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烏哭  作者: 上山烏頭
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鴉と少年

 一瞬、志帆には要がなんと言っているのか理解できなかった。ただ、要を唖然と見つめ、「え、なんで……?」と聞き返すことがやっとだった。


「カギは雪村先輩の鞄だった。雪村先輩の鞄から、指紋が何も出なかった――全面をぬぐわれていたってことが、大きなポイントだった」


 要の言葉の衝撃に耐え、昨日の会話を思い出しつつ、志帆は何とか、

「それってただ、犯人が物色しようとして雪村先輩の鞄に触れたんでしょ。で、結局は何もとらずに鞄を拭いてった……」


「鞄を開け閉めするのに、鞄全体を拭かなければならないほど、べたべた触る――?」


「それは……」

志帆は口ごもる。確かに、考えてみれば変なことだった。注意してやれば鞄の開け閉めなど、ロックの金具部分だけですむはず――。


「ということは何? 犯人は自分がどこを触ったか分かんなくなったってこと? でも、仮に北川先輩が犯人だったとして、だからって鞄を拭く必要は無いでしょ。在っても不思議じゃないし、現場に着いたときに触れたって言えばいいじゃない」


「だとしたら、そのために鞄を拭いたんじゃない。つまり、指紋を拭いたんじゃない」


「は?」


 またも志帆には思いも寄らぬ言葉が返ってくる。指紋でなければなんだというのだ。

 要は、分からないの? というふうに、

「そもそも、志帆はどうしてこの事件に遭遇したの?」


「そ、それは……」

 そこで、志帆は要の言わんとすることにはっ、と気がつく。

「もしかして……濡れてたってこと……?」


 要は頷く。「そう。鞄は雨に濡れ、そしてそれをぬぐった。だから犯人は鞄の全面を拭かなければならなかった」


 確かに、要の言うとおり鞄が雨に濡れていたとしたら、鞄の全面がぬぐわれていたことに説明はつく……。志帆が理解したらしいことを確認し、要はさらに続ける。


「重要なのは鞄が濡れていたということ。現場の部屋に雨が吹き込んできたという様子は無かったようだし、ということは、鞄はいったん外へ持ち出されたと考えていい。にわか雨にあい、濡れ、そして何らかの事情によって鞄は建物の中に再び持ち込まれた、ということになる」


「でも、それがいったいどうだって言うのよ。とりあえず鞄については、そういう動きがあったとしても、それを北川先輩がしたっていうの? そんなの誰だってできるじゃない。鞄を持ち出して、雨が降ってきてから何か思いついてまた戻すんでしょ、どうして北川先輩ってことになるのよ」


「わざわざ戻されていた、ということ自体が問題なのよ。しかも建物の奥の部屋まで行ってね」


「え……?」


 理解が追いつかない。そんな志帆にはかまわず、要はさらに、

「鞄を持って外に出て、途中で持っていくのをやめたとする。ふつうなら、その辺に捨てるか、人目に触れさせたくないというなら、隠せばいい。わざわざ現場まで戻ってさらに二部屋並んだ奥の部屋まで戻っていった――つまり、最初にあった場所に戻したってこと。どうしてそんなことをしたのか?」


「どうしてって……。そういう理由があったってことでしょ……」

 要の質問に誘導されるようにして、志帆はかろうじて答える。だが、そうやって声に出して答えたとき、志帆の脳裏で、唐突にすべてが繋がった。特徴の無い、みな同じの黒い学生鞄。そして、おそろいのウサギ人形――。


「まさか、間違えたってこと? だから自分の鞄を取りに奥の部屋に戻らざるをえなかった……」


 そう、と要は頷き、おそらくこういうことだろう、と前置きを入れ、

「北川先輩はもともと事件現場に雪村先輩といっしょにいたんだ。休館日と知らずに図書館に寄ったというのはもちろん嘘。――で、いっしょにいたところ、事件が起き雪村先輩を殺してしまう。慌てた北川先輩は現場を後にしたわけだけど、途中で鞄を取り違えたことに気がつく。そして戻ってくる途中に、にわか雨に逢った。たぶん戻ってくる直前だと思う。あんまりずぶ濡れだと拭いても乾いた感じには戻らないだろうし、ふりはじめがぱらぱらかかったぐらいだろうね。でも、ほっといてすぐに乾く程度ではなかった」


