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42.涼雨(20) 回想⑱ 終わりの予感

 ふいにそれは訪れた。


 涼雨りょううは忙しかった。

 勤務先の小学校で、親御さんたちだけでなく地域の人たちも巻き込んだ特別行事が初めて行なわれることになって、涼雨はそのことで頭がいっぱいだった。

 週末、連絡をくれた砂映さえいと一緒にお昼を食べた。

 わざわざ涼雨の家の近所まで来てくれたのに、午後から学校に行ってしなければいけないことがいろいろあったので、早々に切り上げた。

 態度もおざなりだったかもしれない。その時は何とも思わなかった。

 その程度のこと、これまでも普通にあった。


 けれどその後、砂映からの連絡がぱったりと途絶えた。

 連絡がなくなったことに気づいたのは、一週間以上経ってからだった。


 その特別行事を無事終えることができて、ほっとした帰り道。日曜日の夕方。

 石電(せきでん)を開いて砂映(さえい)にテキストを送ろうか電話でもしようか、と思い・・・・・・涼雨は「あれ?」と思った。


 これまでなら、こちらが忙しい時でも、タイミングを測りながら、忙しかったら返信はいいよなんて添えながら、少なくとも勤務先の魔法薬店がお休みの土日にはテキストを送ってくれていた。平日の夜にも、毎日ではないにせよちょくちょく連絡はくれていた。


 けれども一緒にお昼を食べた先週の土曜日以降、一度もテキストは来ていないし、電話もなかった。


(連絡なかったことに今頃気づいたなんて、その時点で、彼女として終わってるかな)

(砂映くんのことないがしろにしてたのはこっちだし、文句言えない)

(最後に会った土曜日だって、私、ひどい態度だったかも)


 身に余る立場であることを忘れて、調子に乗っていたのだ。

 だから砂映くんも、怒ったのかもしれない。愛想を尽かしたのかもしれない。

(謝った方がいいのかな)


 でも、連絡がない本当の理由は、実際のところわからない。

(もしかしたらたまたま砂映くんも忙しかっただけなのかも)

 何事もなかったみたいに、連絡が来るかもしれない。

 そうであるなら、こちらからいきなり謝ったりしたらむしろ困惑させてしまう。

(もう少し待ってみよう)


 けれども次の日も、連絡はなかった。

 こちらから、何かたわいない内容でテキストを送ってみようかな、とも思った。

 けれどももし、こちらが謝るべき状況だとしたら、てきとうなテキストを送ったら余計に怒らせてしまうかもしれない。

(なんて送ったらいいかな)


 いい案は浮かばなかった。電話をしてみようかとも思ったけれど、それこそタイミングが悪かったらいやだし、勇気が出なかった。

 そして次の日も、やはり連絡はなかった。


(もしかして、倒れたとか。何かあったとか)

 次の日の朝。突然、そう思いついた。

(もしも砂映くんの身に何か起きたのだとしたら。私に対してどうこうではなくて、単に私に連絡するのは不可能な状況になってるとしたら)

 心配でたまらなくなったその一方で、そうであるなら自分は嫌われたわけではない、と安心できる。

 そう思った自分の自己中心ぶりに、涼雨は自分で呆れた。


(最低だ私)

(彼女失格だ。今さらだけど)

(でも、そうでないとしたら。砂映くんは普通に元気で、自分の意思で私にもう連絡していないのだとしたら)


(もしそうなら、それはもう、本当に嫌われてしまったということ)

(私が気づいてないだけで。本当は、もうとっくに関係は終わってるのかもしれない)

(私のことが好きだって、あんなに言ってたのに。どうして。なんで連絡くれないの)


(嫌いになったなら嫌いになったって、はっきり言ってほしい。別れるって言ってほしい)

(どうしてるの?今、どうしてるの砂映くん)

(なんで連絡くれないの)

(どうしてるの?)

(どうしてるの?)

(どうしてるの?)


 その時、す、と映像が、涼雨の中に流れこんできた。

 それが真珠しんじゅ蝙蝠こうもりの視界だと、涼雨は頭の片隅でわかっていた。よくない、とも思っていた。けれども「見たい」という気持がそれを完全に凌駕していた。自分の意思では、止めることができなかった。


(砂映くん)

 カーテンの隙間から朝の光が差し込む中、砂映は自分の部屋で眠っていた。どこか体調が悪いとか、不調に陥っているといった様子もなく、いつもの自分のベッドで、寝返りを打ち、何か夢でも見ているらしく平和な顔つきでむにゃむにゃしていた。


(砂映くん、元気だ・・・・・・)

 涼雨は胸に何かを突き刺されたように感じた。

 砂映の身に何かあったわけではなかったことを、喜ぶべきなのに、喜びよりも絶望が勝っていて、そのこともショックだった。


 その日涼雨は、日曜の行事のかわりの振替休日だった。

(そっか。つまり砂映くんは自分の意思で、私に連絡するのやめたんだ)

(とうとう終わったんだ。終わってたんだ)


 気持を切り替えて、とりあえず朝ご飯を食べよう。

 午後からは溜まった仕事を片付けに学校に行く予定だけれど、午前中はゆっくりできる。

 とっておきの、少しいい珈琲を淹れよう。トーストにハムと卵焼きとキャベツを乗っけて食べよう。


(そっか。砂映くんはもう)

 ヤカンのお湯が沸いたので火を止める。ドリッパーに珈琲の粉を入れる。


(砂映くんはもう)

 卵を割って、砂糖と少しの塩を入れて、かき混ぜる。


(砂映くん)

