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召喚プロローグ  作者: わたし
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5話 深遠からのご招待

 鬼ヶ島、生存者ゼロだと言われる恐怖の孤島だが、それは正しい情報ではない。鬼ヶ島に過去上陸し、生還した者は以外にも数多く居る。

 真の生存者ゼロの魔境は、真の恐怖は。

 鬼ヶ島に立てられた不気味な神殿、迷わず進み地下にある巨大な扉の奥。


 通称“地獄”。生還者ゼロの死が支配する鬼ヶ島の真実。


 『獄門』と呼ばれる扉を開き、奥の世界である“地獄”に足を踏み入れたもの達は皆、生きて再び地上の土を踏むことは無かった。

 生還者ゼロの地獄の謎は長らく謎のままだったが、つい数百年ほど前に死者と会話できる稀有な力を持つ者によって解明されることとなる。

 死者との会話の末に見えた地獄の真実、その全てが紡がれた書籍は半ば御伽噺として全世界に広まった。

 だが例え地獄の真実が広まろうとも、生還者が確認されたことは過去一度たりとも無い。

 地獄の全容が明かされようと、なお生還を拒み続ける悪夢の世界。

 どれほどの巨大な軍勢だとうと、絶大な力を誇った英雄だろうと、何一つ関係ないと言わんばかりに結果が変わることのなかった絶望の世界。

 そこに種族の垣根はなく、ただ一様に踏み入った者を生きては返さぬ死の世界。


 それが、“地獄”である。



◆ ◆ ◆



「――――ぁぁぁぁぁああああああああああッ!? ぶぎゃんッ!!」


 色々な液体でコーティングされた僕の情けない顔面が、地上ではまずありえない真っ黒な地面と熱烈な接吻を交わす。

 おぉう、地獄の味を知ることになるとは予測してたけど、こんなにも早くこんな形で知ることになるとは考えもしなかったぜ。

 ものすごく顔が痛いです。だけど、ふと僕は地べたに尻を付いて痛みが走る顔に手を当てて首をかしげる。

 随分とダメージが小さい気がする。どれくらいの時間落ちていたのかはわからないが、取り敢えず師匠に恨みの言葉百節を全て言い切ることが可能なぐらいは落ち続けた。

 さらに顔面からのダイナミック着地をかましたというのに、驚くほどダメージがない。

 顔面を全力殴打された程度だ。……うん、なんだ、普通に大ダメージだね。いや違うぞ、僕が言いたいのはそうじゃなくて――――っ!


「――――ぃぃぃやぁぁぁぁぁぁああああああああああ! 助けてぇぇぇぇええええええええええッッ!!」


 情けない悲鳴が僕の耳に飛び込んでくる。

 聞き覚えのあるその声に、慌てて声がした方向――――つまりは上空を見上げた。

 そこには、必死に羽を羽ばたかせているにもかかわらず、滞空どころか一切減速することなく落下しているミュウの姿が。

 涙をあふれさせているミュウの両目が僕を捉え、大きく見開かせた。


「ギッ! ギフトさんッ! キャッチ、優しくキャッチオナシャス!」


 優しく、優しくねっ! と叫ぶミュウ。

 しかし! 僕はすぐさま脳内でシミュレーションをする。

 ミュウの落下軌道はまさしく僕の脳天直下激突コース。僕が華麗にキャッチを成功させる確率は……0%っ!

 刹那の瞬間にシュミレーションを終えた僕は、自らの身を守るために落下軌道上から逃れるように土の上を横に転がる。


「えぇっ!? ちょっ、ギフトこんにゃろそりゃないでしょごっふぅ!」


 いつもの口調も乱れ、完全にパニックに陥った様子のミュウは必死に無意味に手足をジタバタさせ……地面と激突。

 それはもう見事な顔面着地であった。顔面から地面に叩きつけられたミュウは、ポテリと転がり潰れたカエルのように大の字でピクピク震えている。痛そうだ。

 いやー、しっかしホント無様。無様という言葉を体現したかのようだ。うぷぷぷ。……僕もあんな感じだったのだろうか?

