21.砂映の彼女(10)「軽くないんです」
「そういう涼雨さんこそ、あいかわらずこんなに綺麗で、今は素敵なだんなさまと・・・・・・」
「アハハ!褒めても何にも出ないよ?ちなみにだんなさまはいない」
「あ、すんません。だんなさまって言い方はよろしくないんですよね。夫様?」
「え、いや、そういうことじゃなくて。だんなさまも夫様もいないので」
「あれっそうなんですか。けどまあ、素敵な彼氏様が」
「素敵な彼氏様もいないです。素敵でない彼氏様もいないです」
「そ、え・・・・・・いやなんかすごい幸せそうだから、てっきり」
「別に・・・・・・結婚してたり彼氏がいる人しか幸せそうじゃないってことはないでしょ」
「あ、そうだけど。もちろんそうだけど。何というか、まさか、その」
「そんな大ごとみたいに反応されると惨めな気持になるから、やめてほしいな」
「すんません。だけど」
「私は砂映くんと違ってモテる人じゃないので。だけど仕事楽しいし、今の自分に満足しているので。ハイ終わり」
「けど本当に彼氏もいないんですか?」
「・・・・・・いない」
砂映はグビグビとカフェオレを飲んだ。
本日三杯目のカフェオレが、空になる。
「あの涼雨さん、ちょっと重い話してもいいですか。あの」
「あ、砂映くんまだ時間大丈夫?お腹すいたしよかったら何か食べない?すいませーん!メニューお願いしてもいいですか?あれ、砂映くん今何か言った?」
手を挙げて大声でウェイターに呼びかけつつ砂映にそんな風に訊ねる涼雨は、ちょっとやはりあの頃とは少し変わったな、と砂映は思う。何というか、逞しくなったという感じがする。こんな風に快活な雰囲気で、小学校の先生もやっているのだろうか。繊細で影のある高校生の少女は、頼もしい大人になった。
(けれどもやっぱり俺はどうしようもなく・・・・・・)
「小学校の先生って、大変じゃないですか?」
「うん。大変、かな。でも、なりたくてなったから、楽しいよ」
「昔からなりたかったんですか?」
「昔・・・・・・昔は、将来を自分で決められるとは思ってなかったから・・・・・・だから、何になりたい、とか考えたこともなかったなあ」
やって来たウエイターに、涼雨はBLTサンドイッチと珈琲のおかわりを頼む。砂映も同じサンドイッチとカフェオレのおかわりを頼んだ。
「私ね、言ったことあったと思うけど、小学校も中学校もほとんど行けなかったから。行けないけど、しょっちゅう覗き見てて。すごく憧れてて。だからかな、これからどう生きるか、何がしたいか、自分で考えていいって初めて言われた時に、ふいに浮かんできたのが小学校のあの空間にいることだった。それで、先生になろうと思った。単に世の中を知らなさすぎて、他に何も浮かばなかったってだけかもしれないけど」
「・・・・・・」
「あ、ごめんね。なんか語っちゃった」
「いや、すんません。その・・・・・・なんかいろいろ大変だったのかなと」
「え、あ・・・・・・アハハ」
涼雨は笑ってみせた。
けれど砂映は思い出していた。高校の卒業式の後で涼雨の家を訪れた時、あの魔術師が言っていたことを。涼雨は危険な存在なのだと。高校に通うべきではなかったのだと。今、涼雨のせいで自分の妻は死にかけているのだと。
「高校の卒業の頃も・・・・・・俺は何も知らなかったけど、なにか、その、大変だったのかなと」
「うん・・・・・・ちょっとね、私が力を暴走させてしまって・・・・・・。あの時、うちに来た時に、砂映くん聞いたんだよね、日雁さんに。日雁さんの妻の綾巳さんが私のせいで死にかけてるって」
「あ・・・・・・はいそういえば・・・・・・。いやでも、絶対それは涼雨さんは悪くないんじゃないかと、そう思ったんですけどねその時」
「アハハ。事情も知らずにそんな判断するのは危険だよ砂映くん」
「けど」
