55.「貴様はどこまで」
「ふむ。なかなかに、面白いものを作るじゃないか」
檻の底から上を見上げ、魔道士雷夜は言った。すうっと袖はもとどおりになり、汚れも破れも消える。
「負け惜しみのつもりか?」魔術師紅は言ったが、
「いや。単なる感想だ。魔精力の吸引は、俺が注力している研究テーマの一つだからな。・・・・・・だが」
「だが?」
「これでは吸引が非効率すぎる。晴瀬・Nの今年の論文は読んだか?紗久玲・Iの『魔精力の諸相Ⅶ』でも少し触れられていたと思うが」
「は・・・・・・は?何を言ってるんだ。分かっているのか?貴様は今ここで、この魔術師紅の『血色の檻』によって死ぬの・・・・・・だ・・・・・・ぞ」
紅が言い終わらないうちに、小柄な魔道士はてくてくと檻の手前の方まで歩いてきて、光る赤い檻の『格子』のうち、二本をその手で握りしめた。じゅわっと熱が反応するような音が響き、もうもうと煙のようなものが立った。魔道士雷夜の両手は見る見る焼け焦げていったが、その人形めいた童顔の表情は一切変わることがなかった。無表情のまま、だが渾身の力を込めていることはその身体の動きから見て取れた。金属めいた輝きを放つその赤い魔精の『格子』は、ぐいぐいと押し広げられ、歪んで、その隙間を拡げていった。握っている格子のもう一本隣の格子、さらにもう一本隣の格子ももろともに掴むと、最後にぐん、と魔道士は、カーテンを左右に開くように両手を広げた。形六本の格子が折れ曲がり、人ひとりは余裕で通れるほどの大きな出口が出来上がっていた。
「な?馬鹿な・・・・・・」
魔術師紅は、わななくように言った。
魔道士雷夜は涼しい顔で、できた出口から、檻の外へとやって来る。
「私のこの檻は。『血色の檻』は。出られるはずがない。壊れるはずがない。馬鹿な」
魔術師紅は、なおもぶつぶつと呟いた。
雷夜に続いて出てきた涼雨の元に、ともかく砂映は駆け寄った。
魔道士雷夜の赤黒く焼け焦げていたその両手は、歩いている間に指先から塗り替えるように平常の白い肌へと戻っていく。
「私の魔術で。この魔術師紅があらん限りの魔精力をこめて・・・・・・魔物が絶対に出られないように作ったのだ。そう作ったのに。なぜだ」
真っ赤なマントの紅は、魔道士に訊ねた。
「単純な話だ。力の差が大きければ、小手先の工夫は意味をなさない。力で潰して終わりだ。残酷な話だが」
魔道士雷夜は静かに答える。
魔術師紅は呪文を素早く唱えた。その手から、赤い光が次々に放たれる。けれどもそれは、魔道士雷夜に到達する寸前にすべて溶けるように消えてしまう。自分に向かって歩いてくる魔道士に、紅はさらに火炎球や炎の矢を繰り出す。が、何を放っても、全部があっけなく消されてしまう。近づいてくる魔道士に怯えるように、紅は攻撃魔術を放ち続けた。が、その紅の脇をすり抜けて、魔道士はそのまま歩を進めた。先にある、結界の破れた部分に目をやっている。先程魔道士は、そこから入って来た。外界の、植え込みのある道路の風景が覗いている。
「・・・・・・あと少しか」
ひとりごちた魔道士の後ろ頭に、魔術師紅は背後から華麗な蹴りをお見舞いした。・・・・・・ように見えた。が、実際には、魔道士雷夜はそこから少しずれた位置に表情も変えずに立っていた。「魔法武術」や「魔術拳闘」は、黒魔術に分類される。今魔術師紅が行なった攻撃は、この空間でも有効な、魔精面に対するものだった。とはいえ、当たらなければ意味はない。
「貴様・・・・・・っ」
紅は、歯ぎしりして声を絞り出した。
魔道士雷夜は他のことに注意が向いているようで、紅に視線を向ける様子もない。
