61.桃花ふたたび
聞き間違いようもない、魔術師紅の部下、桃花の声である。
振り返ると、店の入り口入ってすぐのところに彼女は立っていた。
一昨日のスーツ姿、昨日のコスプレ風魔女スタイルとはまたがらりと変わって、今日はだぼっとしたオーバーサイズのカジュアルな服装をしているが、穿いているズボンはかなりきわどい位置まで縦に切り裂いたようなスリットが入っている。腿の肌を見せつける角度でさりげなくポーズを決めるように砂映と積多に声をかけた桃花は・・・・・・どうやら砂映の術がうまく効いているらしく、砂映や積多を初対面だと認識しているようだ。
「あっ一昨日の変な女だー」
煽るようにそう返した積多に、砂映はひっとなる。
一昨日ここに来た記憶そのものを、桃花からは消している。
けれども記憶の整合性に本人が強く違和感を覚えれば・・・・・・何らかのきっかけで思い出してしまう、かもしれない。記憶消去の魔術に関しては数多の論文があり、砂映も少し読んだことがあるが、その効力については結局はケースバイケースとされているようだった。記憶が戻る可能性がどの程度のものか、砂映にはわからない。
「あ、失礼しました。あの、どのようなものがご入り用でしょうか」
砂映は焦りながら桃花に言ったが、
「紅様は今日は来ないんですかあ?あんたはどうかと思うけど、華麗なる『紅様』のたぐいまれな素晴らしさは理解しましたよ。あんたはどうかと思うけど」
煽り口調のまま、積多は続けた。
「・・・・・・紅様の素晴らしさを理解しているのなら、このうえないこと」
桃花は言った。傍に立つと、桃花からは一昨日とも昨日とも違う香水の香りがした。ちろり、と砂映を見上げるその目に、何かを思い出す色が浮かぶのではないかと思って砂映はどぎまぎする。
「けれど私は今日、初めてここに来たし、紅様がここに来たこともない」
「はあ?あんたはどうかと思ってたけど、そのしらばっくれは本当にどうかしてるのでは」
「あのっどのようなものがご入り用ですかね、お客様」
砂映は慌てて二人の会話を遮るように言う。
こんなことなら積多に何らかの説明をしておくべきだった、と砂映は後悔した。
今さら後の祭りである。
「深澄水よ、深澄水。紅様に言われたわ。物わかりの悪い店だから、はっきり言わないとわからないと」
「あ、仰るとおりです。紅様はさすがですね。はいはい、深澄水、深澄水、今すぐお持ちしますね!」
とにかく一刻も早く桃花には店から去ってもらいたい。
砂映はへこへこと店の奥に駆けていき、一昨日の朝雷夜に教わって精製した深澄水の瓶を棚から取り出す。
(けど、一昨日はイベントがあるから深澄水がいる、と言ってたような。そのイベントはキャンセルするって言ってたけど・・・・・・また別のイベントがあるのだろうか?)