「でもありがとう。うん、私も綾巳さんのこと大好きだったから、あの時はすごくショックだった。だけど、綾巳さん、大丈夫だったんだ。何年かはかかったけど、回復して、今は仕事も復帰してるらしくて」
「そうなん!それはよかった」
「うん。・・・・・・ほんと、よかった。あの時は、どうなるかわからなかったから・・・・・・もう私は絶対に幸せになることは許されないし何かを望む権利もないんだ、って思ってた。だから今、やりたい仕事をして、ちょっとしんどいことはあってもそれなりに人の役に立ってて、自由に・・・・・・生きてられるのが、本当に幸せだなって思ってて・・・・・・あ、ごめん。また重いこと語っちゃった。恥ずかしいなほんと・・・・・・」
ばつの悪そうな顔をしながら涼雨は珈琲のカップを手にして、もう空になっているのに口に運んで傾けて、目をきょろきょろさせていた。そんな挙動不審さが妙に懐かしくて、愛しくて、砂映はまた泣きそうになった。
「あの、涼雨さん。ちょっと俺も語りたいことが」
その時ウェイターがBLTサンドと飲み物のおかわりを運んできた。
涼雨がぱっと顔を明るくする。
「美味しそう!BLTサンド、前までなかったんだよ。たぶん新メニュー」
「涼雨さんはこの店よく来てたん?」
「うん。二、三ヶ月に一回ぐらいは来てるかも」
「そんなに。そんなにしょっちゅうこの辺来てたんですね」
「あ・・・・・・うん。用事で」
「俺、この近くに住んでるんですよ。案外会わないものなんですね」
「だね」
「・・・・・・ええと、微妙なこと訊いて申し訳ないんですけど、はっきり言ってくれていいので。実は俺がいることに前から気づいていたけど避けてたとかそういうことは」
BLTサンドにかぶりついていた涼雨は、砂映の問いに真顔で顔を上げた。
しばらく咀嚼し、呑み込むと、言う。「なんでそんなこと言うの?」
「あ、いやだって・・・・・・魔精感度が高い人って、知り合いが近くにいることとかすぐ気づくし」
「それなんだけど」
涼雨は珈琲を一口飲むと言った。
「私はもう、力を捨てたの。今の魔精能力は、たぶん大半の一般人より低いくらい。魔精感度も低いし、魔力もほぼない。だから、そういう意味での価値は私にはないよ、砂映くん」
「え?」
「もしも砂映くんが、今魔術学校に通ってて、私の魔精の特殊性のこと思い出して興味を持ってたとしても、そういう協力はできないんだ。ごめんなさい」
言われて砂映は絶句した。
そんな発想は、つゆほどもなかった。そんな風に思われる、可能性さえ思いつかなかったのに。
「あの、涼雨さん・・・・・・」
「あ、このBLTサンド、冷める前に食べた方がいいと思う」
「・・・・・・」
砂映はぐるぐる考えた。どんな言葉で、今の自分の気持を涼雨に伝えたらいいのか。
(重すぎるし。迷惑かもしれんし。だけど。言わなかったら後悔する。でも)
せっかくのBLTサンドも、今の砂映にはほとんど味がわからなかった。考えることに必死になっている間に、いつのまにかなくなっていた。
「・・・・・・そろそろ出よっか」
二人で立ち上がり、レジへと向かった。とりあえずまとめて支払った砂映に、店の外に出た涼雨は自分の分のお金を差し出す。
「いや、いいんで」砂映が言うと、
「なんで?対等なんだしこっちがいやだ」涼雨は言い返した。
「本当にいいんで」
「砂映くんが奢る方がおかしい」
「俺が奢りたい。俺のわがままを聞いてください」
「変だよ」
「あの、奢ったかわりにお願いしたくて」
「え?」
「たかが千Yちょいで恩着せがましいこと言いますけど。奢るかわりに・・・・・・今回奢るかわりに・・・・・・また会ってもらえないでしょうか」
うまい言い方など思いつけなかった。砂映は必死だった。
「・・・・・・ごめんなさい砂映くん。さっきも言ったけど、私、もう魔力とかないし、知識も特殊事例に偏ってて役に立たないと思うし・・・・・・」
「涼雨さん」
