成長
一年というのは子供にとってとても長い。大人になって振り返ってみると一瞬なのだが、実際に体感しているときはとても長い。もちろん多くの驚きに満ちていて、子供が退屈であるときは少ないために、彼らは苦痛を感じない。薫もそうだった前世の知識があるぶん驚きは少ないが,確かに新しいものを見て、新しい刺激を感じていた。
朝は魔術を習い昼からは剣を習う。どちらも基礎ができていたが、肉体を作るところからはじめなければならなかった。
アルベルトが師についてからの三ヶ月は死ぬかと思った、この言葉が最もうまく当てはまる。兎角、彼は薫の素振りを見てまずは足腰の鍛錬を指示したのだ。まだまだ足腰が出来上がっていないそこがうまく剣に力を乗せられない原因だと気がついたためだ。
……しかし、驚いた。足腰が年齢から仕方ないとはいえ振りはたいしたもんだ。まるで10年以上剣を振ってるようにしか見えない。しかもあのかまえは何だ。ルーヴェ流でもねえし、シードクロト流でもねえ、あえて言うならドナ流に近いが、あの足運びは何だ。一瞬で相手との距離を稼ぎやがる。これが我流ならいいんだが。どう見たってこれは型がある。そして洗練されてやがる。分からんが、この方向を修正することはないな。このまま足腰をきっちり育てて、実戦形式で行けば間違いなく強くなる。
ようやく楽になってきたそう思えたのは歳が七つになったころだろうか。魔法の授業も軌道に乗り出し、ゼルマの教え方にも熱がこもるようになってきた。
「ライナー様ぜんぜん違います。いいですか、よく見ていてください。」
今は教練場で火の初級呪文を学んでいた。
「我は求める、古よりの契約の炎を。時は満ち、風は止んだ。走れ、雷火っ!!」
火の精霊の力がゼルマの手のひらに集まり、呪文が終わると同時に鋭くすばやい火炎が前方に放たれる。
「こうです。」
最近気がついたのだが、ゼルマは教えるのがあまりうまくない。もう一人の母親みたい思っているためにあまり強くはいえないが。
「どうかされましたか?」
怒らせないようにしなければならない人のひとりだ。ちなみにトップは母上であったりする。笑顔で人を殺せそうなのだ。
だんだんと剣術と魔術の鍛錬に慣れ始めるとまた本を読む余裕ができ始めたので、次は戦術を読み始めた。どうやら辺境伯であるバルツァー家は隣国との戦争時に最初に矢面に立たなければならないようで、相当大きな軍団を持っていた。武門のバルツァーは伊達ではないらしく、国でも相当な力を持っているらしい。アルベルトはそういっていた。
さて、この世界での通常の国同士の戦争とは戦術などあってないようなものだ。正面からぶつかり合うのが当然であり、奇策を弄することは恥とされている。始まりは弓兵の打ち合いと魔法兵の打ち合いから始まりその後歩兵と騎士が前に出る。粛々と進み、ある程度距離が近づいたら駆け足から槍を突き、剣を振り下ろす。この流れが一般的とされる。そのため、戦場に多くの兵を集められた側がほぼ必ず勝つようになっている。しかし、この戦術が取れるのはお互いにそれを名誉だと思う国同士の場合で、そうでない場合はあらゆる策を弄さねばならない。つまるところ目には目を歯に歯をだ。真っ向勝負には真っ向勝負を受け、奇襲には奇襲を返す。それが誇りある戦いだと、そう書かれていた。その後は戦場でのやってはいけないことや、慣習。堂々たる戦術とは何かが書かれていたが、つまるところ正面突破せよ。そこに尽きていた。
薫はそっとその本を元に戻した。
「これは俺が読む本じゃない。」
置いてある本は似たり寄ったりで、一つもためにならない。薫は父の執務室へと向かった。
「何? 戦術の本が欲しいのか。」
案の定あまりいい顔はしなかった。
「はい、お父様。この先、正しき戦争の姿では戦えないような者たちが出てきたら負けてしまいます。どうか、そういった者たちとの戦いができるよう学びたいのです。」
そもそも七つの子供が言うようなことではない気がするが、それはおいておこう。この言葉に父は大きく頷いた。
「そうだな。学んでおかねば対処は確かにできん。この先お前が軍を率いなければならなくなるときも来よう。少しまて。」
父はその細身な体を自分の執務机の下にいれるとなにやらごそごそとし始めた。そして戻ったときには片手に古びた本を持っていた。
