64.目覚めた涼雨
涼雨は目を覚ました。
久しぶりの、魔道士雷夜の家の病室。白い天井。
(なんだっけ・・・・・・どうしたんだっけ・・・・・・)
あまりにも長いこと眠っていたので、意識がはっきりしなかった。
(私・・・・・・どうなって)
遠い昔の悪夢の感触。生々しい、不安や悲しみ。罪悪感。出来事の断片が、ぼんやりと浮かんでくる。何が現実だったのか、どういう順序で、今はどうなっているのか、よくわからない。
「あ!涼雨さん!おはようございます。ご気分どうですかっ」
部屋の外をちょうど通りかかった女の子が、気がついて声をかけてきた。
太陽みたいな笑顔の子。
ちくん、と少し胸が痛む。
(誰だっけ)
「はじめまして、ですよね。私は雷夜の妹で、竜菜って言います」
「竜菜・・・・・・さん」
「みんな竜菜ちゃんって呼んでるので、よかったら涼雨さんも」
「竜菜ちゃん」
「このたびは、私の『深呼吸』にご協力いただき、本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。だけと本当に助かりました」
「え・・・・・・いえ・・・・・・」
「あの、いきなりぶっちゃけますね。私は雷夜の妹ですけど、血はつながってなくて、それですんごいブラコンで、兄一筋で、他の人には興味が湧かないんです。余計なお節介だったらごめんなさい。兄から、涼雨さんの魔精体?が昨日の朝私と砂映さんが話してるとこ見て誤解したのかもしれない、って聞いたんです。なので、誤解を解かなきゃと思って」
「・・・・・・誤解」
まだ現実認識すら怪しい中で一気に言われて、涼雨はすぐには内容を理解できなかった。
少し時間をかけて、ようやくじわじわ理解をする。
そこで湧いてきた感情は・・・・・・羞恥、だった。
「・・・・・・別に、誤解なんて」
涼雨は何とか言った。砂映とこの女の子の関係性を疑って絶望したのは本当だ。それは誤解だったらしい。そんな誤解をしたことは恥ずかしい。そしてそんな誤解を涼雨がしたのだと、ぺらぺらこの女の子本人に話した雷夜は・・・・・・なんというか許しがたい。
(雷夜に怒りをぶちまけたい)
まずそう思ってしまった自分に、涼雨は自分で呆れた。
涼雨の誤解を解くために敢えてそんな風に言ったのかもしれないが、雷夜のことが大好きなのだというこの女の子は・・・・・・自分みたいな女に雷夜が理不尽に八つ当たりされていると知ったら、不快に思うにちがいない。
「とりあえず、おに・・・・・・兄呼んできますねっ」
ぱっと出て行こうとする竜菜に、思わず涼雨は「待って」と言った。
「はい?」
にこにこしたまま、竜菜は足を止める。
「ちょっとまだ、記憶も気持も・・・・・・整ってないから。少し時間を置きたいというか。頭を冷やす時間を。だから雷夜を呼んでくるのは少し待って。なんというか・・・・・・そうよね。雷夜のことを大事に想う人だっているのに、ね」
涼雨は言った。
何を言ってるのだろう。
相手にとっては、わけがわからないにちがいない。
もう少し、何かを言い繕おうと、涼雨はさらに何かを言おうとして、けれどもうまく言葉が出てこずにいた。
「・・・・・・あの、涼雨さん。本当に余計なお節介ばっかり言って申し訳ないんですけど」
竜菜はそう前置きすると、言った。
「別になんにも整える必要ないですよ。私に対しても、兄に対しても。全然大丈夫なんで」
竜菜のトレーナーの胸元で、素朴なデザインの、小ぶりな光る石が揺れていた。昨日までとは別のペンダントである。急にそれが目について、「あ、綺麗」と脈絡なく涼雨は呟いた。
すると竜菜はひどく嬉しそうに、にかあ、と笑い、「このペンダントはね、おにいちゃんが作ったんです」と言った。
そのまま竜菜は部屋を出て行った。「おにいちゃーん!涼雨さん、目さましたよーっ」という声が聞こえてきた。
(雷夜に全然似てない)
顔も魔精の感じも、まるで違う。
血が繋がっていないのだから、当然だ。
(でも、どこか同じような)
じわじわじわ、と、脳内のあちこちが起動していくように、意識が鮮明になってくる。
砂映のこと。魔術師紅が現れたこと。今の自分の生活。過去の出来事。
(私はまだ、いろんな幸せを、信じていても、いいんだっけ・・・・・・?)
