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34.涼雨(12) 回想⑩ 途季老人の来訪

 それから少しして、魔道士が仕事でどうしても三日ほど家を空けるというので、涼雨(りょうう)は留守番をしていた。


 小屋には元々強固な魔術がかけられている。

 魔道士が不在の時、あるいは魔道士の意に沿わない訪問者が来た時には、小屋の扉は決して開かないし、侵入も基本的に不可能だ。


 今回は、一人、様子を見に来てもらえるように頼んだから、その人が来たら扉は開く、と言われていた。魔道士雷夜の白魔術の師匠で、魔術医師だという。


 果たして、魔道士が出かけてから二日目の昼過ぎに、その老人はやって来た。


「こんにちは。涼雨さん、かな。話はだいたい聞いとるよ」

 小柄な老人は、迎えた涼雨に向かってにこにこと言った。白い髭が顎から伸びている。清涼な魔精を持った人だと涼雨は感じた。


「甘いものは好きか?」

「え、は、はい」


 涼雨は、魔道士雷夜以外の人間と会うのがあまりにも久しぶりだったこともあり、どんな顔をしてどうふるまっていいのかわからなかった。


 老人は雷夜の家の勝手についてよく知っているようで、そのまま上がり込むと、台所で湯を沸かして紅茶を淹れ、土産として持ってきた、パウンドケーキを切り分けて一切れずつ皿に載せた。


「わしも甘いものが好きでな。ちょっとお茶の相手をしてもらってもいいかの」

「え、ええ」

「こんなじじいで申し訳ないがな」

「い、いえ」

「それを運んでもらえるかな」

「は、はい」


 紅茶のポットやカップを居間のテーブルに運んで、涼雨は促されるまま、老人に向き合う形で席についた。


「自分で持ってきてなんじゃが、このケーキがうまいんじゃ」


 言いながら老人が食べ始めたので、厚めに切られたケーキに涼雨もフォークを入れる。

 しっとりとした生地に、ドライフルーツや胡桃、ナッツなどがぎっしり入っていた。


「あ、美味しい」

 思わず涼雨が言うと、老人は「そうじゃろそうじゃろ」と満足そうに笑った。


「わしの名前は途季ときという。雷夜(らいや)は七歳の時にこの町に来たんじゃが、その頃からの知り合いでな。聞いとるとは思うが、魔術医師をやっとる。守秘義務はちゃんと守るから、そこは心配せんでいい」


「はい。心配は、してない、です」

「緊張しとるかな?」

「あ、その・・・・・・はい。雷夜以外の人と話すのが久しぶりなので。元々、その、あんまり人と接するのは得意ではないんですけど」


「そうか。まあとりあえず、わしも医者だし、こんなことを言ったらいけない、なんて気にせずな。雷夜の悪口もかまわんし」

「えっ」

「ふぉふぉふぉ。雷夜はわしにとって孫みたいなもんでな。けどあやつの悪いところもよく知ってるし、嫌われ者なのも承知しとるから。そこは気にせんでいい」


 途季老人はにこにこと話す。


 いいなあ雷夜は、と涼雨は思った。

 雷夜の実の父親は魔精環境整備士をやっていて近所に住んでいると言っていたし、義理の母親もいて、前まで仕事を手伝ってくれたような仲のいい義理の妹もいて、さらにこんな、孫みたいだと言ってくれるような知り合いまでいるなんて。


「・・・・・・雷夜って、本当に恵まれてますね」

 何でも素直に言っていいと言われたのだ。皮肉を隠さずに、涼雨はそう口にした。


「そうじゃな。恵まれとる」

 てっきり反論されるかと思ったのに老人があっさりと肯定したので、逆に涼雨の方が戸惑う。

「まあ・・・・・・何の苦労もない人なんていないと思うけど」

 思わず涼雨がそう付け足すと、途季老人はにこにこした。


 ケーキを食べ終えると、老人は涼雨を椅子に座らせて手をかざし、かかっている術の状態のチェックをしてくれた。


「どこか、痛かったり気分が悪かったりということはないかな?」

「特には」

「ふむ。しかしこれは・・・・・・」

 老人が難しい顔をして唸っているので、涼雨は不安になった。


「何か?」

「いやいや何でもない。涼雨さん。何か気になっていることはないかな?術のこと以外でも何でも、雷夜に言いにくいことでももしあったら」

 そう言われて、涼雨は自分の不安を口にしてみることにした。


「あの」

「ん?」

「あの・・・・・・雷夜は。私が大学に通って、教員免許をとって、小学校の先生になって、魔法と無縁に普通に生きて行けばいいって、そう言うんです。それって・・・・・・本当に、そんなこと、できると思いますか」


