51.魔躁師砂映の脅迫
「驚いたなあ、砂映くん」
口ではそう言いつつ、けれども魔術師紅は、優雅な笑みをたたえたまま、平然とそこに立っていた。
桃花を刺した、濃い緑色の「串虞草」は、少し距離のあった紅に対しても数十本が「飛び立って」いた。その一本一本が意思を持った生き物めいた動きをして、魔術師紅の、顔か、首か、手のどこかに突き刺さろうとした。だが、それらは一本も紅に到達することはできず、近づこうとするたびに風の渦のようなものに跳ね返された。旋回し、四方八方から何度狙っても、その皮膚に触れることすらかなわなかった。やがて力尽きたように、一本、また一本と「串虞草」は白い床に落下した。その色は、落下とともに濃い緑色から薄い緑色に変わり、見る見るうちに竹串のような枯草色になって動かなくなった。
(駄目か)
砂映は歯噛みした。桃花はまだしも、魔術の戦闘に関して間違いなくプロであるはずの「魔術師」である紅を、不意打ちとはいえ自分が倒せるなどとは、砂映も思ってはいなかった。だが、桃花が倒れれば、桃花が生成した「魔精空間」は解除される、と思っていたのだ。紅については、少しでも隙を作れればそれで充分だった。結界が解除されれば涼雨を連れて逃げ出せる、そう思っていた。
だが実際には、間髪入れずに紅が結界を再生成したため、「魔精空間」は一瞬たりとも途切れることなく、その状態を保っていた。
「砂映くん、君の魔精面は開いていない。だからこの空間では、君は何もできないはずだ。それなのに・・・・・・何だ今のは。魔精植物?魔精植物が魔力を持って動いた?魔精植物の定義は、『動かない』ことにあるはずだ。動くのであれば、それは魔精『動物』に分類される。そこに落ちているのは魔精植物の串虞草だな。確か異常に生命力が強く、枯れたようでも挿し木をして土を介して魔精を吸うと緑色に戻り繁茂する・・・・・・けれど先程の緑色は、通常の串虞草のものとは明らかに違った。あんな濃い色ではなかったはずだ。それに、まるで意思ある魔物と化したような・・・・・・。どういうことだ?君はたしか魔草師だったね。しかしこんな術は聞いたことがない。魔獣操作だって、魔精面が開いていないとできないことだ。魔精面を開いていない人間が『魔精空間』で攻撃など・・・・・・ありえない」
魔術師紅は美しい顎に手をやり、眉を寄せて考える表情をした。
ありえない存在の「魔草師」――――いや、「魔躁師」。魔術協会に登録された、資格としての表向きの名称は「魔草師」だが、その技をすべて継いだ者の本当の名前は「魔躁師」である。魔術協会でも一部の人間しか知らない、「魔躁師」の存在。
砂映は、その「魔躁師」の技能の後継者である。
「魔躁師」の第一条件、それは、「魔精力が弱いこと」。
魔精植物というのは、紅が言ったように、魔精生物の中で「動かないもの」――――植物と同じく、動くことをやめてその場で根を張り増殖し、自らが分泌するさまざまな成分を駆使して身を守りエネルギーを獲得するという生存戦略を選んだ生物たちのことである。けれども「魔精植物」――――いわゆる「魔草」には、大半の普通の植物たちとは違い、妙に好戦的な性質がひそかに残っていた。自分より明らかな弱者と判断できる、たとえば小さな虫のような魔精動物などが葉にとまったりすると、「彼ら」は一時的に「動物」に還って・・・・・・動物のようにその虫を捕らえてその身の養分にしてしまう、ということがあった。魔躁師は、その性質を利用して、彼らを思いどおりに操ることができる術者である。並の魔力には、魔草は反応しない。ありえないほど微量の魔力で働きかけるからこそ、魔草は反応し、動く魔物として目覚める。そして魔草は自身は操られていると気づかずに、魔躁師の意のままにその魔精動物としての力を発揮して、魔躁師が仕向けた相手に向かい攻撃をしかける。
「魔精面を開いていない人間は、他人の魔精面を攻撃できない」。
これは魔女を含めたあらゆる魔法使い・魔術使いに適用される、絶対の法則であるとされている。この法則を根拠に、この社会の数多の法律・規則が成り立っている。それなのに、「魔躁師」という存在は、この法則を覆してしまう。彼らの存在を知った魔術協会の幹部の一部は頭を抱えた。対策はグレーのまま、「魔躁師」は、「魔草師」として――――単に魔精植物に詳しい白魔術使いとして――――表向き存在することになった。「魔躁師」という存在は、極秘である。もしもその力を使って、その存在を誰かに知られてしまった場合は、その相手の記憶を消すように、と砂映は言われている。その術も伝授されている。そのためには、まず魔草を使って相手を攻撃して、相手を気絶させる必要がある。
(無理、だ)
だが、そこについて、砂映はすでに諦めている。はなからできると思っていない。
「魔躁師」は、魔精力が弱くなければなれない。つまり、余程体術に長けている者を除けば、戦闘において圧倒的な弱者ばかりである。「魔精面を開いていないから攻撃ができるわけがない」という常識を突いて不意打ちをすることでかろうじて相手を負かし、その相手の記憶を消して目的を果たしているのが「魔躁師」である。その秘密を知られることは、すべての魔躁師にとって、文字通り死活問題だ。砂映一人の問題ではない。
