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第9話「なりたいものになれる神様」



「メルリア様は『なりたいものになれる神様』と呼ばれている。メルリア様の成りたかったものとは」


───ロベルト・バッテン(メルリア神の側近)








地面に膝をついたまま、メルリアは苦悶に顔を歪めていた。

ようやく、破壊されていた右腕が再生し終える。


だが、その手をもう一度掲げることは、できなかった。


「……このまま向けても、また爆発させられてしまう……」


震える右手。かすかに伸ばしかけたその先で、メルリアの動きが止まる。

怯えではない。恐怖ではない。――絶望だ。


「女体化させられない……!!」

嗚咽混じりに、地面に向かって吐き捨てた。

「……こんなに、近くに居るのに!!」


ラビはすぐそこにいる。手を伸ばせば届くはずの距離。

けれど、どうしても届かない。


メルザルトが、静かに右手を自身の左胸に当てた。

まるでその奥にある心臓を握りしめるかのように、服を強く掴む。


「何を躊躇している!」


そのメルザルトの声は、先ほどまでの冷ややかさとは違っていた。

怒気を含んだ鋭い言葉が、森の空気を切り裂く。


「お前がスキルを使っても、使わなくても、俺は“ただ爆発させる”ことだって出来るんだぞ?」


次の瞬間、メルリアの足元が爆ぜた。

轟音とともに土が吹き飛び、焼け焦げた匂いが立ち込める。


両脚が焦げつき、ねじ曲がる。

メルリアはもんどり打って倒れた。もう、立てない。


「立てよ。早く足を治して立ち上がれ。やらなければ、ウサギが死ぬぞ?」


メルザルトは淡々と告げた。

その瞳には、まるで同情も情愛も無かった。


「……何故、治りが遅いのか分かるか? スキルは、精神で動かすんだ」


その言葉に、メルリアの顔が歪む。


「お前の精神はもうガタガタだ。……その心を支えてきた“女体化”という願い。だが、そのスキルが――その願いが、あのウサギにとっては悲劇の引き金だったんだ」


メルザルトはまるで裁きのように、真実を突きつけてくる。


「お前は“助ける”という名目で、自分の欲望を通そうとしていた。……そう、お前が“女体化”を願わなければ、あのウサギは傷つかずに済んだ」


メルリアの呼吸が乱れる。

脳裏に、ラビの泣き顔が浮かぶ。


「矛盾を抱えた心では、スキルは正しく動かせない。……お前のようなマゾでも、自罰的な思考が混じれば、痛みは快楽に変換されなくなる。お前が何に快楽を見出そうとも、それは“ウサギへの裏切り”なんだよ」


容赦のない言葉。

その刃は、メルリアの心を深くえぐる。


地面に伏していたメルリアの足が、じわじわと再生を始める。

彼女は唇を噛みしめながら、足を引きずり立ち上がろうとする。


だが――


「ぐっ……あああっ!」


再び、爆発。

再生したばかりの足が吹き飛ぶ。


一歩、また一歩――

立ち上がるたびに破壊され、立ち上がるたびに倒れる。


それでも、メルリアは諦めなかった。


「どうする? 諦めるか? お前が諦めるまで、待っててやろうか?」


メルザルトの声には、皮肉と侮蔑が混じっていた。


「それとも、痛みに“興奮”でもしてるのか? もしそうなら……お前にはウサギに対する反省なんて、微塵も無いってことになるな?」


その言葉に、メルリアは何も返さなかった。

ただ――また、立ち上がろうとする。


手で地を押さえ、足が治りきらぬまま、歯を食いしばって。


そんな姿を、メルザルトは冷たく見下ろした。

そして、ラビに向けて杖を向けた。


「もういい。終わらせてやろう」


無慈悲な声と共に、彼は呪文を唱える。


「《嘲弄朽パライゾ》」


ラビの腹部に、奇妙な金属音が響いた。


――カチッ、カチッ。


そこには、時計のような部品が浮かび上がっていた。

銀の円盤が、腹部の皮膚を割って、まるで体内に埋め込まれるように固定されている。


「うっ……!な、なんですかこれっ……!外れない……!」


必死に引き剥がそうとするラビ。だが、その部品はまるで肉と一体化しており、微動だにしない。


「これは、時限爆弾だ。爆発スキルの応用。お前がやっている『スキルツール』と似たようなものだ。まぁ、応用の拡張性も、その柔軟さも、お前と俺とでは比較にすらならんがな?」


