54.華麗なる血色の檻
「理解ができない・・・・・・まったく常軌を逸しているな・・・・・・」
彼らから少し離れた場所に立ったまま、魔術師紅は呟いた。
「同感です紅様」
桃花は紅の傍らに立ってささやいた。喉の傷は跡形もなくなっている。砂映の脅迫に対する紅の発言については、桃花はほとんど耳に入っていなかった。耳に入っていたとしても、さして影響はなかったかもしれないが。
「この状況でこの私を無視するだと。黙って様子を見ていれば」
だから私は魔道士雷夜が嫌いなんだ、と紅が吐き捨てる。
同感です、と桃花はささやく。
「魔道士雷夜!」
改めて大きな声で、魔術師紅は呼ばわった。
儀礼的な段取り。体裁というものは重要である。
「私は魔術師紅」
形式に則って名乗りを上げる。
それなのに魔道士雷夜は施術の片手間で顔を上げると、「それは知っているが」と短く答えた。その空気の読めなさに、紅はますます苛立ちを募らせる。
「『魔精空間』で名乗りを上げる意味がわかっていないのか!」
「ん?ああ、決闘か?」
雷夜もようやく気づいて問い返す。
古来、魔術協会ができるずっと前から、血の気の多い者たちが、本来魔獣退治のために用いられてきた黒魔法(黒魔術)を、人間同士でぶつけあう「決闘」はなされていた。物理暴力での決闘は後遺症や致死の問題があったが、魔精面を傷つけ合う黒魔法の決闘は、体制さえ整っていればほぼ後腐れなく治療ができるうえに、見た目がより残酷で派手であるので観衆も楽しませることができる。魔術協会発足後、野蛮な文化だ、と禁止を促す声もないわけではなかったが、この決闘に価値を見出す黒魔術の強者の方が、魔術協会の有力者の圧倒的多数だった。一般社会の法律は、「一般人というカテゴリ内にいる大多数の人間には害がない」ことに関しては往々にして無頓着である。「魔精面」を開いていない人間は、攻撃ができないが攻撃を受ける心配もない。そういうわけで、この現代においても、「魔精面」への暴力は、ほぼ罪に問われることがない。「魔精面」の負傷は、肉体的な損傷に比べれば治りがいいとはいえ、後遺症も完全にゼロとは言い切れないし、治療せずに放置されれば当然消耗して死に至ることもある。けれどもそのあたりは大半が「事故」として処理をされており、表立ってはほぼ問題とならない。
そういう意味で、現代社会においては明らかに許されないはずの致傷・致死事案が、黒魔術使いたちの間では実は日常茶飯事だ、とも言われている。弱ければ殺されても仕方がない、覚悟がないなら魔精面を開くな、と魔術学校の黒魔術教師が平然と告げる、そういう世界である。
興行として、あるいは一般社会のちょっとした争いごとを解決するための手段として、「魔精空間」で一般人の観衆に囲まれて「後腐れのない」華々しい決闘が日々なされる裏側で、どれだけの術者が些細な揉めごとで殺されているかは実はわからない。
「・・・・・・正式なものでもあるまいし、名乗りなんて別に不要だろう」
涼雨への施術を続けながら雷夜は言う。
「私の配慮がわからないというのか?魔道士雷夜」
「すまないがわからない」
「おまえを、魔物人間であるおまえを、それでも一応人間として扱ってやろうという私の配慮だ。『退治』ではなく『決闘』という名目にしてやろうと言ってるんだ。そこの魔物女と一緒に、おまえはここで死ぬことになる」
「・・・・・・今日はあまり時間がないんだが、面白いものでも見せてもらえるのか?」
雷夜がそう返した、次の瞬間だった。
