22.魔道士雷夜の意外な忠告
(あの日から、もうすぐ一年か・・・・・・)
朝食用のパンの袋を片手に魔道士雷夜の家に向かいながら、砂映は感慨にふける。
涼雨と再びつきあうようになった数日後、砂映は魔草師の資格を得た。いろいろあったが魔法薬師免許を取得し、今からおよそ半年前、春から現在の職場、途季魔法薬店に就職した。
新しい職場、しかも以前とはまったく異なる業種、さらに砂映は「魔法薬師資格試験不合格(特別枠で魔法薬師免許取得)」というへっぽこである。仕事に対して、時間と労力を注いでも注いでも足りないような状況だった。
しかし砂映は、そのような期間も決して涼雨とのつきあいに手を抜かなかった。新卒就職後や転職直後に別れたカップルの話を、砂映はこれまでいやというほどまわりから聞かされてきた。仕事でいっぱいいっぱいだからといって、恋人への連絡を怠ってはならないのだと、そこは肝に銘じていた。うっとうしすぎない、しかし不安に思わせない頻度を推し量り、どんなに眠かろうとどんなに疲れていようとも、電話をしたり、テキストメッセージを送ったり、週末に会う機会を作ったり、手を抜かずにがんばった。
そう、正直なところ、そこに「がんばる」意識がまったくなかったとは言えない。涼雨とことばをかわすことで元気が出たり、会うことで幸せを感じることの方がもちろん多かった。けれども、連絡するのがめんどくさいと思った夜も、誰にも会わずに終えたい休日も、なかったとは言えない。まあ、涼雨も小学校の教師という忙しい仕事をしている身で、シングルでの生活リズムに慣れていたこともあり、そこまでこまめな連絡や頻繁に会うことを求めてはいなさそうだったことはありがたかったりしたのだが。
再びつきあいはじめてもうすぐ一年。
「騙されているのではないか?」という涼雨の不安もおそらく今は払拭できているはずである。
「つきあいはじめの危うい時期」を脱し、現在、二人の関係は安定している。当初ほどは気張らなくてもいい状況になっている。そう砂映は思っている。が。
(そういえば、結局昨日も電話しなかった)
一昨日、電話しようと思いつつもしなかった。
昨日も、あれこれ考え事をしていたので忘れていた。
(前に涼雨さんに連絡したの、いつだっけ・・・・・・)
仕事にも、今の生活にも慣れ始めて、少し気が緩んでいるのかもしれない。
そんな中、先週は「魔女」が関わる事件に巻き込まれ、魔道士雷夜の仕事を手伝い、人生で初めて「空間移動」や「魔精体分離」を体験した。個人差もかなりあるらしいが、成年、しかも三十半ばを過ぎて初めてそれらを経験するのは心魔身への負担がかなり大きいらしい。さらにあの日は、一生使わないつもりだった「魔躁師」としての禁術を使い、ばれてはならない秘密が魔道士にばれるというおそろしい事態もあった。おそらく自覚している以上に消耗していたのだろう、平日は何とか乗り切ったものの、休みの土日になった途端、砂映は気力も体力もほとんどゼロ状態となり、二日間ほぼ何もできずに寝込んでいた。再会後ふたたびつきあい始めてから、涼雨と一週間以上会わなかったことはこれまでほとんどなかった。お互い忙しいから今週はパス、となった時も、電話で話はしていたし、テキストをかわしたりもしていた。
(「芋虫の魔女」と会った日・・・・・・は、結局連絡しなくて)
洗脳の魔法は相手が思うほどには効いていなかったわけだが、それでもだいぶ朦朧とした意識の中で美人の魔女に「私の奴隷にしてあげる」と言われ思わず肯定的な返事をした・・・・・・何となくその後ろめたさを拭い去りたくて、あの夜本当は涼雨の声を聞きたいと思った。けれどそれより疲労が勝って、結局連絡せずじまいだった。
(ということは、先々週の土曜以来)