「そういう、協力とかってできないんだ。ごめんなさい」
「涼雨さん」
「あのね、会えて話せて、嬉しかった」
「涼雨さん!」
積もりに積もった想いをぶつけるのは迷惑かもしれないなんて、もう、考える余裕はなかった。
「涼雨さん。俺は、俺は・・・・・・引かれるかもしれないけど、二十年近く経ってるのになんだそれと思われるかも知れないけど、ずっと涼雨さんのことを忘れられなかったんです。他の人では駄目なんです。駄目だったんです。だから今回会えたのが、本当に嬉しくて、奇跡だと思ってて。重くて申し訳ないんですけど、でも、どうしても、もう一度チャンスが欲しくて、それで」
畳みかける砂映のことばを、涼雨は驚いたように目を見開いて聞いていた。やがて、目を潤ませながら涼雨は言った。
「・・・・・・あのね。本当に・・・・・・やめて。いい思い出で終わらせて?」
「どうしてですか。俺は」
「さっきも言ったけど、私はもう、魔精能力ないし、そういう協力はできな・・・・・・」
「涼雨さん。俺は今、魔法薬師と魔草師の資格試験と魔術言語検定を受けて合否待ちです。涼雨さんが凄かったことは魔術学校に入って思い知りましたけど、魔術従事者としての俺の道と涼雨さんが凄かったことは無関係です。というか正直そんな発想がなさすぎて、協力ってどういうことなのか、俺が何を要求しうるのか、涼雨さんの言ってること自体がよくわかってないです。俺はただ」
「じゃあお金とか?何かの勧誘とか?それとも単なる軽い気持で?なんにせよ私は」
「そうじゃなくて俺は本当にっ」
通行人の視線を感じて二人は我に返った。
少し場所を移動した。二日前に偶然再会した、あの陸橋のところまで歩いた。
「砂映くん。正直に言うと私」
「はい」
「おととい砂映くんに再会できた時、信じられなかった。こんなことあるわけない、夢なんじゃないかって。現実だ、現実だよね?って後から思って、会う約束ができたんだって改めて思ったら、もう・・・・・・嬉しくてたまらなかった。だけど同時にものすごく怖かった。砂映くんはもう、私のことなんてなんとも思ってないに違いない。私と無関係に人生を生きていて、ただ単に見かけたからちょっと懐かしくて声をかけてくれただけなんだ。私がこんなにいまだに重い感情を引きずっているなんてきっと思いもよらないだろうし、知ったらきっと引くだろう、って。だから軽く会話しなきゃ、って自分に言い聞かせて、だけどどこかでちょっと、もしかしたらって期待している自分がいて、そんな自分を痛いなって思って」
「それは!まさに俺もそんな感じで!」
「ありがとう。そんな風に言ってくれて。だけどわからない。本当に信じていいのかわからない。私は砂映くんのことが好きで、ずっと好きで、好きすぎて、砂映くんという存在があまりにも大切で、ずっと心の支えで、あの頃の思い出があるから私は何とか生き延びられた、砂映くんが私の中にいたから私は私を保っていられた、今もずっと自分の中の一番大切な場所に抱えてる、それぐらいで。なのに再会なんてして。それだけでもう充分すぎるのに。そのうえ急にそんなことを砂映くんに言われても、待って、そんな都合のいい話あるわけない、こんなうまい話信じる方が馬鹿みたい、騙されてるだけに決まってる、さみしい女を利用しようとしてるだけだって、そうとしか思えなくて、怖い。砂映くんのことそんな風に思うのすごく嫌だし、そんな風にしか思えない自分も嫌だけど、悪いけど信じられない。砂映くんをそんな風に思うの、耐えられない。怖い」
「そんなこと言われたら俺も怖い」
「え?」
「涼雨さんがそんなに俺のことを好きでいてくれたなんて、ずっと好きでいてくれたなんて、嬉しすぎるけど怖すぎる。思い出の中の俺、めっちゃ美化されてたりしませんか。今の俺、大丈夫ですか。幻滅してませんか。どうしよう。今はまだ思い出補正効いてるのかな。ちょっとだいぶかなり怖い。すごい怖くなってきた。どうしよう」
