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召喚プロローグ  作者: わたし
6/8

6話 死の果てにて生を嗤う

 ――――龍神の血は不死の妙薬。

 一体いつからだろうか、不思議な噂が少しずつ広がっていった。

 出所はどこなのか? そんな事を知っている者は居らず、調べようとした者も答えにたどり着くことなく息絶える。

 龍神の血が、骨が、皮が、鱗が、髪が、臓物が。

 龍神を形成する遍く物質が、世界を統べる力を与える。


 実しやかに囁かれる、龍神に関する噂。

 真実なのか、嘘なのか。

 多くの者が疑問を浮かべ、強欲に目を輝かせながら答えを求める。

 だが、きっと答えにたどり着けるものは存在しない。

 何故ならば、噂が真実だと証明するということは。


 ――――人の身にて、神と渡り合える力を持つと言うことに他ならないのだから。



◆ ◆ ◆



 風を切る。

 ただ走るのとは違う全く異なる風が僕の体を打ち付ける。

 風に髪が靡き、全身を包み込む。気持ちがいい、最高だっ。

 開放的な気分をそのまま言葉に乗せて全力で叫ぶ。口を大きくあけ、両腕を限界まで広げ、眼下の犇めき蠢く亡者に向かって。


「ぶァァァァァァァァァァかァァァァァッ!」


 げらげらと腹を抱えて笑えば、亡者の集団は獲物を逃したことへの怨嗟の声を上げる。

 地を揺るがす怨念篭った大合唱も、大地から離れてみれば酷く滑稽に映る。

 なんて素晴らしい気分。

 翼を持たざる人が決して立ち入ることの出来ない領域。


 『空』。


 僕は今、全人類初、地獄の空を飛行していた。


「あはははっ! すっげぇぇ―――――っ!」


 暗く、光届かぬ地の底の空を飛ぶ。このまま死霊之王の場所まで飛んでいってやろうか、うけけけ。

 ……物凄く気が大きくなっているな僕は。師匠にボコられる以前に戻ったかのような晴々とした気分。

 まあ、それも良いんじゃないだろうか。死ぬ直前からの大脱出、ギリギリで生を掴むことができたような状況。

 ぶっちゃけよう、今僕、すっごく興奮している。

 ケラケラと笑う僕の声につられる様に、優しく包んであった手のひらからひょっこりとミュウが顔を出す。


「うぇぇぇぇええっ!? ちょっちょっちょっ、説明っ! ギフト、説明っ! ちょっとパニックになっちゃてますよ私ぃ!」

「んー、取り合えず生き残ってることを喜ぼうよ」

「でもですね、魔力ゼロのギフトさんが何故に空をお飛びになっているのでしょうか!? いやそも、魔力があったって人間であるギフトさんが空飛べる筈ありませんし!」

「まあ、そうだね。ちなみに言うと魔力は戻ってない、ミュウの言うとおり例え魔力があったって空なんて飛べないけど……」

「じゃあなんで……ッ!」


 怪訝そうに僕を見上げた小さな妖精は、静かに息を飲んだ。


「簡単だよ。人間は飛べない、つまり飛んでる僕はもう、人間じゃあないってことだよ。そしてある生物を全く別の生物へと作り上げるなんて奇跡に、僕らは心当たりがある」

「龍神様の、眼球……」


 呆然と呟いた彼女は、それ以上変わり果てた僕の姿に言葉もないようだった。

 そんなミュウの様子に思わず苦笑して、僕は身体の直ぐそばにふわふわと浮いている細長い『雲』を見る。

 ぐるぐると僕の身体に巻き付くように浮遊している長細い雲は、ほんの少し前に目にしたものだ。

 龍神が龍の姿を取り、本気で襲いかかってきたとき、これとよく似た雲を全身に纏っていた。

 青白く色みがかった美しい雲。あの時は龍神から発せられる白光と合わさって、とても幻想的な光景を作り上げていた。


 両腕を目の前にもって行き、じっくりと眺める。

 うっすらとだが、僕の腕にはツルツルとした白銀の鱗が生えていた。

 多分全身に生えているだろう。爪は青みがかかり、鋼程度ならたやすく切り裂けそうな鋭利な光を宿している。

 鏡のように輝く鱗に映し出された僕の顔は、嘗ての面影を確かに残しながら、しかし明らかに人間のそれではない。


 鋭く尖り口から飛び出している二本の牙。

 腕と同じように皮膚があった場所は全て鱗が覆い、ピンと伸びた両耳はエルフを思わせる。

 真っ黒だった僕の髪の毛は青みがかった白髪へと変貌しており、若干伸びたようにも感じる。

 そして、顔を映した時に真っ先に気づいた変化。


 眼。


 左目は人間の頃となんら変化がないのに対し、右目は完全に人間要素を無くしていた。

 縦に伸びる瞳孔、宝石を思わせる美しき眼球。

 龍神様の眼だ。


 ぼんやりと僕を見つめていたミュウは、心ここに在らずといった表情で、


「半龍神様の肉体かぁ、龍人って所ですかねぇ……。化物具合に一層磨きがかかりましたね、ギフトさん」

「黙らっしゃい」


 酷い言い様だ。間違ってはいないのかもしれないけど。

 もう少し言い方ってものがあるだろう。

 例えば、『人と龍の良いところだけを足した素敵な身体になりましたねっ』とか……、うん、ないな。

 てかそもそも、こんな身体になったのはミュウが原因である。

 だってそうだろう。別に僕は食べたくなかったのに、無理やり口に投げ入れて、その結果がこれだ。

 ミュウが食べればよかったんだ、乗り気だったんだし……。


(……あれ? そうだよ、なんでミュウはあの時食べるのを渋ったんだ?)


