58.おにいちゃんの思い出
「・・・・・・お待たせしました竜菜ちゃん、もう大丈夫なんで」
術がうまくかかったのかどうかは、今の時点ではわからない。祈るしかない。
ともかくやるべきことは終えたので、砂映は立ち上がると、ずっと背中を向けてくれていた竜菜に声をかけた。
「はーい」
竜菜は振り向いた。やけに笑顔である。元々いつもにこやかだが、それを通り越した満面の笑みである。
「久しぶりにおにいちゃんの寝顔堪能しちゃった」
そんな風に言いながら、竜菜は砂映の傍にやって来た。
「雷夜のこと、ずいぶん好き・・・・・・なんすね」
思わず砂映が言うと、
「あはは。はい。すっごく好きなんです。なんせ六歳の私は、兄を自分の兄にするために、父と母を再婚させたぐらいで」
そんな風に竜菜は言った。
竜菜のトレーナーの上で、ペンダントの石が揺れている。今も輝きは失ったままだ。
「このペンダントをかけられると、兄のこと忘れるんです。よくわからないけど、そういう仕組みたい。今は効力が切れてるけど、まだ勝手にははずせない。石に罪はないけど、これのせいで・・・・・・って思うから、好きじゃなくて」
そう言って、竜菜は指の先で石を弾いた。カチン、と乾いた音が響く。
「途季さんが来るまで、ちょっと座りません?」竜菜は言った。
気を失ってくたんと膝に額をつけている涼雨の隣に、間を空けて腰を下ろす。砂映はそうっと涼雨を自分にもたれかからせるようにしながら、そのスペースに腰を下ろした。
「私と兄は、それぞれ母と父の連れ子で。・・・・・・父は、私の母が通ってた魔術医療センターで魔精環境整備士をしてたんです。その頃私、母が病気であんまりかまってもらえないのが寂しかったのもあって、勝手なことしてよく大人を困らせてました。託児所を抜け出すのも常習犯で、その時に、仕事している父を見つけてしつこく話しかけるようになって。父も優しいから、むげにせずに相手してくれて、自分にも子供がいるよってある時教えてくれたんです」
「その子どもっていうのがつまり」
「そう、それが雷夜、兄のことだったんです。父はたぶん、私を楽しませようとしてちょっと盛って話してたとは思うんですけど、その話が凄すぎて、私はもう、『雷夜』に夢中になりました。私と同じように片方の親が亡くなって、だけど悲しむ間もなく親戚たちに命を狙われて、父とともに田舎の家から逃げ出す冒険譚。兄は私の三こ上だから、その時でもまだ九歳とかで、だから実際どこまで本当かはわかんないんですけど、父の話の中では、情けない父を助けながら知恵と魔法の力でたくさんの危機を乗り越えて、この街にやって来た、というヒーローで」
九歳・・・・・・いや、話をしていた時点で九歳なら、「田舎の家を出た」のはそれよりさらに前ということになる。本当であるなら、早熟にも程がある、という話だが。
(でも、少なくとも、魔物と融合して生まれたことで殺されそうになった、みたいなことは本人も言ってたような?いや、それは俺の単なる推測だっけ?)
