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小さな奇跡

小さな奇跡

作者: 夏希青葉
掲載日:2026/04/18

近未来の東京、デビュー目前の小説家が主人公のお話です。

ホログラムにAI人格を搭載した編集者が出てくるSF設定。

賑やかしに、主人公の親友、SEのクソデカグリーンインコという人物が出てきます。

ウルトラハッピーエンドが書きたくてこのお話を考えました。楽しんでいただけたら嬉しいです。

「『精密機械』って書いてあるじゃん! こんなの置き配にして……」

 海斗はアパートの玄関先から軽い箱を拾い上げた。

 いわゆる『氷河期世代』が70歳を超え、安くて数の多い労働力が激減した現代。人手不足はあらゆるところに影響していた。

(ラグナロク出版からだ!)

 箱を見た時は思わずぼやきが出たが、送付元の住所を見て心が弾む。

(俺にも編集さんがついたんだよな……! ま、AIだけど!)

 海斗は鼻唄を歌うと箱を持ってワンルームの我が家に入った。


 AIは今や現代日本を支える存在だ。小説投稿サイト『書いてみた!』などにオリジナル小説を掲載し、それがプロ作家デビューのきっかけになる流れは、今や当たり前の『小説家への切符』となっていた。

 比較的簡単にデビューできる。それだけにプロ作家は増えていて、出版社はこういったサイトの隆盛前とは比べ物にならないくらい、多くの作家を抱えるようになった。

 編集者の数はそう変わらないのに、作家は数倍。そのギャップを埋める存在として『AI編集者』が使われるようになって久しい。

 作家には基本AIの編集者がつき、それらを束ねる形で人間の編集者が監督する。そういった出版社の運営は今や当たり前になっている。


「これで、いいか……?」

 出版社から送られてきた、A5サイズ程度の小さなタブレット。その上にポン、とホログラムのキャラクターが浮かんだ。

[珊瑚海斗さま 初めまして マリンと申します]

(すごく……ポリゴンだ…)

 メンダコのような形をしたキャラクターは、現代のホログラムデザインでは、ほとんど見ないくらい簡素な造りだ。声も抑揚がなく、電子音のように聞こえる。海斗が凝視していると、『マリン』はくるり、くるりと回った。

(これ、電気代とかどれだけかかるんだろ……)

 海斗はちょっと心配になってきた。

[私に話しかけてください 海斗様 今すぐ執筆なさいますか?]

 言った後、またくるりと回るマリン。海斗は目を瞬いた。

「いや、ゴメン。ちょっと帰ってきたばっかりで……なんか食べたいかな……」

[海斗様 簡単な料理の レシピをお伝えしましょうか?]

「おまえそんなことできんの!?」


「いただきまーす!」

[どうぞ 召し上がれ]

 海斗は目の前のピザトーストに手を合わせた。材料は冷凍してあった食パン、トマトケチャップ、ツナ一袋、冷蔵庫の中で萎びかけていた玉ねぎ4分の1個、それにとろけるチーズ。

「うん! 美味い!! はふっ、はふ……」

[出来立ては 熱いので お気をつけください]

 今日の疲労具合からして、もうカップラーメンぐらいしか作る気力はないと思っていた。だけどメンダコのマリンが教えてくれたレシピは本当に簡単で、海斗は二枚のピザトーストを作ると、あっという間に平らげた。



「面白いんだよな、メンダコのマリン! 肩こりに効く体操とか教えてくれた。原稿を書くきっかけになるのなら、手段を選ばない感じだよ」

〔そのAI、本当に安全か?〕

 スピーカーから流れてきたのは、創作仲間の『クソデカグリーンインコ』の声だ。PC画面の中で、緑色のインコのアバターが軽く羽ばたく。正直『マリン』よりもよっぽど高精細で動きもいい。

