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27.涼雨(5) 回想③ 施設

 それから五年くらいの間、涼雨(りょうう)は一度も空を見ることがなかった。


 その施設は、地上階以上には魔女をはじめとする魔法絡みの犯罪を犯した囚人たちがいて、地下には魔獣たちが収容されていた。危険な魔獣ほど地下の深い階におり、それらの階はいくつかの区画に分けられていて、実験や訓練の場も併設した形になっていた。涼雨が連れて行かれたのは一番下の階だった。


 魔術協会の方針や人事異動、また直に接する施設職員たちの事情や性格などによっても、涼雨の扱われ方はコロコロと変わった。全面コンクリートで布団すらないかび臭い部屋で、物理的な鎖をつけられたまま実験と称してさまざまな術をかけられ、半死半生で過ごした時期もあった。かと思えば、ベッドや机のある宿直の職員用の部屋の一つをあてがわれ、本を読んだりラジオを聴いたりする自由を与えられた日々もあった。「魔物の分際で、人のふりをして同情を買おうというのか」と罵られることがあった。「君の能力は君のメンタルに直結しているから、なるべく心地よく過ごしてほしい。要望があればできるだけ応えるよ」と丁重に扱われることもあった。「あなたの魔精能力ってほんと凄いと思う!」と絶賛してきた人に、後日ひどい仕打ちをされたことがあった。好意を告げられ性的なことをほのめかされ、拒むと唾を吐きかけられたこともあった。いつも忌むような目でこちらを見ていながら、存外親切な人もいた。前の日までは優しかったのに、涼雨には理由も事情も一切わからないままに、突然態度が豹変するような人もいた。何の説明もなく、一夜でガラリと扱いを変えられるようなことも少なくなかった。


 施設に入って数ヶ月経った頃、一度だけ日雁ひかりが面会に来た。暗い目をして、けれども笑みを浮かべながら、涼雨りょううがここに入った後に砂映さえいが家を訪ねてきたこと、魔術学校に行けば涼雨に会えると信じているようだったこと、あれほど低い魔精力なのになぜか本当に魔術学校に入学したことなどを話した。彼は本当に君のことが好きだったんだね、と日雁は言った。ところで綾巳あやみは死んでいないよ。まだ目を覚ましてもいないけどね。そう告げた日雁に、やはり涼雨は謝罪以外を口にすることができなかった。日雁は微笑みだけを返した。涼雨が今どんな日々を過ごしているのかといったことは一切訊ねようとはしなかった。体調を気遣うような言葉もなかった。


 寄付された本などが置かれた図書室への出入りが許可されていた時、涼雨は高校生向けの参考書や問題集を借りてよく「勉強」をしていた。「べ、勉強が、好きなのか?」実験や訓練の中で涼雨がどれだけ魔物の姿をさらしても動じることのなかった職員が、涼雨のその様子を見て引いていた。難しいと感じることは多かったし、得意というわけではなかったけれど、高校の勉強は「みんなと同じこと」をしている気分を味わえるので、涼雨には楽しかった。


 辛い時には、すがりつくように高校生の頃のことを思い出した。

 心を失いかけそうな時には、砂映(さえい)のことを思い浮かべた。お守りのようなものだった。自分のことを、好きだと言ってくれた人。その人のことを想うと、心の中が温かくなる。砂映のことを好きな自分を確認することで、涼雨は、自分は人間だ、と思うことができた。



 涼雨が施設に入って、もうすぐ五年という頃だった。

 半年ほどそこそこいい状態で過ごさせてもらっていた日々が、所長が新しい人に替わったことで終わりを告げた。


 新所長は涼雨を人間とは認めないと告げたので、涼雨はまた耐える生活が巡ってきたのだと覚悟した。だが、新所長はかなりの心配性だったため、拘束はこれまでにないほど苛烈なものになった。コンクリートの柱に縛り付けられた状態で、強すぎる封印魔術をこれでもかと追加された。さらに、前から涼雨を気に入らなかったらしい職員を中心に、数人の職員が、過酷な訓練や実験をほとんど休憩も入れずに行なうようになった。他の職員も、助けてはくれなかった。それどころか、酷い状況に加担する者はだんだんと増えるようだった。似たようなことは前にもあった、大丈夫、と涼雨は自分に言い聞かせた。けれども限度を超えていた。ここまで心魔身が追い詰められたのは初めてだった。涼雨は極限状態に陥っていた。厳重な結界で管理された特殊施設、どれだけ凶暴な魔物がどれだけ不測の事態を起こしても対応できるよう考え抜かれた、特別な仕掛けがいくつも設けられた地下の空間、さらにその中で、物理的にも魔精的にも厳重な檻の中、幾重にも拘束や封印などの縛めの術を施され、一流の術者である職員たちに囲まれている。だからきっと、「適切な処理」をしてもらえるだろう。きっと、もうすぐ死ねるのだろう。疲弊しきった涼雨は、そんな風に思っていた。