 あぶねー、誰にも見られなくてよかった。そして僕ウルトラぐっじょぶ、無傷でこの危機を回避できた。優しくキャッチなどというミラクルプレイに挑まなくてよかった。

 自らの素晴らしき判断能力に自画自賛。ミュウはぷるぷると震えながら立ち上がり、脇目もふらずに僕に突撃してきた。


「にゃーっ! ギフトさんのバッキャローッ! なんで受け止めてくれないんですかァーッ!」

「馬鹿はお前だミュウ! 僕がそんな華麗に女の子をキャッチできると思うのか?」

「はっ! そ、それは失礼。そりゃ無理に決まってますよねぇ。愚問でした」

「……やめようか。僕からふっといてなんだけど、心に傷を負いましたよ僕は」

「ええ知ってます」


 くそったれめッ!

 反撃成功とか思ったら一瞬で反撃に反撃されたぞ。

 ゴシゴシと顔をこするミュウ、おそるべし。


「くっそー。乙女の顔が傷物になっちゃったじゃないですかー。酷すぎです」

「いや、そんぐらい直ぐ治癒できるからいいじゃん。てかなんで落ちてきたのさ?」


 そう、別に僕がキャッチするまでもなく、自分で飛べば良かったのだ。

 背中の羽が飾りではないことは、この旅で何度も目にしている。

 最初から落下の危険は無い、妖精と言う種族でありながら何故落下していたのか。

 これはあれだろうか? もしかすると『落下中の気持ちを味わいたい』という好奇心に従った結果だろうか?

 馬鹿なの死ぬの?


「なにやら勝手に自己完結して失礼なことを考えているようですので、否定させてもらいます。断じて違うとっ。私は飛ぼうとしたんですよ!? なのに何故か行き成り飛べなくなっちゃったんです!」

「え~と、僕と同じく魔力切れ?」

「違います、てか知らない訳じゃ無いでしょう? 私たち妖精は『体内魔力』を持たない種族。空気中に漂う魔素を利用し魔術を使用する私たちに、『魔力切れ』はありえません」

 

 珍しく真剣な表情で語った内容は、勿論僕も知っている。

 魔術は行使された後空気中に分解され魔素となる。

 魔素を利用し魔術を使い、その魔術が再び魔素になるという終わらないサイクル故に、妖精は飛び続ける事が出来る。

 まあ無限に等しい魔力を持っているといっても過言ではないが、一度に使える魔力量……ここでいうならば魔素量はあまり多くないらしいので、そんな大規模な魔術は使えないらしい。

