18.砂映の彼女(7) 彼女の家
涼雨の家には何度か行ったことがあった。住宅街から少し離れた空き地の多い辺りに、ぽつんと建った一軒家。外観は、そこそこ高級な部類ではあるもののどこにでもあるような二階建て家屋だったはずだ。そこは涼雨の親戚の家とのことで、今の高校に通うために涼雨はそこに居候している、個室もあるしとてもよくしてもらっている、というのが当時の涼雨の説明だった。涼雨の部屋にお邪魔していたら無愛想な家政婦さんがお茶とお菓子を持って来てくれたけれど、親代わりだという親戚夫婦には、砂映は会ったことがなかった。
「あれ」
たどり着いたその場所に、建物はあった。けれど、訪れたことのある「涼雨の家」ではなかった。明らかに、違う建物だった。住宅というよりは何かの施設のような、無機質なコンクリートの、大きさも以前あった住宅の三倍以上はありそうなものがそこにあった。
(場所は間違いないはず・・・・・・なのに)
塀に囲まれた殺風景なその建物のポストを、外から覗いている男がいた。
その男は、近づいてきた砂映に気づいて振り向くと、
「お、誰かと思ったら、砂映くんじゃないか」
まるでよく見知っている相手であるかのように砂映を見て言った。
砂映がとまどっていると、
「ハハ。びっくりしてるね。無理もないか」
男はにこにこと言った。こざっぱりとした短髪の、一見ひどくまともそうな人なのに、その目はどこか闇をたたえたようにぽっかりとうつろで、砂映はほんのり恐怖に近いものを感じた。
「覚えてないかな。ほら、二年前」男は言った。
「ええと」
「学校で、さ。あの時は急だったから大変だったなあ。でも、綾巳が、一刻も早く確かめないと駄目!って言うからさ」
「すみません、何のことか」
「アハハ。ごめんごめん。進路イベントで魔術師が二人学校に来たの、覚えてない?」
そこまで言われて、砂映にもやっとわかった。あの時の魔術師の男だ。
あのイベントで話を聞いて、砂映は魔術学校を受けることを決意したのだ。
あの時に催眠がかかっていない、と言われて・・・・・・それで涼雨とつきあうようになったのだ。
「あの時の・・・・・・」
「うん。実はさ、あの進路イベントの目的は、ぶっちゃけると君が催眠にかかっているかを確かめることだったんだよ」
「ええっ」
「涼雨が学校で魔法を発動した疑いがあるから、ということで急遽ねじこんだイベントなんだけどさ。魔法云々より、綾巳、あ、僕と一緒にいた女性の魔術師の名前だよ、君に催眠がかかっていないと告げたよね、彼女がもう、すごい勢いでさ、『その砂映くんとやらの気持は、ぜひとも、すぐさま、確かめないと!っていうか私が、そいつが涼雨にふさわしいかどうかもついでに見極めてやるから!』って息巻いて。女性が他人の恋愛を応援する時のあの異様な熱心さって、なんなんだろうね」
女性の方は、何となく覚えている。肩より少し短いくらいのウェーブの髪の、美人なお姉さんという感じの人。
君は催眠にかかりにくいみたいよ、とにっこり笑いかけられた、それがちょっと、予想外の近しさみたいなものを感じさせる笑みだったので、砂映は少しドキッとしたのだった。
(見極められていたのか・・・・・・)
「あの、お二人は、涼雨・・・・・・さんとはどういうご関係ですか」
「ああ・・・・・・親代わりみたいなものだよ」
「涼雨さんって・・・・・・やっぱり、その・・・・・・特別な存在、なんですかね。そんな、彼女のために急遽学校で進路イベントを開催できるぐらいに」
「君はどう思う?」
「え」
「彼女は『特別』?」
男の質問の意図が、砂映にはよくわからなかった。
砂映は涼雨にまた会いたくて、ここに来た。
(何かを試されているんだろうか?)
