17.砂映の彼女(6) 高校時代⑥ 卒業
二年生の間、もちろん小さなすれ違いみたいなことは何度かあったけれど、二人は特に大きな喧嘩などをすることもなく順調につきあっていた。まわりに隠すこともやめて、帰りはいつも一緒に帰っていた。休日には二人で遊びに出かけたり、お互いに何度か相手の家に行ったりもした。
三年生も別のクラスだったけれど、引き続き順調だった。少なくとも、砂映はそのつもりだった。受験生なので、遊んでばかりもいられない。いざとなると自分が魔術学校に進むなんていうのは夢物語のように思えてきて、とにかく大学に合格しないと、と砂映は必死で勉強した。一方で、魔術学校への進路がほぼ決まっているらしい涼雨にたいして「気楽でいいな」なんて間違っても言わないように気をつけていた。秋頃になると、片方が推薦で一足先に合格通知を得たことで関係にヒビが入ったカップルが、砂映の周囲には何組かいた。涼雨は大学受験はしないにも関わらず、学力はないよりあった方がいいし、と言って砂映の勉強につきあってくれたりした。砂映が通っていた予備校が終わるのを待っていてくれたりもした。新年の日の出を二人で見に行って、願い事をした。その時砂映は、第一志望の大学に合格することと、涼雨とこれからもずっと一緒にいたいということを願った。そのことを涼雨に話したら、涼雨は笑っていた。涼雨の願い事は教えてもらえなかった。けれど、その頃までは、涼雨はそれまでと変わりなかった。
様子が変わったのは、その後ぐらいからだった。
新学期が始まっても、涼雨は学校に来なかった。当時は石電もなかったから、砂映は涼雨の家に電話をして、少しだけ話をした。涼雨は鼻声で、言葉少なだった。風邪を引いた、と言っていた。涼雨の休みはかなり長引いていたようで心配ではあったけれど、砂映は入試だったので自分のことでいっぱいいっぱいだった。毎週大学入試を受けて、合間に魔術学校の試験も受けた。魔術学校の学力試験は頭の体操めいた変わったもので、魔力測定は何が何だかよくわからなかった。大学入試と併願で気軽に受けて欲しいというだけあって、魔術学校は期間内は毎日受験可能だったが、涼雨がいつ受けるのか、砂映は知らなかった。涼雨の魔精力はかなり強いらしかったから、何か特別枠のようなものがあるのかもしれない、とも思っていた。涼雨はそのあたりをあまり話したがらなかった。
砂映の第一志望の大学の合格発表は、魔術学校の合格発表よりも前だった。無事志望大学に合格できた喜びの中、砂映は迷っていた。もしも魔術学校も合格できたとしたら、どちらに行くか。そのことについて、涼雨にも相談したいと思っていた。
その日は休日だった。砂映は年明け後二度目の電話を涼雨の家にした。家政婦さんらしき人が出て、しばらく待った後に涼雨に替わった。涼雨はずっと学校を休んでいたので砂映は心配していたが、もう体調は治っているのだけど家の事情で、と涼雨は言った。可能なら今から会いたいのだけど、と砂映が言うと、しばらく沈黙があった。ちょっと待って、と再び保留の音楽が流された。結構時間がかかった。
再び出た涼雨は、今から行くね、と言った。場所は、高校の近くの公園だった。前の彼女に別れ話をされた公園。幻みたいな涼雨にうっかり告白をした、あの公園。
大学に合格したことを砂映が告げると、涼雨はおめでとう、よかったね、と笑って、それから
「あの・・・・・・ごめんなさい」と言った。
「え?その・・・・・・何が・・・・・・『ごめんなさい』?」
何となく妙な空気を感じて、砂映はうろたえた。けれども「まさか」という思いの方が強かった。
だって、高一のあの日から、二年以上一緒にいた。その頃の砂映はもう、自分には涼雨しかいないと思っていたし、涼雨にとってもそうだと感じていた。最近は会えなかったけど、それは受験だったから仕方ない。そう思っていた。
「ずっと言おうと思ってて。でも、受験の大切な時期だから、と思って言えなくて」
「ど」
「もしかしたら砂映くんも、もともと卒業したらそうするつもりだったかもしれないけど」
「どういう」
「別れてください」
言われて砂映はひっとなった。
まだ寒い季節だったけど、晴れて比較的暖かな日だった。
雲一つない、青空の下。小さな子どもがはしゃいだ声をあげている。
(この公園でという時点で、俺は何かを察するべきだったのか?)