 とはいっても、小さな魔術であれば永遠に打ち続ける事が可能と考えればとんでもなく強いという事が分かると思う。


 ともかく、空気中の魔素を魔術に変換させるミュウが魔力切れはありえない。

 となれば、ミュウが魔術を使えなくなった理由は……。


「魔素がないのか?」

「どうやらそのようで。落ち始めた直後はあったんですが、途中でぶっつり消え失せました。行き成り飛べなくなっちゃいましたからあせりましたよー。わっはっはっは!」


 ミュウは大きく口を開けて快活そうに笑い、なんとか『とある事実』を誤魔化そうとしている。

 だが誤魔化せるほど僕は甘くはないし優しくない。だから、ずっぱしと言わせて貰おう。


「魔術が使えない妖精ってもうそれサイズからみても完璧ゴミム――」

「まァそれはいいじゃないですかっ! これで魔術が使えない同士、お揃いです(、、、、、)よギフトさん(、、、、、、)!」


 お揃い、恐ろしい言葉だ。

 ミュウがギロリと睨みつける。これで僕がミュウのことをゴミムシと呼べば、『お揃い』である僕もゴミムシであることになってしまう。

 致し方が無い、ここは黙って言葉を飲み込……


 ――む訳もなく、腹を抱えて大爆笑してやった。


「ぶわはははは! 見た目からしても完璧ゴミムシじゃん!!」

「あーっ! 言ったなぁ! 魔力すっからかんのギフトさんだって似たようなものじゃないですか!」


 息切れするほど腹の底から笑う僕と、顔を羞恥に真っ赤にさせ涙目で『うるさいうるさい!』と叫び声を上げるミュウ。

 それから30分程。僕が息も絶え絶えの腹筋がおかしな状態になるまで、“地獄”に似合わない笑い声は響き渡った。







 ごろりと仰向けになって息を整える。

 いやー、笑った笑った。あれだけ人のことゴミムシゴミムシ言っといてねぇ……うぷぷぷ。

 しっかしこんなに笑ったのは何時振りだろうか? 久しくここまで全力で笑ってなかった気がする。

 うん、どうやら僕はこんな旅を結構楽しんじゃっているみたいだ。

 一人ではこうはならなかっただろう。そこだけは少し、この小さな旅の付添い人に感謝している。


「なんですかこっちニヤニヤしながら見てきて、キモイですよ? 気付いてます?」


 ……このクソ妖精……感謝など絶対にしてやるものかっ。

 あらたに決意を固めたところで、同じように仰向けになっていたミュウがごろん、と体勢を変えて頬を付いてこっちを見ながら、


「で~、ど~するんですか~? ぶっちゃけ龍神とバトった時以上のピンチかもですよ。私もギフトさんも魔術使えない状態で、一体どうやって死霊之王を出し抜くんです?」

「……」

「お~い? ギフトさ~ん?」


 うるさいなぁ、態々言わなくても分かってる。

 龍神の時もやばかった、とんでもなく面倒で命の危険があったわけだが、今回はそれを超える。

 なんといっても僕もミュウも魔術が使えない、二人合わせて一般人以下の戦力。

 あの時は一応僕は魔術使えたわけだし。

 別に僕がとんでもなく強いというわけではないけど――ミュウが言うには常識の範疇を超えてる(バケモノ)らしいが――取りあえず戦う術はあった訳だ。

 でも今回はソレがない。

 単なる殴り合いの喧嘩ではそこらのゴロツキにあっさり敗れ去る僕と、何かのついでに気付いたら踏み潰されてそうなミュウ。

 はっきり言おう、こんな状態で地獄に放り出されるということは、すっぱだかの手足を縛られた状態で氷点下以下の地に放り出されるのと同義。

 つまりは、“死”だ。


「こっそり最深部に潜って誰にも気付かれないよう魂一つを盗って逃げる、それだけだよ。それ以外に選択肢はないし」

「やっと返事したと思ったら。それ、既に破綻してますよ?」


 破綻?

 言ったように最早選択肢はそれしかないのだ。

 それ以外の手はありえないというか、『生き残るための大前提』を簡単に並べただけだ。

 もしそれ自体が破綻しているというのであれば、もう僕ら完全絶望まっしぐらなのだが。


 眉を潜めて首を傾げる僕を見て、ミュウはやれやれと言いたげに首を左右に振り、


「いいですか? 私たちがどうやってこの地獄に来たのか思い出しましょうよ。もう忘れちゃったんです? 流石にそれは馬鹿すぎですが」

「……あっ」

「どうやら気付いたようで。私たちは招かれたんですよ。真意は不明ですが、海を裂き海底を割って強制的に地獄へ招く。こんなことが出来るのは、死霊之王のみ。私たちの場所も、ここに来た理由も恐らくモロバレでしょうね」


 ……おぉふぅ。

 割かしまじで忘れていた。そうじゃん、僕らもうばれてるじゃん。招かれたわけじゃん。

 アウトではないですかァーッ!

 絶望だ、絶望的だ。もう終わりなんだ、うふふふいひひひひひ。

 頭を抱えてケタケタと笑い声を上げる僕を気色悪そうに見て、ミュウはずりずりと後ずさる。


「き、気を確かにギフトさん。地獄に来てから死霊之王から接触ないですし、もしかしたら見失ったかも……?」

「んなわけあるかぼけぇ、なんだそのお茶目設定。ドジッ娘かっ」

「死霊之王だから性別は男だと思いますが」


 んなことは分かってる。

 ギロリと睨みつけてやると、ミュウはやれやれと言わんばかりの表情で首を左右に振り、


「もう仕方ないですねぇ。ポジティブに行きましょうよ、例え気付かれていたところでやることは変わりないでしょう。ずばりっ、最深部に保護されている魂を一つ盗んでくる! そして生きて地上に逃げ帰る! ね、簡単でしょう?」

「全ッ然ッ簡単じゃないから!」

「現状を察し見るに、龍神様との戦闘に勝利するのと同じぐらいの難易度では?」

「ほ~らっ簡単じゃないじゃん! 僕死に掛けましたから! てか明らかに今回の方が難易度は上だねっ」

「コンマの差で死に掛けたとはいえ、結果的に無傷で一度クリアしてるギフトさんなら、一段上の難易度程度お茶の子さいさいですよ! さいさいさいっ! 私もばっちし手伝うんでっ」