「あなたを助けに来たのよ!」

 きらきらとした笑顔で――――狂信者特有の、ひたすらまっすぐな、まっさらな笑顔で――――突如現れたその魔女は言った。魔術協会に真っ向から対立を表明したとある魔女集団が大規模なテロ事件を起こし、涼雨のいた施設もその対象となったのだった。テロリストの魔女は涼雨を柱に縛りつけていた物理的な拘束具を破壊した後、「リーダーが授けてくださったの」と言いながら呪符を取り出し、あらゆる魔術を無効化する魔法を発動した。


「あ」

 涼雨の身体も魔精も精神も、衰弱しきっていたはずだった。

 けれども、その瞬間、突き抜けるような解放感が涼雨の中で弾けた。

 施設に来て以来――――いや、三歳か四歳で赤月と出会って以来、涼雨の魔精に封印も制御も拘束もまったくかかっていない状態、というのは一瞬たりともなかった。けれどもそれがすべて取り払われたのだった。


 刹那、涼雨の身体から、実体を持った無数の白い蝙蝠こうもりたちがぶわっと飛び出して、魔術を無効化したテロリストの魔女に襲いかかった。飢餓状態の魔物の本能は、一刻も早いエネルギーの補給を求めていた。悲鳴すら上げられずにテロリストの魔女は魔精を吸い尽くされてその場に倒れた。涼雨ははっと我に返って目の前に倒れた女を見た。


(息はしている。負傷しているわけでもない。じきに自然に回復するだろう)

 とはいえ他者に甚大なダメージを与えたことには変わりない。他人を傷つけることは絶対に許されないことだ、とこれまで涼雨は常に強く意識して生きてきたし、実際ちょっとでも誰かを傷つけてしまったら、いつもひどく動揺した。

 それなのに、倒れた女を見下ろして、今、涼雨は自分の心がまったく動じていないことに驚いていた。


(私の心は、どうなってしまってるのだろう)

 頭の片隅で、涼雨はちらりと思った。


 けれどももはや、それどころではなかった。


 これまで涼雨を抑圧していた、あらゆるものが消し飛んだのである。反動のように全身全魔精から湧き上がる、圧倒的な万能感と多幸感。千里眼蝙蝠せんりがんこうもりたちの無数の視覚も、しろにじへびの遠隔感知も、夢幻狼むげんおおかみの優れた聴覚と嗅覚も、もとより涼雨に備わっている鋭敏な魔精感覚も、窮屈な術を取り払われてすべてが一気に全開となっていた。その情報量に涼雨はクラクラした。もはや涼雨を縛りつけるものは何もない。何をしてもいい。なんでもできる。満ちあふれるエネルギーに、いても立ってもいられない。


 施設にかけられた結界もすべて無効になっていたので、白にじ蛇の顕現能力で地上に出るのに一秒もかからなかった。空気はひんやりとしていた。夜だった。白い月が暗闇を照らしていた。風が吹き渡り、一面に生えた草がざあっと音を立てた。土と緑のにおいがした。五年ぶりの外だった。裸足で地面に立ち、空を見上げて涼雨は泣いた。


 施設をちょうど見下ろせる、小高い丘の広場に涼雨はいた。五年も暮らしながら初めて外から見た施設は、鉄条網に囲まれただだっ広い荒野の真ん中にぽつんと建った、四角いコンクリートの塊のような建物だった。本来は、鉄条網の内側にも、建物の外側にも、強固な結界やさまざまな魔術が施されていたのだろうが、今はすべてを消し去られ、何もかもが無防備で剥き出しだった。


(壊したい)

