探偵と怪人
「まあ、事の次第としてはこんな感じなんだけど。何か思ったことはある?」
「さあねえ、そういわれても」
要は口に放り込んだ金平糖をかみ砕きながら、そっけなく応じた。
空木要――彼女は志帆の同い年のいとこだ。肩に届くか届かないかのショートカット、そして目にかかるほどに伸ばした前髪のむこうにのぞく、いつもの気難しそうな顔は、大層な考え事でもしているような雰囲気なのだが、その妙に神妙な顔で金平糖をガリガリ噛み砕いている姿は、どこか滑稽だった。
蔵の床にドカッと本を並べ、その中心に胡坐で鎮座する要は、持っていた本に視線を戻すと、気のなさそうに続ける。
「なんていうかまあ、わりと普通の事件じゃない? 被害者の死体が烏にたかられていてひどい有様だったことを除けば、警察が被害者の友好関係を洗ったり、あと、不審者の目撃証言なんかを基にしたりして、地道に解決するってタイプの事件」
「だけどさ、カナちゃんの好きな感じでしょ。江戸川乱歩みたいな」
――江戸川乱歩といえば探偵小説。そしてそれは、要と志帆の共通の趣味でもある。
とはいえ志帆自身の好みは、探偵役が理屈っぽい推理をしてくれればそれだけでよく、好きなのはどちらかというと、海外の作品。いっぽう要は国内作家、特に先ほどの江戸川乱歩や横溝正史といった作家が好きなのだった。
そんな二人はたいてい、志帆と要の伯母の家――亡くなった二人の祖父が、結構な探偵小説の収集家で、その膨大な収集物を収めた蔵がある――で探偵小説雑誌を漁ったり、気が向いたら小説を書いたりして、まわし読みをしている。二人は高校が違うので、放課後はここで待ちあうようにして過ごすことが多い。
要は本からわずかに目をあげると、ふん、とかすかに鼻を鳴らす。一緒にするな、ということらしい。そしてそれっきり視線を本に戻すが、志帆はかまわないことにする。
「それにしてもさ、その北川と雪村っていう先輩たち、何でまたあんなとこに? って思うでしょ? 私と同じように雨宿りに来たかっていうと違うみたいだったのよね」
無反応の要を伺いつつ、志帆はさらにひとりごととのような説明をつづける。気のないそぶりをしつつ、さっきから要の本のページは進んでないのはちゃんとわかっているのだ。
「あの場所にはしょっちゅう出入りしてたみたい。北川先輩は雪村先輩につきあってたような感じなんだけど……」
北川が警察に説明したところ、雪村はよくあそこで絵を描いていたという。それもカラスの絵を。警官たちは最初、北川の説明に困惑顔であったが、北川の証言を裏付けるように、色鉛筆や黒のパステル、カラーインクといった画材が落ちていたり、雪町の鞄からクロッキー帳が出てきたりしたことで、一応のところ納得したようだった。
「どうも、烏を描いてたとかいう肝心のスケッチブックは、何故か持ち去られていたみたいなんだけどね。雪村先輩の鞄は、指紋が拭き取られていたみたいだし、犯人が物色していったみたいなのよね」
聴取の際に雪村の鞄を拭いたかどうかを聞かれ、北川とそろって否定したことを思い出しながら志帆は云う。
「その雪村って先輩、描いてたのはもっぱら鴉なの?」
ぼそっと要が尋ねてきたことに志帆は内心ほくそえみつつ、
「北川先輩の話では、ほとんどそうだったらしいけど」志帆は北川の話を思い出しながら、「もともとは、神社のほうで描いてたらしいんだけどね。最近、もっと烏が良く集まる場所を見つけたってことで移ったみたい」
そして、そこは集まって当然の場所だった。
事件現場に集まっていたカラス、あれはある種、必然的に集まっていたのである。
雪村が吊るされていた場所からもう少し奥へ行ったところに、ゴミを焼却するために掘られたらしい穴があり、そこに多数の猫や犬の死骸がほうりこまれていたのだ。
ニュースでは、そのことが特に取り上げられており、その手の変質者の犯行ではないかという論調が強い。現場ではかなり新しい猫の死骸が発見されたこともあって、雪村は変質者と鉢合わせしたのではないか、という見方が強まっている。
