___笑顔で引退___
ゴミと化した大会要項を鞄のポケットにねじ込む。日も傾いてきた。今日の部活は佐久間が行っているから、今日は帰ろうと立ち上がる。
「…習慣ってこえーな…」
帰ろうと立ち上がったはずなのに、一成はテニスコートの近くまで来ていた。ガットとボールがぶつかる音がする。
「…今はなんの練習してんのかな…」
大きな桜の木に寄りかかり、軽快な音に耳を傾ける。
去年、遅咲きの桜を咲かせたこの木には、もう葉がついてる。今年は他の木と同じ時期に花を咲かせ、そして散った。さわさわと、葉が揺れる。
「…」
桜の葉が、一枚落ちてきた。
不意に、いろはの言葉が蘇る。
『私たちは勝ちたい』
『笑顔で、引退したい』
ぽこんぽこんと、ボールの音は途切れない。
もし、もしも、プレイヤーに戻ったら。そう考えて、一成はしゃがみこんだ。
新しい部員を含めたあの六人が、団体戦で勝ち抜くのを見たい。その為に、今彼女たちは頑張っている。彼も、その為にサポートしていた。桜が散る中、泣きながら最後の部活をしていた先輩のように、後悔しないように。最後まで、サポートし続けるつもりだった。
でも、彼は握り潰した大会要項を捨てられなかった。
ラケットは握りたくない。昔のようにできる自信はない。もう、テニスをすることはないと、諦めたのに。
途切れないボールの音を聞いていると、「自分が後悔しない選択しなさい」と姫城の言葉が蘇る。
もう一度ラケットを握りたいんじゃないか? 本当は、諦めたくなかったんじゃないか? だから、あの紙を捨てられないんじゃないか。
頭の中で何度も言葉がループする。考えるのも辛くて、抱え込んだ髪を握った。
「かず先輩?」
自分を呼ぶ声が聞こえて、一成は顔を上げた。
「…木暮姉…」
「何してるんですか? 体調悪いんですか!?」
「違う! 違うから騒ぐな!」
走り込みから戻ってきた雪斗は、一成の前にしゃがみこんだ。
「本当に何してるんですか? 傍から見たら完全に不審者ですよ?」
「いや…何ってわけじゃないけど…なんとなく」
「ふうん…。あ、そうだかず先輩」
膝の上に肘をついた雪斗は、ついと目を細めた。
「辞めるなんて許しませんよ」
いつも菜摘とツートップで騒がしい雪斗の声が、冷たい。
「…誰も、辞めるなんて言ってねえだろ…」
「じゃあなんでそんな思いつめた表情してるんです? てっきり、佐久間さんに私たちのこと任せて辞めるか悩んでるのかと思いましたよ!」
鋭く言い当てた雪斗に、冷や汗を流しながらなんとか誤魔化す。彼女は頬杖をつきながらにこにこしているが、その笑顔がいつもと違うような気がする。冷や汗は止まらない
。
「…まあ何に悩んでるのかはこれ以上聞きませんけど、明日は部活来てくださいね」
そう言いながら、雪斗は立ち上がる。
「先輩がいなかったら、いろは先輩も菜摘先輩も、笑顔で引退なんかできませんよ」
その言葉だけ残して、雪斗はコートに戻った。




