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53.魔道士雷夜の登場

「ようやくお出ましか。待ちくたびれたぞ」

 微笑みながら、魔術師(くれない)は言った。その右腕は美しく伸ばされたままだったが、その手のひらで膨らみ始めていた光は、術の中断によりいったん消える。


「・・・・・・俺に喧嘩を売りたいなら、俺に直接売ってくれないか。俺の患者に手を出すのはやめてくれ」

 黒いマントに身を包んだ小柄な魔道士は言った。


 結界主が招いた相手しか入ることができない「魔精空間」。

 だが、結界主と侵入者の技量差によっては、無断侵入を許してしまう場合がある。所詮魔術初心者の桃花ももかが作った結界を元とした、それを瞬時に再生成しただけの代物であり、一定以上の術者であれば容易に突破しうることは魔術師紅にはわかっていた。というか、わざとその脆弱性をそのままにしておいた。


「どうせなら、この魔物女が醜い姿に戻ってからご登場いただきたかったがね」

「愉しそうで何よりだが、他にやることがあるんじゃないのか?」


 その声を、朦朧とする意識の中で桃花は聞いていた。砂映に放り出されて重力に身を任せた次の瞬間、自分は何かに受け止められ、その後静かに横たえられた。誰の声なのかはわからなかった。


 激痛と死ぬほどの苦しみがふいに消えて楽になり、すっと目を覚ました桃花は、次の瞬間ひん曲げるように顔を歪めた。なぜだ。なぜ横たわった自分に屈みこむようにして、この男がそこにいるのだ。この禍々しい魔精。そして、このあらゆる男を悩殺してきた魅惑的な肉体を前にしながらあいかわらず一切心を動かされる様子がない、忌々しいほどひんやりとした表情の童顔。


「魔道士雷夜(らいや)!なぜここに!」

 切りつけるように叫びながら、跳ね起きると同時に桃花は雷夜をひっぱたこうとした。


 しかし魔精空間では、一切の物理的暴力行為は阻害される。透明な障壁が発生し、桃花のパンチは自動的に跳ね返される。


「それだけの気力があれば大丈夫だな」

 たった今黒魔術医療の治癒の術をかけてやった相手に背後からなおも罵られながら、魔道士雷夜は涼雨りょううの方へと向かった。


「遅くなってすまなかった。涼雨りょうう

 座りこんだ涼雨を見下ろして、魔道士は言った。


(呼び捨て!え?涼雨さんのこと、呼び捨て!?)

 魔術師紅から涼雨を守るために二人の間に走り込み、そのまま体勢を崩して手と膝をついた形でいた砂映は、突如現れた雷夜をあっけにとられて見ていた。魔道士雷夜はほとんどの相手を敬称略で呼ぶし、今はそれどころではないとわかっている。魔道士と患者の関係、のはずだ。けれど・・・・・・魔術師紅が言っていた「少女Lは魔道士雷夜の運命の伴侶」という言葉がふいによぎって砂映は焦る。「魔物の王国」なんてどう考えても荒唐無稽な妄想だと思うし、だから「伴侶」なんていうのもきっと同様の妄想だ、と思うものの。


「馬鹿魔道士・・・・・・」

 羽織った砂映のマントの合わせ目をぎゅっと胸元で握りしめたまま、見上げた涼雨はうめくように言った。


 魔道士雷夜はすでに涼雨への施術を開始していた。淡々と呪文を唱えると、印を結び、手をかざす。

 そこに絶対的な信頼関係と、絆のようなものを感じて、砂映は複雑な気持になる。


 その一方で、そこにあるのはいわゆる男女の、恋愛感情をもとにしたものとは少し違う――――どちらかというと父と娘とか、兄と妹のような――――同質感、同族めいた繋がりのようなものである感じもした。二人の容姿にまるで似たところはないし、背の高い、大人びたタイプで実年齢も雷夜より上である涼雨が、小柄な童顔魔道士の娘や妹に見えるというのは、どう考えてもおかしいのだが。


