八
ギラギラ凶悪な太陽は下校時刻になっても影響を残し、半袖のワイシャツはじっとり張り付いて気持ちが悪い。
隣を歩いてこちらを見上げるリィンの首筋にも、汗が光っている。
「うっわぁ…なんかいるよ。」
一歩先に校門を出た美里が呟き、嫌そうに顔を歪めて振り向いてきた。
美里が親指で示した先には見覚えのある黒いバイク。傍らに、薄い長袖のシャツを羽織った真人が立っていた。
「高校の校門前にバイクの男って…柄悪く見えるもんだね。」
「どしたんだろね〜?」
「ここは敢えて無視して帰るか?」
未だ三人に気付かない真人を遠目に見ながら、美里とリィンがひそひそ話している。
そんな二人越しに見ていた奏の視線に、真人が気付いた。
ニヤリ、とした笑みを浮かべた真人がツカツカこちらにやって来て、手にしていたメットが奏の頭に被せられる。
「さらばだ、妹達よ!」
あっという間に腕を引かれて真人の後ろに乗せられ、バイクは発進した。
奏は人攫いにあった。
汗で濡れたシャツを風がはためかせていく。ビュンビュン通り過ぎる景色を見ながら、自分はどこに連れて行かれるのだろうかと首を傾げる。
まぁ着けば分かるかと、真人の腰のベルトを掴み直して振り落とされないよう気をつけた。
火照った身体を風が冷やしていくのは気持ちが良い。
そのまま黙って乗っていると、バイクが徐々に速度を落としたのを感じた。
止まったバイクから降りたら、またがっちりと真人に腕を掴まれる。逃げると思われているみたいだ。ここが何処かわからないから帰りようがないのになぁとぼんやり考えながら、奏はされるに任せた。
「ちわーッス。連れて来ましたぁ。」
奏の腕を引いて真人が入ったのは、こじんまりしているけれどオシャレな感じのする美容院だった。
レジの側でファイルをめくっていた、茶色く染めた髪をワックスでツンツン立たせた男性が、真人と挨拶を交わしてから奥へ声を掛ける。
「テンチョー、モデル到着でーす。」
奥から出てきたのは、がっしりした体格の長身の男性だった。両耳に穴の大きなピアスをしていて、オシャレに整えられた短い髪とヒゲが大人の魅力を引き出している。
「いらっしゃい。座って。」
奏の腕は真人からその男性へと渡され、鏡の前に座らされた。
「どうも。店長の落合です。君、名前は?」
「あ…あの…一宮、奏、です。」
「奏くんか、髪、触るよ。」
落合と名乗った男性は、髪質やワックスを使ったことがあるか、風呂上がりにドライヤーはかけるのかなど質問してくる。
戸惑いながらも、鏡越しに落合を見ながら奏は答えた。
「えと…いつも、タオルで拭いたらそのままで…朝も、梳かすだけで何も…」
「なるほどね。……癖もないし、顔も…中々可愛い顔してるね。…うん。がっつり顔も出しちゃおう。高校生かー、くしゅっとパーマ似合いそうだけどやめとくかぁ…………よし!」
髪をいじられ鏡越しにじっと見つめられて、近所の床屋しか行ったことのない奏は、美容院って大変なんだなぁとぼんやり考える。
髪を弄くり回された後は何故か写真を撮られた。
シャンプーされて、また鏡の前に戻されて、まな板の上の鯉とはこういう状態のことを言うのかなぁなんて考えながら、身を任せていた。
「よし、終わり!」
声と共に椅子がくるりと回されて目を開けた。
そのまま今度は奥の部屋へと押し込まれ、これに着替えろと服を一式渡される。白い半袖Tシャツにダメージジーンズ。上に羽織る為のチェックの半袖シャツ。スニーカーまである。
着替え終わって着ていた制服はどうしようか少し迷い、渡された服が入っていた紙袋に畳んでいれた。
着替えて戻るとまた何枚か写真を撮られた。
「おー、すげー!全然雰囲気変わるなぁ!ヤバイカッコ良くなっちゃって、まぁ!」
写真を撮られている間に賞賛してくる真人の言葉に恥ずかしくなり、照れて顔が緩んだ。
「あの、お金…」
支払いはどうしたら良いのかと、財布を取り出す奏をにっこり笑った店長さんが止めた。
「お金はいらないよ。写真を店の宣伝に使わせてもらうし、こんな良いモデル久しぶりだから、こっちがお礼する側。」
「その服、俺のお下がりで良かったら着て帰ってよ。しっかし真人、こんな可愛い高校生、どういう知り合いだ?」
「あー、妹の彼氏?」
ツンツンヘアーのお兄さんの質問への真人の返答に、奏の顔が真っ赤に染まる。
「ち、ちが…!た、ただの、友達…です…!」
大人の男達に温かい目で見られて、奏の顔は余計に熱くなった。
店はもう終わりらしく、そのまま四人で食事に行くことになった。
ツンツンのお兄さんは加持という名前で、真人の中学時代の部活の先輩。高校も一緒だった為、よく連絡を取り合っているのだと教えてくれた。
部活は柔道部だったらしい。
二人共そこまでがっしりしている訳ではないから意外に感じた。
加持があそこの美容院で働くようになって真人も客として通うようになり、店長さんとも仲良くなったのだと言う。
