ノートと真実
そして放課後――。
学校の外に出ると、すでに要が待っていた。校門前でブレザー姿の他校生が本を片手に突っ立っている姿を皆かなり不審な眼をして通り過ぎていく。そんな彼女を見つけた志帆は急いで引っ張るようにして連れていく。
「もう、ちょっと、なんてとこで待ってんのよ」
「いや、わかりやすいかと思って」
「そういう問題か!」
しかし、要のほうから志帆の学校まで来るなんて珍しい。こういう時は絶対といっていいほど志帆の方が要を迎えに行くのだが、それだけ要がこの事件に気になることがあるということか。
事件の翌日から、登下校時には、教師達が校門に出て生徒に声をかけている。そしてそれを遠巻きにしているマスコミ関係者らしき人々。その中をそそくさと抜け、志帆たちは北川宅のアパートへ足を向ける。
志帆は道すがら、小野寺から聞いた話を要にして、
「カナはさ、小野寺先輩の話をどう思う?」
「どうって言われてもね……」
要はさあ、と首をすくめ、そっけなく応じ、
「それより、ちゃんと目的のアパートまでたどり着けるかが心配。志帆って昔から方向音痴だし……」
「うっさい。それって昔のことでしょっ、しかも一回しかないし」
だいたいそれはいつの話だ。小学生くらいの話だろう。しかも本当は道を知ってるくせに聞かれなかったから、としれっと人の半泣き顔を横で眺めていたのはどこのどいつだ。
――そんなことより……と志帆は、
「北川先輩の話してた雪村先輩と、小野寺先輩が話した雪村先輩って全然感じが違っていたんだよね」
今までは、北川と似たような、それこそ小野寺が言ったように、内向的で人づき合いを避けるような、それでいて完全に孤立することまでは望んでいない、そんなタイプかと思っていたのだが……。
「見る人が変われば印象も変わるってことだとしてもね……なんか別の人の話を聞かされたみたいだったよ」
「……北川先輩は、たぶん自分自身を見てたんだよ」
要が、さっきとは打って変わった低い声で、ぽつりとそうつぶやく。
「え、どういうこと?」
「別に、ただ言ってみただけ」
要はごまかすように言うと、少し目に入りそうな前髪をかき上げながら、
「なんだかんだ言って、私、北川先輩や雪村先輩にはあんまり興味ないよ、本当のところは」
わりとはっきり言う要。志帆は、鼻白んだように、
「そう。――でも、じゃあ、わざわざ北川先輩を尋ねるってことは、そうとう大事なことを確認するってこと?」
「まあ、ね。そうなるかもね」
相変わらず、曖昧にかわす要。
「その割にはなんか、少し気が進まなさそうだけど?」
「……正直言うと、怖いというか、なんと言うか……」
意外にしおらしいことを言いつつ、少し口ごもる要。それから思い切ったように、
「私自身の、いわば勝手な想像を、事件の当事者にまで広げようとしているわけだからね。正直なところ、内輪での妄想話ですませられるなら、それにこしたことはないよ」
「……その想像って、やっぱり何かヤバイ感じなの? 昨日、まずいことになりそうだって言ってたし。北川先輩に何か危ないことが起こるってこと?」
そこまで言ってから、志帆は具体的に突っ込む。
「あたしが見た、あの不審なやつに狙われるってこと?」
しかし、要は、やはりはっきりとは肯定はせず、あくまで、
「そういう可能性があるとしか今は言えない。雪村先輩の死体がわざわざ移動させられていたということ……それに対するまあ、一つの妄想が当たっていたら、危ないということだよ……今日、学校の理科室で標本が紛失してたし」
「え?」
急に何を言いだすのか、志帆は要の言葉に戸惑いながら聞き返す。しかし、要はそれにこたえることなく、考え込むようにして黙り込んでしまう。要の学校での盗難事件らしいが、それが何の関係があるのか。
電柱が無節操に立ち並んだ、せまくるしい街路が長く続く。脇を固める黒ずんだコンクリート塀の上をぶち猫がとっとっと、と小走りで過ぎていった。丸々としているくせにやけに軽快なやつだった。しばらくして、今度は後ろのほうから軽自動車が、こちらは窮屈そうに志帆らの脇を通り過ぎていく。
要は興味はないとはっきり言っていたが、志帆にとっては、北川……そして雪村のことが大きく気になっていた。