「あったりまえだ! 今回はホント一人じゃ無理だから働いてもらうぞ!」

「なんですそれ、まるで私が働いてないみたいじゃないですか。一応私だって色々してますよ?」


 腰に手をあて、頬を膨らませるミュウを鼻で笑う。


「な~にが色々してますよーだっ。僕のポケットでなっさけなく震えてたくせに」

「……もーいいです。怒りました、ギフトさんにはなにもあげません」


 ミュウは額に青筋を立てぷいっ、とそっぽを向いた。

 ……しまった、少し煽り過ぎたか。いやいやでも、僕別に嘘は言ってないし? 悪いのは僕かもしれないけどさ……。

 てかなにもあげませんって、なにも持ってないくせに何を言って――――


「あ~むっ。う~ん、やっぱ美味しいですねぇ」


 ――――はァ!!??

 かっくり、と顎が落ちる。目は驚愕で最大限まで開けられ、目の前の光景を脳裏に叩き込んでいた。

 なにが、起こっているんだ!?

 僕から顔を背けたままミュウが木苺タルトを幸せそうな表情でぱく付いていた。

 今まだ影も形も無かった木苺タルト、一体全体どこからどうやって……?


「ミミミミュミュミュウさん? 可愛らしいお口でぱくついてらっしゃるそれは一体……?」

「んー? 木苺タルトですよ目玉腐ってんですか?」

「いやあの、どこから……?」

「ははぁ、臭いと思ったら脳が腐りきってたんですね哀れ哀れ。私が今まで木苺タルトをどこから取り出してたと思ってたんです? 下のほうに思考を展開するのは止めてくださいね」

「ちょっと待って! ミュウが僕のことをド変態だと思ってるんなら否定させてもらうけどまあそれは置いとこうかな! 今現在魔素が存在しないから魔術が仕えないって話はどこ行ったよっ!?」


 ミュウが僕の収納魔術と似たような魔術を使えるのは知ってる。

 知ってるが、魔術は使えないってさっき言ったじゃん! 嘘だったの!?


「いやいや、なに言い出すんですか。魔術は使えませんが、この力は魔術ではありませんよ? 『秘密箱』といって私たち妖精の特殊能力です、魔素は必要ありません」

「……なんで黙ってたの?」

「びっくりさせようと思って。まあギフトさんにはあげませんけど」

「ごめんミュウ! 僕が悪かった! お願いだから木苺タルト頂戴っ」

「ヤです」

「お願い!」

「ヤです」

「いいじゃん!」

「ヤ」


 必死に土下座を繰り返し頼み込むも、ミュウは一向に取り合ってくれない。

 くそぅ、こいつめ。

 ぶっちゃけそんなにお腹すいてないし、無理に食べようとする必要はないが、こうなりゃ意地だ。

 絶対に木苺タルトを食ってやる。


「うがーっ! 僕にも食わせろっ!」

「ぎゃー! 乙女の身体をそんな無遠慮に触んな変態ッ!」


 握りつぶさないよう細心の注意を払いミュウを掴んだら、非常に不愉快な罵倒を浴びせられペシペシ叩かれた。

 この野郎……っ! 人のこと変態変態って! いい加減怒ったぞっ。

 ミュウを握った右手を、上下に高速シェイクする。


「ふにゃぁぁああぁぁあぁぁあああっ!? やめっ、やややめてぇくださいぃぃ」


 一分ぐらいのシェイクを喰らったミュウは、目を完全に回したようでガクガクと頭を振っていた。


「にゃぁぁぁぁぁぁ……」

「お前は猫か」


 聞こえてきた呻き声についツッコミを入れてしまったが、取り敢えずこれで僕、大勝利目前。

 ここからは冷静に大人の交渉である。

 さあよこせ、木苺タルトをっ。

 ノーと言えば、分かっているな……?