「貴様はどこまで・・・・・・」
言ったかと思うと、魔術師紅は長い腕を振るって手刀を繰り出した。目にも止まらぬ速さだった。
だが、手刀は雷夜に当たらなかった。雷夜の表情は変わらなかった。流れるような動きで紅は反対の手を突き出した。何らかの術を発動したらしく、その爪は光を放つ鋭利な金属のようなものと化している。しかしそれも当たらない。回転して蹴り、再び突き、と次々と攻撃を繰り出すが、どれも一つも当たらない。
魔術師紅は叫んだ。
「貴様はどこまで、私を愚弄すれば気が済むのだ!」
心ここにあらずの様子で紅の攻撃を避けていた魔道士雷夜は、けれどもその叫びを聞いて、ようやく紅に注意が向いたようだった。
「ん・・・・・・そうか。決闘だったな。これは失礼した」
呟くと、大きく振りかぶった紅の攻撃を、沈むようにして避けた。
「悪いが時間がなくてな」そう言うと、魔道士雷夜はぐっと勢いをつけるように拳を引き、その拳を魔術師紅の腹に叩き込んだ。
「うごっ・・・・・・」
紅の動きが止まった。その見開いた目から、口から、とろとろと血が流れだした。
よろめきながら数歩歩むと、そのまま紅は、ばったりと倒れ込んだ。
「くっ紅様!」
桃花は大声を上げた。
気がつけば、敵たちの中に自分は一人である。
大急ぎで、桃花は攻撃魔法の呪文を唱えた。けれどもなぜか、うまくいかない。
「・・・・・・先程のおまえの傷は、治癒の術はかけてあるが別に治ったわけではない。痛みや目に見える傷は精神を消耗させるから、とりあえず知覚できないようにしているだけだ。魔精面の快復は個人差が大きいが、おまえだとさっきの負傷は、安静にしても一ヶ月はかかるだろう。今も、だるさはないわけではないはずだ。無理をすると長引くから、やめておけ」
魔道士は言った。
何を言っているのか、桃花には理解ができない。
「おのれ魔道士雷夜・・・・・・わ、私は紅様のしもべ桃花・・・・・・悪には決して屈しない!」
魔道士雷夜には、桃花の色香は一切効かない。
なので桃花は、純粋に攻撃をしかけるしかない。
桃花は胸元から呪符を取り出すと、呪文を唱えながら魔道士雷夜に突進した。
「・・・・・・痛みを消すのも考えものか・・・・・・」
魔道士雷夜は呟いた。すっと動いて桃花から距離をとり、訊ねる。
「おまえの魔精面の、喉と、内臓と、全身の神経や筋肉はかなり損傷している。今、力を行使したり、逆に何か不用意な術をかけられたりすると、悪化して後遺症が残るかもしれない。強制的に動きを止める術をかけるよりは、痛みと傷を消す術を解除して動けなくなる方がまだ予後がいいと思うが、どうする?」
「何を言っているのだ!」
「簡単に言うと、さっきの痛みと苦しみを、戻していいか?という話だ」
「なにを・・・・・・っ」
その瞬間、桃花に「その感覚」が戻った。
数十分前に味わった、死ぬほどの痛みと苦しみ。
「ひぐっ」
一瞬で、充分だった。
「その感覚」はすぐに消えたが、桃花は顔から汗が噴き出すのを感じた。勝手に身体が震えだす。
「頼むから大人しくしていてくれ。ちょっとこれから・・・・・・やることがある」
魔道士雷夜は言った。
桃花は涙目になりながら、たまらずにその場に座りこんだ。
魔術師紅が倒れたのに、「魔精空間」はそのままそこにあった。
結界を再生成し継続したのは、魔道士雷夜だった。
再生成後もそのままそこにある結界の「破れ目」に、魔道士はずっと目をやっていた。
「・・・・・・来た」
魔道士雷夜は呟いた。
砂映には、心なし、雷夜が緊張しているように見えた。