 わくわくと楽しそうな表情で、僕の手のひらの上で地獄を見渡すミュウに視線を落とす。

 少し考えてみる。

 おかしくないか? ミュウは龍神の眼玉を食べるのが嫌だとか言ってたけど、前までは確か食べる気満々だった。

 僕が死ぬまで僕のものだから食べないなんて言ってただけで、食べること自体を嫌がってる素振りは全くなかった。

 じゃあ一体何故、今回は強引に僕に食べさせたのか?

 僕が生きてたから? いや違うだろう、あの状況で僕も嫌がってた。自分で食べれば話は早い。

 だったら……。


「ねえ、ミュウ」

「なんです?」

「もし、もしもだけどさ。龍神の眼球を食した時に宿る力が『龍化』じゃなくて『不老不死』だったら、どうなってただろうね?」

「……」

「多分そうなってたら、『不老不死』故に死なない『食べた者』だけが生き残って、食べなかった方は死んでたんじゃないかな?」


 あくまで不老不死、死なず老いない体を手にするだけで、絶大な、それこそ亡者の一軍を吹き飛ばすような力を得るわけではない。

 つまり、結局はあの軍団を回避する術なく飲み込まれ、不老不死の力を宿した方だけが生き残ったのではないだろうか?

 そのことに、ミュウは気付いたのではないだろうか?


「ねえミュウ、あの時ミュウが食べなかったのって――」

「――なにか勘違いしてるみたいですけどっ! 別にそんなの私考えてませんでしたから! 妄想もここまで来ると笑えますねうぷぷぷっ。私はただ食べたくなかったからギフトさんに食べてもらっただけですし」

「……ふ~ん」


 それでもあの状況で、龍神の眼玉の存在に先に気づいたのはミュウの方で。

 もし力が宿るとして、当然他人が力を持つより自分が持ったほうが生存率が上がるであろうことは間違いないわけで。


「ミュウ」

「なんです?」

「無事ここを出れたら、なんでも好きなものをお腹いっぱいになるまでご馳走しよう」

「ええっ!? いいのですか!?」

「ん、まあ。僕の気が変わらなかったらね」

「うっはーっ! これは是が非でも生きて帰らなければならなくなりましたよギフトさん!」


 キャッキャと騒ぐ小さな妖精に釣られるように笑みを零した。

 そうだ、目的を達成して絶対に生きて帰るのだ。

 帰ったら二人で盛大に贅沢をしよう。ちょっとした自分たちへのご褒美に。

 一日中お菓子パーティーなんてのも良いかもしれない。



◆ ◆ ◆



 眼前に広がる景色に息を呑む。既にあの高揚感は消えうせ、残ったのは恐怖。

 地上ではまず見ることの出来ない、おどろおどろしくもどこか幻想的な光景。

 漆黒の大地は終わりを告げ、底の見えない暗い世界がどこまでも続いている。

 夜空に点々と浮かぶ星星のように、重力の概念を無視して宙を漂う小さな島々。


「これは、凄いな……」

「ふわぁぁ、感動ものですねぇ」


 思わず揃って感嘆の息を吐く。

 崖に立ち深遠を覗き込めば、終わりの見えない暗黒の世界と、全ての島々を繋ぐ黒銀に輝く川が悠々と流れている。


「この川、底の方に向かってるみたいだね」

「ふむふむ、私たちが上から来たことを考えると、どうやら正解の方角に今まで飛んできてたみたいですよギフトさん。この川の先に、地獄の王が待っていると私は見ましたっ。流石私です!」

「僕も同じ意見かな、流石ミュウだ」


 ニヤッ、と笑うミュウに同意しながら、僕はここまでの道のりを思い出す。

 どれくらいの時間、目印もなく地獄の空を飛び続けていたのか。

 眼に見える範囲に変化は一向に起きず、最後のほうは一生僕は飛び続けるんだと絶望に泣きながら飛んでいた。

 そんな絶望飛行に終止符を打ったのは、何を隠そうスーパーウルトラ可愛さマックス限界突破ミュウ様であられる。

 泣き喚く僕の頭をバシバシ叩き、『取り合えずギフトさんが方向音痴なのは分かったので、私の言うとおりに飛んでください』と苦笑気味に零し、それから僅か一時間もしないうちに、現在地である漆黒の崖にたどり着いた。

 初めて訪れた地獄の変化に、雄たけびを上げる僕の肩の上でドヤ顔で微笑むミュウ。

 ちっちっ、と指を振りながら『空を飛ぶという行為……。ふふっ、年季が違いますよ、ルーキー』と胸を張る小さな妖精を僕は全力で崇めた。

 土下座して、王様龍神様ミュウ様っ、と褒め称える僕を見て、どこか安心した様子で『やっぱりギフトさんはギフトさんですね』と笑ったミュウ。


 プライドねーなー、と言いたいのだろうか?