 ふはははははっ。


 勝利を、木苺タルトをもうすぐ食べられると確信して脳内でかっこよく高笑いをする。

 と、そんな僕の肩を背後からトントンとノックされる。だが木苺タルトに気を取られていた僕は完全に無視してミュウに向き直った。

 すると再びのノック。無視する。懲りずにまたノック。あっちいけよ、と肩を回した。

 次の瞬間。


「え? うわっ」


 強力な力で肩を掴まれ、後ろに引きずり倒される。

 僕は魔術師だ。例え宮殿魔術師という超エリートであっても、魔術師という人種は身体能力が著しく低い。

 その例に漏れず、僕もまた貧弱極まりないボディの持ち主であることは疑いようもなく。

 当然のように抵抗できず、後頭部を強かに地面に打ちつけた。

 瞼の裏で星が弾け、目を開けばぐわんぐあん、と視界に映る世界が歪む。

 這い上がってくるぞわぞわとした痛みに思わず涙を零し、同時に力を込めてしまった右手から「むぎゅぇ」と小さな断末魔が。

 しまった、これは不味いぞ。

 ミュウの怒りの矛先が僕へと向く前に、体を起こして後方へ振り返る。

 そう、全ての元凶である僕を引き倒した後方の存在へと向き直った。

 ミュウが僕に握り締められたのは、僕を引き倒したコイツのせいだ。だから僕は悪くないんだぜ?


 そんな言い訳を考えて。

 だが、言い訳は口から飛び出すことなく。

 唖然と見開かれた僕の目線は振り返った先にみえた光景に釘付けになった。


「ぷっはぁ! いきなり何すんだコラァーっ! ……ギフトさん?」


 怒りの声を高らかにあげたミュウも、僕の馬鹿面を見て首をかしげ、そのまま僕の見た悪夢のような光景を目にすることとなる。

 そして彼女は、一切の言葉を発することなくいつもの場所へ、僕のポケットへと全身を投げ出した。

 ああ、くっそ。僕は馬鹿だ、すっかり忘れていた。

 今いるここは、平凡で平和な地上の世界じゃあない。

 ありとあらゆる種族の、歴史に名を連ねる超人勇者英雄たちがただの一度たりとも生還することのできなかった死の世界。

 陽の降り注ぐ暖かな地上の彼方、最も『生』からかけ離れた場所。

 正真正銘最凶最悪の世界、“地獄”なんだ。


「やっべー……」


 目の前を埋め尽くす、幽鬼の軍団。

 『死』にその身を委ねる『地獄』の住民。

 生気のない暗い眼球が僕らの姿を的確に捉え逃がさない。

 既に死んでいるが故に、最早死ぬことはない不死身の軍勢が。

 闇を砕く甲高い不協和音を上げて襲い来る。






「ひィィィィィィぅうぅァァァァああああああああああああああああああああっっっ!!?」

「逃げて逃げて超逃げて! 足を止めずに走り続けてッ! まだ私死にたくありましぇぇぇんっ!」

「だったらッ! お前もッ! なにかッ! 協力しろよぉぉぉぉぉ!」

「私今魔術使えませんし!? 魔術使え得ない妖精とかいつのまにか死んでるゴミムシのような存在ですからぁ!」

「なぁっ!? くそぉぉ、ぅうわぁぁぁぁああああああああああっ!」


 ただ走る、風を切り裂きひた走る。

 脇目も振らずに前だけ見据えて、どこを走っているかもわからず、どこに向かっているかもわからず、この先になにがあるかも分からぬまま。

 襲い来る『死』に捕まらないために、長年の運動不足で既に悲鳴を上げている足を動かし、腕を動かし、涙で歪む景色を見つめ、真っ黒な大地を蹴り付けた。


 これが火事場の糞力もとい馬鹿力。ぐんぐんと加速する僕の身体は段々と幽鬼の集団との距離を開いて行く。

 不幸中の幸い、幽鬼の足は想像以上に鈍い。だが、不味い、非常に不味い。

 ゴリゴリと削られていく体力が枯渇寸前の危険信号を発している。

 しかし足を止めることはできない。足を止めた瞬間、僕は屍の山に埋もれることになるだろう。

 今も轟いている地鳴りのような轟音。数千にも上る死者の足音は地を揺らし、カウントダウンを刻むように僕の鼓膜に叩き付ける。


 後ろを振り向くことはとてもではないが出来そうもない、全力で殺しにくる屍の集団とか見た瞬間に失禁する自信が僕にはある。

 僕が逃亡を開始してから早々にポケットを抜け出したミュウは、僕の頭の上に陣取り、恐れ知らずの伝家の宝刀『好奇心』の名の下に背後を振り向いた。

 その瞬間に上げた絶望の悲鳴は、まさに地獄に相応しく、僕の背後を見たいという好奇心を徹底的にブチコロガスのに十分な破壊力を秘めていた。

 今も僕の髪を握り締め振り落とされないようにしながら、必死に『走り続けろ』とエールを送っているミュウだが、彼女自身は一切なにもしていない。

 ついにはゴミムシだと認める始末、どうやら彼女は今回も役に立たないらしい。

 くそったれめっ!


