04.積多と謎の女
途季魔法薬店は、常時客がいるような店ではない。
魔法薬のよさを見直そう、と若者向けに情報空間で発信しているような人がいるらしく、ふらりと覗いてくれるような客が最近増えてはいて、店内が急に四、五人の人でにぎわう、ということもないでもないが、お客が誰もいない時間というのもめずらしくはない。
客が来れば応対し、それ以外の時間は在庫の管理とチェックをしたり、配送の準備をしたり、魔草を擦り潰したり魔鉱物を砕いたりといった作業をして、砂映はその日の午前中もいつもどおり過ごした。気がつくと正午を過ぎていたので、砂映は表に札をかけた。「お昼休憩中ですが、対応いたします」。途季老人が一人でお店をやっていた頃、お昼ご飯を十二時に食べたい老人が、けれども仕事のお昼休憩時間でやって来る客も少なくないのでかけることにした札である。純粋な休憩がとれないことになるが、余程の日以外は客が途絶える時間がだいたいあるので、その時間でそれなりに相殺している。
・・・・・・結局、午前中には例の深澄水を買いに来ると言った吟遊詩人は来なかった。
(予約というわけでもなかったんだし)
潤光波草は、深澄水の通常の材料である。
銀狭霧鳥の羽根と風見石が、「魔力の少ない砂映が時間短縮で精製するため」追加となったものだ。これらの材料費分を追加したとしてもぎりぎり赤字販売になることはないが、何となく申し訳ないので、砂映はその分は自分で購入としてレジを打っていた。
(まあ、自分への安心料というか)
朝の焦りは何だったんだろうとむなしい気持もないではないが、きっと何の準備もしていなかったら吟遊詩人は九時にやって来たに違いない。そういうものだ。
店内に客もいなかったので、砂映は昼食を準備するために店の奥にある台所に行った。古めかしい二口ガスコンロとステンレスの流し、棚が並んだ向かい側に、大きめの冷蔵庫が置かれている。冷蔵室には、保冷が必要な魔法液の小瓶や魔精植物の入ったガラスケース、さらにはやや取扱注意な生きた魔精微生物の入ったフラスコなどとともに、味噌や醤油といった調味料や老人の好物のプリンなども入っている。冷凍室の方には、特殊な魔石や珍しい魔獣の血(入手できたからと言って少し前に雷夜がくれた)、その他冷凍保存が必要な魔法薬の材料とともに、冷凍うどんのパックがぎっしり入っている。途季老人が何かのお礼で大量にもらったらしく、砂映も自由に食べていいことになっていたので、最近のお昼ご飯はもっぱらこれだ。めんつゆに、少し前にまとめて刻んで冷凍していた薬味を入れて小鍋を煮立たせて、冷凍うどんを放り込む。食器棚から椀や箸を取り出したりしていると、店の扉の鐘がカランカランと響いた。砂映は慌てて火を止めて、表に戻る。
「聞いてください先生!」
やって来たのは、一週間前に初めて店に来てから今ではすっかり顔馴染みになった積多だった。四十代半ば、濃い顔が特徴のダンディなサラリーマンである。この近所の会社に勤めているとのことで、今日もスーツ姿だ。砂映は先生と呼ばれるのが苦手だったが、呼ぶのは積多に限らないし魔法薬師がお客にそう呼ばれるのは致し方ない。
「どうしたんです?」
「明日、明輝良がようやく家に戻ることになったんです。まだ仮出所の観察期間ですけど・・・・・・」
積多の次男の明輝良は、人が芋虫に変身するという事件に関わっていたということで捕まり、魔術協会の保護観察施設に収容されていた。実際に芋虫にされていたのは明輝良の兄の凪と母親のみで、明輝良をそそのかし操っていた首謀者の魔女は明輝良の母親の妹であったので、「家族内の事件」として、その取扱はケアに重点を置かれたものになっている。長男の凪が芋虫になった、と積多がこの魔法薬店に駆け込んできたことがきっかけで、砂映は魔道士雷夜とともにこの案件に関わることになり・・・・・・自分がいなくても事件は無事解決しただろうと砂映は思っていたが、それ以来積多は砂映を恩人と慕い、報告や相談、あるいは愚痴を言うために頻繁にこの店を訪れるようになっていた。
「あ、今日もここでお昼食べてもいいですか?」
言いながら、積多は妻の手作りらしいお弁当を取り出す。仕事の昼休憩時にここに来て弁当を広げるのは今回が始めてではない。
「どうぞどうぞ。私も今から食べるとこなんですけど、用意の途中なのでちょっと失礼しますね」
にこやかに言いながら砂映は台所に戻り、先程消した火を再びつけた。頃合いを見て火を止めて椀によそう。椀の脇に、試飲用の紙コップを二つお盆に載せてお茶を注ぐ。一つは積多のためのものだ。
「お待たせしました積多さん、話の続きを――」
言いながら砂映が戻ると、ちょうどそのタイミングでカランカラン、と入り口の鐘が鳴り、なじみ客の老女が入って来た。
「あらやだ、もうお昼の時間やってんね。ごめんねえ」
「いえいえ!すぐに準備します」
老女に処方している魔法薬は期限が短いものなので、いつも来た時にその場で精製している。砂映は棚をいくつか開けて、手早く材料を集めた。
「今日も男前やねえ若先生」
「ええと・・・・・・ありがとうございます」
この老女にはしょっちゅうそんな風に言われるが何度言われても気恥ずかしく、材料を鉢に開けながら砂映はしどろもどろ言う。その時また扉の鐘が鳴り響き、今度は若い女性客が入って来た。
(なんか急に千客万来・・・・・・)
