35.涼雨(13) 回想⑪「今は誰にも謝らなくていい」
出張から戻った魔道士は、老人が言っていたとおり、涼雨に身分証を渡してくれた。
「名前を変えることも検討したが、おまえは別に犯罪者じゃないし」
「でも、魔術協会の人には」
「同名同イニシャルぐらい、いくらでもいるだろう」
涼雨・E。
あまり考えていなかったが、身分証を手にして、自分がこれから現実の社会で生きて行くのだということを、改めて突きつけられたような気がした。
「そうだ。・・・・・・誰か、会いたい人間はいないか?」
涼雨がじっと身分証を見つめていると、魔道士がふいに訊ねた。
「連絡をとりたい人間がいるなら、調べてやれると思うが」
(現実。現実に、向き合う。現実に、会う)
会いたい人。
涼雨の頭にまっさきに浮かんだのは、砂映。
それから、綾巳さん。日雁さん。
誰よりも会いたい。大好きな人たち。
(でも怖い)
砂映くん。砂映くん。毎日祈るように呼びかけている。当たり前に、心にいつもいてくれる。あまりにも、大切で、だから、怖い。会うのは、怖い。会いたくない。
綾巳さん。綾巳さんは・・・・・・生きているのだろうか。どうなっているのだろうか。あの、いつも私のことを思いやってくれて、守ってくれて、明るくて、優しくて、太陽みたいだった綾巳さんに会いたい。でも、もうそんな綾巳さんはいない。だって私が、綾巳さんを傷つけたから。綾巳さんは、もし生きているとしても、きっと私を憎んでる。日雁さんも私を憎んでる。当然だ。私は二人が大好きだった。大好きだった。だけど。だけど。私は綾巳さんを殺しかけた。もしかしたら殺したのかもしれない。私は・・・・・・
「おまえの不安定さは・・・・・・予測を超えてくるな」
魔道士の声に、涼雨ははっとした。
喉元が、苦しい。息がしづらい。
「・・・・・・?」
「俺の考えが甘かった。すまないな。そろそろ外出も可能かと思っていたが、これではまだ無理だ」
魔道士が呪文を唱えると、喉の締め付けと息苦しさは緩和された。だが、胸のあたりがひどく気持ち悪かった。目からは知らない間に涙があふれていた。
「五、六、七。さすがだな。七つの術が消し飛んでいる」
「ごめ・・・・・・なさ・・・・・・」
「今は誰にも謝らなくていい」
「でも」
「封印や拘束などの縛めの術には、苦痛や不快感を緩和するための術を合わせてかけている。だが、第一段階の縛めが破壊された場合、より強力な縛めの術が発動する。段階が進むごとにおまえの苦痛は増す。悪いがそれしか方法がない。
・・・・・・おまえは充分苦しんでいるのだから、それ以上、苦しむ必要はない」
涼雨の両の瞼に、ぎりぎり触れるか触れないかというところに魔道士は手をかざした。
涙に濡れた目が、ふわりと暖かさに包まれる。
そのまま涼雨は目を閉じて、すうっと意識を失った。