(だけど)
けれどもそれは、覚悟の上だった。
「君がさっき、何をしたのか・・・・・・それは追い追い解明しないといけないな。それはさておき。・・・・・・君は今から、何をしようというんだ?」
その美貌を愉しそうに歪めて、魔術師紅は砂映に訊ねた。
先日の芋虫事件以来、万が一の時のために、砂映は「魔躁師」として攻撃に使える魔草をひそかに持ち歩くようになった。「串虞草」は紅も言っていたとおり生命力が強く、持ち運びに適していたので選んだものだ。動く魔物となった際、獲物を刺して電撃を食らわせて行動不能にするという性質も、使いやすいかと思っていた。・・・・・・桃花と会話をしながら、砂映はズボンのポケットに入れていた串虞草にひそかに魔精力を流して「動く魔物として目覚めさせる」魔躁師としての術を発動していた。希有な魔精感度――――接触痕跡すら察知するほど鋭敏な――――を持った桃花が至近距離にいたので、気づかれるのではないか、と、砂映はずっとハラハラしていた。桃花にふいに手を掴まれた時には、ばれたのではないかと本気で焦った。
桃花はちょっと変わった人だ。積多が言うように「変な人」だ、と砂映も思う。
だが、魔術師紅をとにかく崇拝していて、紅に気に入られるために一生懸命な健気な女の子なのだろう。そんな風にも砂映は思う。紅の部下として「自分の仕事」をまっとうするために、がんばっていた。きっとそれだけだ。彼女に対して恨みや憎しみがあるわけではない。
けれど。
喉を刺し貫かれ、その全身を電撃に灼かれた桃花を、砂映は横たわることも許さずに片手で支えて立たせていた。彼女の意識がどの程度あるのかはわからない。が、ひゅーひゅーとか細い呼吸を繰り返し、身体のあちこちを痙攣させ、何度も大量の血を吐く桃花が、苦しくないわけがない。
「魔精の傷だから、ちゃんと処置すれば治せる。だけどこれだけの負傷だから、放置すればするほど消耗して、取り返しのつかないことになるかもしれない」
できうる限り感情を排して、砂映は紅に告げる。
「だから?」
自分を慕う部下が瀕死の体であるにもかかわらず、面白いものを見るような顔をして、魔術師紅は問い返す。
「今すぐ結界を解いて、俺たちを、涼雨と俺を、外に出してください」
砂映は言った。
「それはできないと言ったら?」
「桃花さんは、死ぬことになる」
「ふふふ。砂映くん、君に人を殺す度胸があるのかな」
「・・・・・・涼雨と桃花さんのどちらかが死なないといけないというなら、俺は迷わずに桃花さんが死ぬ方を選びますよ」
「ふふ。ははは。これは傑作だ。この魔術師紅に対して、随分と出来の悪い脅迫だよそれは。気まぐれで殺さずにおいた色情狂の魔女一人のために、人間社会に多大な被害をもたらしかねない最悪の魔物女を野放しにする選択を誰がすると思うんだい」
「・・・・・・本当に?彼女をさらに傷つけて、苦しめて、弱らせても、いいんですか?」
「やってみるがいい。ふふ。それにしてもねえ。君が愚かな行動をとればとる程、私は確信を強めているよ。この魔物女がいかに危険な存在か。まっとうに見えた君が、まさか殺人を厭わないところまで行くとはね。まったく、怖ろしいほど強力な催眠魔法じゃないか。これはますます、君の目の前でこの魔物女の真の姿を暴いて、魔法を解いてやらないといけなくなったな」
「・・・・・・いいんですか?彼女がどうなっても」
桃花が再び苦しげに血を吐いた。新たにもう一本の串虞草に魔力を通して構えながら、砂映の手は震えている。魔術師紅は、口では冷たいことを言っているけれど・・・・・・いざとなれば、自分をあれほど慕う部下を見殺しになんてしないはず。砂映はそう、自分に言い聞かせる。涼雨を殺されるのは絶対に嫌だ。だけど桃花を死なせるようなことだって本当はしたくない。それにもしも桃花を殺したら、むしろ涼雨を殺される可能性は上がるだろう。
けれども他に、どうすればいいのか。
「もう一度言います。紅さん。今すぐ結界を解いて、涼雨と俺を、外に出してください」
外に出て、とにかくすぐに、魔術救急医を呼んでもらうんだ。どんなことになるかわからないが、少なくとも公の機関であれば、即座に涼雨が殺されるなんてことはない、はずだ。涼雨を助けてもらうんだ。重傷の桃花については――――術者同士の黒魔術での戦いは、その片方がたとえ死に至ったとしてもほとんどの場合罪には問われないらしいけれど――――魔精面を開いていない砂映が「ありえない」加害をなしたという点において、どのような追及を受けるかわからない。魔草師協会には多大な迷惑をかけることになるだろう。というか、迷惑、で済むレベルではない。あらゆる魔躁師が、迫害や命の危険を覚悟しなければならないことになるかもしれず、それは砂映一人の命でも償いきれないものかもしれない。
だけどそれでもいい。
涼雨が助かるなら、それでいい。
祈る気持で、動く魔物として今すぐにでも獲物に突き刺さる気でいる串虞草を桃花に差し向けながら、砂映は魔術師紅を見る。