 もうその話は終わったと思っていたが、僕は何度言おうと構わないさ。

 プライドなんて存在しない。例え人外の怪物に成り得ようとも、嘗てバッキバキに折られ粉砕されたプライドが復活する事はない。

 へたれはへたれのままだ。


「そんな訳でミュウ、僕は帰りたいよ」

「なに馬鹿なこと言ってんですか、ここまで来たら行くっきゃないでしょ!」


 この妖精マジ好奇心に忠実。

 『さあ! さあさあさあ、早く死霊之王にお目にかかるとしましょう!』ときらきらした眼で訴えかけてくる。

 ミュウは死霊之王に会うつもりのようだが、僕はそんな気は毛頭ない。

 何度も言ったとおり、こっそり魂だけ盗って逃げる。それだけだ。


「ミュウ、言っとくけど僕は死霊之王に会う気はないからね?」

「いやー、それは無理なんじゃないですか?」

「招かれたって話? それならもう王はきっと僕らを見失ってるよ。だって結構地獄に来て経つけど、全然接触ないじゃん」

「今までは、ですね」

「はい?」


 嫌な予感がする。

 この身体になってから本能というか、第六感的なものも強化しているのか、僅かに恐怖を浮かべながらうっすらと笑うミュウを見て、冷や汗が止まらない。


「ちょっと、変なこというの止めてよ、止めようぜっ! 僕は非常に怖い思いをしているんだよ!」

「私もですよギフトさん。でも、迎えが着ちゃったみたいですよ」


 ふるふるとミュウが僕の背後を指差す。

 慌てて振り返る。大地が消えうせた暗黒の世界。

 宙に浮かぶのは小島と流れる一本川だけ。


 ――いや、だけだった(、、、、、)


 遠く遠く。

 小さなそれは次第に大きくなりながら、確かに流れてくる。

 地獄の底から、僕らの元へと、黒銀の川の中をゆっくりと。

 それは、ボートだった。黒いボートをベースに真っ白な骨の装飾が施された、芸術品のような不気味な小船。


 口の中が乾く。ぷるぷると震えだしたミュウは僕の髪の毛の中に蹲りながら、両手でぎゅっと命綱のように握り締める。

 僕らは否が応でも理解してしまっていた。

 ミュウの言ったとおりだ。僕らはこの地獄に招かれた。

 あれは、迎えだ。


 小船が僕らの前で止まる。

 逃げられない。ここは、招待者の世界であり、僕らもまた招待者に話があるのだから。


 心音が高ぶる。

 背筋を伝う冷や汗が気持ち悪い。

 視界が涙で歪む。

 全てを押さえ込むように大きく息を吸い込んで、僕は覚悟を決めた。


「……逃げよう」

「行くんですよばかぁっ!」

「ぶっふぅ」



◆ ◆ ◆



 川の流れに従う小船には不思議と揺れがなかった。

 さっきまでの不安は何処へやら、キャッキャと騒ぐミュウを尻目に僕は膝を抱えて『の』の字を書く。


「なぁにがスーパーウルトラ可愛さマックス限界突破ミュウ様だ、僕に言わせりゃ無理心中最低最悪悪魔で十分だよ、ふんっ」

「ぶつぶつ煩いですよギフトさん。結果的にどう足掻いてもこの小船には乗ることになってたと思いますし、誰かに文句言いたくなる気持ちも分かりますけど、いい加減覚悟決めてくださいよ」

「うるさいっ」


 僕は小心者なんだっ!

 ミュウが間違ったことを言ってないのは分かってる。現状の僕が非常に屑であることも理解している。

 でも、こう! なんか、こう!

 納得いかない! そもそも何で僕らは地獄に来る前から死霊之王に眼を付けられてたんだ、意味分からんっ!