「で、濡れていることに気がついて拭き取ったってわけか……」

 志帆は雪村の鞄の近くに落ちていた北川のタオルを思い出しながら、

「ほとんど咄嗟のことだったなら、凶器の指紋もそのとき拭いていたのかな」


「これはほとんど想像なんだけど、戻ってくる途中、鞄の取り違えに気がついた北川先輩はこのまま逃げるのはまずいと思ったんだろうね。いつも現場に行っていたことはいずれ判ることだし、今日だけ行かなかったというのは不自然にうつるかもしれない。そもそも凶器には指紋がついたままだった。で、発見者になることにした。戻ってくると、まず凶器の指紋を拭き、次に鞄が濡れていることに気がついた。しかも、床には自分の濡れた足跡がついてしまっている。濡れた足跡は入ってきた北川先輩のものしかなかったから、雪村先輩の先輩の鞄が濡れているのはまずい。それで拭き取った――」


「で、遅まきながら死体が無いことに気がついたってわけね」


 よっぽど取り乱していたんだろうな――。罪を糊塗するのに腐心する北川の姿が思い浮かび、志帆はいたたまれない思いを抱く。


 志帆は大きな溜息をつき、次の疑問を要にぶつける。


「じゃあ、雪村先輩は何で木に吊るされていたの?」


「そこでやっと、そこにいる名も無き第三者が登場するってわけ」


 要はそうでしょ、と拝殿の暗がりに向かって、窺うように問いかける。

 しばらく応えはなかったが、やがてくっくっ、と堪えきれなくなったような笑い声が上がる。そして、さきほどの不機嫌な調子とは打って変わって、


「よくもまあ、グダグダ長々とアホみたいに並べ立てちゃってさあ。まあでも、すごいってことは認めてやるよ。正解、大正解。雪村ってやつはそこの北……川だっけ?――が殺したんだよ。よく出来ました。ご苦労さん、はは。まあ、僕なら一言で片付くけどね。見てたから――」


「あなたが雪村先輩の死体を吊るしたってわけ? いったいどうして……」


 なるべく暗がりのほうを見ないようにして志帆は言う。まったく、さっさと逃げるかして、どっかに行ってくれれば良かったのに。そのためにある意味、意図的に長々と推理談義をしていた部分もあったのにさ……心の中で愚痴る。志帆のケータイは自転車にカゴが付いていなかったため、鞄ごと北川のアパートに置いてきたし、要の携帯はたぶん、離れたところに転がった鞄の中だ。やっかいだな――。


 それにしても、暗がりから見られているということを、ありありと感じるということがこれほど気味が悪いとは。気配はするし、姿だってズボンの端がちらちら見える。白いシャツだって、まだ何とか見える。しかし、顔は見えない。要は見たのだろうか。別に見たいわけではなかったが、なにか実態のないものを相手にしているようで、そのせいか志帆の体はずっと悪寒が走りっぱなしなのだ。


「あ、そういえば、あんたはあの北川といっしょにいたな……」


声をかけられた志帆は蛇に見つめられたような戦慄を感じた。体が硬くなる。


そんな志帆の手をぐっと要が握る。そして少年から志帆を遮るように体を寄せた。彼女の小柄な体から猫のような鋭さが迸っているように見えた。


 少年は、そう怖がんないでよ、と低い笑い声をあげ、要に向かって、

「君、なんか面白いね。とりあえずさ、そこの彼女に僕がどうして死体を吊り下げたのかさっきみたいに推理してみせてよ」


 はじめの苛立ちがあっさり消え、一転して完全に面白がっている。


「そんなことは、北川先輩の状態で明らかじゃない」


 要は、推理するまでも無い、というふうに鼻を鳴らすと、暗がりをじっと見つめて、

「眼球、なんでしょ。あなたは雪村先輩の死体から眼球を取り出した。そしてそれを隠すために、わざわざ危険を冒して死体を運び、木に吊るした。――カラスに食われたように偽装したかったから。あそこに捨ててあった猫たち――もともとは、あれらから眼球を取っていたんでしょ。そしてその死骸を捨てていた――」


「目玉ってさぁ、キレイだと思わない?」

 少年の口調はひどくあっけらかんとしていて、そしてその中に、どこか恍惚としたものを漂わせていた。


 太陽の残照がいよいよ力を失いつつあり、少年のまわりの暗がりが、よりいっそうその色を濃くしていく。


「本当はさあ、ずっと人間の目玉が欲しかったんだよ。やっぱり人間が一番なんだよね。大きいし、輝きが格別だ。でも、我慢していたんだよ。猫なんかで我慢してたわけ。そしたらさあ、運よく転がってるのに遭遇しちゃったんだよ」