「でもまあ、ニュースで言われているみたいな変質者が、やっぱり犯人なんじゃないの。志帆はそうじゃないという何か確信でもあるわけ?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね……殺してわざわざ木に吊るすなんて尋常じゃないし。そういうのと危うく鉢合わせしたんじゃないかと思うとゾッとしちゃってさ。……ただ、実際の事件に遭遇したわけだし、何かこう、考えてみたいわけじゃん」
「……凶器の鉄パイプとか、吊るすのに使ったロープは全部現場にあったものなの?」
要がさらに聞いてきた。
「そうだったと思うけど」と、志帆。
「絶対、とは言い切れないけどね。ロープは見覚えがあるって北川先輩が警察に証言してたよ。鉄パイプも結構転がってたし、落ちてたのを使ったっていうのが妥当じゃないの?」
要はなるほど、という感じで頷くと、
「そうなると、計画的殺人って線はやっぱり薄いか」
それだけ言って本に眼を落したまま、横に置いてある壜から金平糖を無造作に取り出し口に放るとぼりぼり齧り始める。どうやら、報道内容について、あやふやな点を確認しただけのようだった。とはいえ、興味を感じているのは確かだろう。
いまのところ、報道されているのは、雪村の殺害された場所が、建物の奥であり、死因は、その場に落ちていた鉄パイプ――指紋は拭き取られていた――で即頭部を強打されたことによる脳挫傷ということ。死体に引きずられた跡はなく、犯人は殺害後に被害者を抱えて運んだと推測されるということくらいだった。
「それにしてもさ、現場の窓はふさがってたり羽目殺しだったりで、出入り口は道路側に面した表のほうしかなかったから人目に付きそうだってのに、それを抱えて吊るしに行ったって、よくまあ面倒なことをしたもんだよね」
そうは言いつつも、だからこそ、わざわざ死体を木に吊るす犯人の異常性みたいなのがよけい志帆には感じられる。
「北川先輩も危なかったのよね……。先輩、休館日だってことをうっかり忘れてて図書館に寄ったらしくって。それが幸いしたっていうか……」
「そういえば、いつもは被害者と一緒に現場に行ってたの?」
うーん、それがね、と志帆は要に何とも言えない顔を向けつつ。
「いっしょに行ってたわけじゃないみたい。なんていうか、いつも北川先輩が様子を見に行くような感じで、寄ってたみたいね。で、ぽつぽつ話をして北川先輩が帰っていくっていうのが多かったみたい。いっしょに帰ることもなかったって」
「ふうん」
要は気のない相槌を打つ。
どことなく淡白という感じ、それが彼女らなりの関係だったのかもしれない。しかし、北川の説明を聞く限り、どうも二人の関係は、北川が雪村に寄り添っているような印象が強い気がしなくもなかった。
もちろん、それは印象に過ぎないのかもしれない。志帆が二人について、知っていることなど何もないのだから。ただ、雪村については、極端に人付き合いが乏しかったということを、噂話のような形で耳にした。
「被害者が吊るされていた木の周辺だけど、犯人らしき足跡はなかった?」
胡坐をかいたまま、ボリボリ派手に金平糖を噛みつぶす要が、再び口を開く。
「それは無かったみたい。私が確認した限りでは、だけど。だから、雪村先輩は雨が降る前に殺されたって考えていいと思う」
「じゃあ、もうひとつ。北川先輩が現場の建物に入ったのは雨が降る前なのか、それとも後なのか――わかる?」
「ああ、それは雨が降った後ね。まず、北川先輩がそう証言したし、私も奥の部屋で濡れた靴跡を確認しているから。もちろん、警察の人たちにも、いちいち確認につき合わされたし」
ふうん、と納得したように頷く要。そんな要の様子に、志帆は期待を込めつつ、
「もしかして、何か気になることでもあったり?」
しかし、要はあっさり、そうじゃないと首を振る。
「確認しただけ。そんな簡単に何か分かるわけない」
「えー、まあ、そうかもしんないけどさ。何かこう、犯人に繋がりそうな特徴とかなんかの推理ができちゃったり……しない?」