「前ぇーっ! ギフトさんギフトさんギフトぉーッ! 前っ前ぇぇぇっ!」

「ひっ、うそぉぉぉ!?」


 ぺしぺしと頭をめちゃくちゃに叩き、髪を引っ張るミュウの口から危険を知らせる甲高い絶叫が飛び出した。

 前方の漆黒の大地。草木の一本も生えていない不毛の大地から、押し合うようにして犇く亡者の軍団が今まさに生産されようとしていた。

 大地が荒れ狂う嵐の大海のように波打ち、ゴポリと吐き出された細く、爛れた腕が地面から突き出される。

 それが切欠、濁流のように止めどなく数百の腕が芽生える。ゴチャゴチャと方向性なく蠢く大量の腕は、ついに自らを生んだ地面を捉え、残りの全身を引っ張り上げた。

 水面から浮かび上がるようにして続々と生産されていく屍を見て、喉の奥がおかしな音を奏でる。


 怖い怖い怖いっ。

 背後には地鳴りを上げ襲い来る屍の軍団、前方もまた生まれたばかりの屍が自分たちとは違う存在(ぼくとミュウ)をこぼれ落ちそうな腐った両目で捉えた。

 振り返っても、前を向いても、どこもかしこも死者屍亡者しか映らない。

 景色が『死』で覆い尽くされる。

 逃げ場が、ない。


「くそ、くそっ。どうすれば……」

「……あっ! ギフトさんギフトさんこれこれっ!」


 絶望的状況に、一切余裕なく打開策を探していると、不意にミュウがパチン、と指を鳴らす。 

 なんだなんだと眉を潜めれば、切羽詰った声でミュウがなにかを頭の上から眼前に晒してきた。

 ミュウが取り出したのは一本の小瓶。


「あ、これって……」


 この鬼ヶ島に来る前、港町のとある商人から大量に買い取った小瓶のひとつ。

 完全に存在を忘れていたそれを見て、僕は思わず腹のそこから笑っていた。

 そうだそうだ、忘れてた! 元々地獄に来ることは知っていたし、魔術も使えないことも当然だが知っていた!

 だから僕は、準備をしたんじゃあないか。一切の力を失った状態で、地獄から帰還する準備を!


「く、くくくくっ! 調子に乗ってこの僕を追い掛け回しやがって、この下級幽鬼どもめっ。屍の分際でっ、死者が生者に楯突くな!」

「やれーっ、やってしまえーっ! でもなんでだだろう、これはなにかとんでもないことが起こりそうな予感! 主にマイナス方面のっ」


 頭の上で騒ぐ糞妖精の言葉から耳を閉ざし、僕は自信満々にニンマリと笑みを作る。

 そう、ここは地獄。屍の軍団が襲いくることも当然知っていた。つまり、対策は万全ッ!


「くらえ! 宮殿魔術師の給料凡そ四ヶ月分ッ! 旅の資金の三分の一近くの大金を払って入手した! このぉぉぉ、最☆終☆兵☆器!!」


 シュピンッ☆ と効果音の如く口で呟き、片手を顔の前に、片足立ちになって、素晴らしくかっこいいポーズを決め、僕は先ほどミュウに手渡された小瓶を勢いよく振りかぶる。

 死者の軍勢はなにが来るか警戒しているのか、前方後方含め、ピクリとも動かない。

 その警戒が命取りよっ。

 ふっ……勝った!


「『聖水』だこんにゃろめーっ!」


 弧を描く、全力投球した小瓶。その口は既に封が解かれおり、中身が空中に飛び出す。

 ビンの淵までたっぷりと注がれた聖水が今。

 痛みを感じず斬っても焼いても動きを止めない幽鬼に致命傷を与える、唯一の対抗策にして最大の弱点。

 『聖属性』がたっぷりと込められた水が今ッ!

 容赦なく幽鬼たちに降り注ぐ! 聖属性に身を焼かれた幽鬼どもは苦悶の声とともに滅ぼされるっ! これで完全勝利!



