59.眠れる涼雨
そのまま歩いて雷夜の家まで行くのかと思っていたが、老人は二人を別の場所に案内した。
それは先程砂映が『三聖獣の魔女』を買った古書店の脇の、魔術の「通路」の入り口だった。
「雷夜がこの状態で万が一のことがあると危険なんでな」
途季老人が言う。
「え?危険って」
「魔術師紅のような輩がふいに現れて襲ってこんとも限らん」
「えええ?」
「だがここまで来ればもう安心じゃ」
魔道士雷夜はそんなにも敵が多いのだろうか。
一抹の不安に襲われつつも、人を一人背負った状態で雷夜の家への坂道を登るのは、自分はまだしも竜菜には相当きついのではと思っていたので、砂映は少しほっとした。
「さっき通路を『開いて』おいたから、すぐ着くじゃろう。物理的な距離もそれほどでもないから、魔精への負担もそんなにないはず」
老人は言った。
魔術の「通路」にもいろいろなタイプがある。目的地に一足飛びで着くようなものもあれば、亜空間内の、物理的な道を模したようなところを自分の足で歩いて移動するようなものもある。砂映が「通路」を初めて体験したのはつい数日前の「芋虫事件」の時だし、まったく詳しくなかったが、どうやら今回は前者だった。
古書店脇の魔法陣の上に三人で立ち、老人が呪文を唱えると、次の瞬間には魔道士雷夜の家の居間にいた。強大なエネルギーの渦が室内をめちゃめちゃにした、砂映が今朝訪れた時の状態のままである。
「最近、彼女への連絡を怠っているだろう」などと雷夜が言い出した時には本当にびっくりしたが。
(つまり、雷夜は涼雨さんが不安になっていることを知ってて・・・・・・それが俺のせいだってわかってたから・・・・・・)
砂映の内心は、何だか複雑だった。
この魔術の通路による魔精への負担はそんなにない、と老人は言ったが、それでも着いた瞬間ぐらりとめまいを感じ、車酔いのような気持ち悪さが砂映を襲っていた。不快感が、心理的なもやもやと混ざり合い、なんともいえない嫌な気分になっている。
竜菜は慣れているのか、通路を使ったことによる体調への影響は特にないようだった。
途季老人は、言わずもがな。
竜菜はいつも来客などを通す居間の床の上に「えいっ」とそのまま雷夜を下ろして横たわらせた。何か敷いた方がよくないか、と砂映は言ったが、でもいつもそのままこの辺に転がってるし、と竜菜は気にする様子もない。たしかに、砂映が久しぶりに再会した時も、雷夜は寝不足だと言って突然床の上に転がって眠っていたが。身体が痛くなったりはしないのだろうか。
老人が、涼雨の肩にかけていた雷夜のマントをとると、雷夜の身体の上にかぶせる。
「涼雨さんは病室のベッドに寝かせればよかろう。こっちじゃ」
居間と台所しか入ったことのない砂映に、途季老人が言った。
砂映は涼雨を背負ったまま、途季老人についていく。
「あの。涼雨さんはいつ頃目が覚めるんでしょうか?」
砂映は老人に訊ねた。
「『深呼吸』の影響だけなら、まああと一時間もせずに目覚めると思うんじゃが。見たところ、その前から調子がよくなかったようじゃな。雷夜の術が中途半端な状態になっていて、その負担も大きそうじゃ。むしろゆっくり眠って休養した方がよいかもしれん」
「あ・・・・・・そうなんですか」
ベッドに横たわらせた涼雨の顔を砂映は眺める。
その表情は安らかだけれど、確かに顔色はあまりよくない。
今朝あれだけ気分が悪そうだったのだし、その後もいろいろあったのだから・・・・・・当然と言えば当然だ。
「心配かのう」
「そりゃもう」
「傍におりたいかのう」
「そりゃもう」
「しかし悪いんじゃが砂映くん。午後からの店番を、頼んでもよいかな」
「えっ」
思いもよらないことだった。というか、お店のことなどはっきり言って意識の外だった。
けれども午前中は雷夜の様子を見に行ってほしい、と言われていただけで・・・・・・午後の休みをもらったわけではない。
「竜菜ちゃんの『深呼吸』は、明日か明後日ぐらいになるのでは、というのがわしの読みじゃった。今日になるとは思わなんだ。業者が来るから店の方を誰かが対応せんといかんが、いろいろ処置があるんで、わしは今日はここから離れられん」
砂映は思わず泣きそうな気分になりながら、もう一度涼雨の寝顔を見た。
目が覚めるまで、傍にいたい。
けれど・・・・・・元魔術医師で、なおかつ前にも涼雨を診察したことがあるらしい途季老人と自分の、どちらが今の涼雨に「必要」かと言えば・・・・・・それはもう、言うまでもない。
「涼雨さんは責任もってわしが診ておくし、雷夜もじきに目覚めれば、またいい状態に術をかけ直すじゃろう」
「・・・・・・はい」
砂映は頷いた。
ここに残りたい、というのは、自分のエゴ以外の何者でもない。
時間はお昼の十二時前だった。朝食を食べ損ねていたことに今さら気づく。気づいたことで急に空腹を覚える。魔術通路を通った影響のヘロヘロに空腹感が加わって、急速に身体から力が抜けていくように感じられた。
(情けない。俺は何だか、とても情けない。役立たずだ)
気持までよろよろし始めて、やばいと砂映は思った。
ところへ、
「あの、よかったらお昼どうですか」
外から竜菜の明るい声がした。
「いただこう」
そう言う途季老人に、砂映もついていく。
居間の奥側にあるテーブルに、湯気の立つスープの皿と珈琲のカップが並んでいた。
「パンも今焼いてるんで――」
とカトラリーを置きながら言う竜菜に、
「あ、パン、よかったらこれを・・・・・・っ」
朝、雷夜と食べようと思って買った竜菜の働くパン屋SAKIの袋を砂映は掲げてみせる。
「数時間外の道に放置されてたのでもよければ、ですが」
「ま、涼しいし、まさか毒を入れるような通行人もおらんじゃろ」
パンは四個あったので、三個を三人で食べて、一個は目が覚めた雷夜のために置いておいた。
「ごちそうさまでした」
カフェオレを飲み干し、手を合わせてそう言って、では、と砂映は席を立った。
もう一度涼雨の顔を見てから行きたかったけれど、時間がなかった。
「あの、砂映さん。ありがとうございました」
竜菜はもう一度そう言った。
「俺の方こそ・・・・・・。雷夜によろしくお伝えください。・・・・・・途季さん、涼雨のこと、よろしくお願いします」
砂映は深々と二人に頭を下げると、雷夜の小屋から出た。
秋晴れで、空気は少しひんやりとしていた。
青い空が広がっていて、日差しは暖かかった。




