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37.涼雨(15) 回想⑬『三聖獣の魔女』の発売

 それは、涼雨(りょうう)が教師になって三年目の秋のことだった。

 定期通院でいつものように魔道士のところへいくと、涼雨は一冊の本を手渡された。


「なにこれ」

「・・・・・・数日前に発売されたらしい。魔術協会で話題になっていた」


 厚みのあるハードカバー。タイトルは『三聖獣(さんせいじゅう)の魔女~ある少女の物語~』。


「三聖獣の、魔女って」

「間違いなくおまえのことだな。匿名になってはいるが」

「私・・・・・・のこと?」


 すうっと涼雨の顔から血の気が引いた。


「どういう・・・・・・」

「おまえの出生から養育のエピソード、宿した魔物の性質や魔精の研究に関して、かなり詳細に書かれている。なかなか興味深い内容だった。多少フィクションを入れているとのことだが」


 涼雨はぱらぱらと本をめくった。手が、震えていた。

 最後のページの文章に、目が止まった。


***********************************************************

 私はずっと悔やんでいる。なぜ最後に会った時に、もっと優しい言葉をかけてやれなかったのか。

 ある事件により、施設にいた彼女は行方不明となった。私は彼女の安否だけでも知りたいと、懸命に調査を行なった。だが、芳しい結果は得られなかった。今はすっかり回復して一児の母となり、仕事にも復帰した妻も、私同様ずっと彼女のことを気にしている。


 この本を執筆した理由は、大きく三つある。

 一つは、この貴重な研究結果を残したかった、ということ。不十分な部分もあるとは承知しているが、本書の内容が魔術の発展に少しでも寄与することを願っている。

 もう一つは、この数奇な運命の下に生まれた一人の少女について、一人でも多くの人に知ってもらいたかった、ということ。天涯孤独で、二人といない特異な魔精体質を持ち、自身の抱える魔物たちに翻弄されながらも懸命に人として生きようとした彼女を、私は心から尊敬している。と同時に、私は自身の力不足を、人としての至らなさを、これからも生涯悔やみ続けるに違いない。

 最後の一つは、それはこの本を手に取った方に、お願いしたかったからである。彼女が今、どうしているのか――――どうなったのか。知っている方がいれば、どうか教えてほしい。私も妻も、どんな事実でも受け止める覚悟をしている。誰のことも責めるつもりはない。最も罪深いのは私たち自身だからだ。ただ、その顛末を知りたい。知らなければならない。そう思っている。協会の末端に所属するしがない二人の魔術師に、できることは限られている。どんなことでもいい。些細なことでもいい。何か知っている方がいれば、どうか、連絡をしてほしい。

***********************************************************



(この気持は、何だろう)

 本を持つ涼雨の手は、ぶるぶると震え続けていた。喉から何かがこみあげそうになっていた。身体の一部は異常に昂ぶり、一部は逆に、何か奪われたかのようにすとんと力を失っていた。極度の高温による蒸発のような、異常なほどのあっけなさでいくつもの封印や拘束が消え去っていた。それによって備えの封印や拘束が次々に威力を強めていたけれど、涼雨が自覚するより前にそれらも次々壊れて消えた。


(嬉しいはず、なのに)

 心底嬉しいはずなのに。けれども、なぜかそう感じられない。


(二人に許されることを、心から願っていたはずなのに)

 なのに、どうしてなのか、感情が凍りついているように動かない。


(私は苦しんで苦しんで苦しんでたのに。なにを今さら)

(なんでこんな本書いたの。人のこと勝手に)

(私がどれほど異常な存在かを、これでもかと)


「貴重な研究結果」――――そのとおりだ。彼らはそのために、私といたのだ。

 そんなこと知っていた。はじめから知っていたはずだ。


「人として生きようとした」――――そう、つまり彼らにとって、私はずっと「人」じゃなかったのだ。   

 人になろうとして徒労を重ねていたまがいもの。

 そうだ。それだって、知っていたはずなのに。


(なんで今さらこんなに傷つくの)