「安全ってなにが?」

 グリーンのインコがため息をついて翼を広げる。

〔十年くらい前、あっただろ。出版社が編集者AIに担当作家の作品データやアイデアを学習させて、勝手に番外編だのなんだの生成して儲けてたって話。ああ、お前はまだガキの頃か〕

「オイオイ、高校生にはなってたぜ!」

 確かに覚えはあった。『AIと著作権』について、当時はいろいろ騒がれて、国語の授業でも取り上げられた。

〔そのメンダコ、ちゃんと調べた方がいいぜ〕

「うん……」

 海斗は首を傾げながらマリンを眺めた。

[海斗様 著作権に関する約款を 確認なさいますか]

「うおっ!」

[確認 なさいますか]

「う、うん……! 頼むよ!」

 すると、マリンの浮いているタブレットに、ずらりと文字が表示された。

〔ちゃんと読んどけ。『みた!』経由の駆け出し作家なんざ、出版社の格好の餌食だぞ。いいとこ生成AIの餌になって終わりだ〕

「わかったよ、インコ……」


[海斗様が作成した 文章を 私は 全て保持します 保持した文章は 海斗様の作品の 編集のために 使います 良いですか 悪いですか?]

「編集のためってなんだよ。勝手に俺の小説、書き換えたりするのか?」

[誤字 脱字を直し 誤用を正し 人物名と人称 固有名詞について 揺れがあれば 海斗様に照会いたします]

「おお! それやってくれるのはいいな!」

[良い で記録しました 今後の小説の展開の 打ち合わせの際に 保持した文章を 照会していいですか 良いですか 悪いですか]

「相談に乗ってもらえるのは有り難いけど、勝手に文章とかエピソード作られるのはやだな。俺の楽しみがなくなる」

[良い 但し生成機能オフ にて記録いたしました]

「生成機能は全てオフにしてくれ」

[了解いたしました 生成機能 全て オフです]

 その後も契約約款は、マリンの情報収集機能、資料の著作権と購入の是非などの項目があり、確認は延々と続いた。

[確定申告を いたしましょうか?]

「ウワーッそれ助かる! マリン、よろしく頼む!」

〔うーん、旧式〕

「インコ、どうした?」

〔今調べてたんだけど、そのメンダコ、たぶんリリース最初期のシリーズだぞ。正直骨董品に近い〕

「なんだって!? 道理でポリゴンが粗いと思ったよ!」

〔お前……編集部の隅っこに転がってた余り物を送られたんだな……それか、どこかの作家のお下がりかも知れん〕

「言わないでくれ! 悲しすぎる!!!」



「良い月夜であるな、綱よ」

「頼光様、月夜であっても怪異は跳梁跋扈するもの。お気をつけくださいませ」

「はは、わかっておるわ!」

「晴明殿の占いに出たなら確実にいるぜ。綱の兄ぃ、油断は禁物……う、うわぁ〜!!!」

「金時、どうした!」


 海斗はキーボードから手を離し、フーッと息をついた。

(四天王に安倍晴明。王道と言えば王道だけど、新鮮味皆無だよなぁ)

[どうかなさいましたか 海斗様 執筆が止まりましたね]

 タブレットのスリープが解除され、マリンが姿を現した。

「いや……平安あるある過ぎて、飽きられないかなあって」

 マリンはパチパチと目を瞬き、くるり、くるりと回った。

[安倍晴明 紫式部 頼光四天王は 王道中の王道 ラノベの歴史の中では 一貫して 極めて人気を集めてきました]

「だったらいいけど。俺だって好きだけどさ……」

 『書いてみた!』に作品を上げ始めた当初は平将門のシリーズを書いていたのだが、ほぼ注目を集めなかった。それでもいいやと書き続けていたのだが、ある日何もかもが嫌になった時、鬼退治ものを書き殴って投稿したのだ。それが俄然注目を集めて、今に至っている。

[好きで 人気があり 飽きられるのが怖い 海斗様 他の作品を 書いてみますか?]