表面的にはにこにこと感じがよいのに、相変わらず男の目にはどこか底なしの闇につながるようなうつろさがあった。イベントの時の男の顔ははっきりとは覚えていないが、少なくともあの時は、こんな印象はなかった。
「・・・・・・俺にとっては『特別』です。あの、俺は今日、涼雨さんに会いたくてここに来たんです。会わせてもらえないですか」
「でも、別れてほしいって、涼雨に言われただろ?」
(知ってるのか)
そう言われると辛かった。涼雨の意思だ、と言われると。
「・・・・・・言われました。でも、もう一度会って、話をしたいんです」
「涼雨は会いたがらないよ」
「でも」
「・・・・・・それどころじゃないんだ。君にかまけていられるような、そんな状況じゃないんだよ」
「どんな・・・・・状況なんですか?」
「そもそも涼雨はもうここにはいない。ここは魔術協会所有の研究施設なんだけどね。君も気づいただろう?カモフラージュのために建物にかけていた錯覚の魔術も解除済だ」
「涼雨さんは今どこにいるんですか?連絡先とか、教えてもらえないですか?」
当時は石電もなかった。住んでいる家の電話番号を教えてもらうしかない。
「まあ・・・・・・そうだよね。会いたいよね」
男はにこにこしながら言った。
「お願いします」
「涼雨のことを忘れる催眠魔術でもかけてあげたいところだけど、君はかなりかかりにくいタイプだったしね」
「教えてください。涼雨さんの、居場所」
「残念だけど、無理だから。諦めて」
「どうして」
食い下がる砂映から目をそらし、男はうつろに空を見上げた。
そうしてその、ぽっかりと闇につながるような目をぐいん、と砂映の方に向けると、
「砂映くん、僕の妻はね、今死にかけてるんだ」と言った。
「え」
「僕の妻。綾巳は僕の妻なんだ。綾巳はね、涼雨のことをいつもとても気にかけて、はっきりいって僕なんかよりもいつも涼雨優先で、母親というよりは姉という感じだったけど、本当に血のつながりでもあるみたいに、親身で・・・・・・誰よりも、涼雨本人よりも涼雨のことを大切にしてたんだ。それなのに。それなのに・・・・・・涼雨のせいで、今、生死の境をさまよってる」
涼雨のせいって、どういうことですか。
そう砂映は訊きたかった。けれども、男が自分に向けるその目の闇があまりにも深くて、どうしても口に出すことができなかった。
「君が涼雨に会いたい気持はよくわかるよ」
にこりと笑って男は言った。
「でも、もう会えない。涼雨もそれを望んでいる」
「今すぐでなくてもいいです。どうすれば会えるか教えてください」
「そう言われてもね」
「涼雨さんは魔法の力がすごい・・・・・・んですよね。魔術協会に特別な扱いを受けるぐらいに。なら、魔術学校に行けば会えますか」
「涼雨は魔術学校には行かないって、本人から聞かなかった?」
「聞きました。でも、魔術協会と関わる場所にはいますよね。魔術学校は魔術協会が管理しているんだし、俺が魔術学校の生徒になったら、会えますか」
砂映の必死のことばに、男は一瞬きょとんとした。
それから困ったような笑みを浮かべて言った。
「・・・・・・そうか。僕が言ったんだよね、進路イベントで。かなり低い魔精力でも大丈夫ですよ、って。誤解させたなら申し訳ないな。適性のない人間もいるってことはあわせて伝えたつもりだったんだけど」
「それは・・・・・・だけど」
「魔術の源は術者の魔精力だ。低くても大丈夫とは言っても、限度がある。君には無理だよ砂映くん」
「でも、じゃあもしも魔術学校に入れたら」
「だとしても、同じことだけどね」
男は言った。
「涼雨のことは忘れた方がいい。悪いけれど・・・・・・あの子は君と、関わるべきじゃなかった。そもそも高校の普通科になんて、通うべきではなかった。あの子は危険な存在なんだ。普通の生活を望むこと自体が、間違ってたんだ」
男の顔から、笑みが消えていた。
その目の闇がさらに深まったように思われて、砂映はぞくりとした。
「・・・・・・帰りなさい、砂映くん」
男のその言葉に、砂映は抗うことができなかった。おそらく魔術の類いではない。純粋な心の力に気圧されて、従わざるをえなかった。
その日砂映が家に帰ると郵便が届いていて、それは魔術学校の合格通知だった。
合格、だ。魔術師の男には無理だと言われたけれど、合格だ。
合格ということは、少なくとも最低限の適性はあるということだ。適性がなければ入学試験で落とすのだと、他ならぬあの男が言っていたではないか。
砂映はすぐさま決めた。俺は魔術の道に進んでやる。涼雨は、魔術学校にはいないのかもしれない、けれどその道に進めばきっとどこかで涼雨に会えるに違いない。
両親に決意を話すと、親たちは渋った。せっかく第一志望の大学に受かったのに、と残念がった。
けれど、砂映は譲らなかった。