北川が送った、おそろいの小さなウサギ人形がついていた雪村の鞄――。北川は雪村が受け取ったことをうれしそうに話していた。あたしたち、趣味が合うみたいなの、と笑みを見せていた。おずおずとそのウサギ人形を差し出す北川の姿が目に浮かぶ。雪村はどんな風にしてそれにこたえ、人形を受け取ったんだろう――。
「……急ごう、本当にまずいことが起こりかねない」
要はかなり焦っているようだった。こんな要も珍しい。志帆はせっつかれるようにして、北川のアパートへと、向かわされる。
くすんだクリーム色の、同じような建物が限られた土地を惜しむようにひしめいている。その一棟の一階――一〇二号室の前に志帆と要は立つ。二人とも僅かに肩を上下させていた。
志帆が緊張しながらインターフォンを押す。部屋から反応はない。志帆は少し焦る。そしてもう一度、二度、三度――。
「え、うそ……」
思わずドアノブ握る。そして、あっさりと開くドア。
「ちょっと待って」
そのまま中に入ろうとする志帆を制し、要が先に入り玄関から北川を呼ぶ。その後ろから志帆も呼びかけるが、薄暗い部屋の奥からは、なんの応えもない。
すぐ先にある卓上電話のかすかな緑の電光。そしてそのそばには枯れたままの花が入った花瓶が、薄暗がりの中に見える。
「ん、これは……」
要が、玄関に投げ出されるようにして落ちていたものを拾い上げた。
少しばかり色あせた赤い表紙のスケッチブックだった。要はそれをめくっていく。
「これって……」
現れた漆黒の鳥に、おもわず志帆は声を上げてしまう。
「たぶん、現場から持ち出された雪村先輩のスケッチブックだろうね」
要は次々とページをめくってゆく。カラス、カラス、カラス、カラス、カラス、カラス、カラス――。黒色がページを圧している。そして、それらはひどく禍々しいものに、志帆には見えた。
なんなのだろうこれは。ページを引っかくようにして描かれ、何度も塗り重ねられた黒の密度。目にうつるそれは尋常ではないのだが、なぜだろう、このような絵に作者がそこへ塗りこめるであろう無言の圧力というか、情念というか、そんなものがスッポリと抜け落ちた、まるで暗い洞のような何かがその黒の中に開いているみたい……。それが志帆にはひどく気になる。
要はなおもページをめくる。そして、その渇ききったおぞましさが素顔をのぞかせ始めたのは、ページに他の色が現れてからだった。
赤――が、カラスの嘴にこびりつき始める。くすんだ赤が。
次のページ――臓物をくわえたカラス。
次のページ――猫の死骸と、それに頭を突っ込んだカラス。
次のページ――ケバ立ち、薄汚れた毛に黒ずんだ赤をこびりつかせ、ピンクの臓物がはみ出している猫の死骸。
次も、その次も、死骸。猫、猫、猫、犬……。総じて目が無く、ぽっかりと黒い穴が空いている。絵の中で、そこだけが黒い。
「なんなのよ、これ……」
志帆の声は歪み、頭の中はぐちゃぐちゃになる。不意に浮かぶ、吊るされた雪村の顔――。ぽっかりと空いた黒。
知らず、歯が音を立てる。雪村さつきとは、本当は何者だったのだろう――。
「いったい、なにがどうなっているのよ……。そもそも、どうしてこんなところに雪村先輩のスケッチブックがあるわけ? それに……北川先輩は?」
鍵が開けっぱなしの玄関。そして、玄関の先――薄暗い部屋の、更なる暗がり――。わけが分からないまま、禍々しい想像だけが掻き立てられる。
「ねえ、カナちゃん。奥のほう、見に行ったほうが……」
そういって体を乗り出そうとする志帆の腕を、要がつかんで引き戻す。そして、志帆の目の前にスケッチブックを突き出してうめく。
「どうやら、私の悪い妄想が当たってしまうかもしれない」
その最後の真っ白なページには、文字が小さく書きこまれていた。
〝神社で待ってる〟
サインペンで一言。そしてその下には日時。日付は今日。
「いま、何時――」
スケッチブックを放り出し、要は自身の腕時計を覗き込む。
「……五分前。早くしないと、北川先輩が危ない。……もう、手遅れかもしれないけど」
そう言って、鞄を引っ掴み、スカートを翻すと要は玄関を飛び出していった。志帆も反射的に要の後を追う。
「ち、ちょっと。でも、どうするの? 神社って、こっからじゃ学校はさんでその反対側じゃん。間に合わないよ」志帆の声は震えている。
要は志帆の言葉には応えず、アパートを出ると、駐輪場へと駆け、そこの自転車を物色し始める。そして一台の古びたカゴつき自転車を引きずり出し、そっちも鍵がついていな――と、もう一台の古びた自転車を顎で示す。