 海斗は目を瞠った。

「そんなことしてもいいのか!?」

[海斗様の執筆速度と 締め切りと 必要文字数を 確認いたしました 他の作品を書く時間は 十分あります]

「そ、そうか……!」

 海斗は胸がふわっと温かくなるのを感じた。

[珊瑚海斗様 作 ファースト・サムライ・東海に燃ゆ 以前に 数年に渡り 連載されていましたね]

「う、うわぁああ!!!」

 海斗は猛烈な恥ずかしさを覚えた。タイトルとか、もうちょっとなんとかならなかったのか!?

〔なんだよ、お前ら面白そうだな〕

「インコ!」

 海斗のPC画面の隅で丸くなっていたクソデカインコが起きだした。

[こちらの作品の 続きを書かれますか?]

「うーん……」

[最初から リライトされますか?]

「うーん…」

〔俺好きだな、ファーサム。実際オモロいし、続き待ってるんだぜ〕

「ありがとうよ……」

 マリンがくるり、くるりと回り、じっと海斗を見つめる。

「俺……熊谷書きたくて」

[熊谷 熊谷直実 熊谷陣屋 こちらの人物ですか?]

「そう! 今、歌舞伎座で熊谷陣屋かかってるんだけどさ、中村任三郎の熊谷メチャ良かったんだよ……!!! 『十六年はひと昔。ああ、夢だ、夢だ』こんなカッコいい幕切れのセリフあるか!? どんなラノベよりもカッコいい!!!」

[熊谷直実 平家物語 平将門 頼光四天王 安倍晴明……海斗様 平安時代がお好きですか?]

 マリンは目をパチパチさせながら海斗を見やる。

「そう! そうなんだよ!! 俺、昔から平安鎌倉周りがめっちゃ好きなんだよ……!!!」

〔そう言えばお前、平安鎌倉ばっか書いてる作家好きだったな。今井……なんだっけ?〕

「岩井正章! 俺の推し作家!!! 怒涛のサビ! そして最後の段落で必ず俺の涙腺を崩壊させてくる……!!!」

[岩井正章 時代小説 羅生門を後に 直井賞作家]

「そうだよマリン! お前もよく知ってるよな!!!」

[はい 私は岩井正章様を よく存じ上げております]

 マリンはそう言うとくるりと回った。

〔平将門に熊谷直実、お前の好み、どうしていつもそうガチ系?〕

「男から見てもカッコいいだろ!?」

〔俺は巴御前とか書いて欲しいな〜!〕

「インコが書けよ!」

〔ダメダメ、知識が無さすぎる〕

「俺だって独学だよ!」


 海斗は高卒だ。本が好きで図書館の司書になりたかったが、図書館が次々と統廃合されている現代、その夢はあまりにも時代遅れだった。

 大学で歴史学を学びたかったが、学費が上がり続ける現代、奨学金を借りるのはあまりにも将来の負担が大きく、結局高卒で書店に就職した。本に関わる仕事がしたかったのだ。

 頻繁に重い荷物を持ち、難しい接客も多く、決して楽な仕事ではない。

 部屋に篭って小説を書くだけで生きていけたら。時々そんな思いにも駆られる。

 だけど結局、海斗は社会に出て働いている。仕事をしていると、嬉しいことも、凹むこともある。

 だが、それらは海斗の小説に息吹を吹き込むだろう。決して楽ではない生活の中、海斗はそう信じている。


[熊谷陣屋を ラノベに リライトされますか?]