ふと横を見ると、ベッド脇の棚の上に、白いマントが折りたたんで置かれていた。
砂映のマントだ。
(私はまだ、砂映くんと一緒にいられるんだっけ?)
「涼雨さんっ」
ひょい、とそこに本物の砂映が現れたので、涼雨は思わず目を疑った。
てっきり雷夜が入ってくると思っていたのだ。
「あ、ごめん驚かせて」
「砂映くん。なんで」
「なんでって。そんな。心配で」
「なんでいるの」
「涼雨さんが目を覚ましたって聞いて」
「だって仕事とか」
「もう夜ですよ。仕事終わってここに来ました。涼雨さん、そろそろ目を覚ますかなって。あとはまあ、雷夜に相談もあって」
「相談?」
「あ、いえ、それはまあいいんです。それより調子はどうですか」
笑顔でそう訊ね返した砂映に、涼雨は思う。
(砂映くん、何かを隠してる)
砂映は、優しい。
涼雨はそれを、よく知っている。
(そうだよね。弱った状態の人間に、別れを切り出すなんてできないよね)
昨日、砂映は、たくさん、たくさん、信じられないような愛情を、涼雨に示してくれた。
魔物として涼雨を退治しようとした魔術師紅から、懸命に、涼雨を守ってくれようとした。
必死で戦ってくれていた。
(冷静になって、我に返って・・・・・・現実として考えて、こんな女はありえないって、やっぱり思ったのかも)
厄介事を、誰が自ら好きこのんで背負い込みたいと思うだろう。
もう大人なのだ。自分も。砂映も。
感情のままに突っ走ってしまう、十代の若者ではない。
「・・・・・・大丈夫。ありがと。そこにマントあるから、返すね。・・・・・・あ、洗ってからの方がいいかな?」
「いえいえ全然、そのままで」
「・・・・・・そっか・・・・・・」
「涼雨さん、顔色よくないですよ。って、ずっと寝てたから当然ですよね。すぐ雷夜も来ると思うんで。具合見てもらって・・・・・・あ、何か飲んだりとか・・・・・・とりあえず水かお湯でも・・・・・・」
部屋を出て行った砂映と入れ違いに、カップを手にした竜菜が入って来た。
「起きれますか?とりあえずお湯飲んでもいいっておにいちゃんに確認したんで、よかったら」
「ありがとう、ございます・・・・・・」
ゆっくりと上半身を起こして、涼雨はもらってお湯を飲む。
(少しぐらい心乱れたって、問題ない)
封印制御等の魔術は、きちんとかけ直されているようだ。
不快感もない。魔道士の意図通りの、完璧な術が構築されている状態になっている。
「あれ、竜菜ちゃん、ここにいたんだ」
戻ってきた砂映があれ?という顔をして言った。
竜菜と砂映の間には何もない、誤解だ、と先程聞いたばかりである。
それなのに、にこやかに竜菜に話しかける砂映に、涼雨の心はざわざわする。
(たぶん私は、どうかしているんだなあ)
会話を交わしている二人を見て、涼雨は思う。
(砂映くんのこと、好きすぎるから、私はおかしくなってしまう)
こんなにも苦しくて不安ばかりなら、いっそ離れた方がいいのかもしれない。
そんな風に思う。
(だけどわざわざ私から離れなくったって、私が元気になったら、たぶん、もう)
それなら、素直にそれを待った方がいいかもしれない。
そう、涼雨は思う。




