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はじまりの村の防衛線

作者: Murabit_KB
掲載日:2026/09/01

 天を突く紫煙と血の匂いが充満する魔王の間。魔王の胴体には、勇者の聖剣が深々と突き刺さっていた。


 崩壊の瓦礫の隙間から、途切れ途切れの陽光が差し込んでいた。長きにわたる旅の果て。俺たちの前で、伝説の聖剣を握りしめた少年——勇者が、肩で息を吐いていた。


「……終わった、んだよな」


 背後で誰かがそう呟く。俺——戦士もまた、刃のこぼれた大剣を床に突き立て、荒い息を吐きながら膝をついていた。全身が裂けるように痛む。だが、ついに俺たちは勝ったのだ。この男を倒せば、世界を覆っていた惨劇の歴史は潰える。


 そう、信じていた。


「——ク、クハッ……クハハハハハ!」


 聖剣を刺されたまま、魔王が血の泡を吐きながら狂気に満ちた声をあげた。

 枯れ木のような指先が胸元へ伸び、古びた真鍮の「懐中時計」を引き抜く。そこに集まりだしたのは、魔王が死に際に残した全魔力。生々しい紫の光条が時計の歯車を包み込み、空間そのものが歪み始める。


「お前たちは、またしても……」


 魔王が何をしようとしているのか、直感が警鐘を鳴らした。

考えるより先に、身体が動いていた。俺は大剣を投げ捨て、残された全ての力を脚に込めて床を蹴った。


「くそッ、はなせぇぇッ!!」


 後ろから魔王の太い首と腕を強引に抱え込み、全体重をかけて羽交い締めにする。

暴れる魔王の力に骨が軋む。だが、絶対に解かない。


「いけぇぇぇッ! 魔法使い!!」


 俺の叫びに応え、隣で魔法使いが必死に展開した防壁の光が二人を包み込む。

 直後、奪い取るように抑え込んだ時計から圧倒的な光芒が溢れ出し、世界を丸ごと塗り潰した。

視界が白に染まり、全身の感覚が溶けて消えていく——。


◆


 小鳥のさえずりが、遠くで聞こえた。


 不意に鼻腔をくすぐったのは、懐かしい「土と乾燥した木の実」の匂い。


(……生き、ている……のか?)


 俺は勢いよく体を起こした。

 手についた感覚は、硬い石畳ではなく、使い古された木板の感触。天井を見上げれば、隙間から日の光が漏れる小さな木造の屋根があった。


 自分の手を見る。大きくて無数の傷に覆われていたはずの手が、信じられないほど小さく、柔らかい。


「……まじ、かよ」


 声が高かった。喉が細い。身体の中に渦巻いていたはずの圧倒的な戦気は消え去り、かわりに残っていたのは十二歳当時の、頼りないほどの軽さと貧弱さだった。


 見回せば、そこはあまりにも見覚えのある場所だった。

柱には不揃いな線で刻まれた背比べの傷跡。壁には下手くそな木彫りの飾り。

村の大人たちに秘密で、森の奥に俺たちで作った「秘密基地」だ。


 人の足音が聞こえる、と静かに木戸が開いた。


 光を背にして立っていたのは、一人の少年だった。

大きすぎるローブのかわりに泥のついた服を着た、細身の少年。手には、使い古された木製のペンを一本、しっかりと握りしめている。


 二人は言葉を交わさなかった。

ただじっと、お互いの目を見つめ合う。その瞳の奥に宿る、数々の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ静かな光。


(お前も……戻ってきたんだな)


 言葉にしなくても分かった。俺たちは、記憶を持ったまま過去へ飛んだのだ。


 魔法使いは静かに歩み寄ると、手にしたペン先をそっと机にかざした。

指先から小さな「種火」の光が灯り、ペン先へと吸い込まれていく。かすかな魔力の粒子がペン先から立ち上り、簡易的な術式を描く。杖すら持たない十二歳の身体で、手近な道具を触媒にして魔力を練り上げる——彼なりの生存戦略であり、戦闘準備だった。


 俺は壁に立てかけられていた、埃をかぶった木刀を取った。

軽く振ってみる。軽い。軽すぎる。かつての大剣の重みを知る手には、あまりにも頼りない。


(だが……十分だ)


 俺たちは机の上に残されていた、幼い字で描かれた手書きの地図を囲んだ。


 今夜、この村は魔物の襲撃を受ける。

本来の歴史では、その襲撃によって村が焼き払われ、勇者の妹が失われた。絶望した少年は伝説の剣を抜き、悲劇を背負った「勇者」として旅立つことになったのだ。


 だが、俺たちの目的は「強い勇者を育てること」じゃない。


 勇者が勇者にならなくていい歴史。

 あの日亡くなってしまった妹が笑って明日を迎えられる、何事もない日常。


 俺たちは顔を見合わせ、深く頷き合った。

 誰に褒められることもない、歴史の裏側の戦いが、いま始まろうとしていた。

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