 少年は自慢するような口調で語り続ける。それにつれて、志帆の嫌悪と戦慄の度合いはますます大きくなっていく。


「最近、妙な奴らが僕のゴミ捨て場に出入りしているなって思っててさ。僕の知らない猫とか犬の死骸を勝手に捨てていくみたいで、何か増えちゃってたのよ。それで、どんな連中かなって、あの日二人して中に入るのを確認して、外から様子を窺ってたわけ。で、しばらくしたらなんか騒々しくなってさ、ちょっとこう、窓からちらっと中をのぞくと、雪村がそこの北川を殺そうとして首を絞めてたんだよ。でも、ばたばたしていた北川が落ちてた鉄パイプでぶん殴り、雪村は死に、北川は逃げていった――これが事の次第ってやつ」


 少年は思い出しては笑いが止まらないといったふうに、

「北川さんには感謝してるよ。思いがけず人間の目玉が手に入ったんだから。それに、今回は目玉をいただいたわけだし」


 もうやめろ! そう、志帆は叫びたかった。しかし、口の中は糊でも含んでしまったかのように、ひどくネバついて言葉が出ない。


「いつもは、十分観賞したら口に入れてそのまま飲んじゃうんだけど、さすがにもったいなくて。でも、保存する用意なんか特にして無かったから、濁らせちゃった。白く濁ったらもうだめだよ。全然ダメ。見る価値無し。泣く泣く飲み込んだよ」


 何を言っているのか、にわかには理解できず、理解したときには猛烈な吐き気がこみ上げてきた。――狂ってる。志帆は歯を食いしばり、絶望的な気分に耐える。


 そして、要が言っていた学校での標本盗難事件が目の前の少年の仕業だということに、今更ながらに気がついた。おそらく、目的はホルマリン。標本作りにはおなじみの防腐剤――。


「今度はちゃんとホルマリンを準備したし、住所を調べるのは案外簡単だったし、以前神社で同じようなことしてたっていうのも聞いたからさ。仕上げに結構面白いからつい持ってきちゃったスケッチブックを使って呼び出したわけ。で、成功したんだけどさあ……半分なんだよね、邪魔が入ったから」


 志帆はいよいよゾッとする。空気が急に冷えたような気がした。それは、おもちゃを取り上げられた子供のような声だった。


「そいつは悪かったね」

 そっけなく言いつつ、要は身構え、暗がり――いまや黒々とした闇の中――から語りかける少年を睨みつける。


 志帆が久々に見る、要の怒りに満ちた顔だった。いつもの気難しそうな顔に、口元が僅かに釣り上がり一見、薄笑いを浮かべているようだ。それだけに、猛禽のように据わった目が恐ろしい。


「……まあいいや」少年の声は気まぐれでつかみどころが無い。

「あんたたちは話を聞いてくれたわけだし。……それに、目玉はまだまだ、たくさんある。そうだよ、そもそもこんな七面倒くさいことをしなくてもよかったんだ」


 少年はぶつぶつ独りで言い始め、

「いまさら我慢することは無いんだよ。そうだよ、僕はいつだって我慢してきた……ふふふ、ふ、ふ……よし、行こう」


 我慢することは無い、まだまだたくさんある、と繰り返し、繰り返し、抑揚の無い言葉が続き、そして小さくなり、やがて気配とともに消えていった。


 完全に少年の気配が消え、立ち去ったことが判ると、張り詰めたものが解け、力が抜けた志帆は、全身汗びっしょりでへたり込みそうになる……が、横の要がふらつくのを見てあわてて支えるようにする。


「ちょっ、カナちゃん大丈夫?」

「うん……ありがと」


要は額の汗をぬぐうと大きく息を吐き、とりあえず安堵したような表情を見せる。


危機は去ったようだ。しかし緊張の反動か、志帆は声をひどく戦慄かせ、

「なんなのよ、なんなのよ……。いったいどうなってるの、この事件……ひどすぎる」


 真相の果てに口を開けたのは理解しがたいグロテスクな欲望――。そしてそれに対する自分達の、あまりの無力感。志帆はただ、呆然とするしかない。そして、傍らには、北川の死が、現実として横たわったままだ。