メルザルトは静かに宣告した。


「今から1時間後、そのウサギの身体は大爆発を起こす。半径10メートル以内にいる人間は、すべて即死するだろう。それくらいの大きな爆発だ」


メルリアの目が、絶望に染まった。


「……止める方法は、一つだけだ」


メルザルトの声は、もはや神の審判のようだった。


「俺を殺さない限り、この爆弾は解除されることはない」


メルザルトが、静かにその杖を構える。

瞬間、杖は一気に加速し、メルリアの喉を直撃した。


「グッ――!」


メルリアは喉の奥で鈍い音を聞いた。

杖が喉を貫通し、激痛が走るとともに、彼女の身体は痙攣を起こした。

痛みと苦しみに呻き、意識が遠のいていく。


「ゴッドスキル《地上神グランドマスター》!!」


メルザルトの冷徹な声が響く。

その声に続いて、大地が轟音を立て、メルリアの足元から真っ黒な大岩が幾つも飛び出してきた。

大地がひび割れ、岩同士が重なり合い、地形が無理やりにうねっていく。


そして、目の前に現れたのは、深くて暗い洞窟だった。


メルザルトは無表情に、ラビとメルリアを手に掴むと、強引にその二人を洞窟の中に投げ飛ばした。

二人の身体は、岩を突き破るようにして地面に叩きつけられ、声にならない衝撃が走る。


「これも、俺のスキルの応用。お前が得意気にスキルツールと呼んでいる応用技だ。まぁ、お前みたいに、いちいち技に名前を付けたりはしないがな」


その後、メルザルトが指を鳴らすと、洞窟の入り口がまた岩に塞がれていく。

岩が音を立てて動き、出口は完全に閉ざされた。


「そこが、お前達の終点だ」


冷たい声が、洞窟の中に響き渡る。

「ウサギは1時間で爆発するから、二人でそこで死ぬといい。俺はこれから、お前がこの世界で出会った友や仲間を皆殺しにする。フレイムも、マーティンも、ジャラスも、殺して回る」


その言葉は、メルリアの心を抉る刃のように鋭かった。


「お前は、何も出来ないまま、そこから出られずに死ぬんだ」


メルリアは息を呑んだ。

絶望的な状況に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


その時、メルリアの喉がようやく治り、そして手足が動かせるようになる。

だが、その時にはもう、どこにも出口はなかった。


洞窟の中は暗く冷たい。

岩の隙間からは僅かな光が差し込むだけで、外の世界との繋がりは完全に断たれていた。


「そんな……!みんな死んじゃう……!ラビも、フレイムさんも、マーティンも、みんなみんな死んじゃう!!そんなの、そんな……!!」


メルリアの叫びが、空虚な音を立てて洞窟の壁に吸い込まれていった。


ラビは、ただ沈黙している。

何も言わず、ただ、腹部の時計をじっと見つめていた。


「させない……!僕が、そんな事させない!!すぐにここから出よう!そして、メルザルトを倒すんだ!そうすれば……!!」


メルリアは岩を殴りつけた。

拳が砕け、痛みが走る。

だが、岩はビクともしない。


「ラビ、大丈夫……大丈夫だ!脳のリミッターを外して《被虐組手》で……そうすれば、きっと……」


焦りと強がりが入り混じった言葉が、空しく洞窟に響く。


その時、ラビが静かに口を開いた。


「……メルリア様、ちょっと、お話をしませんか?」


「うん!でも、今は時間が無いから!……待っててね!僕が助ける!ラビがこうなったのは僕のせいなんだ!だから!!」


「メルリア様!!」


ラビがメルリアの言葉を遮り、大きな声で叫ぶ。


「……隣、座って下さい」


その一言に、メルリアはしばらく呆然とした。

その後、何も言わずに、ゆっくりとラビの隣に座った。


洞窟の中、薄暗い光の中で、二人は並んで座っていた。

その静けさは、周りの絶望感とは裏腹に、どこか穏やかな雰囲気を持っていた。


暗い洞窟の中。

わずかな光が岩の隙間から差し込むだけの場所で、メルリアとラビは隣り合って座っていた。冷たい岩肌と重たい沈黙が空気を押しつぶすように支配していたが、ふいにラビが口を開いた。


