44.涼雨(22) 回想⑳ 会いたくなかった
けれども、魔道士雷夜は不在だった。
涼雨の異常事態を知っているなら魔道士の家の中で待てるようにしていてもいいと思うのだが、扉は開かなかった。とりあえず、戻ったらすぐに対応してほしいことを書いたメモをポストに放りこみ、涼雨は登ったばかりの丘を下りた。
(いったん家に帰ろう・・・・・・)
安静にして、気持を落ち着ければ、完全には無理だとしても、少しは術が自動修復されるかもしれない。少しでも眠ることができれば、いろいろましになるだろう。
ところが歩いているうちに気分の悪さが増してきて、くらくらと目の前が真っ暗になった。思わず舗道の隅にしゃがみこむ。
(どうしよう・・・・・・)
気持悪さが波のように増してくる。
「大丈夫ですか?」
通りがかった人が、心配そうに声をかけてくれた。
涼雨はしゃがんだまま何とか顔を上げると、精一杯の笑みを浮かべて、大丈夫です、と返す。
助けを求めようにも何をどうお願いしてよいのかわからないし、万が一迷惑をかけたら申し訳ない。
(まだ、魔物が出るほどではないはず、だけど・・・・・・)
近くにいる相手の魔精の質や強さによっては、蝙蝠や蛇が襲いかかってしまうかもしれない。
(少ししたら、ましになるはず)
気持の悪さには波がある。
ましになったら立ち上がって、とにかく「通路」まで行って、家に帰ろう。
こみ上げる吐き気に耐えながら地面を見つめて、ひたすら息を吸って吐く。通りがかった人がまた一人気遣って声をかけてくれたけど、今度は顔も上げられないままで、手だけを振っていいです、と伝える。程なく足音は去って行く。
優しい人の多い世界。その世界で、優しくされるべき「人間」として存在できている。
それはとても、ありがたいことだ。
(大丈夫。私は魔物じゃない)
ちゃんと「人間」として、もう十年以上、生きてきたのだ。
これからだって、そうやって、生きて行くんだ。
(砂映くんと再会するまで、私はそうやって生きてこられたんだから。これからだって、砂映くんなして、前みたいに生きていけばいいんだから)
今の不具合さえ切り抜ければ、きっと立て直せる。
荒い息を吐きながら涼雨がそう自分に言い聞かせた、ちょうどその時だった。
「涼雨さん!?」
アスファルトでざりっと音を立てた大きな靴。見覚えのある、白魔術の術者がよく履く白いショートブーツが、うつむいた涼雨の視界に入ってきた。
(幻かな)
涼雨は思った。
(やっぱり駄目ってこと?私は砂映くんなしでは駄目だってことなの?)
朦朧としながら、はじめはそんな風に思った。
「涼雨さん!」
けれども、もう一度強く呼びかけられて顔を上げると、それは間違いなく現実だった。
「本物」が、そこにいた。
「・・・・・・え?砂映くん・・・・・・?」
今、誰よりも会いたくない人。
けれども涼雨の中の無意識が、何もわかっていない子どもみたいに、なんだか勝手に否応なく大喜びしている。自分の中の半分、いやそれよりもっと多い割合が、大好きな砂映に会えたことを無条件で嬉しがっている。条件反射のように。馬鹿みたいに。
そんな自分を感じて、涼雨は余計に苦々しく思う。
「砂映くん、なんで、こんなところに」何とかそう、口にした。
「そ、それはこっちの台詞というか」
「なんで?今日仕事は?」しゃがんだまま、涼雨は噛みつくような口調で訊いた。
困惑や混乱が昂奮を引き起こして、一瞬身体のしんどさを忘れさせる。けれどもすでに綻びだらけの魔術の術式が、今のショックでさらにいくつか壊れたことも涼雨は認識する。術の総数は現在はたぶん二百を超えている、とはいえ。
(なんでこんな時にこんなところで会うの?)
(だけど砂映くんはこの辺りに住んでいるのだし休みなのかもしれないし私はもう彼女じゃないから関係ないから何も教えてもらえてないのも当然で)
(でも関係ないならなんで近づいてくるの。なんで声かけるの)
「大丈夫?」
いつもどおりの気遣いにあふれた砂映の問いかけに、涼雨は自分の中で感情が膨れ上がるのを感じた。
(なんでそんな顔してそんな風に訊くの)
(大丈夫なわけない)
(あなたに捨てられて、大丈夫なわけない)
幼児のように我儘に、すがりついて、ののしりたい。
その衝動を、涼雨は何とか抑えこむ。
(違う、悪いのは私)
涼雨は息をつきながら、我知らず呟く。
「・・・・・・もう、大丈夫だって、思ってた、のに、大丈夫じゃなかった」
熱を帯びて潤んだ目に、さらにじわじわと涙が湧いてくる。
(ちゃんと生きられていたつもりだったのに。なんでこんなことになったの?)
(砂映くんと再会するまでは、私は一人で、ちゃんと生きてられたのに)
※砂映視点の同シーンは「23.涼雨(1)「再会なんてしなきゃよかった」にあります。