「まったく……あんな化け物の前じゃ、私の推理なんて木っ端みたいなもんじゃない」


 要は自嘲するように乾いた笑い声を上げ、まったくもって馬鹿馬鹿しい、とはき捨てるように呟いた。


「結局、手遅れな推理をべらべら語っただけ。北川先輩は、こんなことになってしまった……くそっ」

 髪をぐしゃぐしゃかき回し、黙ったまま唇をかむ。だが、なんとか思い直したように首を振ると、

「……警察に連絡しないと。あいつを出来るだけ早く捕まえてもらわなきゃ、大変なことになる」

 要は志帆の支えをよろけ気味に離れ、投げつけた鞄へと足を向けた。


 通報を終えた要に、志帆はぽつりと尋ねる。

「ねえ、雪村先輩、どうして北川先輩を殺そうとしたのかな……」


「……見たでしょ、あのスケッチブック。描く対象がカラスからだんだん、カラスが食う死骸に移っていってた。それに、さっきのやつが言ってたことが事実なら、自ら猫や犬を殺してる。……対象が犬になって、いずれそれが人間になるのも時間の問題だった……なんて、テレビのコメンテイター風のわかったような言い草はもう、ここまでにしたいよ。――推理もたくさん。表面的なことはともかく、先輩自身の本当の心の中までは分からない……さっきのやつの心の中も……」


「でも、北川先輩は雪村先輩のこと友達だって、言ってた……」

 あたし達は似てるの、と繰り返し言っていたこと。ウサギの人形を受け取ってくれたことを少し、はにかみながらうれしそうに言っていたこと――。志帆はそれらをいちいち思い出す。


 要は、僅かな逡巡を見せた後、溜息をついて、

「あのさ、友達って言っても、北川先輩が一方的に思ってただけじゃないの? 志帆から聞いた限りではだけど、北川先輩って自分のことしか言ってないよね。自分が雪村先輩とどう〝友達〟なのかってさ」


「それは……」


 二人について、もともと持っていた違和感が、何なのかを言い当てられた気がした。だから要は昨日言ったのだろう。北川はただ自分自身を見ているだけなのではないかと。志帆の中で、本来の形の北川と雪村がにわかに浮かび上がる――。


おそらく、北川は知っていたのだろう。いや、見ていたのかもしれない。雪村が描き始めているものを。でも、北川にとって、それはどうでもよかった。北川にとって、雪村の傍にいる自分がいればそれで心が安らいでいたから。そして、雪村はそもそも北川なんてどうでもよかった。ただ拒まなかっただけのこと――。


 志帆はハンカチを北川の顔にかぶせながら、暗澹とした気持ちになった。

 もちろん、死んでしまった彼女らの心の内をもはや知るすべなど、ないのだけれど――。


 ねぐらに戻っていくのだろうカラスたちの鳴き声が、一つ、また一つ、暗い紫色の空に響く。そしてまたなき声が一つ、重なっていく。


「志帆……私はさ、あんたと一緒にいること、嫌なんかじゃないから」

 要がぽつりと言う。俯きながらも北川を見る彼女の手を志帆は取る。少し汗ばんだ冷たい要の手――志帆はそれをしっかりと握った。


「うん……ありがとう」



 少年が逮捕されるまで、そう時間はかからなかった。だが、逮捕されたとき、彼の所持していたホルマリン入りの瓶には、人間の眼球が5つほど入っていたという。


――END



何とか書ききりました。かなり前に書いたやつで、酷すぎて修正するのになっかなか時間がかかったのですが、何とかなった……でしょうかね……。探偵役は当初男の子だったのですが、女の子にしたら割とすんなり流れたような気がします。まあ、作者が信奉している、いとこ同士の作家エラリー・クイーンをモデルに女の子化させちゃおう、という安易極まりない計画で生み出されたキャラクターだったので、色々捻くらず当初の通りで良かった、ということなのかも。

題名は正直厨二っぽので変えたい……と思っていたのですが、あまりいい題名が思い浮かばずそのままになってしまった……。「雨とカラスと少女の死体」にしようかと思ったんですが、もろに乙一って感じなので踏ん切りがつきませんでした。

とりあえず、つたない作品をここまで読んでくださってありがとうございます。もしよろしければ評価、感想など気兼ねなくお願いします。

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