四
「奏ー!!!」
月曜日、朝の校門前で、奏はリィンに突進された。
貧弱な身体では背後からの突然の衝撃に耐えられず、奏はそのまま前のめりに倒れ込む、が、すんでの所で後ろから回された細い腕に支えられた。リィンは力持ちだ。
そのまま立ち上がらされ、奏の腹に回されているリィンの腕がぎゅうぎゅう締め付けてくる。
今度こそ、脳みそが溶けてどこかから出てしまうのではないか、もしかしたら鼻血としてでるのかもしれない。などと考えながら片手で鼻を抑え、背後にへばり付いているリィンを見た。
リィンはきらきらした笑顔だ。
……あぁ、脳みそが出てしまったかもしれない…。
「これ、あげる〜」
ぎゅうぎゅうするのをやめてリィンが差し出してきたのは、手のひらを少しはみ出すくらいの青い巾着袋だった。
首を傾げながら受け取ると少し重い。
「食事は身体の基本デス!奏ふくふく化計画始動なのデスよ!」
言っている意味が分からない…。
困惑しながら巾着の中を確認すると、ラップに包まれたサンドイッチが入っていた。
「ふくふくになったら、筋トレして筋肉もつけましょね〜」
呆然と固まっていると、リィンはさっさと下駄箱へと向かってしまう。
「ちなみに、ヤツの手作りですぜ、旦那。」
ニヤリとした笑みと呟きを残し、後ろから現れた美里もリィンの後を追って下駄箱へと去って行く。
沸騰した頭のまま青い巾着袋を大事に抱え、奏もなんとか教室へと向かったのだった。
お昼休みがこんなにも待ち遠しかったことが今までにあっただろうか…いや、ない。
緊張やらドキドキやらを抱えながら、奏は昼休みの定位置に腰を落ち着けた。
巾着の口を開ける手が、少し震えている気がする。
小さく深呼吸をして開けた巾着の中には、朝と同じように、サンドイッチが入っていた。
自分の為に作られた物。すごく、嬉しい。嬉しくてニコニコしてしまう。
頬張ったサンドイッチは、とっても美味しかった。
「食べた…!食べてるよ美里ちゃん!」
「いやぁ、実に幸せそうに頬張っておりますなぁ。」
聞こえた囁きに視線をやると、窓の所にリィンと美里が立っていた。
リィンは、捨て犬に餌付けが成功したような顔で興奮していた。
「どうですか、手作りサンドイッチは美味いですか、旦那?」
朝見せたようなニヤニヤ笑いで近寄ってきた美里が、奏の前に座った。
美里に続いてリィンも側にやってきて、二人は自分の弁当を広げて食べだす。
突然の登場に呆然としていた奏も、手に持ったままだったサンドイッチをまた食べ始めた。
手にしていた分を食べ終え、パックの牛乳を飲んでから、奏はリィンに声を掛ける。
「あ…あの、美味しい、すごく。…ありがとう。」
真っ直ぐ瞳を見ることは出来なくて、少し視線を外して紡いだ奏の言葉に、リィンはにっこりと微笑んでくれた。
「くそっ、砂糖か?私は今砂糖を食べているのか?」
美里の呟きの意味は、またよくわからなかった。
サンドイッチを食べ終え、奏は巾着を見つめて少し悩んだ。やっぱり、洗って返すべきだよね、と。
リィンに伝える為に口を開くと同時に、手の中の巾着は奪われていた。
「明日のお昼も乞うご期待〜」
「え?…や、洗ってから、返すよ。」
「 いいよ〜。奏は黙ってふくふくにされれば良いのデス。」
「ふくふく?…でも、悪いーー」
「旦那旦那、本人がやりたいって言うんだから、黙って受け取ればいいんですって。そんで、自分の為に料理作る姿を想像して悶えてれば良いんスよ。」
「えーと、……美里、ちゃん…?朝から話し方がおかしーー」
「おおーっと、突然名前呼びっスか!旦那、大胆っス!」
「え、あの、ごめん……でも、名字知らない……」
「おおーっと、そういえばそうだぁ、仕方ねぇ、名前呼びの許可をやらぁ!」
「あり、がとう?……それで、話し方、どうした、の?」
「…………奏さんてば、意外と頑固ですね。砂糖の甘さに耐えられなくてふざけてるだけです。」
「そっか、面白い、ね。」
奏が笑うと、なんとも言えないという顔で美里に見られた。
そんな二人を見て、美里ちゃんは面白いんだよと言ってリィンは笑った。
最近、毎日が楽しいなと思って、奏もまた笑った。
放課後の日課の図書室での時間。
そろそろテストも近い為、今日は三人共勉強道具を広げている。
カリカリと、静かな空間に響くシャーペンの音が心地良い。
疲れたのか、奏の前にいるリィンが手を上に伸ばして身を反らした。
「奏〜」
「……なぁに?」
どうやら休憩のようだ。
伸ばしていた身体をそのまま机に伏せ、リィンが奏を見上げてくる。
「夕飯、いつもどうしてるの?あと、朝ごはんも。ちゃんと食べてる?」
何故だか、相当リィンは奏の食生活が心配なようだ。
確かに自分でもヒョロヒョロして貧弱な身体だとは思うけれど、倒れることもなく生活出来ているし、問題ないと思っている。
「朝は…眠くて、コーヒーだけかな。」
「夜は?」
「…夜、は…お腹が空いてたら、食べる。」
「毎日食べる訳ではない、と?」
二人と同じようにシャーペンを置いた美里の言葉に、誤魔化すようにへらりと笑ってみた。
「あ、でも、牛乳は毎日飲んでる、よ?ゆで卵もたまに食べるし…スーパーとかで、お弁当買って食べる時も、ある…よ……?」
尻すぼみになった言葉は、目の前のリィンの表情に段々と怒りのような色が浮かび始めたせいだ。
こわい…。
「これはもう、強制的に我が家に来てもらうしかありません。あなたに拒否権はないデス。」
「いや…ご迷惑だからーー」
「ダメです。翔子さんも奏ふくふく化計画の一員なのデス。問題なしデス。」
「ちなみに奏さん、お家はどこですか?」
「え、えぇと、学校の、最寄り駅の…少し先……」
「徒歩通学ですか?」
「う…うん……」
「じゃあ、電車賃を細川家への食費替わりとしましょ〜。それで問題ナシ!」
「い、いや…食費と電車賃は違う、よ?」
年下の女の子二人に畳み掛けるように話し掛けられ、奏はたじたじになる。
目の前のリィンはいつの間にか伏せていた身体を起こして、拳まで握っている。一体何に燃えているのだろうか?
「わかった!奏、私に勉強教えて!」
「へ?い、いいよ?」
「では、そういう事で決定〜」
「へ?あの、よく、わからない…」
「いいからいいから〜」
言いながら水色の携帯を取り出して、リィンは何処かに電話をかけ始めてしまう。
何がそういうことなのか全くわからない奏は、オドオド視線を彷徨わせて美里に説明を求める視線を送ってみるが、無視された。
「もしもし〜、あのね、奏、ご飯朝も夜もちゃんと食べてないんだって。………うん。だからね、これから放課後毎日お勉強教えてもらうから、お礼にうちで夕飯食べてもらったらダメ?………うん。………うん。わかった〜。……は〜い。」
ピッと、通話が切られ、奏は今一番気になった事を口に出した。
「………リィン、図書室で電話したら、ダメ、だよ?」
首をこてんと傾げて注意する奏に、リィンも同じようにこてんと首を傾げて謝った。
「え?そこ?」
という美里の呟きは、誰にも拾われなかった。
図書室での電話は、ダメ、絶対