 二人には、今、子どもがいるのだという。

 幼い頃、自分が二人の本当の子どもだったらどんなによかっただろう、とよく思ったものだった。

 でも、自分はそうではなかった。


 そして今、かつて自分が欲しかったもの全部持った、「普通の人間」の、幸福な子どもが、彼らとともにいるんだ。




「私はやっぱり、魔物だ」

 涼雨は呟いた。頬は涙で濡れていた。口元には、自嘲的な笑みが浮かんでいた。


 あらゆる封印も拘束も――――涼雨にかけられたすべての術が消え去っていた。およそ七年ぶりの、完全に解放された状態だった。完璧な結界の張られた魔道士の家の中ではあったが、長年抑えられていたことへの反動と感情の昂ぶりによって、強大な魔精のエネルギーが嵐のようにその身体から立ち上り、部屋の隅に積んであった書き物や羊皮紙が宙を舞っていた。


「なぜそう思う?」魔道士が問う。


「だって、私、綾巳さんが生きてて嬉しいはずなのに。回復してて、子どももできてて・・・・・・嬉しいはずなのに。二人に憎まれてなくてほっとして、喜ぶべきだってわかってるのに、おかしい」


「どうおかしいんだ?」


「二人のことも、二人の子どものことも、腹が立ってしょうがない。二人は悪くないってわかってるのに。その子に何の罪もないってわかってるのに。憎らしくてしょうがない。ひどいめに遭わせてやりたいなんて思ってる。どうしよう。私、おかしい。私はやっぱり魔物なんだ。だからこんな、ひどいこと思うんだ。こんな気持になるなんて、私はおかしい。私はやっぱり人間じゃない」


「おまえの感情はおかしくない。感情は自由だ。何を思おうと人間は人間だ」


「おかしいよ。許せない。何もかも許せない。自分が一番許せない。ねえ、なんでさっさと私を殺さないの。なんでさっさと殺さなかったの。嫌だ、嫌だ、嫌だ・・・・・・!」


 そこで涼雨の意識は途切れた。



 目が覚めると、久しぶりの懐かしい白い天井――――入院中に使っていた部屋のベッドの上だった。窓からは明るい光が差していた。どうやら朝のようだった。涼雨はいつものように砂映のことを思い浮かべて、自分が人間であることを確認した。よかった。まだ人間だ。砂映を思い浮かべて愛おしいという感情が湧く自分は、人間だ。


(どこも痛くない。気分も悪くない)


 制御や封印の術は――――かかっているようだった。

 自分について書かれた本を目にして取り乱したことは覚えていた。

 けれども、気持はとりあえずは落ち着いていた。



「・・・・・・起きたか」

 横になったままぼんやりしていると、魔道士が顔を見せた。


「あとで朝食を持ってくる」

「え、ありがとう」

「作ったのは俺じゃないが」

「誰か雇ったの?」


「今朝は妹が来ていた」

「あ、前に言ってた妹さん」

 涼雨は上半身を起こした。服は昨日のままだった。


「気分はどうだ?」

「今はそんな、悪くはないけど・・・・・・」


「一から新たに構築した術式だから、不具合があれば早めに言ってくれ」

「え、それって、今までかけてた術は全部壊れたって・・・・・・こと?」


「これまでの術はすべて消えた。まあ途中からは敢えてそうなるように俺が仕向けた。中途半端に残るより一から組み直した方が早いし、せっかくだからやり直したいところもあったし」


「でも、前は何ヶ月もかけて構築して、何年もかけて調整してたのに・・・・・・こんな短時間で全部できたの?」


「やることさえわかっていれば時間はそれほどかからない」


 涼雨にはよくわからなかったが、まあ、できたのならいい。

 今のところ、不具合は感じない。

 それよりも。


「術があんな風に一気に壊れることがありえるなんて、困るんだけど」

 涼雨は言った。何よりもそれが怖い。児童たちの前であんな風になったらと思うと、ぞっとする。


「俺が仕向けた、と言っただろう。通常はああはなりえない。その分お前が長時間苦しいとは思うが」

「それはいいけど。本当ね?前に、一日や二日で魔物の魔精体が視認できるレベルにはならないって言ってたけど、信じていいのよね?」


「基本的には大丈夫のはずだ。おまえに関しては絶対とは言い切れないが」

「歯切れ悪いわね」


「あの本を見てショックを受けるだろうとは思っていたが・・・・・・まあ、そうだな。想定は超えていた」


 涼雨は顔をしかめた。重苦しい感情が、ずん、と胸にせり上がってくる。


「・・・・・・そもそも・・・・・・私、仕事を・・・・・・教師を、続けられるのかな。私が魔女で魔物を抱えているってわかったら、まわりの人はどう思うんだろう。解雇されるのかな。魔術協会に捕まる?どうなるの?」