「これをお前にやろう。」
渡された本の内容はぱらぱらと捲っただけでも、戦術と呼ぶにふさわしい内容だった。
「あまり表立って読むものではないが、バルツァーの当主には必要なものだ。励みなさい。」
父にそう言われずともがんばるつもりだったが、やる気がプラスされた。
「はい、がんばります。」
あまり両親としゃべる機会は少ないが、確かに愛情は感じていた。
……なんと聡い息子であろうか。私の前にいるのは七つの息子だ。剣をアルベルトに習い、魔法をゼルマに習う。確かに条件は最高の状態ではあるが、その教師達が目を見張るほどの吸収力とそれとともに生み出される知恵のある行動。今日は戦術の本を手に入れるために私のところまで来た。確かに図書室に置かれているのはあまりにも古典的な戦の仕方。昨今ではあのような戦いはほとんどなくなってきてはいるが、奇策などの戦術書をあそこにおくわけにも行かない。歴代の当主が隠してきたが、まさかこちらから伝える前にそれを手に入れようとするとはな。ふふ、この家も安泰だこのような息子がいてくれて。まあ、少しばかり育ちが早すぎる気もするが、とくに使用人のきれいどころに対する目は。まあ、英雄色を好むという。のびのびと自分の好きなようにやってくれればいい。うんそうだな。
次の日の朝、少し夜更かしが過ぎたが、いつもどおりの時間に起きられた。早朝の素振り稽古に中庭に出て行く。アルベルトはすでに来ていた。
「お、坊ちゃん今日も早いですな。」
自分より遅いときはいつもこういってくる無視して素振りを始める。いちいち構っていられない。たとえ師匠だとしても。それに今は自己練習の時間で文句を言われる筋合いはない。まあ、アルベルトは別に素振りするわけでもなくじっと薫の素振りを見ているだけのため見に来ているのは明らかだった。まあ、この早朝の素振りに気がついたのはつい最近だが。
『やれやれ、こんな朝にも素振りしてるんですか? たいした七歳だ。』
苦笑いのような顔は今も続いている。
この早朝の素振りは日課のようなもので、息をするようなものだ。体が動くならやっておきたかった。
相手を想像して一本一本丁寧に振っていく。最近自分でも分かるくらいに上達していた。アルベルトから5本に1本は取れるようになってきていた。アルベルトはそのたびになんともいえない顔をする。元団長なのだから実践から離れて実力が落ちているのだろうし、まあ、こんなよわっちいのと相手をしているので、手加減がたぶん難しいのもあるだろう。
アルベルトは最近あまり薫の剣に指導することはなくなった。基礎訓練や体力づくりは今までどおりだが、後は実践を多くやるようになっていた。
ふと気がつけば、次の誕生日で十歳になるところまで来ていた。長いようで早い日常はこうして過ぎていった。
ある日突然のことだった。
「ライナー様。」
珍しくきちんと名前を呼ぶので何事かと思って、まじまじと顔を見てしまった。
「な、なに? なんかしたっけ。昼寝のときに落書きしたのはもう謝ったし、食事にトードの肉を入れたのはばれてないと思ったけど。」
ちなみにトードはこの世界のカエルだ。
「……あれはおいしかったから許すが、それはどーなんだ。師匠にそれはどーなんだ。」
つばがかかるんですが。
「まあいい。ごほん、ライナー様、今日をもってあなたはアルベルト剣術学校の卒業です。」
剣術学校? いや、あれは学校とか言うような高尚なものではないだろう。まあ、それは別として、いまなんて言った。
「………えっ? うそ。」
「本当です。」
アルベルトは懐から赤い宝石のついた短剣を取り出した。それを黙ってライナーに渡す。受け取ってからようやく口をあけた。
「それが卒業の証です。」
なぜという言葉が頭をめぐったが、とにかく深くお辞儀した。
「ありがとうございました。」
いろいろと言いたいことは山ほどあるが、何かを口にする前にアルベルトが立ち上がった。
「さて、じゃあ俺は行くかね。」
そういうとよっこらせと、どこに置いておいたのか。自分の私物をつめた袋を抱え上げていた。
「え、早くないですか? ほら卒業記念に食事とか。」
アルベルトは首を振った。
「ちょいと急ぐんでねお父様にはいっておきましたから。まあ、また会えるでしょうしね。」
なぜか意味深な言葉を残してアルベルトは去っていった。