「あ、見えてきましたよ。王宮っぽいのが」

「ひぇぇぇぇぇええええ、もう!? まてまてもうちょっと待ってよねぇ!」

「そんなの私に言われても……ミュウちゃん今ゴミムシですし」

「世界が僕に優しくない!」


 泣こうが嘆こうが叫ぼうが川の流れは変わらない。

 どんぶらこどんぶらこと流されるままに進む小船は、着実に見えてきた終点へと近づく。

 黒を基調とした立派なお城。僕が仕事をしてた王宮よりも、間違いなくデカイ。

 ぐるりと囲む高さ十五Mはある城壁を潜り抜けると、川の両端にずらりと武装されたガーゴイルが並ぶ。

 金色の眼球が僕らを睨み付け、一挙手一投足に気を張り詰める。

 立ち上る押しつぶされそうな覇気が、龍獄山の龍にも劣らぬ猛者であることを知らせていた。


 ごくりと息を飲んで見据える前方。

 重厚な音を立て開かれる黒と金の城門が開かれる。

 僕らを運んできた黒銀の川は城内まで続いているようだ。

 断頭台に首を捧げている様な、濃厚な死の気配を感じる鋭利なプレッシャーの中、音も立てずに進んでいく。

 きっとこの先に待ち受ける絶望は今感じているものが呆気なく吹き飛ぶような、次元の違うものと分かっていても進む小船を止められない。


 一種鮮やかな地獄の光景に眼を奪われはしゃいでいた小さな妖精は、無言で僕の肩によじ登り前方を見据える。

 彼女の安置であるポケットに潜り込まず、震える身体を押さえ込む姿に一つの覚悟を感じた。

 僕も怯えている場合ではない。

 ミュウは覚悟を決めている。何時だか言っていた『私も手伝う』という言葉に嘘はない。


 だったら僕も覚悟を決めるべきだ。

 逃げたいけれど、もうきっとその段階は過ぎ去ってしまった。

 死霊之王。死後の世界の唯一王。絶対権力者の一人。

 “師匠が言っていた”、『権力者に逆らうな』。

 だけどこうも“師匠は言っていた”、『命の危機には全力で抵抗しろ』。

 大きく息を吸い込んで、僕は意識を張り詰める。


 どんな危機にも抵抗できるように。


 一直線に続く川をゆるりと速度を変えず進み続ける。

 城内は不可思議の塊だった。天井、廊下、扉、シャンデリア、装飾。その全てが歪み捩れ、恰も複雑な城内を無理やり一本道にしたかのような光景。

 黒銀の川はどこまでも続いているようで、しかし終わりはついに目の前に来ていた。

 城門に匹敵するような巨大な扉。施された華麗な装飾は今まで見てきたどんなものも及ばない。

 龍神様の美しさとはまた違った『美』。

 そこに神々しさはなく、生に対する美しさでもなく、死を象徴する美しさ。

 見ているだけで命が吸われるような、暗雲たる美しさに魂が震えた。


 コツン、と静寂に響く小さな音。

 止まることなく進み続けた小船の先端が扉を突いた音だった。

 ミュウが外套を強く握り締めた。僕は大きく息を吐き出した。


 覚悟は決まった。


 ――そして扉は、開かれる。


 そこは所謂謁見の間と言われるところだった。

 一国の王城にある謁見の間など目ではない、豪華なそこが地獄に存在するのだということを証明するが如く、至る所を魂だけの幽鬼が飛び回っていた。

 僕は、その一種の幻想的な空間をしっかりと観察する事も無く、気づけばふわりとした真っ赤な絨毯の上に跪いていた。

 肩に居るミュウも転がるように絨毯の上で小さくなる。


 入り口から伸びる真紅の絨毯の終点。目の前に巨大な玉座に座して待つ屍の王が居た。

 跪く僕らを見据えるのは、本来眼球がある場所に収まっている暖かさを感じさせない冷たい青の炎。

 皮膚も血も通っていない真白の頭蓋骨。自らの権力を示すが如く、些か装飾過多な銀と紫に彩られた常闇色のトガを肉の無い骨だけの身体に纏っている。

 首に下げられたネックレスには、誰のものかもわからぬ眼球が三つ、ギョロリと血走った視線で僕の身体を貫く。


 恐る恐る顔を上げて盗み見る。吹き上がる覇気が宵闇のオーラとなり立ち上る。

 傍らにあるのは光を飲み込む白濁の大鎌。死霊之王を象徴するそれは、十の人骨が絡み合った形をしている。

 頭蓋は苦悶の表情を浮かべているように歪に歪み、許しを請う罪人のように天に手を伸ばす。

 先にあるのは、断罪の刃。白銀の煌きを灯す刃からは死の気配が漂っていた。

 持ち手を握る骨の指には一つとして同じものは無い、多種多様な輝きが宿る宝石の指輪を嵌めている。


 荘厳華麗、恐ろしくも美しい死の化身を前に、僕は身体の震えを止められなかった。

 生物は皆、本能的に死を恐怖する。この恐怖はきっと、消すことの出来ないものだ。

 どれだけの覚悟を決めようと、生きてる限り恐怖()からは逃れられない。

 ましてや僕のようなへたれ、覚悟の心は今にもぽきり逝ってしまいそうだ。


 どれだけの時間が経ったか。

 言葉を発することすら憚れ、震えながら跪く僕を観察する死霊之王は、ふと厳かに口を開いた。


「……話に聞いていたのと、随分違うな」

「――っ。は、話とは……?」


 震えを隠し切れない声で返事をする。

 詰まらなそうに首を傾けた死霊之王は、


「話では、人間だということだったが……人違いか?」

「えっと、その、よく分かりませんが、龍神様の眼球を取り込みこの様な姿になりました。元は、人間です」

「ほほう、それはそれは」


 眼孔で静かに燃ゆ青き焔が僅かに揺らぐ。

 直後に、この部屋にある全てが僕に注視したのを感じた。

 ネックレスに収まった三つの眼球が、謁見の間をふわふわと浮かぶ数多の魂が。

 そして『死』が、僕を見つめる。


「なるほど、探ってみれば間違いない。龍神の力……くははは、良くぞ来た。龍神を打ち倒した者よ」


 玉座から統べるように降り立ち、重圧が膨れ上がると同時、室内を黒の覇気が満たす。

 やばいと思った。なにか言わなければと思った。

 でも口を開けど言葉は出ず、次の瞬間そんな焦りが吹き飛ぶ光景が目の端に飛び込む。


(ミュウッ! なにしてんのォ!?)


