24.涼雨(2)「愛していますよ」
ばちん、と空間が切り替わったのが砂映にもわかった。
街路樹も道路も消え失せて、何もない、真っ白な中に砂映たちはいた。
「魔精空間の一種だ。この空間では、魔物の特性がより明瞭に可視化される。弱点なんかのあぶり出しにも有効だから、魔獣退治ではポピュラーな結界術だ。どうだい砂映くん。ここなら君にも見えるだろう。その魔物女の魔精体が」
いつの間にか、涼雨はぺたん、とその場に座りこんでいた。力なくうなだれているその頭部には白銀の獣の耳が生えている。背中からは、蝙蝠らしい、けれども白い、かぎ爪に膜の張った翼が覗いている。首筋や手の甲には硬質の鱗がところどころ光り、空白のような床には獣の尻尾が伸びている。今この空間では、それらがはっきりと砂映にも視認できた。
「涼雨、さん」
「見ないで砂映くん。お願い」
うつむいたまま、消え入りそうな声で涼雨は言った。
「ずっと隠してて・・・・・・ごめんなさい」
魔物たちが活性化している、のかもしれなかった。耳や翼は白く光る煙のようなエネルギーを発しながら揺らめいている。砂映にもそれが見えた。
「なんで」
涼雨を見下ろして、砂映は呟いた。
「ごめんなさい」
「なんで・・・・・・」
砂映はこぶしを握りしめた。どうしようもなく腹が立っていた。
(なんで信じてくれないんだ)
何度も、何度も、伝えてきたつもりだった。
あなたのことが好きなのだ、と。
なぜかはわからないけれど、どうしようもなくあなたが好きで、むしろどうあがいてもそこからは逃れられなくて、手放すことなど到底無理で、自分でもどうかしていると思うけれど、何があろうとどんなだろうと好きなのだ、と。
(だけど、不安にさせたのは・・・・・・)
連絡を怠った、のは事実だ。
高校生の頃のように「覗き見」や「分身」をしたりはしない、そういうのはもうない、できないし、と再会した後の涼雨は言っていた。
けれども砂映からの連絡が十日もなかったことで、不安になった涼雨の「目」は、砂映のところに飛んで行った。
お店の前で鍵の不具合が起こったところも覗いていたとしたら、砂映が竜菜と話していたところを「見た」のかもしれない。さっき涼雨が言っていた「あの人」というのは、たぶん竜菜のことなのだろう。砂映が女性と話をしていると、涼雨はすぐに心を揺らせてしまう。勝手な決めつけをして、別れるから安心してね、とすぐさま砂映に伝えてくる。
「涼雨さん」
砂映は座りこんだ涼雨の前に、すとん、としゃがみこんだ。
手を、すっと伸ばす。びくり、と小さく涼雨が反応したのがわかったが、かまわずに、砂映はうつむいたままの涼雨の頭をそっと撫でた。白く発光する魔精の耳を砂映の手はすり抜けたが、そこにはほんのりと、気の塊、の感触があった。なんとはなしにあたたかいように砂映は感じた。
顔を上げた涼雨は、目を丸くして砂映を見た。
「涼雨さん。愛していますよ」
砂映は言った。
にかっと涼雨に笑いかけると、今度は彼女の背中に手を伸ばして、ゆっくりとさすった。すり抜けた魔精の翼も、耳とは違う感触だったがほんのり熱が感じられた。両腕を回して、包み込むようにその身体を抱きしめた。身体を離すと、砂映は自分が羽織っていた白いマントをとって、涼雨の肩にかけた。何の術もかかっていない、加護も浄化も一切ない既製品の白魔術系術者のマントである。涼雨がどのような魔精を持っていようとも、影響が出ることはないはずだ。
ぽんぽん、と涼雨の肩を叩いて、それから砂映は立ち上がった。
「君は彼女の虜になっているようだね、砂映くん」
紅が言った。
「そのとおりです」
「その魔物女の催眠魔法で操られているのだろうと、そう言っているんだよ」
高校生の時、魔術師たちは、砂映は操られてはいないという結論を下した。
けれど、これほどまで・・・・・・もうほとんど呪いのように彼女のことが好きなのは、もしかしたら本当は、何か魔法をかけられているのかもしれない。
「聞き捨てならないです。紅さん」
砂映は言った。
こんなにも迷いなく、揺るぎなく、彼女のことをこの上なく好きでいつづけられるのがもしも魔法のせいなのだとしたら。
そんな魔法をかけてもらえた自分は、何て幸せ者なのだろう。
「彼女のことを、魔物女、と呼ぶのは、やめてほしいです」
「ハ!魔物女を魔物女と呼んで何が悪い。その女、この私がどれだけ熱い視線を送っても一向に心動かされる気配がない。私はどんな魔女でも導いて更生させる慈愛に満ちた魔術師だが、魔物はあいにく対象外だ。まるで女版雷夜だな」
「・・・・・・彼女は魔物じゃない」
「アハハ。判断するのは私だよ砂映くん。魔法薬師の君には無理だ。魔術師であるこの私が判断を下したんだ。ご承知のとおり、魔女の捕縛も魔物退治も魔術師の仕事だからね」
「違います。彼女は魔物じゃない」
静かに繰り返す砂映に、紅は大げさにため息を吐いてみせる。
「違わないよ砂映くん」
やれやれ、と微笑むと、諭すように言う。
「その魔物女は、存在自体が間違いだ。人として幸福に生きる権利なんて、その魔物女にはないんだよ」
「そんなこと」
そんなことを決める権利が誰にあるんだ、と砂映は怒りとともに思う。
けれども砂映の背中越しにその会話を聞いていた涼雨は、紅の言葉に思わず笑みをもらしていた。
(懐かしい)
そんな風に涼雨は思った。