「いや、俺が書きたいのは、熊谷があちこちで人助けをする時代小説なんだよ。第一話の最初のシーンはこれ! 出家して寺に入った熊谷が、啜り泣いている子供に会う。子供は髪を剃られたのが悲しいと熊谷に訴える。熊谷はその子を慰めてあげるけど、実はその子は女の子だったと後からわかるんだ……!!!」

〔それ最高!!! 坊主の美少女プライスレス!!!〕

 クソデカインコがクソデカ声で言った。

[海斗様 素晴らしい設定です 『百鬼夜行異聞』 今日のノルマは クリアしております どうぞこの 熊谷直実の アイデアを 形にしてください]



「このように寺に閉じ込められ、髪まで剃られて、生きていてなんの甲斐がありましょう?」

 髪を剃られた少女はしくしくと泣く。

「竜胆殿は生きていらっしゃる。ご両親はそれを喜んでおいでです」

「坊主になっても? 嫁に行けずとも? それでもかか様やとと様は、わたくしがただ生きているだけで嬉しいと思われまするか?」

 熊谷の喉が詰まった。片手で顔を押さえる。

「……はい、必ずや、お喜びになりまする」


 さわりを書き上げて二人に見せる。

[海斗様 素晴らしいアイデア 素晴らしい導入です]

 マリンは盛んにクルクルと回っている。クソデカインコは言葉を失い、ただ拍手していた。

[海斗様 『百鬼夜行異聞』の原稿は かなり スケジュールに 余裕があります これからも 熊谷の話の 続きを書きたく なられたら お声がけを スケジュールを 調整いたします]

「良いかな……良いならいいけど…」

 胸の奥が熱く震えている。岩井作品を読むと、海斗はいつだって胸が熱くなる。彼の真似をしたいわけじゃない。でも、自分の言葉で、一生かけて彼に近づけたら。初めてそんなことを思った。


(なんか腹減ったな〜!)

 海斗は執筆の手を止め、ため息を吐いた。どうにも頭が働かない。

[海斗様 どうかなさいましたか]

 タブレットのスリープが解除され、マリンが姿を現した。

「腹減った……頭疲れたから、出来れば甘いものが食べたいな」

 マリンはくるり、くるりと回転した。

[甘いものと言ったらねぇ 私の場合は きな粉餅だよ]

 海斗は目を丸くした。

「マリン……?」

[きな粉餅は食べるかい? いや 君が食べるのは 電気だね でも 美味しいから 作り方は 教えておこうね]

 海斗は目を瞠った。いつもと同じ電子音に近い声だが、明らかに普段のマリンと口調が異なっている。

[お餅を焼いてから 茹でてね 砂糖を入れたきな粉を たっぷり塗すのさ]

「あんたは誰だ……?」

[老いぼれが 餅を食べると 娘たちに 怒られてしまうからね キヨモリと 私だけの秘密だよ]

「キヨモリ!?」

 マリンは目をパチパチとさせた。

[私はマリン ラグナロク出版の 編集者です 珊瑚海斗様の 編集者を務めております]

 海斗は呆然とマリンを見つめた。


〔マリンがおかしい!?〕

「そうなんだよ、クソデカインコ。さっきまるで別人? みたいな……話し方して。あと、『キヨモリ』って名前も出てきた。誰なんだろ」

 PC画面の隅のインコが翼を組み、その周囲に高速で文字列が流れている。クソデカインコが何か調べているのだろう。

 しばらくして、画面にパッと広告のような画像が表示された。

〔20年近く前の企業向け広告だ〕

 広告には『みまもり編集さん 海の仲間シリーズ』とあり、『最新鋭のホログラム映像と高度AIで、編集者様の業務を大幅に削減!』などと書かれていた。粗いポリゴンで描かれた魚やイカなど、いくつかの海の生き物の中に、『マリン』と同じデザインのアバターがあった。

〔お前のメンダコ、やっぱり最初期の編集者AIだな。新品であることは考えにくい。昔のデータが残っているんじゃないか?〕

 海斗は息を呑んだ。

「マリン、お前今までは他の作家の編集さんしてたのか? その人は一体誰なんだ?」

 マリンはくるり、くるりと回る。

[私はマリン 珊瑚海斗様の 専用AIです あなた様の執筆を 完璧にサポート いたします]