 視界の隅、謁見の間の全てが僕に注目していることを良いことに、這いつくばった状態でミュウが床の上をするするとくねる様に進む。

 悲鳴を上げそちらに顔を向けそうになったが、根性で動きを止める。

 ミュウの考えは分からない。でも間違いなく、あれは『逃亡』ではない。

 だったら、僕がどうにか時間を稼ぐ。


「死霊之王様! お招きいただき感謝いたします、実は折り入ってお願いが……ッ!」 

「必要なし! 貴様の目的、相分かっておる。全て龍神に聞いた! 故に我が望むことはただ一つよ」


 死霊之王は震える僕の前で大鎌を掲げ、爛々と輝かせる焔が青から赤へと変貌し、


「龍神を討ったその力、見せてみよ! 我を楽しませてみよ! 滅ぼした暁には、この地獄の全てを持っていくが良い!」


 『夜』が爆発した。

 全てを飲み込むような濁りなき『黒』を纏う白銀の刃が振り下ろされる。

 感じるのは濃厚な死。頭に浮かんでいた全てが吹き飛び、振り下ろされる『死』に『抵抗』するべく僕の身体が動く。


 直後に、可憐な声が謁見の間を切り裂いた。

 ――その声は、僕を救う。


「盗ったぁぁ、しゃおらいぃぃぃ! ギフトっ、任務完了! 逃げるよ直ぐにぃッ!」


 振り向けば真っ黒なフラスコを身体一杯で掲げる小さな妖精。

 満面の笑みを浮かべる彼女が持つあのフラスコは、汚ドワーフ王に作ってもらった『魂封じの小瓶』。

 それが黒く染まっていた。つまりは、あの中には魂が封印されているということ!


 誰もが僕の動きに張り詰めていたからこそ、ミュウが動けた。

 ぽかんとした、驚いた雰囲気で動きを止めた死霊之王に背を向け、僕は全力で絨毯を蹴り飛ばす。

 停止したのも僅か、一瞬で動きを再開した死霊之王だが、もう遅い。


 伸ばした僕の手に全力で飛びついてきたミュウを掴み、僕は再び空を飛ぶ。

 二度目の、最後の逃亡飛行が始まった。






 謁見の間の扉を吹き飛ばし、外へと出た僕を待ち受けていたのは、初めて見る豪華な城の内装。

 予想していたことではあるが、やはり空間を捻じ曲げるなどして城門から謁見の間までの一本道を作っていたらしい。

 これはちょっと不味いかもしれない……。

 僅かに動きが止まる。

 瞬間、ミュウは魂が封印されたフラスコを『秘密箱』に収納し、僕の頭に飛び乗るや否や叫んだ。


「左ですルーキー!」

「了解先輩!」


 一蹴の僕の戸惑いを察してくれたミュウのファインプレイ。

 再び加速すると同時に、背後で轟音が鳴り響く。


「逃げるか臆病者めがッ!!」

「逃げるよ逃げるさ逃げるに決まってるだろバカァ!」

「貴様ァ……!」

「耳を貸してはいけませんっ、目的は果たしたし死霊之王の姿もしっかり眼に焼き付けました! つまり任務完了、あとは脱出だけなのですよ!」

「分かってるさっ」


 出し惜しみなんてしない。これでも数十時間地獄の空を飛び続けて結構飛ぶのには慣れてきたんだ。

 『権力者に逆らっちゃだめ』だけど、今は『命の危機だから全力で抵抗』する。

 何も間違っちゃ居ない。そもそも向こうはバリバリ戦う気満々だったようだが、こっちは欠片もそんな気は無かったのだ。

 後ろで咆哮し怒り狂う屍の王など知ったことではない。

 僕は、逃げることだけは自信があるのだ。


「ギフト、前!」


 言葉少なくミュウが警告の声を上げる。

 前方からこちらに向かってくる複数の影。

 城を警備していたガーゴイルを筆頭に、死霊之騎士、幽大鬼、スケルトンバード、屍毒蟲など、見るだけで泣き出しそうになる超危険モンスターが、主の怒りに呼応するように突進してきた。


「ミュウ、振り下ろされないようにねっ」

「うぃっす!」


 迫り来る危機を避け、流し、叩きのめす。

 背後から迫る特大級の危機に追いつかれないためにも、全てを速度を落とさずにこなす。

 ミュウの案内で迷路のような通路を飛翔する。

 一度も迷うことなく、僕は城門を飛び出した。


 だが、問題はこの後だ。


「取り合えず川の流れに沿って降りてきたから、このまま崖まで上ったら良いんだろうけど、その後どうしよう!?」


 出口が分からない。

 地獄の地図なんて存在しないし、目印になるようなものもなにもない。

 動きを止めることがそのまま死に直結する現状。取り合えず上昇を始めた僕の頭の上で、彼女は不安を振り払うように自信満々で言い放つ。


「落ち着いて、大丈夫ですよ。私たちはこの地獄に落ちてきました。そして地獄は私たちが生まれた世界の真下に存在する世界。つまり、このまま崖なんて素通りで一直線に上昇するだけあら不思議、二人揃って無事帰還です!」

