での最大の要因は、“魔法存在の否定”にある」
「魔法存在の否定」
それはどこか重みのある言葉であった。ロイは俺の呟きなど耳に入っていないのか、なおも続ける。その眼はどこか泣きそうに見えた。
「確かに、一般的には魔法文明と科学文明が仲良しこよしなんて出来る場所なんてボクたちの星ぐらいさ。でも、だからと言って魔法の存在を否定する必要がどこにある? 魔法は否定をしなければ存在する。存在し続ける権利を貰えるんだ! でも、どこの星もその権利を剥奪する!!」
痛い言葉である。地球は昔、魔女狩りと呼ばれる行動をとった。魔女狩り、それはいわば一つの私刑であり、迫害でもあったと云われている。ヨーロッパ各地で起きたそれは数万人もの男女を含めた犠牲者が出た、ある意味では虐殺とも思える出来事。
この魔女狩りにとって共通して出てくるのは「魔法を使った」「魔法を信じる」とされる人間が対象であった。人々は戦争や災害などの恐怖から逃れるための行動としてとったのであろう。しかし、これにより数多くの犠牲が出たのもまた事実。そして何より、このことを切っ掛けにヨーロッパでは魔法の使用を全面的に禁止したのである。そして、魔法という文化も言葉も、その魔女狩り以降ぱったりと存在を消した。残されたのは”小さな子供たち”が空想で思うのみとなった。大人になれば嫌でも現実を知る。それが地球での、いや俺としての魔法の考え。
けれど、そうである。俺も一時は魔法とか考えた時期があった。しかし、現実を知ることによってそれはあり得ない存在と教わった。いや、その考え自体がむしろ一つの洗脳といえるものではないのであろうか。創造は自由である。そして、魔法という存在を信じ続けるのもまた個人の自由である。
「魔法が何をした! 錬金術でさえ、立派な魔法の一つだった!! なのにそれさえも否定するのが人類なんだ!!! 必要としていたのはお前らだったのに、危険だと判断されれば迫害する。だから、魔法文明は廃れ、消えていく。だからボクは魔法を信じない存在が、姉様を虐める奴の次に嫌いなんだ!」
「ろ、ロイ」
憤慨するロイ。それに姉であるロエが優しく背を撫でる。
確かに、魔法所持者からしてみれば地球人の魔法否定は遺憾だろう。俺もロイの立場であったら、同じようにして説明し、最悪は怒鳴り出すだろう。しかし、ロイは魔法を捨てた大人に近い俺に対して分かりやすく説明をしてくれた。なんだか俺は昔に読んだ「ピーターパンとウェンディ」を実際に見ているようだ。子供であることを望んだピーターパンがロエたち、大人になることを決意したウェンディが俺たち地球人。皮肉である。同じ見た目なのに、星や文化の違いでここまで変わるだなんて。まるで一人だけ取り残されている感じがした。
ロイは静かに姉の方を見つめ、ロエもまた弟の方を優しい眼差しで見つめた。涙を溜める目をそっと袖で拭うロエ。
「…………どの星でも、大人は嫌いだ。魔法を否定する。魔法そのものを亡き者にしようとする」
「仕方がないのですロイ。それが神の御導きです」
ロイの呟きにロエは優しく諭す。そして髪をすくようにして数回、彼の髪を撫でる。それを心地良く感じるロイだが、その眼は納得していなかった。
「神が……? ボクたちの存在を否定するっているの? ボクたちはもっとも神に近いのに?」
「その考えが愚かなのです。わたくしたちは決して神に背いてはいけないのです。わたくしたちは守護神と破壊神。ただ神に使われるべき存在なのですから」
ロエの厳しい声に、ロイは歯を食いしばり身を震わせる。そして静かにロエに抱き付き、耐えるように涙を流す。きつく抱き合う二人はどこか幻想的で、まるで女神像をそのまま表した光景であった。俺の熱い視線に気づいたのか、ロエがロイから目線を外し、目が合う。
「あ、すみません。地球の方!」
「……あ、いや。大丈夫ですよ」
日本人の特徴を活かんなく発揮する俺。しかしロエは顔をアタフタと慌て、赤らめながら俺を見つめていた。その赤らめた顔が物凄く可愛く、俺の鼻の奥がなにやら熱い何かが流れ出しそうで怖くなった。すかさずコーヒーを飲んで「冷静になれ」と自分に訴えかける。とりあえず、無難な会話を進めて落ち着くしかない。俺は笑みを取り繕い、ロエに語りかける。
「仲がいいんですね」
「ええ、ウォーマ・ユイダのせいで……わたくしたち、二人だけの家族になってしまいましたから」