 ――――とか思ってたら小瓶はコン、と間抜けな音を立てて屍の額に着弾。

 空中に振りまかれた水も亡者の腐ったボディを湿らせるだけの結果に終わった。


 …………………………ふむ。


「あ、あるぅぇぇぇぇぇ……?」

「これは、そのぅ……どういうことすっかね、ギフトさん?」


 いや、それ僕が聞きたい。確かに聖水を浴びたはずなのに、ピンピンしてる。

 てか何されたのか分からず、死者たちもザワつき困惑している。

 なになんなの、今の幽鬼は聖属性すらも無効化するの?

 なにそれ無敵じゃん。


「あっ! そーいえば……」

「なにかなミュウちゃん、僕は今猛烈に嫌な予感に襲われているけれど!」


 今思い出したと言わんばかりの表情で、一つ手を叩いたミュウ。

 ぞっ、と冷たい汗が背筋を流れ落ちる。


「いやですね、少し疑問なのですが。――――聖水って、どこにでも売ってるんですか?」

「どういうことかな?」

「だからですね、ワタツミなんていう辺境に、聖水なんていういかにも高級そうな物がまとめ買いするほど置いてあるんですかね?」

「……あ、あるに決まってるだろ! ワタツミは鬼ヶ島に最も近い場所だぜ? 鬼ヶ島から行ける地獄は幽鬼たちが大量に居ることで有名……」

「本当に? あるとしても売る人を選ぶのでは? ギフトさんみたいな魔術を使えないのに『宮殿魔術師』だと言い張り、『王の密命を受けている』なんてほざく胡散臭い人ではなく」

「……」

「これは、掴まされましたかね」


 嘘だろ……。

 呆然と僕は握り締めた別の小瓶を見つめる。

 続けて投擲しようとしていたその小瓶をじっくりと見つめ、封を切って中身を少しだけ口に含む。


「どうです……?」

「……水だこれ、ただの水」

「ああ、やっぱり……」


 う、ううう、うううううううううううううっ。

 ちぃぃっくしょぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!

 あのクソッタレデブ商人めぇぇぇ、怪しいと思ったんだよ糞っ!

 うがぁぁぁぁ、次あったら絶対ぶち殺してやるぅぅぅぅぅ! まあ次なんてないんだろうけどねっ!


「終わった……、来世では平凡で幸せな日々が遅れますように」

「諦めないで! 諦めない限り希望はありますよ!」

「ないよ! もうないから! 今最後の希望が潰えたよ!」

「いや、でも、うぅぅぅっ!」


 着々と這い寄ってくる亡者の軍団を前に、遂に僕は黒の大地に座り込む。

 絶体絶命の現状を前に、唐突に魔力が復活するなんて奇跡も起きない。

 もうこれはダメだ、本気の本気で打つ手がない。積んでいる

 もう希望もへったくれもない。

 出来ることといえばあの数千にも上ろうかという軍団に試しに突っ込んでみるか、こうして全てを放棄して地面に『の』の字を書く事ぐらいだ。


「ちょっとギフトさん! マジで諦めちゃうんですかぁっ!?」

「ああそうさそうですよ、もう何やっても無駄ですもん。ははっ、ミュウも僕について来なければまだ生きられたのに、馬鹿だなぁ。もう妖精一匹を逃がすことすらできないのですよ」

「妖精の数え方違います、匹じゃなくて羽で数えるんです。いや、まあそんなウンチク今はどうでもいいですけどっ! ともかくまだ諦めるのは早いですよギフトさん!!」


 僕の頭の上から力説していたミュウは、勢いよく飛び降り黒い地面に着地する。

 チラチラと襲い来る亡者に視線をさまよわせ、余裕なくミュウは慌てた様子であるものを取り出した。

 ずずい、と目一杯に体を伸ばし、眼前に差し出されたそれは、先日命を削る激闘の末に入手した『龍神の眼球』。

 傷一つ付くことなく保管されていたそれは、宝石のような見る者を魅了する怪しい輝きを放っている。

 気持ち悪いと思う反面、白銀の輝きを放ったあの神々しい龍の神にふさわしい、透き通る青を灯すその球体はやはり美しい。

 だが一体この状況でこの目玉がなんの役に立つというのか。

 亡者は既に死んでいる。龍神様の眼球に興味を示すことはないだろうし、示したとしても数千もの数の亡者たちに分け与えるには些か小さすぎる。


「ほらほら、これですよっ。これこそ私たちに残された唯一の希望でしょうよっ!」

「いや、でも、この場面で一体それがなんの役に立つと?」

「ホンッッッット、ギフトさんは駄目ですね。ええ、駄目駄目です。いいですか、龍神の血を飲めば、肉を喰らえば、一体どんな力を得られると!?」

「んん? それはぁー……あっ」

「漸くですかっ」


 龍神様の血肉、髪や骨に至るまで。

 それらを食せば不老不死や神をも超える力を手にすることができると伝えられている。

 実際に龍神様の血肉を食らった者がいるという話は聞いたことがない以上、あくまで伝説でしかない。

 だが、今ここに龍神様の眼玉がある。そして、今は絶体絶命のピンチ。

 最早藁にもすがる思いで試すのもまた一興……!


