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40.涼雨(18) 回想⑯ 逡巡

 朝の十時前頃に着くと、魔道士は、言っていたとおり不在だった。

「そういう予定」なので、魔道士の家は涼雨(りょうう)を迎え入れる。中に入ると、来客用の居間のテーブルの上に調整済の涼雨の石電(せきでん)が置いてあった。


(どうしよう)

 誰もいない居間で、涼雨は途方に暮れた。

 砂映(さえい)は待っていると言った。喫茶店で、待っている、と。

(会いたい。すごく会いたい。だけど、会いたくない)


 別れてからも、二十年近く、ほぼ毎日その姿を思い浮かべてきた。

 思い浮かべるだけで、心が穏やかになり、幸せな気持になることができた。

 まるで信仰だった。自分にとって、唯一無二の、大切な存在。


 けれど一昨日会った「本物」の威力は・・・・・・凄まじかった。

 「心の中の砂映くん」を一瞬で吹き飛ばすほどの、圧倒的な現実の存在感。

 それは暴力のように荒々しく涼雨の心をがっと掴んで、ほとんど吐きそうなぐらいの昂奮に満ちた悦びと、それと同じくらいの恐怖を涼雨に与えていた。


(自分がどうなるかわからない)


 現実の砂映。

 当時から、モテる人だった。

 あの様子で、大人になってからもモテなかったはずがない。

 一見チャラいようで真面目だし、きっと結婚して、子どもがいたりするんだろう。


 大好きな人の幸せを、祝福できる自分でいたい。


(想像して大丈夫なら、大丈夫・・・・・・?)


 魔道士は相変わらず歯切れの悪い言い方をしていたけれど、確かに自分は、先回りの思考や感情によって暴走を起こしていたことが多かった気がする。


 なら、最悪な想像をして、それに耐えられたら、どんな現実を聞かされても大丈夫だろうか?


(幸せな家庭。素敵な奥さん。可愛い子ども)


 砂映はきっと、いいパパになっている。

 涼雨は、教師としてこれまで関わった、感じのいい親御さんたちのことを思い浮かべた。


(あ、いいな。素敵なパパの砂映くん、いいな)


 奥さんのことだけを愛している、子煩悩な砂映くん。

 想像して、むしろ嬉しくなっている自分に気がつき、涼雨は安心する。


(なんだ、大丈夫だ)


 自分みたいなおかしな女と付き合っていたよりも、可愛くてまっとうで感じのいい、普通の女の子と普通の恋愛をして、いい感じの家庭を築いた砂映くんの方が、いい。

 それでいい。それがいい。


(そうだ。元々私は、単なるファンだったんだから)

 クラスの人気者に、ひそかに片思いをしていた。

「彼女」になれたこと、が、そもそもおかしかったのだから。


(・・・・・・だけど)

 そこでふと、涼雨は再会した時の、現実の砂映の一昨日の様子を思い出した。


(ずっと待ってる、みたいこと言って・・・・・・まるで必死みたいに)

 懐かしさのあまり、思わず昔の彼女に当時みたいな態度をとってしまった、だけかもしれない。


 でも、もしも奥さんや、今おつきあいしている彼女がいるとしたら、他の女にあんな態度をとるのは問題ありだと思う。

(フラフラといろんな女の人引っかけてる人・・・・・・になってる可能性もある)


 正直、それは嫌だな、と思った。

 でも、それはそれで大いにあり得ることのように思えた。


(人の人生にとやかく言う権利はないし)


 でも、その遊び人になった砂映くんに、もしも、数多いる彼女の一人として扱われる・・・・・ことになったら。

(それは・・・・・・辛すぎる)


 はじめはそんなことおくびにも出さず、こちらのことをまだ好きだ、なんて調子のいいこと言って。

 実際はこちらのこと、遊び相手の一人として軽く見てる、なんてことが後からわかったら。

(そんなことになったら、自分がどうなるかわからない)


 けれどもそのパターンなら、少なくとも今日の時点で本性を出すことはないだろう。

 なら、今日だけ会って、懐かしい話をして、すっぱり去れば、無事に切り抜けられるかもしれない。

(でも)