 最後に会った日に、違う態度をとっていたら、何か違ったのだろうか。

 もう、どうしようもないのだろうか。

 これからでも、話をしたら、何とかなるだろうか。


(何が一番駄目だったのかな)

(それとも、そういうことじゃないのかな)

 ぐるぐるぐるぐる、卵をかき混ぜ続けながら考えた。


(どうしたらいいの)

(どうしたら元に戻れるの)

(どうしたらいいのか教えてほしい)

(どうしたらいいの)

(砂映くんに会いたい)

(どうしてるの砂映くん)

(どうしてるの砂映くん)

(今、どうしてるの砂映くん)


 ――――涼雨にかけられている術は、定期検診のたびに更新をしていて、今でもずっと、魔道士によって変更がなされ続けている。

 少し前の定期検診の時に、魔道士は言った。


真珠しんじゅ蝙蝠こうもり一匹程度なら、害は少ない」

 だから、いくつかの封印が破壊された時点で真珠蝙蝠の魔精体が出ることを可能にすることで、そこが「逃げ」となり、さらなる術破壊が進むのを少しでも抑制できる効果が見込める、と。


「害があるとするなら、魔精体からおまえが『魔女』として誰かに見つかる危険性だが・・・・・・まあ、出現を『許した』蝙蝠こうもりには魔精の痕跡を消すよう術をかぶせているから・・・・・・多少の時間差はあるにせよ・・・・・・大丈夫だろう」

 そう魔道士は言った。


 今さらそんな、魔物に逆戻りするようなこと。

 たとえ真珠(しんじゅ)蝙蝠(こうもり)一匹でも、さほど害はないにしても、人として、そんなもの出したくはないし、出すべきではない、と涼雨は思った。


 けれども魔道士がそんな変更を行なったのは、涼雨が砂映と再びつきあい始めてから、明らかに一時期よりも情緒の上下が激しくなったからだというのもわかっていた。術を壊すレベルにまでなったことはなかったが、感情の波が大きくなり、それは当然魔精の状態に多大な影響を及ぼしていた。


(悪いのは全部、あの魔道士なのだから。蝙蝠こうもりが出られる状態にしたのは、あの魔道士なのだから)


 ぐるぐるかき混ぜ続けている卵に、もはや涼雨の意識は向いていなかった。

 魔精体の白い蝙蝠こうもりの「目」が再び砂映の姿を捉え、涼雨の意識はそこに集中する。


 朝の商店街。走っている砂映。魔法薬店・・・・・・砂映の職場のお店だろう。寄ってみないかと誘われたこともあったけれど、魔術関係者に会いたくはないので丁重に断り、近づかないようにしていた。だから初めて見る。砂映は鍵を取り出して、店を開けようとして・・・・・・けれどもどうやら、開かないらしい。


(どうしたんだろう?)

 困り果てた様子で、砂映はその場にしゃがみこんだ。

 そのまま砂映の上空を旋回していると、その砂映に女性が近づいていくのが見えた。

 小柄で可愛らしくてにこにこしている、誰もが好きになりそうな、感じのよい若い女の子。

 その子が声をかけると、砂映は笑顔になった。


(そっか。砂映くんはきっとこの子と)

 涼雨の胸はずきずきと痛んだ。


(受け容れないと。諦めないと)

 必死でそう自分に言い聞かせる。さらに自分を傷つけるだけだとわかっているので、こんな覗きはさっさとやめるべきだ。それなのに、魔精体の蝙蝠こうもりの「目」は砂映とその子にさらに近づいて、彼らの表情を見ようとする。聞こえない会話の雰囲気を、何とか探ろうとしてしまう。


(砂映くんは感知できないだろうけど、魔精感覚の鋭い人なら・・・・・・蝙蝠の存在に気づくかも)

 とはいえ女の子も、どうやら魔精感覚に優れているタイプではないようだった。


 いつの間にか「目」だけではなく、魔精体の蝙蝠自体が彼らの元に行っていた。

 かなり近づいても、こちらの存在に気づく様子はまるでない。


(いいな。どこからどう見ても普通の、可愛い女の子。すごく砂映くんにお似合いだ。いいな)

 服装は地味で、媚びのようなものは一切感じさせない。けれども顔もしぐさも、存在そのものが愛らしい女の子。

 まるで、砂映に再会した直後に想像していた「砂映の奥さん」そのものだ。


(私もこんなだったらよかったのに)

 魔精体の白い蝙蝠こうもりは、彼女の間近をパタパタと飛び回って彼女を観察していた。

 胸が痛かったし悲しくてたまらなかったけど、彼女への害意はないつもりだった。

 けれどもふいに、バチン!と涼雨の感覚に衝撃が走った。


(?)

 はじめは、何が起きたのかわからなかった。

 衝撃はあったが、痛み、と感じられるほどのものではなかった。だが、魔精体の蝙蝠が一瞬にして消えたのだ、ということは理解できた。


(いつまでも覗いている場合じゃない)

 原因はよくわからないが、とにかく消えたのはむしろよかったのかもしれない。

(ご飯を食べて、仕事をしよう)


 かき混ぜすぎの卵を焼いて、珈琲を温め直した。

 甘い卵焼きと塩気の効いたハムとしんなりしたキャベツとカリカリのトーストを重ねて頬張る。美味しい。珈琲も、美味しい。


(大丈夫。私は大丈夫だ)

 予定より早めに職場の小学校へ行き、仕事に集中した。集中できた。

(大丈夫。大丈夫)

 そう思っていた。

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