積多の話を聞く余裕はないかもしれない。砂映は調合鉢に手をかざし呪文を唱えながら、積多に向かって小さく頭を下げた。積多は笑顔を返し、カウンターの隅を陣取りマイペースに自分の弁当を平らげている。砂映は精製を終えて綺麗な粉になった薬を小瓶に移して蓋をし、ラベルを貼るとレジを打つ。
「千五百Y・・・・・・」砂映がいつもどおりの値段を老女に告げようとしたその瞬間、
「ちょっと、まだなの?」
先程店に入ってきた若い女性客が突然非難の声を上げた。
「あ、申し訳ありません。少々お待ちくださ・・・・・・」
「私を待たせる気なの?無礼にも程があるわ」
スーツ姿で三つ編みに眼鏡をかけた小柄な女性だったが、扉の横に立ったまますごい目で砂映のことをにらみつけている。
財布を手にした老女が、「先にお相手してあげて」と砂映に向かって微笑みながら促したので、砂映は老女に頭を下げながらカウンターから出て、三つ編みの女の傍まで行った。
「えっと・・・・・・どのようなものがご入り用で」砂映が訊ねると、
「よくもそのような口がきけたものね」
砂映を見上げながら女は言った。
一見地味をよそおった格好だが、そのスカートはかなり短く、近くに立つと三つ編みの髪はやけにつやつやで、睫毛は棘のようにコーティングされてぐっと上向きにカールしている。目の上の化粧が濃い。凹凸の激しい小柄な身体から、むっと香水の匂いがする。
「あ、何かお探しというわけではなくて?」
砂映は問い直したが、女は険のある調子のまま、
「わからないの?」と返す。
「何かお困りの症状や現象があるようでしたら・・・・・・」
「あなた、私を誰だと思っているの」
「変なヒトだなあと思ってますよ・・・・・・っと」
そう言ったのは、店の隅で弁当をつつきながら様子を見ていた積多である。
女はキッと積多の方をにらみつけた。
「・・・・・・すみません存じ上げず」
ハラハラしながら、砂映は慎重に答える。
「私は華麗なる魔術師紅様」
「紅様、とおっしゃるんですか」
「私が紅様なわけないじゃない」
「え、ちがうんですか」
「あたりまえじゃない。私は紅様のしもべよ」
「しもべ」
「あなたまさか、紅様を知らないの?」
「すみません存じ上げず」
「知るべきよ。全人類は知るべきよ。魔術師紅様。ある時は魔術医師。ある時は吟遊詩人。ある時は召喚師。ある時は魔物討伐者であり、ある時は魔術拳闘士であり、またある時は魔術舞踏家でもある。数多の顔を持つ魔術師の中の魔術師、それが魔術師紅。そのたぐいまれな魔法技術と知識で病いに苦しむ者たちを救い、そのたぐいまれな美貌と美声で多くの人々に快楽と癒やしを提供し、そのたぐいまれな魔精力と肉体の強さで幾頭もの凶悪な魔物たちを屠り、そのたぐいまれな倫理観と優しさで多くの魔女に赦しと庇護を与えてくださっている、崇高で素晴らしいお方なのよ紅様は!」
「どんだけたぐいまれか知らないけど、聞いたこともない」
傍らから呟いたのは積多である。
「まあ、無知な愚民が知らないのは仕方ないことだけれど」女が言うと、
「あれえ、でもその人、魔術師なんですよね。魔道士じゃなくて。それって大したことないのでは。だって魔術師は魔道士の下位免許、ですよねぇ先生!」
積多は大声で、煽るように言った。
(あわわ・・・・・・)
砂映は返答に困る。積多が言っていることは、もちろん間違ってはいない。魔術師免許だって、黒魔術・白魔術・精霊魔術に精通してないと取得できない難易度の高い免許であり、砂映にとっては雲の上なのだが、制度上は魔術師免許は魔道士免許を取得すれば自動的に含まれる、魔道士免許の下位免許である。しかし魔道士だの魔術師だの魔法使いだの、かつては各自好き勝手名乗っていたものを協会が無理矢理後から制度化したという性質上、個人や組織のこだわりがいまだ根強く残っていることもあり、名乗る職によって優劣が決まるものとは言い切れない。大抵の魔道士をはるかに凌ぐ実力を持ちながら、魔術師という呼称にプライドを持っている高名な術者もいたりする。
とりあえず、火に油を注ぐのは避けたい。
「いえまあ。実際にはいろいろあるんで・・・・・・人それぞれですし・・・・・・」
「そうなんですかあ?私が言うのもなんですけど、先生、変な客にはびしっということも時には必要ですよお?」
「ハハ」
積多の言い方に、砂映は苦笑する。息子が突然芋虫になったり妻が魔女の血筋であることを最近初めて知ったりでうろたえて相談してきたので気弱な印象があったが、やはりあの強気な明輝良少年の父親らしい。
「その魔術師紅って人のことは知らないけど、やっぱり凄いのは魔道士だと私は思いますよ。お世話になったし。魔道士雷夜!」
積多が言った。
その瞬間、女は顔をしかめた。
「魔道士雷夜。魔道士雷夜とほざいたわねあなた」
「へ。あ、雷夜のことご存知なんですか?」
砂映はとりなすように訊ねたが、
「そうか。おまえたちは魔道士雷夜の配下なのね!」
そう大声で叫ぶなり、女は突然胸の前に手をかざして呪文の詠唱を始めた。
「え?いや、待って、落ち着いてください」
砂映には彼女がどういった魔法を発動しようとしているのかまったくわからなかったが、すでに砂映にも見えるほどのエネルギーが女のまわりに立ち上り始めている。完全に戦闘態勢だ。ただごとではない。
※人が芋虫に変身するという事件:「きらへっぽ~嫌われ魔道士へっぽこ魔草師~芋虫事件」