「……ボクはね、『メルリア』っていう神様を信じていました」


低く、しかし確かな声だった。


「この森には加護があって、霊獣族は護られているって。……でも、1ヶ月前に、ウィドウが現れて。そうです、邪な心を持つ者が森に入れるようになったんです」


ラビの瞳には、静かな森の景色が映っているかのようだった。


「皆はそれでもメルリア様を信じていた。けれど、ボクだけは、もう……何も信じられなかった」


ラビは拳を握り締め、小さく震わせる。

それは悔しさの震えか、恐怖か、あるいは――


「だから……あなたを信じる事にした」


「……ごめん」


メルリアの声は、かすれていた。

その目には、自責と後悔の色が濃く滲んでいる。


「ボクはね、考えないようにしていたんです。トラウマだから。嫌な事だから。でも、メルザルトさんに言われて、やっと向き合う事が出来た。この森の加護は本物で、霊獣族が信じていた神は、ちゃんといた。……ボクだけが、間違えてたんです」


「……本当にごめん。メルザルトは、ちゃんとラビ達を護っていたんだ。なのに、僕は勘違いして、勝手にメルリアを名乗った。僕は、本当は別の世界の人間で……ここに居ちゃいけなかったんだ」


メルリアは下を向き、言葉を絞り出すように続ける。


「僕は、ラビの命の恩人じゃない!……恨まれて当然だ」


その瞬間、ラビがそっとメルリアの膝に手を置いた。

その温もりに、メルリアは顔を上げる。


「メルリア様、ボクは別にあなたを恨んではいません」


「……なんで!?」


メルリアは叫んだ。涙が浮かび、声が震えている。


「……まぁ、今は頭がゴチャゴチャしていて、色々と割り切れない所も沢山ありますよ。あなたさえ居なければ、ボクは今もこの森で平穏な暮らしをしていた訳で。でも――」


ラビは一度、言葉を切り、そして微笑む。


「メルリア様は、ただ生きたかっただけで、女体化の夢を叶えたかっただけ。……それは非難される事じゃないです」


「でも、僕が女体化したせいで……」


メルリアがうつむく。

しかし、ラビはそれを否定するかのように、楽しげな口調で続けた。


「あなたは四六時中、女体化の話ばっかりしていますよね。転生前もそうだったんでしょ?寝ても覚めても女体化の事ばかり考えてる。……そんな人が、目の前に女体化をぶら下げられて、飛びつかない訳ないでしょ」


