32.涼雨(10) 回想⑧ 魔道士の家
連れて行かれた魔道士のボロ小屋は、おそらく錯覚の魔術が使われているのだろう、外からはそうは見えなかったが中はそれなりに広かった。居間と台所と洗面所と風呂場お手洗い、と順に案内され、何でも勝手に自由に使っていいとのことだった。同じ階には他に三つほど部屋があり、そのうちの一室が涼雨にあてがわれた。白い壁にフローリングの床で、ベッドが一つ、小さなテーブルが一つ、壁際には机と棚もあった。他に「入院患者」はいないようだった。魔道士はこの家に一人で暮しているようで、家族や従業員などの姿もなかった。
「今はちょっと女手がない。不便をかけてすまないが」
と雷夜は言った。
「別に大丈夫だけど。・・・・・・いつもは誰かいるの?」
「妹が、前まで手伝いでいたんだが」
「え、妹さんがいるの?」
「血は繋がっていない」
「あ、そうなんだ。・・・・・・あの、訊いてもいいのかな」
「なんだ?」
雷夜も涼雨と同じように、「母親の胎内にいる時に『誰かに』人為的に魔物と融合させられた」はずだ。
もちろん、まったく関係ない第三者に、という例もないわけではない。
けれども古い文献を含め、圧倒的多数は親族によるものである。
「あなたは誰に・・・・・・魔物と融合させられたの?」
涼雨の問いに、雷夜は答えた。
「母方の曾祖母だ」
「曾祖母・・・・・・ひいおばあさん?」
「おそらくおまえがされたやり方とは異なるし、なぜ俺が生き延びられたのかは今のところ俺にもわからないが。十三人の胎児に試して、俺以外は全員死んでいる」
「じゅ、十三人」
「いわゆる魔女の一族だったらしい。母親が死んだ後、父親が俺を連れて逃げ出した。一族はその後魔術協会に見つかって・・・・・・おそらく今は散り散りだ」
「お父さんは?」
「父親は魔精環境整備士として働いている。再婚して、この近くに住んでいる」
「そうなんだ。じゃあ、妹さんっていうのは」
「父親が再婚して妹になった」
「へえ・・・・・・」
実の父親が生きていることも、血が繋がらないとはいえ母親やきょうだいがいるということも、その人たちとそれなりの関係性を保っていそうなことも、涼雨にはとても羨ましく思えた。もちろんいいことばかりとは限らないのだろうけど。
「事情があって来られなくなってな。ちょっと俺一人だと手が足りないこともあるから、誰か頼むか募集をかけるか考えているところなんだが」
「あ、妹さん?手伝いって、どんなこと?」
「家事と事務処理、ちょっとした対応、こまごましたこと・・・・・・魔術については何もできないが、それ以外のことは何でもやってくれていたな」
「仲いいんだね」
「・・・・・・そうかもな」
たとえ仲がいいとしてもなんとなく照れたりして否定するかと思ったのに、肯定の返事をされたことが涼雨には少し意外だった。
(きょうだいってどんな感じかわからないし、血が繋がってないきょうだいなんて、もっとわからないけど・・・・・・)
食事ははじめ、魔道士が作っていた。
肉や野菜の入ったシチューとパン。あるいはスパイスで煮込んだ野菜と肉とご飯。
初日は何重もの封印と拘束の術を受けてそのまま気を失ってしまい、目が覚めるとベッドの傍らに食事の載ったお盆が載っていた。涼雨はそれを一人で食べた。食べ終えた食器を盆に載せて台所に運び、自分で洗って片付けた。
夜だったが、居間には魔道士に仕事依頼の客が来ていて、内容はわからないまでもうっすら話し声が聞こえていた。小屋全体、各部屋、それぞれに違った術が複雑な組み合わせで何重にもかけられているようで、涼雨の感覚でもすべてを把握することはできなかったが、おそらく涼雨の魔精や精神に対しても、心地いいような調整がされていた。うっかりガラスのコップを落としても割れることがなかったので、物理面でもさまざまな制御が効いているようだった。
魔道士はとにかく忙しそうだった。
早朝や夜中でもマントをはおって出かけていくことは珍しくなかったし、依頼人は時間かまわずやって来る。魔道士の自室は地下にあるようだったが、夜の遅い時間に涼雨がお手洗いに行ったりすると、たいてい地下への階段の先はぼおっと灯りがついていて、かすかに呪文が聞こえて来ることもあった。