「え、や、そういう話じゃなくて」
「あ、そうでした。俺の恐怖はどうでもよくて。けどどうしよう、怖いけど嬉しすぎる。え、俺こそ騙されてるんじゃないかと。騙されてるのか俺。だけど幸せすぎてもう騙されていてもいいぐらいというか。涼雨さんになら騙されてもいい」
「ちょっと待って」
「あ、すんません。舞い上がりすぎてわけがわからなくなってました。すんません。ええと、例えば俺が金を貸せとか何か契約しろとか言い出したらその時点で拒否してくれたらいいし、変な集団に入れとか妙なこと協力しろとか言い出したらどっかお役所の相談窓口とかに駆け込んでくれたらいいし、利用されてるんじゃないかとか遊ばれてるんじゃないかとか、ふざけんなと感じたらふざけんなって怒ってくれたらいいし、なんか怪しいと思ったら怪しいって問いつめてくれたらいいし・・・・・・って思うんだけど、ああでも、そう思ってもいざとなると難しかったりするんかな。ずるずるっと信じちゃったり?騙す人はそういうとこ巧妙なんか。えっと・・・・・・誰か信頼できる人とか友達とかに俺のことを紹介・・・・・・いやそういう人にいきなり会わすとかも逆に怖いか。どうしたらいいんかな。どうしたら少しでも安心できる?」
「え?ええと」
とまどう涼雨の前で、砂映は突然陸橋の端に寄りしゃがみこむと、鞄の口をがばっと開けた。
「今日は、もし涼雨さん来なかったらとりあえず勉強しようと思ってたんですよ。『魔法鉱物検定』試験が来週なんで。これがテキスト。これがノート。これが受験票。あ、これがさっき言ってた受験済の控。これが魔術学校の学生証で、そうだ、会社員の時の社員証・・・・・・は、返したな。ないな。家帰ったら名刺なら残ってるかな。あと、そーだ次会う時までに独身証明書とってきますよ。預金通帳も次の時に・・・・・・いや胸張れるほどのものではないですけど、今学生なんでそれはご容赦願いたいんですけど、一人で生きていこうと思っていた俺の人生プラン的にはまあこんなものかという現実を・・・・・・」
「いや、あの砂映くん」
「俺は、俺は涼雨さんに対するこのあまりにも重たい気持を引かれたら、すんませんとしか言えなくてどうしようもないですけど、重くていいなら、軽くないことを示せというなら、もうそれは正直にさらけ出せばいいだけなんでとても気が楽ですよ。悪いですけど本当に、軽くないですよ。・・・・・・軽くないんです。何でもするんで言ってください」
「どうかしてるよ」
「どうかしてますよ」
「そこは認めるんだ」
「自覚はありますよ。でももうこの年だとどうかしてる自分も受け容れられるかなと」
「嘘だ。砂映くんは昔からでしょ」
「そうでしたっけ」
「そうだよ。こんな・・・・・・こんなめんどくさい女にわざわざつきあうことないって、私何度も言ってきたのに。せっかく逃げられたのに。なんでそんな・・・・・・」
「だって俺は、涼雨さんが好きなんで」
しゃがみこんだまま、砂映は見上げる。
空を背景に、いつかと同じような泣きそうな顔をしている涼雨の顔。
砂映は言った。「迷惑でしょうか」言って、鞄を閉じて、立ち上がる。
「・・・・・・馬鹿みたい・・・・・・」涼雨は言った。
「覚えてますか」
「当たり前じゃない。あの時から、私、砂映くんの『彼女』になったんだから」
「あの時も今も、俺は大変な緊張感で涼雨さんのお返事を待っておりますが」
「嘘。確信してるくせに」
「いやいやいやいやいや!そこは承服できませんよ涼雨さん。俺がどんだけ、どんだけ!涼雨さんの反応に七転八倒してるか」
「もしも砂映くんが詐欺師だとしたら、凄すぎて、騙されても仕方ないかなって思えるよ」
「まだ言うか」
涼雨は笑った。笑いながら言った。「迷惑じゃ、ないです」
そうして再び、二人はつきあうようになった。