志帆は実のところ、少し期待していた。犯人を推理するのは到底無理として、犯人の職種だとか、性別などは検討できるかもしれない――特に要はそういう変な直感に恵まれているし――と思ったりしていたのだが……まあ、そう簡単にいくわけないか。
「ただ、もしかして、死体を吊るしたことに猟奇的な意味以外のなにかがあるとしたら、そこが何らかの取っ掛かりになるかもしれない」
立ち込めていた沈黙を埋めるように言ったのは要だった。
わざわざ建物から通りに死体を持ち出して引きずっていかないといけないわけだから、そこにはもしかしたら犯人側の何らかの意図があるかもしれない、要はそういいたいのだろうが、ではそれは何か、となると彼女にも特に解答の持ち合わせはないらしく、二人の間には、そのまま沈黙が再び広がっていくしかなかった。
「……ねえ、ちょっと前から気になっていたんだけどさ……なんでこんなに本積んでんの?」
要は自身の周りに本を積み上げ、その中に鎮座していて、そばに近づけなくなっているのだ。特に背後に二重三重にもタワーがそびえていて、志帆としては非常に邪魔臭い。
要はその時になって本から顔をあげると、ジトッとした目を志帆へ向け、
「……黙っていると後ろから人の胸を触る変質者がいるから」
「ひどい! いとこを変質者呼ばわり!?」
「変質者でしょ」
要の声はひたすら冷たかった。
「……いやなんていうかつい? 昔はあたしとあんまり変わらなかったのになあ……というか、うらやましいなあ、といいますか……」
そう言う志帆に、要はますます警戒するような、ジトッとした視線を強めるのだった。
「うー、別にちょっとくらいいのに。ていうか、少し前はそんな気にしてなかったじゃん」
帰り道、志帆はぶつくさ不平を言いつつ、小さな商店街を抜け、住宅地を歩いていた。
夕日に長く伸びた自分の影を見ながら、志帆はため息をつく。そのため息の半分は事件についてだ。やっぱりというか、何も分からなかった。まあ、それが当然といえば当然といえるわけではあるが。
「ん、あれ?……」
公園の横を通りかかっていると、ベンチに一人座っていた少女に目が留まる。北川だった。白いブラウスに黒いスカートという私服でぽつんと座っている。そういえば、北川は今日学校を休んでいたと聞いた。どうしようか、と一瞬迷う。が、次の瞬間顔を上げた北川と目が合った。
「あの、こんにちは、先輩」遠慮がちに声をかける志帆。
「ああ、早瀬さん……」
となり、いいですか、と聞く志帆に北川はコクンと頷く。とはいえ、二人並んだものの、お互い黙ったまま、夕日に照らされるだけだ。志帆は口を開けず、砂場に誰かが置き忘れていったらしい赤いゴムボールを何とは無しに見ていた。
「早瀬さんは、学校に行ったのね」しばらくして、北川がぽつりと言う。「あたしは……ずっと家にこもってた……。今でも、さつきちゃんが死んだって実感が無くて、今日一日部屋でぼうっとしてたんだけど、それも気が滅入ってきてね……」
それで、外に出てきたということか。そういえば、北川の家はこの近くのアパートだと聴取のとき聞いた気がする。
北川のしゃべり方は、ぼんやりとして抑揚が無く、顔もなんだか能面みたいだった。
「あの……、雪村先輩って、どんな人だったか、聞いてもいいですか?」
思い切って、志帆は聞いてみる。雪村さつきという人物について、噂以上のことを知らないということもあったし、なにより彼女の不思議な存在感が志帆の中で大きくなっていたからでもあった。
「さつきちゃんのこと?」北川はぼんやりと聞き返す。
志帆は頷き、ただ待つ。北川が話してくれないのなら、それでも良かった。しつこく聞くつもりは無い。
やや、時間を置いて、北川は口を開いた。
「本当のところ、さつきちゃんについては、あたしだって知ってるとはいえないかも……クラスだって違うし、そもそも学校で会ったり話したりはしなかったから」
北川が雪村を気にしだしたのは、図書館で彼女を見かけてからだという。彼女の雰囲気――ある種超然とした空気をまとっていた彼女に、憧れめいたものを抱いたらしい。