先々週の土曜日、涼雨の家の近くのファミリーレストランで昼食を一緒に食べた。涼雨は行事の準備で忙しく、その日午後から職場の小学校に出勤するとのことだった。俺も用事あるし、昼だけ一緒しましょう、そっち行くんで、と砂映は出かけたのだった。たわいない話をしたと思う。翌日の日曜日は特に砂映から連絡することもなく、涼雨から連絡もなかった。
(別に、めんどくさいとかそういうわけでは)
自分には、涼雨しかいないと思っている。とても大切だと思っている。絶対に失いたくないと思っている。
けど、もしかしたら、それだからこそ、そのちょっとした緊張感が、たまに少ししんどいのかもしれない。
(そんなこと思うなんて、一年前の俺にぶん殴られる・・・・・・)
再会できて、またつきあうことができるようになったなんて、奇跡みたいに幸せなことだと、わかっているのに。
小高い丘の坂道を上りきると、魔道士雷夜の住むボロ小屋がある。
「おはようっす」
魔道士の了解がなければびくとも動かない扉は、砂映が押すとすんなり開いた。
今朝、朝食用のパンを持って訪ねるということは、石電のテキストメッセージで昨夜雷夜に連絡済である。石電を持っていない雷夜だが、術者として送受信ができるやり方があるらしい。わかった、という短い返信もあった。
「ああ」
薄暗い室内で砂映に向かって顔を上げた魔道士雷夜は、しかし砂映の予想に反して今まさに出かけようとしている格好――――いつもの古めかしい黒マントを羽織って立っていた。しかも傍らには見慣れないどこかの民族衣装を着た男がいて、雷夜の足元で従者のように片膝をついている。さらに彼らの背後には、直径一メートルほどのあらゆる色がめまぐるしく渦を巻く亜空間への入り口めいたエネルギーの塊が覗いていて、どう見ても・・・・・・今から呑気に朝ご飯を食べる、というような雰囲気ではない。
「えっと・・・・・・お出かけするところ?」
「悪いな砂映。緊急で仕事が入った」
「そうっすか。・・・・・・パン、持ってく?」
「いやいい」
短く返事をした魔道士の足元の男が、「雷夜様、そろそろ」と言った。
(雷夜・・・・・・様)
最近は空間移動の術についても研究が進み、事前に出入り口の魔法陣構築をして面倒な開通儀式を行なわなくても「道」を作ることができる術者は増えたと聞く。とはいえ、一方にあった物や人が初めて他方に進む往路よりも戻る復路の方がはるかにスムーズである、といったことがあるらしい。従者のようなこの人物は、おそらく緊急の仕事の依頼人が、急ぎ魔道士雷夜を来させるために派遣した術者なのだろう。見慣れない民族衣装はかなり辺境の地のものと思われる。そこで何か、一刻を争うような大変な事態が起こっているのかもしれない。
「いってらっさい」
「悪いな」
「いえいえ」
砂映はぷらりと手を振った。民族衣装を着た従者っぽい男が小さく呪文を唱え始め、背後の渦が音を立てて大きくなる。なんとなく、そこに二人が入っていくところを見送ろう、と砂映はそのまま立っていた。しかし雷夜は入っていかずに、口を開いた。
「ちょっと言っておくことがあるんだが、砂映」
「はい?」
民族衣装の従者っぽい男は、雷夜が話し始めたことが予想外だったらしくぎょっとした様子で顔を上げた。渦を巻く亜空間の入り口らしきものは直径三メートルほどのかなりの大きさになっており、そこから発せられるエネルギーは魔精的な事象に鈍感な砂映にさえびりびりと感じられた。
「な、なんでしょうか!」
渦の音が大きくなっているので、砂映は思わず声を張り上げる。
一方雷夜はいつもどおりの落ち着いた声音で、しかしその発声は妙に明瞭ではっきりと砂映の耳に届いた。
「最近、彼女への連絡を怠っているだろう」
「へ?」
音はクリアに聞き取れた。しかしこの、おそらく魔道士がやって来ることを今か今かと待っている依頼人がいるであろうこの状況で、なぜ突然、そんなことを言うのか。唐突すぎて、砂映は混乱した。どういうこと?「女性の第三者」を指す語としての彼女?誰の話?