ラビはケラケラと笑う。


「あなたは善人でも悪人でも神様でもない。女体化とマゾが動力になってる、面白人間ですからね」


「……ふーんだ。どーせ僕は神様になれませんよーだ」


メルリアがそっぽを向いて拗ねたように言う。


「おや?神様じゃないと嫌ですか?」


ラビがメルリアの顔を覗き込むようにして尋ねる。


「そりゃ、ラビと仲良くなったキッカケは、神様を名乗ったからだし……ラビがここまで着いてきてくれたのは、命の恩人だったからで……」


「はぁ〜〜?メルリア様はおかしな事を言いますね」


ラビが眉をひそめてため息をつく。


「ボク、別にあなたが命の恩人だったから一緒に居た訳じゃないですよ?」


「じゃあ、なんで!?」


メルリアの目が大きく開かれる。


「逆に聞きますけど、命の恩人じゃないと友達になれないんですか?違いますよね?」


「それは……」


言葉に詰まるメルリアを見て、ラビはふわりと優しく笑った。


「一緒にいて、楽しいからですよ」


メルリアは呆気にとられたように、ただラビの顔を見つめていた。

そんな、当たり前のことに――どうして気が付かなかったんだろう。


ラビは、続ける。


「どんなに強くても、神様でも、恩人でも、つまんない奴と一緒に居たって楽しくないです。ボクが森を出たのは、あなたが“あなた”だったからです」


闇の中、わずかな光に照らされた二人。

その距離は、ほんのわずかに、近づいていた。


「メルリア様と一緒に居ると、危険な目に遭ったりするし、女体化の話ばっかりしてくるし、馬鹿みたいなことばかり起こるんですけど……」


洞窟の薄暗がりの中、ラビの声は静かに響いた。


「でも、いつも楽しいです。メルリア様の周りには、楽しい人が集まるし、毎日が刺激に満ちてる。……だから友達なんです」


ラビは、まっすぐにメルリアの目を見て言葉を続けた。


「そこに、大層な理由なんて要らないし、見つける必要もない。――メルリア様はどうですか?転生してからの日々は、楽しかったんじゃないですか?」


問いかけに、メルリアは驚いたように目を見開き、すぐにラビの手をぎゅっと握り返した。

その瞳には、涙が浮かんでいる。だが、声は確かだった。


「楽しいよ!」


メルリアは答える。全身に熱をこめるように。


「女体化ができたんだ!夢が叶ったんだよ!でもそれだけじゃない!友達ができた!僕を慕ってくれる人もいたし、同じ趣味の人も、変な人もいた。怖いこともいっぱいあったけど、でも……全部、全部ひっくるめて、楽しかった! そして、その日々には、ずっとラビがいてくれた!」


言葉を投げるように、吐き出すように、メルリアは叫んだ。


「僕は、この日々を失いたくない!!」


ラビはその叫びを受け止め、やわらかく笑った。


「メルリア様がウィドウやブライガルと戦ってる時、『死んでもいい』みたいな戦い方してましたよね。女体化の夢は叶ったから、もう悔いはない――そんな風に見えました。でも、今のあなたは違う。……今は、死にたくないって思ってる。それってつまり、あなたにとっての“かけがえのないもの”が、増えたってことですよ」


メルリアは小さく息を呑む。


「その一つ一つが、あなたの精神を支えてくれる。スキルは精神で動かすなら、きっと、まだ動かせるはずです」


「ラビ……」


メルリアがその名前を呟いた瞬間、ラビは一歩踏み込んだ。

ラビの瞳は、暗がりの中でも凛としていた。


「――もう一度だけ、ボクを助けてください」


その言葉に、メルリアは目を見開いた。


「メルザルトさんのほうが正しいんだとしても、関係ないです。ボクは……死にたくなんかない」


声が震える。けれど、その言葉ははっきりと強く、まっすぐだった。


「メルザルトさんを倒さなきゃ、ボクたちは生きられない。だったら……今から悪い子になっちゃいましょ?」


ラビは小さく笑った。


「ウィドウを倒した時みたいに。もう一度だけ、ボクだけの“神様”をやってくださいよ、メルリア様」


メルリア。その名前は、この世界で幾度となく呼ばれてきた。


偽りの名前。偽りの姿。与えられただけのスキル。

神でもなければ、この世界の者でもない。

性別すら――偽りのものだった。


けれど。

その“偽り”が、今や誰かの希望になっていた。


最初に出会った森で。最初に出会った友のために。

あの時と同じ動機が、胸の奥から熱を帯びて蘇る。


「――応用技能。スキルツール1st。《被虐組手マゾ・コマンド》」


低く、静かに告げたその一言と共に、メルリアの中で何かが解き放たれた。


脳のリミッターが外れる感覚。

だがそれは、痛みへの興奮でも、女体化への執着でもない。


これは――異世界そのものへの昂ぶりだ。


ただ、この世界が楽しい。


それだけの理由で、何もかもを受け入れられるほどに、この世界が愛しかった。

その感情の高まりが、メルリアの拳を、より鋭く、より重く変貌させていく。


その瞬間、肉体の再生速度は劇的に上昇した。

潰れた拳が、みるみるうちに元に戻っていく。

全身に、力が戻ってくる。


ラビは、その姿を横で見ながら、肩をすくめて笑った。


「……ほーんと、何やっても面白いんですよね、メルリア様って」


メルリアは無言で、閉ざされた岩盤に拳を打ち込んだ。


岩盤が軋み、砕け、ひびが広がっていく。

それでも止まらず、ただ何度も何度も――拳を叩き込んだ。


ゴォン――!