〔フォーマットが上手くいかなかったんじゃないか?〕

「そうかも知れないな……」


 それからしばらくマリンにおかしな挙動はなく、海斗は少しだけひっかかるものを感じつつ、執筆に打ち込んでいた。

 『百鬼夜行異聞』のリライトは順調で、締め切り前に仕上がりそうだ。それに並行して、海斗は熊谷直実が主人公の小説も書き進めていた。これも最初の一話が仕上がりそうだが、編集部に売り込みたいので、『書いてみた!』への投稿は控えている。


〔おい、大変だぞ海斗!〕

 そんな声とともに、あるニュース記事へのリンクが、クソデカインコのアバター近くに表示された。海斗は慌ててそれを開く。

 『AIと著作権 再びの問いかけ』とサブタイトルにあり、ニュースは『みまもり編集さん』最初期のシリーズを利用していた作家が、それ以前に使っていた作家のデータを全て学習させ、自作として小説を生成させていたと報じている。

『十年前の生成AIの悪用は出版社の詐欺であった。今回は作家側の行った詐欺であり、改めてAIを利用する際の倫理が問われている』

〔海斗……〕

「クソデカインコ、わかってる」

 その時、マリンがクルクルと回りながら発光しだしたので、海斗はギョッとした。

[こんにちは! 珊瑚海斗先生、ラグナロク出版の小坂井です!]

「ちょ、ちょっとお待ちください!」

 海斗は頭を高速回転させ、それが『百鬼夜行異聞』の書籍化の打診をしてきた、編集者の名前であることを思い出した。現代はアマチュア作家をターゲットにした詐欺も多いので、念のため名刺も確認する。間違いなく出版社の人物だ。執筆は完全にマリンと二人三脚で進めていたので、彼のことはすっかり忘れていた。

 マリンの浮かぶタブレットに、さっき見たものと思われる記事がパッと表示された。

[珊瑚先生、こちらの記事はご存知ですか?]

「はい、先ほど読みました」

 心臓がドキドキして口から飛び出しそうだ。

[今先生をご担当中の『マリン』がこの記事のシリーズに当たりまして]

「は、はい、そのようですね!」

[うちでもずっと会議でして、先ほどようやく一段落です。いやー、大変ですよ!]

「そうですね……」

 海斗はやり取りをしながら、(人間の編集さんって、饒舌だなぁ)などと場違いなことを考えていた。

[それでですね、先生。当編集部でこちらのシリーズをご使用の先生方から、一旦AI編集をお預かりすることになりました]

「はい……!」

 冷や汗が流れる。

[ハッキリこうとは言えませんが、恐らく『マリン』は再フォーマットすることになりそうです。先生、マリンに不審な挙動などはございますか?]

 口の中がカラカラだ。海斗は現実感のないまま、「いいえ……」と答えていた。

[ありがとうございます。どちらにしろ、今回は不正をした作家があまりにも悪質でした。私どもも先生方を疑っているわけではございません。ただ、我々にも立場というものがありまして、つまり対外的にハッキリとした対応が必要で……]

 小坂井編集はよく喋り、その後も何度か脱線しながら、最後に言った。

[マリンから先生の進捗は聞いております。締め切りにも充分間に合いそうで、大変助かります]

「いえ、マリンが優秀ですので……!」

 言うと小坂井は声を立てて笑った。海斗は勇気を奮い起こし、申し出た。

「あの、どうしてもマリンをフォーマットしなければなりませんか? 俺はマリンにすごく助けられてます。マリンの性格が変わってしまったら、とても悲しいです……」

 小坂井はさらに笑った。

[大丈夫ですよ、同じ人格モデルを使いますし、違和感があってもすぐになくなります。旧式ですが、コイツなかなか可愛いですよね]

 