それでも毎日必ず、涼雨のための時間は確保されていた。
入院初日に説明された、施術計画。数は前後する可能性が高いが、予定としては百八十七の術をかけることになる、と告げられ、涼雨は仰天した。
これまでもいくつも重ねがけされていたが、多い時でも三十くらいだったはずだ。術同士というのは相性や干渉があるから、数が増えれば増えるほど、その強弱や調整は難しくなる。そもそも三十ぐらいかかっていた時も、それは後からの追加の結果そうなってしまったに過ぎず、そのうちのいくつかはおそらく他の術の影響で相殺されてほぼ無効になっていたはずだ。
「それはちょっと、キツくない?」
涼雨は素直に言った。
「逆だ。やり方さえ工夫すれば、たくさん重ねた方が、心魔身への負担は軽くなる」
「いや、負担っていうより。単純に、百を超える術を重ねるのは難しいと思うんだけど。百八十七って」
「求める結果を得るためには、それぐらい必要だ。その分構築に時間がかかるから、三ヶ月ぐらいは入院してもらうことになる」
「それはいいんだけど・・・・・・」
それぞれの術の単独での性能だけではなく、相乗効果、反発、相殺といった、術と術の組み合わせによる反応を生かし、影響の度合いを計算しながら絡み具合や強さ、術のかけ方を調整するのだという。ざっとした全体像の概要メモを見て、涼雨は気が遠くなりそうだった。
「加害抑制が最重要事項だから、術が破れてバランスが崩れた場合、他の要素は犠牲にならざるをえない。それがこの設計の欠点だが、今はこれが限界だ。改良は加えていくつもりだが」
「こんなややこしい術式、見たことないんだけど・・・・・・」
やり過ぎじゃないだろうか、と涼雨は思った。なんでここまで頑張るのだろう。暇なんだろうか。
いつもあんなに忙しそうなのに。
術をかけている時、痛かったり苦しかったりしたらすぐ言うように、とは言われたものの、縛め――――拘束や封印の術に不快感が伴うのは当然のことだ、と涼雨は思っていた。苦痛を訴えたことで術を緩めにされては困る。だからはじめの頃、涼雨はいつも、なるべく平気なふりをしていた。
が、ある日、そうは言ってもあまりにもひどい痛みが身体を貫いた。
「いっ」
横になった状態で術をかけられていた涼雨は、思わず声を上げた。
「痛い。痛い。死ぬかもってぐらい痛い・・・・・・」
激痛へのショックは引いても、痛みは続いていた。
うめくように訴えた涼雨に、けれども魔道士は淡々と言った。
「ここまでしないと言わないのか」
「は・・・・・・?」
「我慢をされると困るというのは何度も伝えたはずだ。筋肉のこわばり等で多少判断できるが、こちらも術に集中したい。自分の感覚を口にする知能はあると思っているんだが」
「ちょっと待って。今の痛み、もしかしてわざと?」
「おまえが協力的でないと、その分時間がかかる」
術を解除したらしく、痛みは消えた。
わざと痛みを与えられた、と聞いて涼雨はかっとなった。
「信じられない。許せない」
「許せなくてもどうしようもない。それがおまえの立場だな」
「許せない。死ねばいいのにクソ魔道士」
「俺も今日は疲れた。続きは明日だ」
魔道士は部屋を出て行った。
涼雨の中で、どこかの蓋がはずれたみたいに沈めていた記憶が噴き出してきた。施設で何度もやられた、わざと痛みを与えて面白がっているとしか思えなかった施術や実験。前の日まで優しく涼雨に接してくれていた職員が、苦しがる涼雨を見て嗤っていた顔。
(裏切られた)
(許せない)
脳が灼けるようだった。
封印や拘束、制御の術は、まだ不完全にしかかかっていない。
しかもおそらく、今の怒りでいくつかの封印は消し飛んだ。
(殺してやりたい)
熱に浮かされたように、涼雨はあてがわれた部屋を出た。
夜だった。魔道士は居間にいるらしく、電気がついていたが、来客等がいるわけではなさそうだった。
音を立てないように扉を開け、踏み出すとみしり、と床が鳴った。
(?)