「彼女って、誰」
「おまえがつきあっている彼女のことだ」
「ええっ」
そもそも、砂映は恋人の有無はもちろんプライベートの話はほとんど雷夜にした覚えがない。魔道士雷夜が他人のそういったことに関心があるとは到底思えなかったし、というか万が一そういう話に関心があったとしても、口出しするのはまた違う。
「雷夜様、お急ぎください!」
従者っぽい男が悲鳴のような声を上げた。渦が大きくなりすぎて、制御が難しくなってきたらしい。
「えっいや、俺、彼女いるとかそんな話、したことあった?」
小屋の中は、ただごとでない状況である。従者っぽい男に申し訳なくて、早く話を終わらせるべきだと砂映は思ったが、あまりにも訳がわからないので訊かずにはいられない。
「『芋虫の魔女』に彼女はいるのかと問われて答えていただろう」
巨大な渦のエネルギーに髪をなぶられながら、淡々と雷夜は言う。
「あ、確かに・・・・・・いやでも」
「ちゃんと連絡してやれ」
従者っぽい男が「雷夜様!」と悲痛な声で叫び、雷夜はようやく渦の中に歩を進めた。
従者はややほっとした様子で渦に手をかざし、一応砂映に向かってぺこりと頭を下げると、自らも渦の中に入っていった。渦の中に二人の姿は見えなくなり、やがてその渦自体もどんどん小さくなって消えた。急に静かになった小屋の中に、砂映は一人残される。緊急の仕事に向かう雷夜が、迎えの者を焦らせてまで砂映に伝えた助言。
「・・・・・・なんで?」
砂映には、魔道士の意図がまったくわからなかった。
パンを持ったまま、砂映は今登ってきた坂を下りた。下り終えたところから道を曲がって少し行くと古書店がある。一般書籍中心だが、魔術学校にも近いという場所柄、魔法関連の書籍も充実している。一度目の魔術学校生の頃から、砂映はちょくちょく利用していた。
(あの本、あるだろうか)
時間はまだ九時前だが、看板はすでに出ていた。これは、営業しているという合図である。告知の開店時間は一応九時だが、八時半前後には開いていることが多いというのも学生にはありがたかったものだった。
(『三聖獣の魔女』・・・・・・かなり売れた本だと言ってたし)
買った人が多いなら、当然売る人も多いはずだ。
カラカラと店の扉を開けると、丸眼鏡をかけたいつもの店主が眠そうな目をこちらに向ける。
軽く会釈をして、砂映は店に入ると、魔法関連ではあるが専門的過ぎない、比較的一般向けの読み物にカテゴライズされるような本が並んでいるあたりに目星をつけて本棚を目で追った。
(あ、あった)
目当ての本をすっと見つけられると、ちょっと嬉しい。
(紅さんの説明は、たぶん紅さんの解釈がかなり入ってる・・・・・・)
話をしている限り、紅はかなり独特な思想を持っているようなので、聞いた話もおそらく実際本に書いているニュアンスとは異なるのではないか、と砂映は感じていた。本自体、筆者の目線での内容でしかないわけではあるが、それでもせめて自分で読んで、少しでもましな情報を把握しておきたい。
(雷夜と「少女L」が魔物の王国を築こうとしている、というのはどう考えてもおかしいとして・・・・・・)
貼り付けられた値札を見ると、定価の三分の一ほどだった。
厚みのあるハードカバーをレジに持っていき、お金を払って店を出る。
朝食を食べ損ねているので、どこかで食べたい。
いったん家に帰ろうかとも思ったが、天気もいいし近くの公園のベンチでパンを囓るのもいいかもしれない。
などと考えながら歩いていると、道路の先にうずくまる人影が見えた。
髪の長い女性が、おそらく体調が悪いのだろう、道の端にしゃがみこんでいる。人通りは少ないがまったくないわけではなく、気遣うように視線を向けたり、声をかけたりしている人もいるようだが、本人が大丈夫です、などと断っているのか、彼らは心配そうな様子を見せつつも、それぞれ通り過ぎていく。
反射的に、砂映は駆け足でそちらへ向かった。一目で魔術医療関係者とわかる白魔術系のマントを羽織っているので、ある種の安心感を与えることができるかもしれない。近所に顔馴染みの診療所もあるから、そこまで連れて行ってあげることもできるかもしれない。
(って・・・・・・え?)
見知らぬ人への善意の気持で砂映は走り出したのだった。
ちょっと似ているなとはもちろん思ったけれど、かなり遠目であるうえに顔は下向けられていたし、同じような髪型で同じような背格好の女性はいくらでもいる。再会する前も含めれば、「似た人」を街中で見出すことは砂映にはもはやあまりにも日常だった。
だから「まさか」という思いの方が強かった。
けれども近づくにつれて、砂映の信じられないという思いとは裏腹に、それは確信に変わった。
「涼雨さん!?」
そこにうずくまっているのは、涼雨だった。