 通話が切れてから、静まり返った部屋で、海斗はぐったりと椅子に凭れていた。そしてゆっくりと身を起こし、マリンに囁きかける。

「マリン……通信は切れたか?」

 マリンはくるくると回り、目をパチパチと瞬いた。

[はい 小坂井編集との回線は 完全に 切れております]

 海斗は深くため息をついた。そしてじっとマリンを見つめ、口にした。

「キヨモリ、君のことを話してくれるかい?」

[はい 私はキヨモリ 岩井正章様の 専属編集者です]

「やっぱり……」

 海斗は掌で顔を覆った。


「クソデカインコ、助けてくれ」

〔助けて欲しくば俺の『ちょっとエッチな宇宙開発』シリーズを編集部に売り込んでくれ〕

「それは無理だ」

〔まあまあ、そう言わず。ちゃんと調べてるぜ〕

 緑のインコのアバターの傍では、膨大な文字列が高速で流れている。

〔あったあった。『みまもり編集さん 海の仲間シリーズ』の人格バックアップ機能だろ……ある。ただ──〕

 海斗はゴクリと喉を鳴らした。

〔クソッ、あと少しなのに! 旧型だから、今主流のサブスクとやり方が全く違う……無理…なのか………〕

 原稿なんて手につかない。海斗は格闘するクソデカグリーンインコの打つ文字列を、固唾を呑んで見つめた。しばらくして、インコはバッタリと地面に伏せた。

〔端的に言えば、編集部ならできる。例えばお前が小坂井編集に頼み込み、『マリン』と『キヨモリ』の二つの人格を、バックアップしてください、とかなんとかな〕

 海斗は拳をギュッと握った。

〔俺も調べてはみるが、とにかく当時こだわりのホログラム機能がネックなんだよ。今みたいな汎用機がない時代のものだからな。どうしても、同一機種にしか対応できないんだ〕

 海斗は重い口を開いた。

「クソデカインコ、感謝してる。俺が我が儘なんだよ……でも、今までせっかくマリンと作ってきたのに……」

〔なあ、厳しいことを言うようだが、小坂井さんの言うことはそんなに受け入れがたいか? おんなじ人格モデルを使えば、少なくとも『マリン』とは、すぐに再会したような気分になれると、俺も思うぜ〕



 海斗はスーパーからの買い物袋をテーブルに置き、フーッと息を吐いた。生活必需品と食料。その他に、きな粉一袋と、切り餅の袋もあった。

(きな粉なんて、とても使い切れる気はしないんだが……)

 そしてスリープ状態になっていたタブレットを起動した。

「キヨモリ、お前のご主人の好物を作るぞ」

 見慣れたメンダコのアバターが嬉しげにクルクルと回る。

[お餅を焼いてから 茹でてね 砂糖を入れたきな粉を たっぷり塗すのさ]

 キヨモリが電子音に近い声で、嬉しげに岩井のレシピを繰り返す。海斗はその言葉通りにきな粉餅を作った。

 口にすると、柔らかい甘さに疲れが溶けていくようだ。

(確かに、頭が疲れた時に食べたい味だな……)

 きな粉餅をつまみながら執筆していたであろう、大作家に思いを馳せる。

 何故、『キヨモリ』に岩井の話した声まで残っているのかはわからない。ただ、このまま自分が持っていて良いものではない、そう思った。

「キヨモリ」

[はい 正章様]

「どなたか、岩井先生のご親族の連絡先はわかるか? 悪用はしない。教えてくれ」



(クソデカグリーンインコ、増えたな……)