 だが、だけどっ!


「食べるの……? 眼玉を、僕がぁ……?」

「ちょっとギフトさぁん! そんな嫌そうな顔しないでっ」


 思わずドン引きしてしまう。

 だって、ねぇ? 目玉を食べるって、僕別にそんな趣味ありませんし?

 龍神様だって眼玉を奪ったときは龍の姿をしてたけど、よくよく見れば奪った目玉はなんか人間っぽいし。実際に龍神様は普段は人の姿をしてるっぽいし。

 カニバリズムとか、聞くだけでもう失神ものです。


「あ~、この状況をひっくり返す一発逆転のチャンス。それはミュウ、君にこそふさわしい。……だから食べるのだったら自分でどうぞ」

「いやいやいやっ! ギフトさんが獲ったんだからギフトさんがどうぞっ!」

「ヤだよ! てかなんでそう僕に押し付けるのさっ!」

「そりゃ私だって嫌に決まってるからですよ!」

「自分が嫌なことを他人に押し付けるってナニソレ最悪じゃん!」


 慌てて後ずさる。

 このままではなんか強引に食べさせられそうな気がする。

 そうはいかんぞ!


「ええい、ごちゃごちゃとぉ」ミュウは逃げる僕を睨み付け、両腕で抱えている眼玉をぐぐぐっ、と大きくそらし「さっさと食え馬鹿ぁ!」

「ええっ、ちょっと待――――っ!?」


 全力で投擲されたそれは綺麗な弧を描き、僕の顔面目掛けて落下する。

 避けることはたやすい、だがもし避けてしまえば、再び拾って口に入れるなんて時間はもうないだろう。

 目の端に映る土煙が、すぐそばまで亡者が来ていることを知らせている。

 どうする、このまま避けて亡者に踏み殺されるか、一抹の希望にかけて眼玉を飲み込むか。


 どうする、どうするっ!


「ええい、くそったれめっ!」


 僕も男だ、こうなれば生きるために全力で足掻いてやろうじゃないか。

 落下してくる眼球をしっかりと捉え、大きく口を開ける。

 そして、パクリと。

 放物線を描き僕の口に吸い込まれた龍神の眼球は、そのままゴクリと喉を通過した。


「ギ、ギフトさん……?」


 心配そうに見上げてくるミュウ。僕はそれに応えることができないでいた。

 口で眼玉をキャッチした状態でピクリとも体を動かすことができない、余裕がない。

 龍神様の眼球、それは伝説が真実であったことを証明するべく、溶け崩れ、僕の中に吸収されていく。

 目まぐるしく僕自身が身体の中から改造されていくのがわかる、理解する。

 恐怖を感じるまもなく湧き上がる感情は高揚感。嘗て師匠に出会う以前の僕を満たしていた万能感が再び溢れ出す。

 カッ、と身体の芯が熱せられ、魔力とは別の力が恐ろしい速度で僕を満たす。

 魔力とは全く異質な力。だが、その力の本質、使い方を僕は既に理解していた。


 小さな子供が教えられることなく息をして、手足を動かし、声を上げることができるように。

 今初めて得たこの力の使い方が、本能に刻み込まれる。


「……ミュウ」

「な、なんです?」


 小さく呼ばれた名前にびくりっ、と反応して身体を揺らすミュウを見て、僕は自然と笑を作っていた。


「ドンピシャ」


 即座に僕は行動に移す。

 地面にたち亡者の軍団の足音に絶望的な表情を浮かべ見上げてくるミュウを片手で優しくひっつかみ、今まさに追いつき、僕らに飛びかからんと空中に身を躍らせる屍の山に目を走らせ――刹那の間をおかず次の瞬間。


 ――僕は、飛んだ(、、、)

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