志帆は指示された通り同じように引っ張り出す。
要は猛スピードで自転車を走らせ、志帆はそれにかろうじてついていく。
いつもは志帆がテニスに誘っても嫌々というか、しぶしぶといった体で引っ張り出されたり、もしくはバックレたりするのが常で、参加してもすぐ筋肉痛だとかヘタレてしまう彼女にしては、尋常じゃない勢いである。それだけ事態が切迫しているらしいことが、よけい志帆の不安をあおる。
ただもう、北川の無事を祈りながら必死にペダルをこぐことしか出来ない。チェーンが錆びついているのか、こぐたび派手にきしみ、そこらじゅうにけたたましい音が響く。買い物帰りの老婆、主婦、犬と散歩中の青年などが、何事かとばかりにぎょっとした顔を並べるなか、二人は突っ走っていく。
女子高生の二人組がバカでかいきしみ音を撒き散らしながら、自転車を立ちこぎですっとばしていく光景はさぞ異様だったろうが――それから後から考えるとえらい恥ずかしかったのだが、もちろんその時はそんなことを考えているヒマは無かった。
やがて、住宅地を離れ、辺りは畑などの緑が増えていき、それにつれてひと気はみるみるうちに減っていく。
遠くの山の端にねばっこく手をかけ、じりじりと沈んでいく太陽が気味悪いくらい黄色かった。そして、そこからのっぺりしたオレンジ色が空に広がっている。カラスたちの鋭い鳴き声が、遠くで響く。
息も絶え絶えで、そろそろ足の重さも限界になってきたところで、ようやく神社が見えてきた。
要は放り出すように自転車を乗り捨て、カゴから放り出された鞄を引っ掴むと、二段飛ばしで階段を駆け上がっていく。志帆も自転車に危うく引きずられそうになりながらも、なんとか乗り捨て、要の後を追う。
強い風が上のほうから吹き降ろされ、木々がざわめく。すぐ近くでカラスの鋭い鳴き声がこだまし、志帆は体が泡立つのを感じる。先行する要が階段を上りきり、視界から消えた。志帆ももう少しで上りきる、というところで、何かが地面を激しく打ち、激しくこすれるような音がした。要が鞄を投げつけたらしいことが分かる。
志帆は階段を上りきり、小さな鳥居をくぐる。境内を見回すと、ちょうど要が北川を抱き起こしているところだった。少し離れた地面に要の鞄が転がっている。
「北川先輩っ、大丈夫ですか!」
せきこみつつ、しぼるように声を張り上げ、志帆は北川の顔を覗き込む。
「っ――!!」
志帆は顔を引き攣らせる。生気が無く、ぐったりとした北川の顔面は、左目が無かった。ぽっかりと空いたところから赤があふれ、それを誰かがなすったのか、頬にまだらの如くこびりついている。
「もう死んでる――」
要が荒い息を吐きながら、うめくように言う。それはもう、見ただけであきらかだった。
北川は頭を殴られたらしく、頭髪は真っ赤に染まり、それとわかるほど陥没している。よく見ると、そばに苔むした大きな石が転がっていた。もちろん、それも赤く濡れている。
「カナちゃん、説明してよ……。これはいったい、どういうことなのよ!」
志帆はわめくように訴え、それからひどく咳き込む。
激しい動悸と耳鳴り――。体は熱く、熱が渦巻いているようなのに、頭の中はひどく冷え冷えとしている。そして意識は閉じたように萎縮し、目に入るものすべて、なんだかひどく曖昧だ。そこへいきなり、
「お前ら、何なんだよ。僕の……まだ、片方しか取り出していないんだぞ」
ひどくいらだった声。ぼんやりした意識に、未知のものが無理やり割り込む、異様で不快な感覚――。志帆はびくり、とそれと分かるほど体を戦慄かせる。
そろそろと、顔を声のした方向へ意識を向けた。
小さく古ぼけた拝殿脇の暗がり。そこから、声は聞こえてきていた。顔は見えない。ただ、黒い学生服が暗がりから薄っすらはみ出し、白いシャツもその暗がりに透けて見えるだけだ。
「まさかと思っていたけど、本当にこんなことになるなんてね……」
要はかつてないほどするどい目つきで、暗がりの先を睨みつけて言う。
「お前ら、あの女の友達かなんかか?」
まったく覚えの無い少年の声。ざらざらした中に、なにか禍々しいものがちらつく。志帆はその声音にアテられたのか、たまらず拒絶するように声を上げた。
「あなたが殺したのね。北川先輩……それに、雪村先輩も!」
「それは、少し違うよ」
そう、思いも寄らぬことをぽつりと呟いたのは、横にいた要だった。
「雪村先輩は違う。雪村先輩を殺したのは、北川先輩だ――」