涼雨がずっと座りこんでいた白い床、すなわち今術をかけている雷夜もいる床、そこに直径一メートルほどの魔法陣が強烈な赤い光を放って突如浮かび上がった。びっしりと異常な文字数の魔術文字らしきものが書き込まれていたが、それは砂映が見たことのない魔術言語だった。その複雑な幾何学模様がどういう効果をもたらすのかも、砂映には想像もつかなかった。砂映にわかったのは、魔法陣の発動に対して涼雨も魔道士雷夜も驚いた顔をしていることから、二人ともこれをまったく予期していなかったらしいことだけだった。その輝く赤い光の外側の円から、空中に向かって飛び出すように何本もの金属めいた赤い線が走り、緩い弧を描いて魔精空間の――――実際どうなっているのか砂映は知らないが――――かなり高めの天井のように見える辺りの一点に収束した。鳥籠のような、円錐に近い形の魔術の檻の中に、雷夜と涼雨は閉じ込められた形になっていた。
「ハ!ハハ!油断するからそういう目に遭うんだ魔道士雷夜。貴様の傲りがこの事態を招いたのだ。貴様を罠にかけるために、その魔物女を餌にしてこちらは周到に準備をしていた。この『血色の檻』から、生きて出られた生き物はいない。貴様の負けだ!」
高らかに宣言する魔術師紅の横で、うっとりとした桃花が「さすがです紅様」とささやく。
「魔道士雷夜、その運命の伴侶涼雨・E。貴様らの悪しき陰謀は、ここで潰える」
「・・・・・・伴侶?」
紅の言葉を聞いて、雷夜と涼雨は同時に呟いた。一瞬顔を見合わせてから、
「それは違う」
真顔で二人同時にそう否定したさまは、やはりどこか家族めいた近しさを砂映に感じさせた。
ほんのり砂映は嫉妬を覚える。
(いや、今はそれどころではない)
魔道士雷夜が現れたことで、涼雨の身に差し迫っていた危険はすっかり取り除かれたような気持に砂映はなっていた。けれども実際は、魔術師紅は引き続き涼雨を退治することを諦めてはいなかったし、そうこうするうちに、魔道士雷夜と涼雨はもろとも紅の魔術に捕らわれてしまった。
砂映は檻の外側にいる。魔術師紅の作った『血色の檻』なるものがどういうものなのか、砂映にはまるでわからないが、何か助けになれないだろうか。
「あの、俺に何かできること・・・・・・」
砂映は魔道士雷夜に向かって言った。
けれども魔道士雷夜より前に、魔術師紅が口を開いた。
「憐れな砂映くん。今ここで君がするべきことはただ一つ。見届けることだ。君が『三聖獣の魔女』にここまで入れこまされているのは、まったく予想外だったがね。操られているだけの君に罪はない。先程の君の謎の攻撃については追い追い追及させてもらうつもりだが・・・・・・私は君のことを許すし、君のことを決して見捨てたりはしないよ。責任を持って、君にかかった魔女の呪いを解いてやろう」
そう言ったかと思うと、魔術師紅は歌い始めた。呪文詠唱がわりの、魔術言語の歌だった。さすが吟遊詩人だけある美しい歌声で、このような状況にも関わらず、砂映は思わず聴き入ってしまった。
歌が終わると同時に、檻のてっぺんの部分から、ごろん、と赤い石の塊のようなものが生まれて下に落下した。魔術で精製した、魔精次元で存在する石のようだった。魔法陣の檻の中にいることで、何か術の発動に制約を課されているのだろうか、魔道士雷夜はその石を、バリアの類いではなく直接腕ではねのけるような形でガードした。立っている魔道士雷夜が石をはねのけたので、座ったままの涼雨の方は無事だった。雷夜は涼雨への術式構築を中断したようだったが、涼雨に先程かけた術は残っているようで、きらきらと光る糸のような魔精は、涼雨を取り巻いたままだった。
魔術師紅は、美しい笑みを浮かべると、ぱちん、と指を鳴らした。