芋虫事件の時に少しかわした雷夜の過去についての会話を思い出しながら、砂映は竜菜の話を聞いていた。
あの時雷夜は、「まあいろいろあった」とあっさりまとめていたような気がするが。
「私はすっかり『雷夜』のファンになりました。初めて実際会ったときは、もう本当に感動したし、どうしたらもっと近づけるかなって考えて考えて、自分のおにいちゃんになってくれたらいいのに、って思いついてからは、もう必死でした。父と母の出会いをセッティングして、いい感じになるように仕向けて。・・・・・・まあ、いくら私ががんばっても、二人にその気が全然なかったらうまくはいかなかったとは思いますけど」
「でも、それでうまくいったっていうのはすごいっすね」
「なんだかんだ、父と母はいまだに仲良しだし、ほんと当時の私、よくやったなあ、って感じなんですけどね。でも、それだけ必死で立ち回って父と母を結婚させたというのに、兄、あんまり家にいなくて」
「え?まだ子ども・・・・・・だったんですよね?」
「はい。父と母が再婚した時、兄は十歳でした。一緒に朝ご飯食べて一緒に学校行った時は夢みたいでしたけど、それは本当に数えるほどしかなくて・・・・・・。兄はほとんど小学校に行かないで、家にもいないで、途季さんの病院兼住居、にいました。途季さんとこには魔術の本がたくさんあったから、それを読んだり、病院の手伝いをしたりして。たまにしかこっちの家に帰って来なかった。私、悔しくて、はじめ途季さんのこと嫌ってました。病院に押しかけて『クソじじいーっ』って、本人に言ったり、ひどい悪ガキでした」
にこにこと竜菜は話す。この感じのよい子が途季老人にそんな暴言を吐いていたというのは、砂映には意外だった。
「まあでも、途季さんは子どもの扱いが上手な人なので。病院の人もみんな優しかったから、なんだかんだ私も入り浸ってましたけどね。兄はもう、中学生を過ぎたくらいからは魔術協会に仕事振られるようになってて、病院にもいないことが多かったんですけど。なんでおにいちゃんいないの、って途季さんに当たりながらおやつもらったりして」
「へえ」と砂映が聞いていると、
「わしの悪口か?」
いつの間に結界に入って来たのか、途季老人が間近に立っていた。
「あはは。私が昔、途季さんにひどいこと言ってたって話です」
にこにこと竜菜が返す。途季は穏やかに微笑みながら、竜菜に手をかざした。
「具合はどうじゃ竜菜ちゃん。意識は・・・・・・まあはっきりしているようじゃな」
「前と違って、今回はすっきりしてる感じです。種類が多い方がいいって言ってた、おにいちゃんの仮説がやっぱり当たってるのかも」
砂映にはよくわからない話を途季と竜菜はしばらくかわしていたが、
「砂映さん」
立ち上がると、竜菜は言った。
「私は、兄のことがすごく大好きで。その・・・・・・兄の傍にいられないと、駄目なんです」
真剣な目でそう言われて、「は、はい」と砂映も思わず背筋を伸ばす。
「・・・・・・大好きで、一人暮らしを始めた兄のとこ押しかけて、手伝いとか、いろいろしてたんですけど。兄が正式に魔道士になった年の秋くらいに・・・・・・魔法疾患がわかって、一緒にいたらいけなくなったんです」
「それは大変・・・・・・」
「そう、大変だったんです。急に倒れて、『魔精過剰循環症候群』だって言われて」
雷夜も先程口にしていた「魔精過剰循環症候群」。砂映も一応白魔術系医療従事者なので、この魔法疾患について多少の知識はあった。魔精過敏症の一種とされている指定難病だが、護符を身につけるなどで「過剰循環」を抑えることができるので、魔術医療施設にちゃんとかかれば、基本的には問題なく日常生活を送れる・・・・・・はずだが。
「診断を下したのはわしじゃ。現状では、多少遺伝の影響があるものの発症原因は不明、適切な治療を施して術をうまく調節できれば日常生活であまり注意点はない、ということになっとるがな。魔術医療関係者の間では、特異で強力な魔精を持つ人間の近くに長くいることが発症や悪化に影響するのでは、と以前から言われておった。もちろん、本人の魔精体質と、その相手の魔精体質によるし、当てはまらない例も多いから仮説の段階じゃが。とはいえ、雷夜の魔精が竜菜ちゃんに影響を及ぼした可能性は低くない。当時、もう二度と会わん方がいいと、わしが言った」
横から途季老人が言った。
「私ももう高校生だったから、クソじじい、とは言わなかったですけど」
冗談めかして言う竜菜に、
「むしろあの時は言ってほしかったぐらいじゃ」
と途季老人は言う。竜菜はその言葉にふふ、と笑った。
「まあ、言うこと聞かないでその後も何回か会いに行って。それでまた倒れて。おにいちゃんの方からブロックされて、もう完全に会えなくなりました。私も、もうこれは仕方ないんだって思って、気持を切り替えてがんばろうと思ったんですけど。駄目で。いろいろ試したけど、駄目で。催眠とか記憶操作まで受けたりしたんですけど、それでも駄目で。・・・・・・もう、どうしても元気が出なくなっちゃって。アハハ、私、別の意味でちょっとどうかしてる人間だったみたいで」