「・・・・・・砂映」

 封印か拘束の魔術なのか、細い糸のような魔精の光が涼雨のまわりを幾重にも走る。魔精感度の鈍い砂映にも、この空間ではそれがはっきりと見えた。ずっと呪文を唱えている必要はないらしく、光を走らせながら雷夜は砂映に言った。


「迷惑かけたな。俺の不手際で」

「え。・・・・・・いえ。その・・・・・・涼雨がお世話になってたようで!」


 自分の立場に一抹の不安を覚えつつ、その不安を打ち消したくて、思わず砂映は涼雨の彼氏として謎のマウントをとるべく言った。術をかけられて少し遠い目をしていた涼雨が、その瞬間「え」と目覚めたような表情をする。


「なに?砂映くんと雷夜って・・・・・・やっぱり知り合いなの?」

「『やっぱり』?」涼雨の問いに、砂映が問い返す。


「あんたの記憶力がどれだけ異常でも・・・・・・十年以上前、私と初めて会った時にちょっと見ただけのはずの砂映くんの顔と名前、すんなり知ってる感じなの、なんか変だなって」


 涼雨は雷夜に向かって言ったが、


「十年以上前!涼雨さん、そんな前から雷夜と?」

 砂映は思わず妙な所に反応して、声を上げてしまった。


 紅が言っていたように「少女Lが行方不明になったテロ事件」で涼雨と雷夜が出会ったのであれば、確かにそれは、十年以上前――――十三年ほど前になる。のだが、自分が涼雨と再会してからはまだ一年経っていない、それ以前つきあっていたのは高校生のたった三年間、と考えると、砂映は何だか、変に悔しいような気持がした。


「けど、俺の顔と名前?涼雨さんと雷夜が会った時にって、どういうこと」

 言いながら砂映は涼雨と雷夜を見たが、涼雨は聞こえていないのか、雷夜の答えを待つ顔でじっと雷夜の方を見ていた。


 なんだかやはり、雷夜の方が自分より涼雨との心理的距離が近い気がして、今実際に、雷夜は涼雨の傍らにいて、自分は少し離れたところにいることもあり、砂映はどうにももやもやとした思いに駆られる。


 魔道士雷夜は表情を変えずに涼雨への施術を続けていた。


 が、呪文詠唱の区切りで口を開いた。


「・・・・・・俺と砂映は魔術学校の同期だ。元々知り合いだったのは事実だが。涼雨、おまえの心の中の砂映の占める割合は尋常じゃなかった。忘れられるレベルじゃない」


 雷夜の言葉に、


「え?」

 涼雨の顔が真っ赤になった。


「涼雨さんの心の中の俺?それって一体」

 砂映は訊いたが、涼雨は真っ赤な顔のまま手を振って「もう、いい、この話はもういいから!」と叫んだ。砂映は雷夜の方を見たが、雷夜は何食わぬ顔のまま再び呪文の詠唱を開始している。


 砂映はよくわからなかった。


 雷夜と涼雨、二人で共有するものがあって、砂映には教えてもらえない。そこには何ともいえない淋しさがある。けれども「涼雨の心の中の砂映の占める割合は尋常じゃない」という言葉には、なかなかに強烈な響きがあった。魔道士雷夜がそれを言った、ということも、何かを認められたようで、なんだか妙に嬉しいものがあった。


「今度、そのうちでいいんで。どういうことか教えてください涼雨さん!」

 思わず調子づいて砂映は言った。


「や、やだ、雷夜に訊いて・・・・・・いや、やっぱり嫌だ、やめて。余計なこと言わないでよ雷夜」

 わたわたと挙動不審な動きをしながら涼雨が言う。


 魔道士雷夜は、黙々と術式の構築を続けていた。

※雷夜と砂映の同期時代のエピソード:

「きらへっぽ~嫌われ魔道士へっぽこ魔草師~芋虫事件」

チャプター06~08 .ゴキブリ雷夜らいやとミスター低低《て-て-》

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