居間にはテーブルや椅子がある。応接用の椅子とローテーブルもある。普段魔道士が居間にいる時は、椅子に座っていることもあれば、床に座りこんでいることもある。
けれども今、どこにも魔道士の姿は見えない。
両壁は棚になっている。外への扉がある、来客を迎える側は比較的片付いているが、涼雨が入った奥の扉側の床は、大半は脇に寄せられてはいるものの、棚に納まりきらない羊皮紙や呪具、鉱物や魔生物の剥製、本や書き物などが大量に積み上がっている。段ボールや紙袋などもいくつも置かれている。そのうちのいくつかは、倒れて中身が散らばっている。
その乱雑に置かれたたくさんの物の中、倒れた紙袋と呪文や魔法陣を書きつけた大きな紙の束の下に、何か黒っぽい塊があるのに涼雨は気づいた。
近づいて紙袋を持ち上げると、その黒っぽい塊は魔道士だった。うつぶせにうずくまっているような形だった。倒れた拍子に上に紙袋が落ちてきたのか、どんな状況だったのかはわからない。
「――――ちょっと!」
涼雨は全身から血の気が引きながら大声を上げた。
脳裏に甦ったのは、元旦に部屋の中で倒れていた、赤月の姿だった。
「ちょっと!起き・・・・・・ねえ、ちょっと、大丈――――」
「・・・・・・ん?」
思わず揺さぶると、白い顔の魔道士は黒々と大きな目を開けた。
「ああ。すまない。寝ていたか」
「寝ていたか、じゃないわよ」
身体を起こした魔道士に、涼雨は言い返す。
「ここのところ寝ていなかったから」
「寝てな・・・・・・そういえば、ご飯も・・・・・・」
「悪いな最近作ってなくて」
「そうじゃなくて」
「食材は届いているだろう。てきとうにやってくれ」
「私は食べてるけど。そうじゃなくてあなたはいつから」
「昨日・・・・・・いや・・・・・・しばらく食べた覚えがないな。俺はまあ、食べなくても何とかなる」
「何とかなる、じゃない」
「いや、どうせ俺は死なない魔精体質だから」
「はっ!?」
床に座った魔道士は首をこきこきと揺らすと、自分の身体から落ちた紙束を拾って再び読み始める。
「そんな都合のいい体質があるわけないでしょう?」
「死なないは言い過ぎかもしれないが。肉体のエネルギーが減っても魔精が補うから、無理はきく」
「なにそれ。じゃあなんで倒れてたのよ」
「集中力が途切れると睡魔がくるのは仕方ない」
「あなた自分の顔が今どんなになってるかわかってるの?ひどい顔色よ」
涼雨が言う傍で、紙の束が魔道士の手からばさっと床に落ちた。
「ああ確かに。握力がおかしくなっているな」
「・・・・・・っ」
涼雨はたまらずに台所に行くと、自分が夕食に食べて鍋に残していたキャベツと干し肉のスープをガンガンとおたまですくって器に注ぎ、木匙を突っ込んで持っていった。
懲りずに紙をめくっていた魔道士に、無理矢理器を押しつける。
「読みながら食べたら文句ないでしょう?」
「・・・・・・この状況で文句を言う奴はいないと思うが」
「は?」
魔道士は素直に匙を握り、口に運ぶと「うまいな」と呟いた。
生来の童顔のせいで、その様子には可愛げすらあった。
「なんなの」
「ん?」
「私さっきあなたに、『死ねばいいのに』って言ったわよね」
「言っていたな」
「ここに私、あなたを殺してやるって思って来たのよ」
「そうか」
「そうかじゃないわよ。殺されたらどうするのよ」
「この空間は物理攻撃は無効になっているし、魔精的な攻撃で俺がやられることはない」
「大した自信じゃない。倒れて意識なかったくせに。拘束も封印もまだこんな中途半端で。たぶん蛇は出せるし、やろうと思えば何でもできるわよ」
「害意に気づかないほど鈍くはないし、仮に何か喰らったところで大したことはない。試してみるか?すでにいくつかの封印がはずれているようだが・・・・・・何なら今かかってる術もいったん全部解除してやってもいい」
「ふざけてるの?」
「いや。ストレスが溜まっているなら、発散するのも悪くない」
真顔で言う魔道士に、涼雨は頭が熱くなるほどの苛つきを感じた。
殺したいとも死ねばいいとも今は思わないけど、腹が立って仕方がない。
「あなたは・・・・・・あなたは・・・・・・どうかしてる」
「今更だな」
「あなたはおかしい。何もかも」
「俺に対して悪態をつくのはかまわないが、そうだ、言おうと思っていたんだ。死ねばいいとか殺したいとか、教師になるならそういった語彙はあまり出ないように気をつけた方がいいんじゃないか」
「な」
「不用意な言葉を使うと最近はすぐ問題になるようだし」
「そんなこと言われたくないし、だいたい教師になるって、そんな本気で」
「なんだ本気じゃなかったのか?」
「だってそんな」
実際なれるなんて、思っていない。
「こんな先生、子どもが可哀想だし」
「そうか?」
「もしも暴走したら」
「そうならないようにしてやると言ってるんだが」
「だったら・・・・・・だったら」
「ん?」
「だったら、だったら、早く寝なさいよ!」
それだけ言うと、涼雨は居間を飛び出した。