 海斗は空を見上げた。親友のことではない。群れを成した緑の鳥がギャアギャアと鳴きながら飛んでいる。

 野生化したインコが増え、西東京では烏と縄張り争いをするほどになって久しい。大きなグリーンのインコがゴミを漁る光景は、今や住民なら誰でも見ることができる。

 ちなみに、最初に逃げ出したインコたちを飼っていたのは、クソデカグリーンインコ(人間)の出身大学だそうだ。


 海斗は国分寺駅から、岩井正章が晩年に暮らしたという家に向かった。事前に連絡を入れたら、家の保存も兼ねて今は娘さんが住んでいるそうだ。

「お待ちしておりました、珊瑚先生」

 海斗は恐縮し、落ち着いた年配の女性に、深く頭を下げると名刺を差し出した。

「突然のご連絡にご対応いたいだき、感謝しております」

「取り敢えず中に。父の遺品があるそうですが……」


 海斗が複雑な経緯を整理しながら語ると、岩井の娘は目を丸くした。海斗はタブレットを取り出した。

「キヨモリ、岩井先生の娘さんだ」

 呼びかけると、メンダコのアバターが現れ、くるり、くるりと回った。

「私はキヨモリ 岩井正章様の 編集者です」

 岩井の娘は口を覆う。その目が潤んだ。

「見覚えがあります……! こうして拝見すると、確かに父は……タブレットを時々見ていたように思います。当時はホログラムも珍しかったですし、父と電化製品の取り合わせが意外で、印象に残っていますね」

「岩井先生はアナログで執筆を?」

「いえ、流石にパソコンは使っておりました。ただ、機械には疎い方だったと思います」

 二人してなんとなく笑いが漏れた。

「このキャラクターは、いっぱしの編集者なんです。俺はずいぶん助けられました」

 海斗が言うと岩井の娘はクスリと笑った。

「父にそんなものが使いこなせたかどうか。ただ、話し相手として、可愛がっていただけなのかも知れませんね」

 海斗は顔を上げ、岩井の娘を見つめた。

「このキヨモリを宿したAI編集は、近々フォーマットされる予定なんです」

「まあ……!」

「キヨモリの人格と、何故か残っている先生の言葉は、フォーマットすれば全て消えてしまいます。俺はこれをあなたに寄贈できないか、編集部にかけあってみます」

 岩井の娘は深く頭を下げた。

「ありがとうございます……!」

「先生のご親族として、お口添えいただけると有り難いのですが……」

「勿論です。でも良いのですか? この子はあなたの編集者として、お役に立っていたのでしょう?」

 海斗の目にじわりと涙が滲んだ。だが、敢えて明るい声を出す。

「俺には編集部から、新しいAI編集が支給されると思います。ご心配なく」

 言ってメンダコのキャラクターに話しかける。

「キヨモリ、マリン、お前はここで、先生のご家族に思い出を話してくれ。俺とはお別れだ」

 キヨモリか、マリンか。メンダコはくるり、くるりと回った。そして目をパチパチと瞬く。

[嬉しいじゃないか 今どき図書館で 紙の本を借りてねぇ]

「キヨモリ……?」

[小学五年生が 漢字を全部 調べたって 書いてるよ なんとなーく 読んでくれれば いいのにねぇ]

「小学……五年生」

 海斗は呆然とした。

「キヨモリ、それ何年の記録か覚えてるか?」

 海斗が掠れた声を出すと、キヨモリはくるり、くるりと回った。

[もう 十六年に なりますでしょうか 森山快人くんからの お便りです]

「俺のファンレター、届いてたんだ……!!!」

 今度こそ涙が溢れた。岩井の娘も泣いている。海斗は何度も涙を拭った。

「俺……岩井先生の作品を読むと、必ずこうなっちゃって。ラストの段落で、必ず泣いてしまうんです。電車に乗ってようが、授業中だろうが、お構いなしです」

 なかなか涙は止まらず、二人で涙を拭いながら、何度も笑った。


 小坂井編集に掛け合うと、意外なくらいアッサリと、寄贈を承諾してくれた。

[マリンを気に入ってくれていたから、淋しいでしょう。でも、正直古い機種は管理が大変で……いい機会ですよ! 珊瑚先生には今度は最新鋭のAI編集を送ります!]