ついに、一枚の巨岩が砕け落ちた。

そこから差し込んだのは、まばゆい陽光だった。


冷たく暗い洞窟の中に、確かな“外”の光が満ちていく。


メルリアは拳を下ろし、振り返ってラビに手を差し出した。


ラビは少し呆れたように笑って、その手を取った。


そして二人は、崩れた洞窟を抜け、まばゆい陽の光の下へと踏み出した。

その足取りは、確かで――まっすぐだった。


そこに、空を裂くような羽音が響く。

メルリアとラビの頭上に影が落ちた。


「メルリア様! 探しましたトリー!ご無事で何よりですトリー!」


声と共に現れたのは、小さな鳥の姿をした、メルリア専属の使い魔――モニターバードだった。鮮やかな青い羽をひるがえし、二人の周囲を嬉しそうに飛び回る。


「モニターバード!」

メルリアの表情が明るくなった。

「来てくれたんだね!」


「城が爆発した時、メルリア様が危ないと思って急行してたんだトリー!そしたらなんか、杖持ったやつがメルリア様を森の中まで運んで行って……そっと後をつけてたんだトリー!」


「えっ、そんなことまで……」


「しかも、その間にずーっと、メルリア様がボロクソに言われてて……可哀想だったトリー!」


モニターバードの言葉に、メルリアの肩が少し落ちた。


「ああ……なんか思い出さなくていいことまで思い出しちゃった……。そうなんだよね。僕、この世界に来てから、誰もちゃんと救えてないんだよね……」


沈むメルリアに、モニターバードは声を張り上げた。


「なんか、あの杖野郎の話聞いてたらムカついてきたんだトリー!だから、このモニターバードの出番なんだトリー!既に全員に、ヤツのことを伝えてるトリー!!」


モニターバードが翼を広げ、スキルカードをくわえた。


「スキル《遠隔視ズームディスコ》!」


くちばしでカードを裂くと、空中にふわりと幾つもの四角いモニターが浮かび上がった。次々と開かれていくモニターは、メルリアとラビを円形に囲み、まるで円卓の会議のように彼らを包んだ。


その一つの画面には、見覚えのある人物が映っていた。


「うぉっ!メルリア様じゃないッスか!」

画面の向こうで叫んだのは、全身包帯にぐるぐる巻きにされたコルミィだった。モニター越しにもそのボロボロ具合は一目瞭然だった。


「オレっちッス!おぉ〜い!」


「コルミィ、動いては駄目です。あなたは生きてるのが奇跡なんですよ」


傍らで冷静に諭すのは、メイド服のバッテンだった。

コルミィが叫ぶ。


「メルリア様!オレっちは、女体化しようが関係ねぇんス!自分に自信が持てるような生き方をして、これからも生きていくッス!それがオレっちの心の底からの本音ッス!」


バッテンがナイフを取り出し、コルミィの横に突き立てた。


「コルミィ、安静にして下さい。あなたに死んでほしくありません」


「ギャーッ!バッテン君、死んでほしくないならナイフ仕舞ってほしいッスーー!!」


悲鳴と共にコルミィが横になる。

バッテンは溜め息をつき、ナイフをそっと仕舞ってから、モニターの先のメルリアに目を向けた。


「侵入者に城が破壊され、コルミィが何故か満身創痍。許せません。私は、侵入者を徹底的にズタズタにしてやりたい気持ちでいっぱいです。ですが、今はコルミィの手当が第一です」


バッテンの瞳に、決意が灯る。


「私はメルリア様を信じています。女体化を信じる者が勝つのです。我々は、いつでもあなたの味方です」


静かに、そして力強く語られた言葉に、メルリアは小さく、しかし確かに頷いた。


そして、隣のモニターが切り替わる。


赤髪を後ろで束ね、鎧姿で毅然と立つ女騎士の姿が映る。

その顔を見た瞬間、メルリアは叫んだ。


「フレイムさん!」


「メルリア様!お久しぶりですね。フレイムです」


その声音には、誇りと懐かしさが滲んでいた。


「誰がなんと言おうが、俺はあなたに救われました。それは、決して変わりません」


真っ直ぐな視線で、フレイムは語る。


「国民の皆さんも、“騎士団長が元気になってくれて良かった”と好意的に受け止めてくれています。……もしかしたら、俺に気を遣ってくれているだけなのかもしれない。でも、俺はただ、その想いに応えるだけです」