 子どものように単純に、涼雨は思った。


 今ここに涼雨の身体は立っていたけれど、それと同時にへび蝙蝠こうもりの大半もまだ施設の建物の中にいて、分身として実体を持って動いていて、その身体感覚もすべて涼雨のものだった。何だか妙な感じだった。あらゆる自分の思考や感覚、そのすべてが自分のものであると同時に、どこか実感が薄くてすべてが他人事のように遠い感じでもあった。今まで生きてきた中で最も感覚が冴えていると思えるのに、全体にひどく鈍くなっているようでもあった。


(奪いたい。傷つけたい)


 巨大な蛇もおびただしい数の蝙蝠たちも、手や足を動かす時と同じように自在に動かせた。遠く離れた建物の、強固な壁の向こうでも、すべてが明確に認知できた。テロリストの魔女は、先程の女も含めて合計十人。囚人が、六十三人。施設職員は、十八人。魔物が十二種、およそ三十体。どこで誰が、何が、どう動いているのか、すべてがわかる。知覚も思考もクリアだ。慌てふためいている所長の腕を蛇の牙で噛みちぎり、質のよさそうな魔精を持つ囚人を蝙蝠で覆い尽して魔精を吸い上げ、魔物たちを催眠でけしかけてテロリストたちをパニックに陥れる。蛇の口から水を噴射し発火させ、人も建物も炎に包む。あらゆる封印から解き放たれ何の枷もない身であれば、職員たちの魔術も囚人やテロリストの魔女たちの魔法もまったく取るに足らない。いろいろな攻撃を受けたが、ほとんどは避けることができたし、多少受けてもさほどのダメージはなかった。


(愚かで、弱い、人間・・・・・・)

 なすすべもなく逃げまどう人々。

 自分は彼らより強い。絶対的な優位にいる。


(これが幸せ?)

 恐怖に陥った者を遊び半分に追い回す。思うさまに魔精を食い散らかす。


 あっという間に人間の数は減った。テロリストと囚人と職員たちをすべて合わせても、まだ動ける者はもう二十人に満たない。残った者たちは協力を決めたようで、連携して攻撃をしかけ始めた。涼雨は中の数人を選び出し、催眠をかけて操って味方同士で戦わせてやった。戸惑い、混乱し、悲痛に歪む顔。タイミングよく正気に戻すと、絶望に打ちひしがれたり泣き出したりする姿も見られた。

 彼らの命運は、こちらの思いのままだ。


(これが私の幸せかな?)


 心の大部分はひどく高揚していた。けれど心の一部分が冷え切っていた。

 愉しくてたまらなくて、けれど胸のどこかが突き刺されているように哀しかった。

 魔物の本能。魔物の悦び。それが自分のすべてになる。自分のすべてになっていく。



 強力な結界の網のようなものに、ふいにしろにじへびの身体をがんじがらめに捕らえられた。


 のたうって暴れ回ると何とか逃れることができた。テロリストのリーダー格の魔女が、拘束の魔法を構築したらしかった。うろこのあちこちに血が滲んで痛んだ。腹が立ったのでその魔女の身体に巻きついて締め上げ、そのまま首を噛みちぎることにした。ぱかりと大きく口を開けた瞬間、突如視界が落下した。

 ぼとりと落ちて転がった大きな蛇の首を、蝙蝠こうもりたちの視界で捉えた。


(何が起きた)

 施設の中に、いつのまにか人の気配が増えていた。三人・・・・・・いや、四人?


 その三人の人間の魔精は上質だった。術者特有の、きっちりと制御された魔精力。知らないうちに蛇の炎はすべて消し去られ、逃げ出した魔物たちは再構築された結界の檻の中に戻されていた。三人は倒れている人たちに魔精を補い、次々と応急処置を施していく。黒魔術医療の専門家のようだ。それもかなり優秀な。


(でも、攻撃魔術は彼らのものではない)


 蛇の首を落としたのは、一見風の刃のようだった。ポピュラーな黒魔術である。先程までも職員たちに何度か浴びせられていたが、せいぜい鱗の表面に浅い傷をつける程度だった。だが今回のは――――別の術が組み合わせられて何か特殊なものになっていたようでもある。と同時に、その精度と込められている魔力の量が普通ではなかった。


(もう一人いる)


 やけに禍々しい、どろりと黒いタールを思わせるような魔精力。強烈なくせに、なぜかどこにいるのか把握ができない。


 ダメージが大きかったので、涼雨はそのまま首を切られた蛇の分身を消し去った。蝙蝠こうもりの数も大幅に減らした。丘の上に立つ涼雨本体に、どっと疲労感が押し寄せていた。身体のあちこちにひどい痛みが走った。目がかすみ、耳鳴りがした。