「いやいや、流石にそれは安直というか……」

「大丈夫ですって、勿論世界を隔てる壁はあるでしょうけど、死霊之王はそれを開いて私たちを招きました。同じことが出来ない訳ありません! 全部ぶち抜いちゃえば良いんですよ!」


 何一つ確証のない、分の悪すぎる賭け。

 聞く限りどこにも大丈夫な要素が見つからないのだけど……。


 思わず嘆息した。

 結果的に見れば今回も計画通りに行ってない。

 でも、計画には全然乗ってなかった龍神様との戦闘を終えても、こうして僕らは生きている。


 だったらきっと、今回も。


 ぼごり、と嫌な音がした。

 発信源は中空を漂う島々。

 表層が波打つように揺らいだと気づいた瞬間、僕は一気に加速する。

 今までのようにただまっすぐ上がるのではなく、縦横無尽に動き的を絞らせないように。


 僕が感じた危機が的中する。

 ボゴボゴと聞き覚えのある音が連続し、数百の腕が小島から飛び出した。


「ひぇっ」


 分かっていても小さく悲鳴を上げる。

 わさわさと蠢く腕につかまらない様に、小島を避けて飛ぶ。

 一際大きな音が響いた瞬間、小島から生産された屍が重力に従い落下を開始した。


 ゾンビの雨だ。

 無限に生産される死者たちは、腕をめちゃくちゃに動かしながら次々と降り注ぐ。

 掴まれたそのまま一直線、遥か下に叩きつけられるだろう。

 例え掴まれなくてもこのままでは不味い。

 後方を追うモンスター軍団+死の絶対権力者との距離は、中々に離せているが一つのミスが命取りになるのは変わっていない。

 そして、一直線に上昇するのをやめ、回避の動きを入れたせいで着々と距離を詰められている。

 ミスをしなくてもジエンドだ。


「んガっ!」


 気合を入れる。

 僕が手に入れたこの力は、龍神様の力だ。

 だったら……ッ!


「ブレスですっ、ぶちかますのです!」

「分かってるよ! でもブレスってどうやりゃいいの!?」


 龍が行う最強の攻撃。

 他の種族では決して扱うことの出来ない、破壊の咆哮。

 龍神様も幾度と無く使い、その度に破壊を生み出す光景に命を削られるような思いを抱いた。

 あれを撃てれば、この状況だって簡単に打開できる。


「え、それはそのぅ。……おぇぇぇ、って感じなんじゃあ?」

「それゲロじゃん! 僕に吐けって言ってんの!? いや吐けるけど、現状を振り返れば容易くゲロ振りまけるけど!」

「きたなっ、止めてくださいよ! ふざけてる場合ですかっ!」

「いや僕ふざけてないんだけど……あぶなっ!」


 ミュウに気を取られた一瞬、僕の袖を腐った手が鷲掴みにする。

 想像以上の膂力に一瞬バランスが崩れるも、掴まれた袖を即座に切り飛ばし、何とか最悪の事態は回避する。

 だけど、今のロスは痛い。非常に痛い。

 一気に距離がつまり、全身を死のプレッシャーが蝕む。

 こうなりゃやけくそだっ、と自暴自棄になっても良いが、多分そうなったら本当に人生終了だ。

 ここは冷静に、今確実に切れる手札で現状を立て直す。

 賭けに出るのはまだ先でいい。


 大きく息を吐き出して、意識を身体の外へと集中させる。

 僕の周囲を変わらず漂う細長い雲。龍神様はこの雲も操り攻撃してきた。

 始めて見た時は空が落ちてきたと勘違いしたものだ。

 時間がないが焦らず、雲も自分の身体の一部だと連想する。

 魔力の代わりに僕の身体を満たす龍神様の力を雲に染み渡らせ、一気に解放した。


 漂う雲が青白く輝く。

 爆発するように展開された巨大な雲を操り、降り注ぐ屍の雨を弾き飛ばした。

 いける。途中に小島があろうが、流れる川があろうが、ゾンビが降ろうが関係ない。

 雲を操り、障害をなぎ払い、強引に一本道を精製する。


 加速。

 雲の一本道を飛び立つ僕は、再び背後のモンスター軍団を置き去りにし、瞬く間に小島の浮かぶ危険地帯を脱出する。

 だが地獄はまだ続いている、終わらない。

 一瞬、ほんの僅かだけ視線を崖の方角へと向けた。

 地平線が見える、広大な漆黒の大地。このまま死霊之王城を背後に、まっすぐ直線に進めば正しい出口に着くんじゃないだろうか?

