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26.涼雨(4) 回想② 別れ話の裏側

「悪いね。僕も自分の気持の整理がつかない。正直、どうしたらいいのかわからない」

 日雁(ひかり)は言った。


「ごめんなさい」

 涼雨(りょうう)には、それしか言えなかった。


 家の中で魔術の効力が最も強く働く、特殊な環境設定がされた一室。

 さらにそこに、魔術協会から派遣された結界師が厳重に術を張り巡らせた。


 物理的な拘束は手首と足首だけである。ありがたいことに、さほどしんどくはない姿勢で椅子に座らせてもらっている。けれども魔術による、魔精感度の高い者にしか感知できない拘束具は、頭の先から足の先まで、これでもかというほど厳重に涼雨の身体をぐるぐる巻きにしていた。封印の術も、何人もの術者によって数時間がかりでいくつかけられたかわからない。これまでとは違って、加減も調整もされずにすべて最大効力でいくつもの魔術をかけられているためだろう、息がしづらく、吐き気がして、身体のあちこちがしびれているし、絶え間なくどこかが痛む。視覚も聴覚も他の感覚も、鈍くしか働かない。どろりとした重たい悲しみの感情がずっと頭を覆っているけれど、それが催眠や精神操作系の術の副作用によるものなのか、魔術と無関係にそういう気持なのか、涼雨自身には判断がつかない。


(魔物として、殺してもらえたらよかったのに)

 ぼんやりと、涼雨は思った。その思いが湧くと同時になぜかふいに砂映(さえい)の姿が浮かんで、涙が出そうになった。精神の沈静化のために、何かそういう暗示でもかけられたのだろうか。それとも自分で自分を守ろうとして、自分の中に死にたくない気持があって、それでこんな風になるのだろうか。


(砂映に会いたいな・・・・・・)

 すべてをなかったことにして、まるで普通の女子高生のように、砂映の隣で、たわいない話をしたいと思った。そんなことを思う権利など、自分にはないということもわかっているけれど。


綾巳(あやみ)は死んでない」

 涼雨が座らされた椅子の正面に、向き合う形で日雁も椅子に座っていた。

 その目には、これまでにはない冷ややかで暗いものが宿っている。それでもどうにか温和さを保って話しかけてくれていることに、涼雨はありがたさを感じる。

「まだ。かろうじて。だけどね」


 何と答えたらいいのかわからなくて、涼雨は黙っていた。

 日雁はかまわず話し続ける。


「病院に行って傍にいたいと訴えたんだけど、駄目だって。それよりも、君を見張ることの方が重要だろう、って。散々嫌みを言われたよ。危機管理がなってなかった、当然の結果だ、自業自得だろう、むしろ関係者だけの被害でよかった、って」


 笑みさえ浮かべて日雁は話す。やはり涼雨は、何と言っていいのかわからない。


「赤月さんも綾巳も、こんな結果は望んでいないだろう。わかっている。君が人間として自由に生きていくこと、それが彼女たちの願いだった。だけどもう・・・・・・」


 涼雨の今後の処遇については、もはや議論の余地はなかった。それは先程、涼雨も聞かされた。危険度の高い魔法関連の犯罪者や生け捕りにした大型魔獣が収容されている施設の一つに、準備ができ次第送致される。囚人としてではないよ、と、それを説明した魔術協会の担当者は含みを持たせるように薄く笑って言った。これからはもう自分は「人間」としては扱ってもらえないのだと、涼雨は理解した。これは非公式なことであり、情報をもらした場合はその「相手」に迷惑がかかるということを肝に銘じるように、と担当者は日雁やこの家で働く人間、そして涼雨自身に釘を刺した。誰かに頼ることも、相談することも、もはやできない状況だった。