 癪なので、すぐに新たな蛇の分身を施設の中に顕現させた。身を潜めるように移動する。攻撃魔術の主は見つからない。それなのに、ジュッと音を立てて、蝙蝠が次々に魔術の炎で燃え落ちる。最大限の遮断をしても、涼雨の本体に、熱さや痛みが伝わってくる。失われたエネルギーを補いたい。施設の中、負傷したまままだ誰にも手当てされずに隅で倒れている、比較的魔精が残っている者を発見し、肉体もろとも喰らうことにする。口を開けてバネのように飛びかかった瞬間、コンクリートの床にがん、と顎を打ちつけた。垂直に落ちてきた氷の槍に上顎から下顎まで地面に縫い止めるように刺し貫かれていた。「四人目」の魔術に違いなかった。痛みよりも何よりも、目のくらむような怒りが涼雨を包んだ。やられた蛇はすぐに消し、ムキになって、新たな蛇の分身を、今度は二体、施設の中に送り込む。


(どこにいる)

 攻撃魔術の主を見つけ出し、八つ裂きにしてやりたい。


 蝙蝠は魔精体のみにした。感知能力を活性化させながら、涼雨はひっそりと二匹の蛇を動かした。攻撃魔術の主さえ倒せば、他の三名の攻撃能力はそこまで脅威ではなさそうだし、どうとでもできるだろう。とにかく相手に見つかる前に、こちらが先に相手を見つけ、仕留めることだ。


(どこに・・・・・・)


 施設の中の人々は、一階の広間のような場所に集められていた。助けに来た三名は、てきぱきと治癒を続けている。職員の一人が、名簿を手にして人数を確認していた。動ける者や動けるようになった者は、他の階に人を探しに行ったり、動けない者を運んだり介抱したり、部屋から毛布を運んだり水や薬を取りに倉庫に走ったりしていた。囚人もテロリストも職員も区別なく皆が協力しあい、笑顔を交わしたり、励ましあったりしていた。涼雨にひときわ苦痛を与えるような実験を提案し、苦しむ涼雨を笑いながら眺めていた職員が、治療を待つテロリストの背中を優しくさすってやっていた。親しく会話を交わしたこともあったけれど所長が替わった後は涼雨への態度を一変させた職員が、治癒を受けて回復した囚人たちと冗談を言って笑いあっていた。


(・・・・・・)


 今は下手に動くべきではない、と涼雨は思っていた。

 攻撃魔術の主を見つけ出すのが最優先だと、頭では分かっていた。

 けれども我慢ができなかった。


 二匹の白蛇は鎌首をもたげた。気づいた数人が悲鳴を上げる。一箇所に固まっている人間たちに向かって、二匹はがっと口を開け、ありったけの水を彼らに浴びせかけた。逃れようとした者たちも逃がさずに、狙いを定めて噴射した。あたりは水浸しになり、人間たちはみんな濡れねずみのようになっていた。涼雨は蛇を介してそこに魔力を叩き込んだ。吐いた水を発火させる蛇の能力は、この場の人間を、一人残らず跡形もないほどに燃やし尽くしてくれるだろう。涼雨はそう思った。


 が、炎は発生しなかった。一片の火花すら出現しなかった。

 蛇の炎を封じる魔術式が、すでにその空間で発動されていたらしかった。


 がきん、と衝撃が走り、蛇の顎に口枷が取り付いた。二匹とも同時だった。焦ってもがいたが、棒を縦に突っ込まれた状態で、口を閉じることができなかった。と、突如出現した輪が頭部と胴部の境目のあたり、ちょうど喉元に食い込んだ。間髪入れずに長い胴部に次々と輪が現れ、しっぽにかけていくつもの輪が蛇の身体を締めつけた。拘束の魔術だ。なんとかして逃れようと頭部を振り身をくねらせあがいたが、暴れれば暴れるほど、締めつけはきつくなった。しかもその輪が触れた部分からは、どんどん力が吸い取られていくようだった。


 力が奪われていることに気づいた涼雨は、すぐに二匹を消すことで、何とか逃れた。

(くそ・・・・・・っ)

 けれどもそれで、終わらなかった。

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