「何か、問題があるのかの」

「だって、そんな・・・・・・私が普通の生活って」


「わしはこう見えて魔精感覚がかなり鋭い方じゃが、涼雨さんに今こうやって手をかざして状態を精査しても、魔精力が強いとも特殊だとも思えん。ましてや魔物が中にいるとも思えんし、正直雷夜が老人をからかっとるんじゃないかとさっきから疑っとった。かかっとる術を一つ一つひっぺがしていったらどこかでわかるのかもしれんが、こんな繊細に絡み合っとる術にそんな下手なことをする気にはなれんし」


 ちょっとやそっとではばれないように術はかけられている、らしい。

 そのことに涼雨は少し安心はする。

 でも、不安材料はそれだけではない。


「・・・・・・私の事情をどこまでご存知か知りませんけど、その、私、魔術協会の施設に入れられてたのに、勝手に、その・・・・・・」

「魔術協会のせいで涼雨さんは酷い目に遭ったんじゃろ。協会の人間として、申し訳なく思う」

「だけど、協会のおかげでこれまで生きてこられたってところもあって・・・・・・」


「そうじゃとしても、涼雨さんが生きたいように生きるのは問題ない。涼雨さんの身分証も無事もらえることになったんじゃし、大丈夫じゃろ」

「身分証?」

「ん?聞いておらんのかな。今回の雷夜の出張はその関係で頼まれた仕事だと言っておったが」

 それは涼雨には初耳だった。


「・・・・・・私、雷夜のこと、嫌いなんですけど」

「ふぉ!?そうか」


「・・・・・・嫌いなんですけど。それで向こうも、私のこと、別にそんなに好きじゃないと思うんですけど。でも、あまりにもよくしてもらってるというか。この術のことだってそうだし。今の暮らしのこともだし。そのうえ学費とか、これからの生活費とかまで、しばらく出してくれるって言うんです。そこまでしてもらうのはいくらなんでも申し訳ないし、なんでなんだろうって、思うことはあって」


「本人には訊いとらんのか?」

「・・・・・・私の体質は興味深いから、とは言ってて」

「ふむ」


「それが報酬だからって。だけどなんだかんだ言って、私にかける魔術は私に必要なものばかりだし。もっとこう・・・・・・興味本位な実験とかも、いろいろされる覚悟をしてたんですけど」


「ん・・・・・・勝手なことは言えんがなあ。たぶん雷夜は、深くは考えておらんだろうな」

「深く考えてない?」


「涼雨さんの魔精体質の珍しさに、夢中になっとるんじゃろう。だから雷夜はこの仕事に肩入れしておる。何がなんでもうまくやりたい。あやつは完璧主義じゃからな」

「完璧主義」

「涼雨さんは雷夜に、小学校の先生になりたい、と言ったんじゃろ?」

「・・・・・・はい」


「だから、それがうまくいくように何でもしたい。そのことで涼雨さんが戸惑ったり申し訳なく感じているのを無視してでも、仕事をうまく成し遂げたい。そういう、わがままなところがあやつにはあるからな。じゃが・・・・・・わしとしてはな。悪いが涼雨さんには、あやつのわがままにこのまま乗っかってやってほしいと思う。それが涼雨さんにとってもいいと、わしとしては思うけどな」


「でも」

「さっき、雷夜は恵まれておると言っとったじゃろ?」

「それは」


「苦労はないに越したことはない。雷夜は恵まれておる分、できることをできるだけ涼雨さんにする。今、涼雨さんはそれを受け取ればよい。それでもしも涼雨さんがあまりに貰いすぎたと思うなら、その分は、涼雨さんができることをできるだけ、将来誰かにしてあげればいい。そうやっていくことで、社会はうまく回っていくとわしは思うよ」


 老人のことばに、涼雨は考え込んだ。

 ずっともやもやしている、この気持。


(同情、されているのかな。私は)


 雷夜にも。この老人にも。

 同情されているうえ、憐れみを素直に受け取れるように気まで遣われている。


(情けない)


 同情されても仕方ない。だって実際お金はないし、他に頼れる人はいないし、一人で生活することは不可能だし、複雑な術を構築してもらわなければ普通の人間のふりすらできない身なのだ。


「・・・・・・そうですね。ありがとうございます」

 涼雨は言った。


 せっかく与えてもらうのだから。

 頑張らないといけない、のだろう。

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