「そんなこと、望まない。大丈夫」

 涼雨は小さく呟いた。覚悟はとうにできている。


 遠く、部屋の外で電話が鳴っていた。昨晩綾巳が魔術病院に搬送されてから、早朝にかけて入れ替わり立ち替わり来ていた魔術協会派遣の術者や関係者たちは全員帰ったのだが、確認や連絡の電話はまだたびたびかかってきていた。しばらくすると、おそらく家政婦さんが出たのだろう、呼び出し音が途切れた。

 やがて、コンコン、と部屋の扉をノックする音が響いた。


「失礼します」

 家政婦の壬豆みずだった。彼女は涼雨がこの家で暮らし始めた時からここで働いている。調理師免許のみならず魔術空間調整士と魔術拳闘士の資格も持っているらしい。年齢は五十歳半ば。背が低く小太りで、いつもぶすっとした顔をしている。彼女は保留音が流れる電話機を手に持っていた。


「お電話が入っています」

「どこからかな」

「砂映さんから。涼雨さんに」

「それは――――」

 日雁は何か言いかけた。


 けれども壬豆みずはズンズンと室内に踏み入ると、涼雨の椅子の傍に立ち、電話機のボタンを押した。保留の音楽が途切れた。

 しばらく沈黙があった。 


 ――――あ?あのお、もしもし?

 保留の音楽が途切れたものの誰の声も聞こえてこないという状態に、とまどう砂映の声がスピーカーから流れた。


 涼雨はとっさに枷のついた両手を口元にやって、息や声がもれないようにした。嗚咽を精一杯我慢した。目から涙があふれるのは止められなかった。


 壬豆みずは仏頂面のままスピーカーをいったんオフにして、「申し訳ありません。もう少々お待ちください」と電話に言った。再び保留音が流れた。壬豆はエプロンからティッシュを取り出すと、「鼻。かんでください」と涼雨の鼻に押しつけた。


「日雁さんが責任を負いたくないなら、家政婦が勝手にやったことと仰ればいいでしょう」

 ティッシュをとりかえて再び涼雨の鼻に押しつけつつ、壬豆は静かに言った。

 鼻をかんで息を整えた涼雨に向かって、「電話でいつまでも黙っているのは失礼ですよ」と言うと、壬豆は電話をオンにした。


 ――――あ!もしもし。

 再び砂映の声が響いた。

 涼雨は困って日雁に目をやった。けれども日雁は一人で考え込む表情をしている。壬豆は電話を押し出すように涼雨に向けて、にらむように早く話せと涼雨を促す。

「もっもしもし!」

 うわずるような声で、涼雨は言った。


 ――――あっ涼雨さん!良かった!涼雨さん!お久しぶり!しばらく連絡できなくてごめん。あの・・・・・・元気?

「う・・・・・・うん」

 ――――ほんとに?なんか鼻声?最近ずっと休んでるってクラスの人に聞いたんだけど。大丈夫?

「あ、うん。大丈夫」

 ――――前、体調悪いって言ってたと思うけど・・・・・・

「ほ、ほんとに、大丈夫。もう、治ってる。ちょっと、その、家の事情で休んでるだけ」

 ――――そうなんだ。体調悪くないならいいけど。や、家の事情が大変だったらそれはよくないんだけど。その、さ。俺も受験が一段落しまして。

「あ、それはよかったね」

 ――――そのお、会いたいのですが。今から会いたいのですが。無理はしてほしくないのですが。でも相談したいこともあるしすごく会いたいのですが。どうですか。

「・・・・・・」

 ――――涼雨さん?もしもし。

 涼雨が答えられずにいると、壬豆みずは保留のボタンを押した。


 壬豆は保留音楽を流す電話機を脇の台に置くと、エプロンのポケットからおもむろにペンチを取り出した。ばちん!と音を立てて涼雨の手首の拘束具を切る。そのまま膝をつき、涼雨の足首の拘束具も切った。