……どうやら俺はとんでもない会話の選択を選んでしまったようである。俺とロエの間に言い表せない空気が流れる。下手をしたら地雷を踏んだかもしれない。不味い不味い、なぜ俺は今の発言を選んでしまったんだ。いやでも普通に流れ的にはまあ一般的? でも今の流れでそれを選択しちゃう!? でもでも、そこで「今日良い天気ですよね?」とか見当はずれの発言をして見ろ、外を見れば辺りは真っ暗。もはや夕方通り越して夜。思わず一面ガラス張りの壁に目をやれば、外では白い塊がふよふよと漂っていた。………………雪降ってる!!? あれ、ちょっと待って、ホワイトクリスマス? 世の色恋に走る人種はさぞかし発狂するホワイトクリスマス? ヤバいヤバい、明日学校なのにどうしてくれるんだ神さま! よっぽど俺が嫌いと見える神さま!! せめて慈悲として明日は路面凍結しないでください。
俺一人そんな馬鹿なことを思い祈りながらいると、ロエとロイが外を憎々しげに睨みつけた。
「微かにだが、魔法の気配を感じる」
ロイが【オルディスワールド】に視線を寄越す。それに応えるようにしてロエが頷く。
「……氷の使い手、ホワイトデーヴィーの仕業ですね。雪でわたくしたちを探しているみたい」
ロエが右手をガラス張りの壁へと向ける。彼女の指先に少しずつ光が流れ一つの塊が生まれる。円を描き、不思議な言葉の羅列が光の中に溶け込んでいく。グルグルと光の塊の中で飛び交うその文字に、俺は不思議そうに見ていると、ロエはガラス張りの壁に向かって魔法を放った。
《探索妨害魔法発動。“外套”》
彼女の放つ白い光がガラス張りに当たる。俺は思わず声を上げそうになるも、白い光はガラスを割ることは無かった。ただ、ガラス張りに当たると、白い光はガラス一面に白い光を走らせ、覆い尽くした。やがて白い光は消え、元の雪景色を移すガラスの壁に戻った。けれど、大人は何が起きたのか理解できていない。それは魔法という存在を否定しているからだと俺は感じた。
「これでホワイトデーヴィーの眼から少し遠のきました」
「けど、魔法を発動したことによって他のやつらに勘付かれたかもしれない。ピンクデビルの馬鹿と違って、他はそれなりの脳みそ持ってるからな」
「そうですね……。あまり長居をすると、先ほどのようなことになりえません。ウォーマ・ユイダの“信者たち”は目的の為ならば手段は厭わない方々ですから」
ふぅ、と息つくロエ。その表情はやや疲れの色を帯びていた。俺の推測だが魔法の使い過ぎによるものだと思う。しかし、魔法の知識に関してはさっぱりなので断定はできない。ロイはやはり子供であるからか「まだいける」と余裕の表情を浮かべていた。やはり、身体的に大人に近づくと魔力の消耗も激しいのかもしれない。
「申し訳ありません、地球の方。わたくしたちの厄介事に何も知らない地球の方を巻き込んでしまい……。わたくしはなんとお詫び申したら」
「泣かないで姉様! 大丈夫ですよ、見た目はおっさんでも魔法を使えればまだ勝機はあります!!」
「でも………………」
言いよどむロエ。そして悪魔も裸足で逃げ出しそうな恐ろしい形相で俺を睨みつけてくるロイに俺は自分の死を予感した。俺はその形相のロイに叶う訳も無く、俺は日本人の特徴をいかんなく発揮した。正直な所、ロイの言葉に賛同しなかったら殺されていたと思う。
「そうですよ! もともと俺のせいも少しあるんだし、全然平気です」
「そんな、違うのです! わたくしが逃げる時にあの本を落としてしまったのがいけなかったんです!! それがどういった訳かあの場所まで運ばれてしまって……、わたくしのせいなんです!!!」
「違います、俺のせいです。俺が知らないで買おうとして、勝手に契約とか意味わかんないことになっちゃって!!」
「でも、」
「大丈夫です!」
俺のハッキリした口調と声にロエが顔を上げる。目には涙を溜めていた。その眼差しに俺の胸がきつく締め付けられる。俺は彼女の手にそっと握りしめた。
「大丈夫です。……だから、それ以上、自分を陥れるのは止めてください。君は君にできる精一杯のことをしたんだ。確かに俺は巻き込まれた側だけど、君を悪いだなんて決して思わない」
「地球の方……」
泣き腫らすロエに、俺は小さく笑う。もしかしたら不恰好な笑いかもしれないけど。彼女がこれ以上涙を流さないように、俺はロエに向けて笑顔を作った。
「自己紹介がまだだったね。俺は赤城良太」
「良太さま……」
ポツリと言葉を返す彼女に、俺は破顔した。
「あはは、そんな大層な人じゃ無いよ。……いいよ、呼び捨てで。それが無理ならあだ名でも良い。昔は良ちゃん、て呼ばれてたし」
俺の言葉にロエが徐々に笑みを浮かべる。ホッと息つく中、それを眺めていたロイが声を上げた。
「んじゃ、良で決定だな! よろしく”良おっさん”!!」
「お前はそのおっさん呼びをやめろ!」