 一昨日の砂映は、高校生の時の、優しくて気さくで誠実な人柄が、まったく変わっていないように見えた。あの感じで、あの「本物」の威力を持って、よりを戻そうみたいなことをもしも言われて、断りきることが自分にできるだろうか。


(・・・・・・無理かもしれない)


 やっぱり、行かない方がいいのか。

 いや、そもそも自分に「弄ばれる程の女の価値」があるのかどうか。それこそ自惚れているのでは。

 多少、これまでの人生で言い寄られたこともないわけではないけれど、でも、あんなモテる人に、自分が相手にされるなんて思うのは、どうかしているのでは。


(でも、一応元彼女だし。当時は好きだ好きだって言われてたし)

 こんな女にかつてフラれた、という腹いせに、とか。

(それに、他の目的の可能性だって)


 そうだ。何かを買わせるとか、勧誘とか、たらしこんで他人を利用する目的は他にも山ほどある。

 涼雨が特異な魔精体質であることを思い出して、そういう意味で何か利用価値を見出している可能性だってある。

(現実の砂映くんがどんな人間になってるかなんて、わからない)


 それは肝に銘じておかなければいけない。

 人は変わる。信じた人に裏切られる話なんて、珍しくもない。

(でも、変わってしまった砂映くんなんて・・・・・・知りたくないなあ)


 やっぱり、もう会うべきではないのかもしれない。

(だけど)

 あの、本物の顔をもう一度見たい。本物の声を聞きたい。

(あの頃に戻れたら。やり直せたら。もう一度、砂映くんの「彼女」になれたら)

 その期待が自分の中にあることを、否定できない。

 それが怖い。


 ――――どうして昔の俺は、こんな女のことが好きだったんだろう。

 そんな風に思われたら、いいと思う。


 ――――昔は好きだったけど、今はもうすっかりおばさんだな。

 そんな風に思われても、いいと思う。


 それなら、平和だ。平和に、思い出話に花を咲かせて、その場限りでさようなら。


 それなのに、普段よりも少し綺麗めの服を選んで、ちょっと丁寧に化粧をして来てしまった。

(どうしたらいいんだろう・・・・・・) 

 一昨日渡された、砂映の石電の電話番号のメモが手元にある。

 魔道士が直した自分の石電も、今、手元にある。


 魔道士が待機できる日に、会う日を変更してもらう、という案についても考えた。


 けれど、予定をわざわざ変更して、仕切り直しをするのは、それはそれであまりにも大ごとな感じがする。たまたま会って、たまたまついでの用事もあるから、じゃあ会おうか、という軽い雰囲気にしておきたい。相手だって、もしかするとその場のノリでてきとうに言っただけかもしれないのに、そんな風に引っぱられたら迷惑かもしれない。相手に自分の番号を知られてしまうことも――――いろんな意味で怖い。


(どうしよう)


 グルグルと考えているうちに、気がつくと、十二時を過ぎていた。

 涼雨は立ち上がった。このままでは埒があかない。


 ――――行こう。


(いつまでも待ってる、って言ってくれたけど、そんなに暇じゃないだろうし)


 きっともう、いないだろう。

 いなければ、それでいい。


 午前中に、と言ったくせに。連絡先も渡したのに電話の一つもよこさずに。常識のない奴だ、失礼な奴だ、と怒って帰ってくれてたら、それでいい。


 まったく後悔しないとは言い切れないけれど、もしいなかったら、それはもう会わない方がよかったという、そういうことなんだ。いつもみたいに、美味しいサンドイッチと珈琲のランチを楽しんで帰ろう。一昨日までと同じように、砂映くんと再会する前と同じように、一人でしっかり生きて行く。


(だけど、もしもまだ待ってたら)


 もしもまだいたら。

 一つの可能性。砂映くんはあの頃とまるで変わってなくて、とても優しいから、待ってくれている。

 もう一つの可能性。砂映くんは何か魂胆があって、だから目的達成のためにいつまでも待っている。


(怖い)


 涼雨は大きく息を吸って吐いた。

 覚悟を決めて、魔道士の家を出た。



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