「匿名だし、本を読んだ人間におまえが特定されることはないだろう。今の職場や人間関係に影響が出るとは思えない。まあ、例えばおまえが子どもの頃に三日通った小学校のクラスメイトや高校の同級生が、もしかして、と思うくらいのことはあるだろうが」


「そう、なの?」

「ああ。著者H――――魔術師日雁はおまえが死んだと思っているようだが、それでも生きている可能性も考えて書かれている。配慮は感じた。それに、『施設の事故』以降のことは一切知らないわけだから」


「でも、協会関係の人には」

「それなんだが。現状では協会の記録におまえに関するものは一切ない。が、それは逆に危険な状態でもあると思ってな」

「どういう意味?」


「たとえばだ。おまえが何かあって意識を失った場合、何も知らない人間がおまえの魔精をいじる可能性はゼロではない。もちろん術がいじられたりおまえに異変が起こった時点で俺に『警報』が届く構造にはしてあるが―――俺がその場にすぐに行けるとは限らないからな。下手ないじられ方をしたとしても、まあちょっとやそっとでは影響は出ないようにしてあるが、おまえがあらぬ誤解を受ける可能性はある」


「だから?」

「『患者』としての登録をしようと思っている。ちょうど今、そのあたりの情報整理や規定の変更が協会でも進められているところだから、これを機におまえを『S指定患者』としておく」

「S指定患者」


「基本的に患者本人の合意が必要な制度だ。問題なければこれにサインしてくれ」

 涼雨は差し出された紙の文章に目を通した。あまり頭に入ってこなかったが、とりあえずサインをして紙を返す。


「・・・・・・俺から日雁や綾巳に連絡を取る気は今のところないが、協会にお前の名前が登録されれば、少なくともおまえが生存していることにはそのうち気がつくだろう。もちろん、おまえが希望するなら連絡をとってもいいし言付けがあるなら伝えるが」

 魔道士は言った。


 涼雨はそのことについて考えようとしたが、考えようとするとずきん、と頭に痛みが走った。


「どうしていいのかわからない」

 正直に、涼雨は言った。


「なら、考えたくなるまで考えなくていい。何かしたくなったらいつでも言ってくれ。本は居間の本棚に入れておくから、読みたくなったらいつでも読みに来い。ただしこの家以外で読むのはやめてくれ」

「・・・・・・うん」


 魔道士が部屋を出て行ったので、涼雨はぼんやりとベッドの上に座ったまま、自分の手を見つめていた。


(『普通』になれたつもりで、いたのになあ)

 何も考えたくない、と思った。本の存在自体、忘れてしまいたい。

(せっかく幸せな夢を見させてもらってたのに。・・・・・・このまま、続けさせてよ)


 魔道士が、朝食を載せたトレイを持って戻ってきた。


「・・・・・・私を殺さないあなたが悪いのだから」

 涼雨は呟いた。


「ん?」

 魔道士が訊き返す。


「全部あなたのせいにする。申し訳ないけど、何もかも、全部あなたのせいにする。それが嫌なら私を殺して。今すぐ殺して」

 まっすぐ魔道士を見据えて、涼雨は言った。


 童顔の魔道士はふっと口元を緩めて、少し笑ったようだった。


 ベッドサイドのテーブルに食事のトレイを置くと、魔道士はそのまま部屋を出て行った。


 トレイに載っていたのは、丸パンと、ポタージュスープと、豆と鶏肉のソテー。ホットミルクもついていた。スープもソテーも湯気が立っていた。パンもほんのりぬくかった。


(美味しい)

 涼雨はそれらを、全部食べた。

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