その言葉が、メルリアの胸を優しく揺らした。

声をかけてくれる人がいる。

信じてくれる人がいる。


彼女の目に、再び、決意の光が宿った。


次々と浮かび上がるモニター。その中のひとつに、柔らかな色彩の髪を揺らす少女が映し出された。赤い瞳がまっすぐメルリアを見つめる。


「メルリア様、なんかモニターバードから聞いたんだけどさ、大変みたいじゃん。大丈夫?」


それは、かつて深い傷を抱えていた少女――マーティンだった。


メルリアは画面に向かって微笑みながら返す。


「マーティン……今は平気だよ!」


マーティンは小さく息を吐いてから、ゆっくり言葉を紡ぐ。


「傷を治さないって決めたのは私自身。でも、メルリア様の言葉で、傷を治す決意をしたのもまた、私自身なんだ。あの時に、すぐ思い立って、真っ直ぐ動いてくれたから……今の私は、こうしてこの国で暮らしていられる」


真剣な眼差しに、メルリアは自然と姿勢を正した。


「メルリア様は確かに行きあたりばったりで、考え無しのこともするかもしれないけど――」


そう言ってマーティンは少し笑い、


「でも、どんな相手が出てきたって、私は強く、美しく、この姿で生きていくよ。だから私は、あなたに救われた。……この気持ちは、絶対に間違ってなんかない!」


「ありがとう……マーティン……!」


メルリアが深く頷いたその隣のモニターに、次の人物が現れる。


女体化したジャラスが、仁王立ちのまま両手を腰に当てて、どこか愉快そうに笑う。


「イーヒッヒ!!なんじゃいなんじゃい!お前さん、言い負かされて落ち込んどるんかい!」


豪快な笑い声が響く。


「じゃが、メルザルトとかいう神は、なぁ〜んも分かっとらん!ワシが夢を諦めるなんて、天地がひっくり返ってもあり得んわい!『あの時に死んどったら良かった』なんて事、何億年待ったって思わんのじゃ!」


その瞳には、信念が燃えていた。


「女体化は、ワシが選んだ道!それをポッと出の神に、とやかく言われとうないわい!」


「ありがとう……ジャラスさん!」


また一つ、胸に灯る火が強くなる。


続いて表示されたのは――ダガネットだった。ふんぞり返りながら、笑い声を交えて告げる。


「やぁやぁ、メルリア王!新デッキを作ったから、今度また、そっちのお城に遊びに行くのサ!」


メルリアは思わず笑みを浮かべる。


「それと、ちょっとしたニュースを教えてあげるのサ!最近、こっちの魔界帝国にやってきた“女体化団”とかいう連中が、魔王に直接かけあって……なんと、魔王城の1階に“魔王様が執筆した女体化本の販売所”が出来ちゃったのサ!」