竜菜は話しながら雷夜のところまで行くと、「私が背負います!」と途季老人に宣言し、老人に手伝ってもらいながら意識のない雷夜を背負った。
砂映も涼雨を背中におんぶする。涼雨が膝に抱えたままだった雷夜のマントは、涼雨の肩から・・・・・・砂映のマントの上から・・・・・・かぶせて、落ちないように軽く留めた。
「あ、魔術救急に電話をしないと」
横たわる紅と桃花に目をやって砂映が石電を取り出そうとしていると、
「もう呼んどるよ。もうすぐ来るじゃろう」
途季老人は言った。どうやら結界に入ってすぐに連絡したらしい。
「魔術師紅は、雷夜を目の敵にしておったからなあ。まあ、雷夜が返り討ちにしたんじゃろ?」
「そうです。まあ・・・・・・そうです」
砂映はとりあえず余計なことは言わないように、肯定の返事をした。
砂映は涼雨を、竜菜は雷夜をそれぞれ背負ってゆっくり結界の出口に向かう。
歩きながら、竜菜が再び口を開いた。
「あの・・・・・・砂映さんに迷惑をかけてしまって。その、砂映さんの大事な人にも迷惑をかけてしまって。申し訳ないです。でも、私の魔精はすごく弱いしニュートラルで無害らしいので。しばらく魔力が使えなくなる以外は、悪影響とかはないと思うので、そこは安心してください」
「あ、それは安心してますし、竜菜ちゃんが謝るようなことはないと思いますよ」
砂映は言った。
背中に、あたたかな涼雨の重みがある。
今は眠っているけれど、無事で、ここに存在してくれている。
それはなんて、なんてありがたいことだろう。
「うお、まぶしい」
結界の外に出ると、日の光がずいぶん明るく感じられた。思わず砂映は声を上げる。
砂映が道に落としていたパン屋SAKIのパンの袋と『三聖獣の魔女』の本は、見つけた人が気を遣ったらしく、道路脇の石垣の上に載せられていた。砂映が片手で拾おうとしていると、途季老人が横に来て、持ってくれた。
「それにしても、まさか砂映くんが涼雨さんの、とはなあ。思いもせなんだ」
「え?もしかして途季さんも涼雨さんの知り合いなんですか?」
「初めて会ったのは十年以上前じゃったかな。診察して、お茶して」
「お茶?十年前!?」
世間は本当に狭い。
雷夜のみならず、途季老人までもが、自分と再会する前から涼雨に接していたと知って、砂映は妙に悔しい気持がしたりする。
自分が涼雨に会えなかった時間。涼雨の傍にいることができなかった時間。
「・・・・・・さっきの話ですが」
気になっていたことを、砂映は口にする。
「雷夜と竜菜ちゃんはもう会えなくなって・・・・・・だけど、どうしてまた会えるようになったんですか?」
何となく、他人事でなかった。
心魔身に悪影響があるから涼雨ともう会ってはいけない、ともしも言われたとしたら。
砂映の問いに、途季老人が口を開いた。
「雷夜が方法を見つけたんじゃ。つまりそれが、この『リセット』と『深呼吸』なんじゃが。まあ、なんだかんだ言って雷夜も竜菜ちゃんに傍にいてほしかったんじゃろうな」
「へえ」
「や、兄はたぶん私のこと見かねて・・・・・・。私の執着に呆れて根負けしたというか」
恥ずかしそうに、竜菜は横から言う。
その雷夜本人は、竜菜に背負われて目を覚ます気配もない。
途季老人が続ける。
「魔女狩りの頃の・・・・・・当時押収された魔女の日記の中に、弱い魔力しか持たない夫が、ある時からよく倒れるようになった、という記述があってな。自分の強い魔力に長期晒されたことがその原因かもしれないが、離れて暮すことは考えられない。それでいろいろ試したと」
「治療方法が載ってたってことですか?」
「まあ、そうじゃな。最終的に、まず数週間、夫を隔離して、誰とも会わせないようにする。その後、自分を含め、他人の強い魔力を強制的に吸いこませる。これを数年に一度定期的に行なうことで、倒れることはなくなった、と。・・・・・『魔精過剰循環症候群』という疾患名がつく前の症例で、理屈や考察はかなり的外れなので単なる偶然か虚偽じゃないかとされてたんじゃが、雷夜はこの類似例を片っ端から集めて研究して、うまい方法を発見したんじゃ」
「それは・・・・・・すごい・・・・・・」
砂映が言うと、
「愛じゃろう?」
途季老人が妙に嬉しそうに言った。
「単に研究にハマっただけのような気もしますけど・・・・・・」
照れているのか、竜菜は首をひねるようにして言った。
その背の雷夜は、やけに平和な寝顔で、やはりまったく目を覚ます気配がない。
※芋虫事件の時に少し語られた雷夜の過去:
「きらへっぽ~嫌われ魔道士へっぽこ魔草師~芋虫事件」
チャプター19.魔女の家への長い道 -2