「み、壬豆さん・・・・・・?」

「こんな拘束具に何の意味がありますか。これだけ魔術の拘束を受けているのに」

「けど」

 涼雨はおろおろしながら壬豆を見て、日雁の方を窺った。

 日雁は黙ってこちらを見ていた。


「会いに行くべきでしょう」

 壬豆は淡々と言った。

「最後なんですよ」

「でも」と涼雨が言うと

「そんなことも許さないというなら、私は暴れることもいといませんよ日雁さん。それで魔術拳闘士の資格を剥奪されたって、かまわないんだ」

 壬豆は涼雨に向かってひざまづいたまま言った。


「・・・・・・そんなことをしたら、魔術拳闘士の資格を剥奪どころか、他の資格も仕事もすべて奪われて、処罰を受けるかもしれませんよ」

 日雁が言った。

「かまわない」

 壬豆が言うと、日雁はふっと笑った。


「・・・・・・ずるいな。壬豆さんばっかりそんな格好のいいこと言って」

 日雁は悲しそうに微笑むと、立ち上がった。

 壬豆は日雁の方を向くと、涼雨を背にして拳闘士らしい構えをとった。


「僕だって、何もかもどうでもよくなったりするんですよ壬豆さん」

「あの。あの。やめてください壬豆さん。日雁さん。お願いですから」

 涼雨は慌てて言った。


 す、と日雁が動いた。日雁がどんな術を使ったのか、涼雨にも壬豆にもわからなかった。催眠の類だったのかもしれない。


 気がつくと日雁は壬豆の背後をとり、涼雨のすぐ前に立っていた。

 悲しそうに笑いながら、日雁は涼雨に電話機を差し出していた。壬豆が脇の台に置いていた、保留音楽が流れる電話機。


「日雁さん?」

「会ってくるといい」

 そう言うと、日雁は保留を切った。


 ――――あ!もしもし?ごめん。あの、もしかして立て込んでる?都合悪いならそう言ってくれたら。そちらの事情も知らずに・・・・・・

 流れる砂映の声に、

「今から、行くね」

 涼雨は言った。


 ――――また今度、別の日・・・・・・へ?え!本当ですか?でも、大丈夫ですか?無理してない?

「大丈夫」

 ――――ほんとに?正直に言ってくださいよ。本当に。

「大丈夫。私も・・・・・・話したいことある」

 ――――そう?じゃあ・・・・・・どこに行きますか。天気もよさそうだし、どこか・・・・・・

「公園」

 ――――え?

「学校の近くの公園。あそこにしよう」

 ――――え、あ・・・・・・まあ、そうですね。とりあえず。


 どことなく呑気に聞こえる砂映の声が、たまらなく涼雨には愛おしかった。

 通話を終えると、涼雨は静かに言った。

「ありがとう日雁さん」

 壬豆に促されて、涼雨はシャワーを浴びた。

 一番お気に入りの服を着て、家を出た。



 砂映に別れを告げて涼雨が家に帰ると、魔術協会から派遣された術者たちが待っていた。


 涼雨を一人外出させたことについての非難や叱責はすでに終えていたらしく、涼雨が戻ると術者たちは淡々と対応した。今着ている服以外の持ち物は一切許されなかったが、食事をしばらくしていないことを心配した壬豆が用意したサンドイッチとお茶は、取り上げられなかった。魔獣を搬送するための特殊な車両の檻の中に、片足に物理的なおもりのついた枷を付けられて入った。冷えた金属の床からダイレクトな振動を受けながら、涼雨はサンドイッチを食べ、お茶を飲んだ。しばらくすると車から降ろされた。山の中だった。夕暮れの空は、毒々しい黒みがかった赤色だった。おもりを引きずって山道を歩き、鬱蒼と木が生えた池のほとりまで来ると、同行していた術者の一人が呪文を唱えて印を結んだ。エネルギーが渦を巻き、魔術の「通路」の入り口が姿を現わした。その「通路」をしばらく歩くと、「施設」に着いた。

※砂映視点の同シーンは「17.砂映の彼女(6) 卒業」です。

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