「えっ……女体化本!?」


「いやー、魔王様は女なんだけどナァ。とんでもねぇ趣味してるのサ」


「ダガネットさん……!女体化団のみんなも、元気でやってるんだね!」


メルリアの声も、元気を取り戻してゆく。すべてのモニターが静かに消えていく。


モニターバードが羽ばたきながらラビの頭に着地した。


「スキルは、精神で動かすんだトリー。どんな辛い時も、仲間の声は精神の支えになるものだトリー!」


「……ありがとう、モニターバード」


「メルザルトなら、そっちに真っ直ぐ行ったら会えるトリー!どこにも行かず、ずっと待ってるトリー!」


メルリアはその言葉に、首を傾げる。


「……待ってるの?さっき、“殺して回る”とか言ってたのに……どうして?」


「そんなん知らんトリー!でも、なんか待ってるトリー!」


「……うーん、よく分からないけど……ありがとう」


その時、地面を蹴る音が聞こえた。次の瞬間、幼い少女がドタドタと駆けてきて、勢いよく叫んだ。


「やいっ!やいやいやいっ!見つけたぞメルリア!てめぇ、許さねぇ〜〜!!」


メルリアはぽかんとしながら首を傾げる。


「……誰?」


少女は顔を真っ赤にして怒鳴った。


「なんで忘れてんだよ!ウィドウだよ!お前!やっと見つけたぞ!俺のことを元に戻しやがれ〜〜っ!!」


空気が一変する。


メルリアは、懐かしいような、奇妙なような気持ちで、少女――いや、ウィドウを見つめた。


「……やれやれ」


メルリアは肩をすくめ、あきれたような笑みを浮かべていた。


「女体化したら戻れないんだよね。歳も取らずに、一生そのままだよ。っていうか、もし戻せたとしても、絶対にそんなことしないし」


その言葉に、目の前の幼い少女――いや、ウィドウが顔を真っ赤にして怒鳴った。しかし、子どもの姿のためか、どれだけ声を荒げてもまるで迫力がない。


「な、なぁああ!お前のせいで、俺の人生はもう滅茶苦茶なんだよ!」


ウィドウは、ぷるぷると拳を震わせながら続ける。


「こんな姿じゃ、他人にマウント取れないから、全然スキルも使えねぇし!妻にも馬鹿にされるしなぁ!」


「えっ?ウィドウって結婚してたの?あんなにクズなのに」


「うるせぇなぁ!俺の妻はな、なんでも出来て、強いし、しっかりしてんだよ!だから、スキルだけが俺の唯一のマウント取れるとこだったんだよ!それなのに、こんな姿で、しかもスキルも使えねぇってんなら、俺はもうおしまいだ!」


「マウント取るのが精神の支えなんだね……」


メルリアが呆れを込めて言うと、ウィドウは歯ぎしりしながら地団駄を踏んだ。


「クッソー!何もかもお前のせいだからな!」


その時、不意に何かに気づいたように、ぴくりと耳を動かす。


「……ん?なんか、あそこの草むら、光ってなかったか?」


指差したのは、木陰にある丈の高い草叢だった。


「金目のモノかもしれねぇ!俺のモンだ!キャッホーイ!!」


ウィドウは跳ねるように草むらへと突進していった。がさがさと草をかき分ける姿は、小動物のようだった。


それを見つめるモニターバードとラビ。


「……ああ、なんて憐れな奴なんだトリー」


「すっごい落ちぶれてて、なーんかいい気味ですね」


やがて、草むらの中からウィドウが顔を出す。手には銀色に光る何かを掴んでいた。


「……なんでぇ、ゴミかよ!」


それは一本の口紅だった。銀の外装が日光を反射してきらきらと光っていた。


「ふざけやがってぇ!」


ウィドウは、それを放り投げた。


メルリアは思わず歩み寄り、それを拾い上げる。外装に傷は無く、土の中にあったとは思えないほど綺麗だった。まるで、誰かがついさっきまで使っていたかのように。


キャップを外すと、中の紅はまったく減っていなかった。ただ、角の一部だけが、ほんの少しだけ削れている。


「……まさか」


「なんだメルリア!お前、誰が使ったかも分かんねぇゴミを使うのか!?」


ウィドウが指を差して、いつものように煽る。メルリアはその言葉に、ぴしゃりと言い返した。


「あーもう!うるさいなぁ!お前、はじめて会った時からそうだけど、本当にムカつく奴だな!」


――そうだ。初めて会ったとき。


メルリアの脳裏に、あの言葉が甦る。


『俺にもウィドウって名前がある。名前ってのは大事だ。名前が無けりゃ、相手を呼ぶことも、書くことも出来ないからな? そうだろ?』


確か、そんなことを言っていた。


あれがきっかけだった。ウィドウという存在に影響を受けて、「メルリア」と名乗るようになった――。


「……あれ?なんか、ウィドウさぁ。最初に会ったとき、ウサギを2匹飼ってると、どっちがどっちか分かんなくなるとか言ってなかった?」


「はぁ?それがなんだってんだよ」


メルリアは、表情を変えた。迷いを断ち切るように、ウィドウの小さな肩を掴む。その瞳には、真剣な光が宿っていた。


「いいから!答えて!」


ウィドウは、圧倒されるようにメルリアを見上げた。


「……わかったよぉ!」


ウィドウがついに観念し、メルリアに揺さぶられながら答える。


「ウサギをさ、二匹飼ってたとするだろ?で、どっちか片方だけを呼びたいときに『ウサギ!』って言ってもさ、ウサギからすりゃ、どっちのこと言ってんのか分かんねぇだろ?だから、同じ呼び方はしちゃならねぇんだよ。区別するために――名前が必要なんだよ」