途端に、たった今落下したのと同様の石が次々に檻のてっぺんから生み出されて・・・・・・もはやそれは、はねのけられるような量ではなかった。一個当たれば相当痛そうに見える握り拳大の赤い石が、通常の建物の二、三階分はありそうな高さから、どさどさと大量に雷夜と涼雨に向かって降り注ぐ。小さな檻の中で、逃げる場所などない。濛々と赤い土煙のようなものが立ち、砂映からは二人の姿は見えなくなった。
「涼雨さん!雷夜・・・・・・っ」
思わず砂映は声を上げた。
「ふふふ。まだまだだよ砂映くん」
その砂映の様子を見て、魔術師紅は愉しげに言った。
「これは第一段階だからね。二人とも、さしてダメージは受けていないだろう」
そのとおりだった。
土煙が薄れて、中の様子が見えてくる。魔道士雷夜に負傷の様子は見られなかった。檻の中で、黒いタートルネックとズボンの上下で彼は立っていた。黒いマントは脱いでいて、そのマントは涼雨に頭からかぶせられていた。特殊な術でもかかったマントなのか、涼雨も無事な様子だった。落下してきた赤い石は二人のまわりに積み上がっていた。
「だがね。あの人工魔精石は特別な術で精製したものだ。魔物退治のために、私が自ら研究して製法を編み出したんだよ。あの石は、対象から魔精力を吸い上げる」
紅は言った。
「魔精力を吸い上げる?」
砂映は訊ねる。
「魔精生物が魔精生物たる所以は、魔精次元での存在割合云々よりも、他の個体から魔精力を奪うことにある。魔物とはすなわち、他者の魔精を食らう存在のことだ。あの石は生きてはいないが、いわば魔物と同じもの。だが、あの石から魔精力を奪うことはできない」
赤い石たちは、紅の言葉に反するように、生き物めいた明滅をしながら震えていた。やがてそれぞれの石たちは、ぽんっとジャンプするように飛び上がったかと思うと、先程出てきた檻のてっぺんに吸いこまれるように消えていく。
「これをね、繰り返すんだ。石の落下と回帰。閉じ込められた魔物の魔精力を奪いつつ。ふふ。見ててごらん砂映くん。これまで何体もの魔物を、この『血色の檻』で屠ってきたんだがね。つがいの魔物をこの檻に入れると、特に面白いんだ。人間に擬態した魔物はね、まるで人間みたいに、はじめはお互いを庇い合ったりするんだよ。ところが徐々に魔精力を奪われて、ダメージが蓄積されていくと、だんだんと余裕を失っていく。人間の姿を保てなくなり、本来の魔物の姿になっていくんだが、それだけじゃない。魔物の本性が出てくるんだよ。他の個体の魔精を食らって生き延びる、それが魔物だ。はじめは庇い合っていたくせに、いよいよ死が迫って極限状態になると、魔物はお互いに自分だけは助かりたくて、相手の魔精力を奪おうとし始めるんだ」
魔術師紅は得意げに説明した。
「・・・・・・面白い・・・・・・ですか、それが」
砂映は言った。
「ああ、何より面白い」
爛々とした目をして、紅は続けた。
「それはもう、ひどく醜い争いなんだ。見た目だけじゃない、魔物は中身も醜悪だ。存在が、すなわち悪。それを自ずから証明してくれる。魔道士雷夜と涼雨・E、二人もじきにそういう姿を晒すだろう。その姿を見れば、さすがの君も目が覚めるにちがいない」
次の瞬間、再び檻のてっぺんから赤い石が現れ出て、次々に檻の底へと落下した。
土煙から姿を現した魔道士雷夜の、服の袖が擦りむけて、赤い血が滲んでいた。涼雨はまだ、無事だった。けれど、不安げな顔をしている。
「さ、どんどん行こう!どんどん!」
魔術師紅が愉しげに言った。明滅する赤い石が再び天井へと還っていく。
たとえ一度に受けるダメージはたいしたことがないとしても、繰り返されれば消耗する。
消耗すれば、いずれは弱って、死に至る。
だが。