 浮かんだ考えを頭を振り、切り捨てる。

 確証はないし、そもそもまっすぐ飛べるか怪しいものだ。目印なんてなにもないんだ。夜のような暗闇を飛び続けることがどれほど大変か、身に染みてわかっている。


 僕は、ミュウを信じる。

 眼を離し、再び上へ。


「頑張れ頑張れ! あと少しですよ!」


 上へ行けば行くほど『黒』が濃くなっていく。

 青く発光する雲は容易く『黒』に飲み込まれ、気を抜けば魂を抜き取られそうな感覚。

 全力で飛んでいる筈だ。とっくのとうに死霊之王なんて引き離してる。


 しかし。


「――――がさんぞ……逃げられんぞ小僧どもォ!!」


 怒号が鼓膜を揺さぶる。

 思わず振り返れば、塗りつぶされた暗黒の中でも眼を引き寄せる『死』が距離を詰め大鎌を振り上げていた。

 追従するモンスター軍団の姿を見える。


 くそッ!

 思わず悪態を吐き捨てた。

 彼らが急激に速度を上げたんじゃない、僕が遅くなったんだ。

 何時しか身体は震えていた。

 生物である以上逃げられない『恐怖』が僕の身体を縛り付ける。


「あと少し、あと少しなんですよっ!」

「あと少しなもんか。もう駄目だよ、追いつかれる……」

「駄目じゃない! 絶対帰るって約束したじゃん! おいしいもの一杯食べさせてくれるって約束もあります! こんな所で終われない!」


 叫んだミュウは僕の頭の上で立ち上がり両腕を天に伸ばす。

 声は少しだけ涙で震えていた。

 突然のことに僕は息を飲む。


 ――その姿は、死霊之王の握る大鎌の人骨たちによく似ていた。


 いくら速度が落ちたとは言え、現在もかなりの速度で飛翔していることは間違いない。

 そんな時に、不安定な足場で、命綱もないのに突然立ち上がればどうなるか。

 酷く簡単なことだった。


 吹き荒れる風に小さな身体が流れ、感じていたミュウの気配が闇に飲まれる。


「ミュウゥ――――――ッ!」


 手を伸ばすが間に合わない。

 既に彼女の姿は消え去った後だった。


「あ……」


 何故だか『終わった』という言葉がやけに簡単にすとん胸に沈む。

 終わった、終わってしまった。

 迫り来る『死の軍勢』、目的は恐怖に震えるちっぽけな罪人だ。

 飲み込まれて、生を失う。

 抵抗する気力も失せてしまっていた。

 力なく項垂れ、下を見つめる。

 大鎌を振り回す死霊之王が高らかに宣言した。


「貴様の『生』もここで終わりよッ!」


「――――いいえまだです!」


 地獄に似合わぬその声は。

 この旅の間幾度と無く聞いた可憐な声は。

 今にも笑い出しそうに、『死の宣告』を打ち消した。


「こっから先は! 妖精大戦士ミュウちゃんの無双タイムの始まりですッ!」


 直後に爆発があった。

 描かれる極大の魔法陣から地に向かって桃色の波動が突き抜ける。






 ふふん、と胸をはりドヤ顔でこちらを見つめてくる小憎たらしい妖精を凝視する。


「ミュウ……? あれ、死んだ筈じゃあ……」

「あるぇ? それって長いことフェードアウトしてたのに突然登場しだした奴に言うセリフでは? 私そんな長いこと消えてなかったと思いますけど」

「いやいや! あの状況じゃもう……てかなんでミュウ飛んでんの!?」

「リアクション遅すぎでしょ」


 やれやれと首を振るミュウは、確かに背の羽を羽ばたかせ滞空している。

 おかしい、彼女は飛べなかったはずだ。だから一番最初、無様な着地をお披露目したのだから。


「全く、私が今まで飛べなかったのは魔素が無かったせい。今飛んでるって事は……」

「あるの? 魔素が?」

「その通りです。ゴミムシ改め妖精にクラスチェンジした私は激強ですよ!」


 のりのりでシャドーボクシングを始めるミュウに肩の力が抜ける。

 思い出すのは先ほどの絶望。無性に顔を覆って蹲りたくなった。穴があったら入りたい。


「ともかく、魔素が存在するってことはここが終点って事でもあるんですよ!」

「え、ここが? 嘘だ、僕そんなに飛んでないけど」

「世界と世界を隔てる壁は無限の広さなんですよ。ここから先どれだけ進もうと壁は目の前にあって、これ以上距離を詰めることはできない。あとは、この壁を強引にぶち抜くだけです」


 全てハイエルフの友達に聞いたんですけどね、と笑う。

 ゆっくりと視線を上に向けた。

 ここが終わり。ついに到着したんだ。

 止め処ない喜びがあふれ出る。もうすぐ終わるという安堵。

 知らず僕は両の拳を握り締める。


 ミュウはじっと僕を見つめ、真剣な表情でぴんと人差し指を立てた。


「ギフト、よく聞いて。私が下の連中を止められるのは一分です。その間にここをぶち抜いてください。できなけりゃ、死にます」

「うっ……」


 危機的状況はまだ脱していないのだということを思い出させてくれる。

 視線を下に流せば、絶えず弾ける桃色の閃光の向こう側に、死霊之王の姿が見えた。

 一分。ミスをすればジエンドの状況は変わっていない。

 ミュウが意識を下に集中させたのが分かる。

 彼女は全てを僕に託す気だ。

 

 両頬を勢い良く叩く。

 僕も死にたくないし、ミュウも死なせたくない。

 最後の抵抗の時間だ。


「やってやるさ」


 ぶち抜いてやるッ!