記憶を消した場合、そこにつながる周辺の認識はどうなるのか。
これもたくさん論文があるようだが、勘違いだ、とてきとうに受け容れたり別の記憶をねつ造したり、やはりケースバイケースのようだった。明らかにおかしい、と本人が思った場合は、当然そのような術をかけられた可能性を疑うことにもなるわけで、すぐに記憶が戻らなくても、そこから辿られて術の解除まで持って行かれることもある。記憶消去というのはこのように、はっきり言ってかなり危ない橋である。
「はい、深澄水、こちらです。一瓶九百Yですっ」
カウンターに瓶を置き、営業スマイルでそう告げた砂映の顔を、桃花はまじまじと見た。
続けて店の端にいる積多にも視線を向けると、桃花は呟いた。
「『魔女』の、においがする」
「へっ」
思わず頓狂な声を上げてしまい、砂映は必死で自分をなだめる。
(落ち着け、落ち着け。ちがう。これは積多さんのことだ。涼雨さんの痕跡は雷夜が消したはず、大丈夫大丈夫)
「あ、それはきっと・・・・・・協会に登録済の魔女さんだと思うので」
砂映は焦りながら言った。視界の隅で積多が妙な顔をしているが、無茶を承知で砂映は積多に、お願いだから何も言わないで、と表情だけで訴える。
ばっちりとアイラインの引かれた目を、桃花は再び砂映に向けた。
「・・・・・・おつりはあるかしら」
「もちろんですっ」
一万Y札を出した桃花に対し、砂映は素早くレジの札を数えて出し、硬貨とともにトレイに載せる。
「・・・・・・『魔女』のにおいは気になるけれど・・・・・・今日は何を察知しても、大人しく、そのまま帰って来いと、紅様に言われているの」
大きな目を砂映にまっすぐ向けたまま、桃花は言った。
それは何より、と砂映は内心思う。
(お願いだから、早く帰って・・・・・・)
そう心の中で訴え続ける砂映に、
「ところで」
桃花は言葉を継いだ。
「あなたには、前にも会ったことがある気がする」
「えっ」
砂映の心臓は跳ね上がった。
「初めて会った気がしない」
「えっと・・・・・・」
「あなたもそうなんじゃない?さっきから、私を見て昂奮してる」
「え、いえ」
「隠さなくったっていいのよ。ドキドキしてるでしょう?今」
桃花の言葉に、砂映は顔から汗が噴き出すのを感じた。
まさか、まさか、思いだし始めているのだろうか?
「いや、その、そんなことはなくてっ」
砂映はとにかく否定しようとした。
が、ぽってりとした唇を誘うように半開きにして砂映を見上げていた桃花は、急にぱっと積多の方に振り返ると言った。
「わかるかしら?こうやってやるのよ。『前に会ったことがある』はナンパの常套句だけど、おまえみたいな下手くそなのは初めて見たわ。いくら私の魅力に参ったとはいえ、さすがに我慢ならない」
「はあ?」
積多は思いきり顔をしかめた。
桃花が実際に思い出していたのではなかったらしいと知り、砂映は安堵する。
が、
「本当にどうかしてるんじゃないですか?あんた確かに一昨日ここに・・・・・・」
猛然と桃花に向かって言い返し始めた積多に、砂映はもう、なりふりかまっていられなかった。強引に、積多のことばをぶった切った。
「積多さん!あのっ人にはっいろいろ、事情がありますよね、ねえ!」
「先生?」
「あの、後で説明しますので積多さん。あ、あの、桃花さん、お買い上げ、ありがとうございました!」
桃花に向かって砂映は必死で頭を下げた。
けれど桃花はきょとんとして呟いた。
「なんなの。おまえ、なんで・・・・・・私の名前を」
砂映は顔から血の気が引いた。
(しまった・・・・・・っ)
まずい。違和感が強まったら、思い出してしまうかもしれない。
「いえ、その、昔、たぶん、その」
うろたえながら、砂映は何とか言い訳をひねり出そうとてきとうな言葉を口走った。
が、その言葉の断片を耳にすると、桃花はなぜか納得がいったような顔をした。
「あら、そういうこと?変な感じがしていたけれど、本当に会ったことがあったのね。私の本名を知っているということは、私のあのお店に来たのかしら?」
お店というのが何のお店なのか砂映にはわからなかったが、ここはもう、全力で乗っかるしかない。
「そう、です。はい、すんません、はい」
「ふふ。まあ確かにちょっと秘密にしたいようなお店だものね。だからそんなにうろたえて。大丈夫。言いふらしたりはしないから、安心して?」
桃花は妙に愛想良くなって、上目遣いで砂映にそう囁きかけた。
(なんだかわからないけど、助かった)
砂映は思わず息を吐く。
「え?先生、お店って、この女の店って、ちょ、つまりいかがわしい感じの、まさかそういう?」
積多が驚きの声を上げているが、説明は後だ。
「・・・・・・ありがとうございますっ」
とにかく砂映は桃花に頭を下げた。桃花は機嫌よく微笑み、颯爽と去って行った。
昨日砂映が与えた魔精へのダメージは、一日や二日で完治するようなものではない。
が、とりあえずは元気そうで何よりだ、と砂映は思った。