「さつきちゃんもあたしと同じなのよ。毎日毎日、他人と適当な会話をして、詰まんないのに笑って……それをすごく、馬鹿馬鹿しいと思ってる――。
でも、あたしはそれから離れることが出来ない。さつきちゃんみたいに。……怖いから……」
それからしばらくは、離れた席からただ見ていただけだったのだが、ある日、あっけなく二人に関係が出来る。
知り合いの犬を散歩させることになった時のこと、北川が偶々寄った神社に、雪村が居たのだ。学校帰りらしく、制服姿の雪村は、境内の隅にある石のベンチに座り、スケッチをしていた。犬と北川を無視したまま、スケッチを続ける雪村だったが、ふと一息入れるようにごく自然な動作でタバコを取り出し、くわえた。
「あの、あたしにも、一本くれる?」
そんな言葉が北川の口から出たのは、思わずというか、ついというか、ようするにその場の勢いだったのだが、雪村は北川をじっと見ると黙って一本差し出した。
「そのときはタバコ、初めてだったんだけどね。まあ、こんなものかなって感じだったかな……」
北川と雪村は話をするでもなく、ゆらゆらと煙を流しながら、境内の景色を並んでみていた。
「あたし、そのときなんだかひどく、ほっとした感じがした」北川はつぶやくように言う。
それから、北川はその日と同じ時間を見計らって、神社に行くことになる。雪村はいつも同じようにして、神社をねぐらにしている烏のスケッチを続けていた。
北川と雪村はやがて、ぽつぽつと言葉を交わすようになるが、お互いについて踏み込むことも無く、ただゆっくりとした時間を共有する。それだけだった。
「あの、それから学校では、会ったり話したりしなかったんですか?」
志帆が訝しげに尋ねるが、北川は首を振り、いっしょに行こうということも無かったと答えた。
それってかなり淡白、いや、ほとんどあってないような関係じゃないの? と志帆は思ってしまう。それでも、北川は雪村の死にショックを受けているのは、様子から見てあきらかだ。だから、なおさら奇妙な感じがした。
そんな思いを見透かしたように、北川は暗く、苦笑めいたものを浮かべ、
「やっぱり、変なのかな。でもね、あたしさつきちゃんの横に居たときだけは、飾らないあたしで居られた。……ただ、それだけ。それだけでよかった」
「あ……、あの、すみません」
それ以上言葉を続けられず、口ごもる志帆。
しばらくして北川はぽつりと――でも、やっぱりあたし達は友達なの、と言う。それから北川は、雪村に送ったウサギの人形について話す。受け取ってもらえるか怖かったけど、やっぱりあたし達、趣味が合うのよ、と嬉しそうに言った。あたし達は何も言わなくたっていい――。北川はそんなふうにしてひとしきり自分と雪村の共通点を挙げていった。
傾く夕日の中、すべてが赤く染まっていく。ふと、その赤を拒むように、黒い影が志帆の視界にさっと入ってきた。そして、電柱の上で耳障りな鳴き声を一声、上げる。いやな鳴き声。それから、じっとこちらを見るように、首を傾けている……ような、気がした。
「ごめんなさい、あたし、もう……」
北川は腕を抱くようにすると、上ずった声をあげ、そのまま立ち上がる。
「いえ、こっちもすみません」志帆は短く言って、立ち去る北川を見送った。
ふと、何者かの視線を感じた。思わず振り返る。――公園のもう一方の入り口あたりにいた影がすっと消える。一瞬で顔は分からなかったが、少年だということは分かった。あの制服は、志帆の高校ではない。あれは要の、稲生高校の制服だ――。
まさか、見られていた――? 公園にはもう、志帆以外だれもいない。
こっちを見てたよね……。追いかけるべきだろうか迷う。とはいえ、足がすくんでいた。
結局、薄気味悪さに二の足を踏み、志帆は立ち尽くすばかりだった。
………………ふう、エタらせてたまるかよ! なんて、まだどうなるか分かりませんが。ようやく、というか、今さら、の続きです。まあ一次に落ちただけあって読みかえすとあちこち酷いし、改稿してたら探偵役を女の子に変えたりとかで結局全面的に変えることになりました。次は何とか間隔を開けずに投稿します。