その瞬間だった。


メルリアの胸の奥で、何かがかすかに鳴った。


はっきりとした感覚ではない。ただ、遠く霞んだ景色の中で、それでも確かに触れた何かがあった。


それでも、感覚的に何かを掴んだ気がした。


メルリアは目を見開き、ぽつりと呟いた。


「……なんだか、僕、メルザルトに勝つ方法が分かった気がする」


「はぁ!?」


ウィドウが、メルリアの手を乱暴に振り払う。


「なんだよ!結局、俺のこと元に戻せねぇんだろ!?だったら、もうお前なんか知るかよ!」


怒りのあまり、幼い足で地面を蹴る。


「二度と会わねぇよ!バーカ!!」


そう叫び、ウィドウは走り去っていった。


彼の背は小さく、声は子どもじみていたが、その足取りにはどこか哀しさと悔しさが滲んでいた。


ラビが、心配そうにメルリアへ駆け寄る。


「勝つ方法が分かったって……どういうことですか?」


メルリアは、ゆっくりと首を振った。


「……いや、ハッキリとは分かってない。でも、ぼんやりとした感覚で――だけど、それが“鍵”なんじゃないかって思う。きっと僕は、それを掴まなくちゃいけないんだ」


迷いのない声だった。


モニターバードとラビに向き直る。


「僕はこれから、メルザルトと戦いに行くよ。戦いの中で、確かなものを掴みに行く。だから、二人はここで待っていて」


言うが早いか、メルリアは地面を蹴って駆け出した。


黒いローブが風になびき、光の中に溶けていくように、彼の姿は遠ざかっていく。


ラビとモニターバードは、その背中をただ見つめていた。


「……モニターバードさん」


「なんだトリー?」


ラビは少し寂しそうな声で呟いた。


「ボクとこのまま一緒に居たら……ほら。ボクには時限爆弾が仕掛けられてるから。爆発に巻き込まれちゃいますよ?」


モニターバードはくちばしを鳴らし、力強く羽ばたいた。


「大丈夫トリー!メルリア様なら、必ずやってくれるトリー!王の飼い鳥として、主人を信じるのは当然なんだトリー!」


その言葉に、ラビの頬が緩む。


「……ふふっ、メルリア様の周りは、本当に面白いですね」


ラビとモニターバードは、目を合わせ、笑みを交わした。


風が通り抜ける。その中に、確かな決意の残り香があった。



◇◇



森の奥深く、木々が途切れ、ぽっかりと空が覗く開けた場所があった。


その中心――苔むした小さな切り株の上に、ひとりの男が座っていた。


メルザルト。


長い足を投げ出し、背中を丸めて、まるで退屈を持て余す子どものように行儀悪く腰かけている。


だが、その瞳は退屈など一切知らない冷酷な光をたたえ、空を見上げていた。


――その静寂を破るように、林を駆ける足音が近づいてきた。


「……待たせちゃったね、メルザルト」


メルリアが、息を切らせながら姿を現す。ローブの裾が草を払うように揺れていた。


メルザルトはゆっくりと視線を下ろし、メルリアを見据える。


「待つのは得意だ。一度折れた精神を直して、よく戻ってきたな」


言葉こそ冷たいが、どこか評価するような声音だった。


「立ち直った精神は、より強固になる。お前の魔力が見えるぞ。先程とはまるで違う」


メルリアは、唇の端に小さく笑みを浮かべた。


「……殺して回るとか言ってたよね?それなのに、どうして僕を待っててくれたの?」


メルザルトは、ほんのわずかに笑ったような気配を見せる。


「『お前が諦めるまで待っててやる』と言っただろう?まだ諦めていないようだからな」


その目は、まるで教師が教え子を見るように、冷淡な中にも一片の関心を含んでいた。


「……どうだ?勝てそうか?この俺に」


その問いに、メルリアは数秒、空を見上げ、深く息を吸った。


「……分からない」


正直な答えだった。


メルザルトは、その言葉に小さく頷いた。


「そうか」


短く、そしてどこか残念そうに。


だが、メルリアはそこで終わらせなかった。


風が吹き抜ける中、真っ直ぐに彼の目を見つめて、強く言い放つ。


「でもね、成ってみせるよ」


言葉に込められたのは、確信でも自信でもない。けれど、あまりにも純粋な――信念。


「『メルリア』は、なりたいものになれる神様だからね!」


森の中に、メルリアの声が高らかに響いた。



――第9話、完。



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