昨日伸びた髪を整えに行ったら、カットモデルが見つからなくて困っているという話を聞き、真人が心当たりがあると申し出たらしい。
美容院の近くにある定食屋で、奏は拉致事件の真相を聞かされた。
ちなみにだが、何も説明せずに学校の校門から拉致してきたと聞いた落合と加持から、真人は鉄拳制裁を食らわされていた。
「そういや、お前ん家一人っ子じゃなかった?」
味噌汁を啜りながら、記憶違いだったかと考える表情で加持が真人を見た。
「あれー?加持さんには話さなかったんでしたっけ?庭に落ちてきた女の子が妹になりましたー。」
「は?なに?お前バカなの?」
「ひどっ!加持さんの俺の扱いひどくないっスか、落合さぁん?!」
「あー、確かに真人はバカっぽいから仕方ないんじゃないか?」
「二人してひどい!奏くんも笑ってないで言ってやってよ、俺の賢さをっ!」
仲の良い掛け合いが面白くて笑っていたら、突然話しを振られて奏はきょとんとなる。
「……真人さんのお家には参考書がたくさんあって、すごいですよね。」
何を言えば良いのかわからなかったので、思い付いた細川家の蔵書を褒めてみた。あれには奏もよくお世話になっている。
にっこり笑ってみたら前の席から手が伸びてきて、落合に頭をわしゃわしゃ撫でられた。
「いやー、奏くん、癒される。高校生男子なのが惜しい。」
わしゃわしゃされた髪は落合によって整えられた。
その様子を頬杖をついて眺めていた加持も同意する。
「奏くんが女の子だったら可愛い奥さんになりそうですよねー。奏くん、料理得意?」
「え?…いや…あ、お米なら、最近炊けるようになりました。」
話しながら米の炊き方を教えてくれたリィンを思い出して、奏はほっこり幸せな気持ちになった。
前の席では何故か落合と加持が悶えている。女の子だったら…と二人が交互に呟くが、自分は残念ながら男なので、どうしようもなくて困った。
「奏くんに包丁握らせたら、一生懸命血だらけになりながら奮闘しそうで、俺怖いなー」
隣では真人がそんなことを言って、あははーと笑っていた。
次の日、学校の下駄箱で靴を履き替えていると、どしんと背中に抱きつかれた。そんな事をするのは一人しかいない。
「おはよう。」
朝から会えたのが嬉しくて、にっこり笑って彼女を見たが、何故かリィンは顔を上げてくれない。
首を傾げながらも、ぎゅうぎゅう抱きつくリィンをそのままに美里へも挨拶したら、ぽかんと口を開けて固まっていた。
「………奏さんが、イケてるメンズに化けた……」
相変わらず美里の呟きはよくわからない。
リィンは張り付いたままだし、美里も固まっているし、どうしたものかと奏は思案する。
とりあえず二人がまだ外履きなことに気付いて、美里を促して一年生の下駄箱に向かった。その間も、リィンは背中に張り付いたままで歩いた。
なんとか靴を履き替えてさせて、再び、さて困ったと奏は考える。
何度声を掛けても、リィンはぎゅうぎゅう腕に力を入れるだけで何も応えてくれない。
美里に助けを求める視線を送ってみたら、硬直が解けたらしき美里が教えてくれた。
「昨日奏さんがバカ真人に拉致されたでしょ?家に帰ってみたら翔子さんから真人は奏くんと夕飯食べてそのまま送るって言ってたって聞かされて、なんだかこの子、拗ねたみたい。」
美里の言葉を肯定するように、巻き付いた腕に力が入った。
「そっかぁ……心配かけて、ごめんね?」
多分彼女は心配してくれたのだ。昨夜家に帰った時にメールでも送っておけば良かったなぁと奏は後悔した。
「昨日はね、真人さんの知り合いの美容院に連れて行かれたんだ。結構短くなっちゃったんだけど…似合う、かな?」
尋ねてみたら、腕の力が緩んでリィンが顔を見せてくれた。
大きな二つの瞳がじっと見上げてきて、なんだかドキドキする。
「カッコいい。」
心臓が、ぎゅうっと苦しくなった。
ホームルームが終わって、奏は長く息を吐き出す。
何故だか今日は、クラスメイトにたくさん話し掛けられた。
今まで空気のように過ごしていて、いじめ目的の声を掛けられることしかなかった奏は、戸惑い過ぎて疲れた。
鞄を持って立ち上がると、また明日ねと声を掛けられて、困惑しながらなんとか返事をする。
教室の前の扉から一歩外に出て、どすんと、知っている重みにぶつかられた。
「迎えに、きてくれたの?」
一日緊張し通しだったから、早く会いたいなと思っていた。
ぎゅうっと抱きついたまま頷いたリィンの姿に、嬉しくなる。
「こりゃ、焼き餅っスなぁ。今どんな気持ちですか、旦那?」
声の方に視線をやると、ニヤニヤ笑いの美里がいた。また変な話し方になっている。
今の気持ち…考えて、嬉しいよと応えたら、美里がザラメがどうのとブツブツ言っていた。
また朝のように離れなくなったリィンを引きずって歩きながら、いつも引きずられるのは自分なのに、今日は逆だなぁと考えながら帰った。