 使う技は決まっている。

 ブレス。

 龍の最大最強の武器。

 ただ破壊を目的としたエネルギー波。一か八かにはもってこいだ。


 眼を閉じ、脱力。

 身体を満たす全ての力を、口に――――。


「スゥゥゥゥゥ――」


 肺一杯に空気をかきこみ、蓄える。

 足りない、これだけでは全然足りない。

 龍神様のものの足元にも及ばない。

 だから補うのだ、漂う魔素で。


 人間が魔素に干渉することは出来ない。

 だけども僕は人間じゃあない。

 故に、熱く熱く滾る様なエネルギーが収束されていく。


 今か今かとその時を待つそれを圧縮し、そして。


「――ンガァアッ!」


 解き放たれる眩い閃光。

 生物に絶対の終焉を言い渡す白銀の咆哮。

 ただ破壊を目的に生み出されたエネルギーの結晶が、眼も眩む神々しい光を放つ光線となり地獄の闇を切り払う。


 死者を生者の世界に解き放たない為の絶対の天井と、『破壊』が激突する。

 最強の盾と最強の矛。

 それぞれの役目を果たさんと拮抗したのは僅か。

 決着は激突とほぼ同時に訪れた。 


 パキリ、と小さなひび割れの音を拾う。

 ――直後に轟音が地獄を満たし、本物の月が顔を見せた。


「~っ! ミュウッ!」

「はいっ!」


 精一杯に伸ばした僕の手に、全身を使ってミュウがしがみ付く。

 そして、一瞬の加速。

 追撃する死者を置き去りにして、瞬く間に再生される地獄の天井の隙間を掻い潜り。


 僕らはついに、地獄巡りに終止符を打った。



◆ ◆ ◆



「あー、きっつぅ」

「私もですよーぅ」


 二人揃って寝転がる。

 現在地は不明。僕らが飛び出した場所は山奥だった。

 ぶち抜いたブレスが大地を焦がし、ぽっかりと底の見えない大穴を空けている。

 だが落ちたところで地獄に落下するわけではない。……まあ普通に地面に激突して死ぬだろうけど、それはおいといて。


 破られた地獄の天井は僕らが逃げ出した直ぐ跡に修復された。

 その時聞こえて来た死霊之王の言葉は忘れた事にする。思い出したくない、考えただけで身体が恐怖に震えるのだ。

 失禁しなかった僕を褒め称えてくれる優しい人は居ないだろうか。


 とにもかくにも。

 満身創痍、全ての力を使い果たしもう一歩も動けない。

 二度と地獄なんて行きたくないし、死霊之王にも会いたくない。

 ただ今は生き残れた幸福に浸っていたい。


「しばらく休憩ですかねぇ。どっか最寄の街で何泊かして、約束通りおいしいもの一杯食べて、それで次! ですね。確か次は精霊王でしたっけ、いやー前二つと比べて危険性がなさそうで純粋にワクワクですねギフトさんっ!」

「……」

「む? ギフトさん?」


 無言で答えた僕の顔を、心配そうに覗き込んでくる。

 きっと今の僕の顔は、ちょっとだけ不機嫌そうだったことだろう。

 首を傾げる彼女に、言おうか言わまいか視線を彷徨わせて迷う。

 物凄く恥ずかしい。別に言わんでよろしいと僕の中で僕が叫んでる。

 

 でも、だけど。

 僕は僕が思った以上に、この小さな旅の同居人を好きになってしまったらしい。


「ギフトでいいよ」

「へ?」

「だから、別に、さんいらないし。時々さん付けしてなかったじゃん、あれで良いよ。……ふふふ、ナンバーワンヘタリストである僕に敬称なんぞ不必要さっ」


 きょとんと口をあけた彼女はじっと逸らさずに僕を見つめる。

 対して僕は思わず顔を逸らしてしまった。

 ミュウは静かに見つめ、次の瞬間腹を抱えて笑い転げる。


「おい! 笑うことないだろ!」

「あははははっ! いや、だって……うぷくくくくっ」

「くっそ、やっぱ言わなきゃよかった!」


 怒ってそっぽを向く。

 もう知るか。僕のガラスのハートを弄ぶ悪魔めが。

 バシバシと地面を叩き笑うミュウ睨み付ける。

 ひーひー、と苦しそうに息を荒げるミュウは上気した顔で僕を見つめて、にっこりと楽しそうな笑顔を浮かべた。


「ふふっ、それじゃあ、最後までよろしくお願いですよ、ギフトっ」

「……ふん、別に僕はここでお別れでも構いませんけどねー」

「もー可愛くないですねぇ。いやー、でもギフトからあーんなこと言われるなんて……くくくくっ」

「おい」

「いやっ、無理ですってっ。ふふふふっ、あははははははっ!」

「だから! 笑うなって言ってるだろ!」


 叫んで僕はでこピンをかます。

 難なくそれを回避したミュウは、相変わらず僕の抗議を無視して笑い声を上げる。


 疲れた身体に鞭を打って。

 笑顔の絶えない鬼ごっこがはじまった。

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