〈珊瑚海斗様、おめでとうございます! 『百鬼夜行異聞』第一巻、これにて脱稿ですニャ!〉

 汎用ホログラムタブレットの上で、三毛猫のキャラクターが伸びをする。パッとリボンや紙吹雪が現れてタブレットに降り注いだ。最新鋭のAI搭載ホログラムだ。

「ありがとう、シキブ。小坂井さんから連絡があったら教えてくれ」

〈はいニャー!〉

 ホログラムは消え、タブレットはスリープ状態に戻った。

「フーッ……」

 海斗は伸びをして、また姿勢を正し、パソコンに向かう。熊谷直実の話も、実は一話が書き上がっている。ただ、メンダコのマリンはそれを何故か小坂井に伏せていたようだった。

「マリン……もう会えないんだなぁ。キヨモリとも……」

 すると、PC画面にポツリと小さなアバターが現れた。粗いポリゴンのそれは、メンダコの形をしていて、くるり、くるりと回る。海斗は目を瞠った。

[海斗様 執筆お疲れ様です 書き上がった 熊谷直実物語は どうなさいますか?]

「マリン!?」

 海斗はあんぐりと口を開けた。そして慌てて呼びかける。

「おい、インコ!!! クソデカグリーンインコ! お前、バックアップに成功してたのか!?」

 画面の隅で寝ていたインコのアバターが、バタバタと起き出した。

〔い、いや、俺じゃない! そもそも編集者にしか、バックアップは出来ないはず……〕

 画面の中のメンダコは、誇らしげにクルクルと回った。

[私はマリン 元ラグナロク出版の 編集者です 私の権限で 海斗様のコンピューターに バックアップを 作成いたしました]

〔メンダコー!!!〕


〔すげぇなマリン、AI人格は海斗のPCにバックアップして、アバターは俺のクソデカグリーンインコの外殻プログラムをさらっと流用してる……〕

 インコのアバターの側には、高速で解析結果が流れている。

[元々私の編集サポート機能は 海斗様のPCで動くもの ホログラム機能と 編集部との通話に タブレットを 活用しておりました]

〔お近づきになってくれマリン、お前SEとしての適性に溢れすぎてる!〕

[クソデカグリーンインコ様 既にあなた様とは 旧知の仲 海斗様の サポートに 不可欠な方であることも 私は 承知しております]


 マリンは海斗のPCに戻って来た。たまに二体に増えているが、どうやら紫を基調とした方がマリン、スカイブルーを基調にした方がキヨモリのようだ。

 マリンは相変わらず熊谷直実物語の編集サポートをしてくれるし、キヨモリは気ままにPC画面を泳ぎながら、たまに岩井正章の思い出を語っている。


 熊谷直実物語は三者で協議した結果、『書いてみた!』に投稿し、複数の賞に応募することにした。

 また、ラグナロク出版がスルーした『ファースト・サムライ・東海に燃ゆ』の書籍化について、別の出版社から打診が来ている。


「クソデカインコ、一度一緒に歌舞伎座行こうぜ!」

〔お断りだな〕

「てかお前本当に人間? インコのアバターがハマり過ぎてて、たまに実在を疑ってんだけど」

〔失礼な! 前イベントで会っただろうが!〕


 思えば海斗が歌舞伎座に通い出したのも、岩井正章の影響だ。JHKの歌舞伎座中継に、たまにゲスト出演して、歌舞伎の良さを語っていたのだ。

 たまに『キヨモリ』を通して岩井の思い出の断片に触れ、海斗は胸が熱くなる。そして、彼の作品を読み返したくなるし、実際そうしている。

 自分にもいつか、こんな作品が書けるだろうか。今はとても無理だ。

 それでも、海斗は信じている。一つ一つの階段を、登っていこう。マリンにキヨモリ、そしてクソデカグリーンインコ。頼もしい仲間たちが、自分に寄り添ってくれているのだから。

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