この公園が別れ話専用スポットだとかいう噂は聞いたことがないが。
(とにかく落ち着け。とにかく落ち着け)
「ええと、とりあえずそこのベンチで座って話を。あ、そこの自販機で飲み物買ってきます」
いやすぐに帰る、と言われたら、何が何でも引き留めようと思っていたが、涼雨は素直に頷いて、ベンチに腰を下ろした。砂映は頭が真っ白のまま自販機のところまで歩いて、涼雨に何が飲みたいか訊くのを忘れたことに気づいた。涼雨は気分によって好みが変わるタイプで、カフェなどでもその時によって違う飲み物を注文していた。珈琲派とも紅茶派とも言えないし、ミルクや砂糖を入れる時もあれば入れない時もある。まだ寒いしあたたかい飲み物で間違いないはずだが、今の気分は何だろう。二年も彼氏やってて、そんなこともわからないのが駄目なのか?戻って訊くのも気がひける。なんでこんなに鈍臭い。こういうところが駄目なのか?どうしよう。いや落ち着け。合格祝いだと言って親がお小遣いをくれたところだったので、お金には多少の余裕がある。ええい、あったか~いのを全部買ってしまえ。好きなのを選んでもらったらいいし、そうだ、全部飲み終わるまでは一緒にいてほしいとお願いしよう。それはいいアイデアだ。
砂映はお札を突っ込んで、あたたかい飲み物のボタンを次々と押した。あたたかいを通り越して火傷しそうに熱い缶を何本も抱えてベンチに戻ると、涼雨はびっくりした様子で立ち上がった。
「だいじょうぶ?」
「何が?」
「え、ええと・・・・・・なんでそんなたくさん」
「どれでも好きなの飲んでください」
「あ、お金・・・・・・」
「いいからいいから」
砂映はへらへらと笑いながらベンチの真ん中に缶を並べ、腰を下ろした。二人で缶を挟んで座り、執拗に勧められた涼雨はおずおずとカフェオレを手に取った。
「・・・・・・」
缶を両手で持ったまま、涼雨は黙り込んでいた。
「ハハハハハ!」
砂映が不意に笑いだしたので、涼雨はびくりと肩をふるわせた。
「ハハ。こんな大量に買って、馬鹿みたいですねえ。壊れたのかな俺。こんな奴、本当は前から嫌いだった?」
「・・・・・・」
「卒業まで、って言ってるカップルは確かにいるよ。俺のまわりでも。でも俺は、違うつもりだったんだけど」
「・・・・・・」
缶を持ったままの、涼雨の白い手。細くて長い、綺麗な指。これまで何度も握りしめた、いつもすこしひんやりとしていた、やわらかな愛しい手。
「飲んでね?」
涼雨の手の中にある缶がまだ開けられてもいないことに気づいて、砂映は言った。
「俺もどれか開けよう。どれにしよっかな・・・・・・」
「あっ。もしかしてカフェオレは、砂映くんが飲みたかった?大体いつもカフェオレだよね」
「いーのいーの。涼雨さんが飲みたいのを飲んでくれるのが一番。俺は・・・・・・たまにはしるこでも飲んでみよう」
「甘いんじゃないの?飲んだことないけど・・・・・・」
「甘いでしょうねえ」
言いながら砂映はあずき色のしるこの缶を手に取り、缶を開けた。
「う、甘」
「ほら!」
「うう。甘い。予想より甘い。口がすごい甘い」
「な、何かで中和したら?やっぱり緑茶、それともコンポタ、ブラック無糖珈琲は?」
「いやでも一度開けたからにはまず飲みきろうかと」
「なんで!」
涼雨は真剣な顔で二人の間に置いてある缶を次々見て、無糖の飲料を砂映側に並べてくれる。
その必死な様子に、砂映は思わず「ふふっ」と笑ってしまう。さっきの「別れてください」という言葉は、聞き間違いか何かだったのではないかと思えてくる。
「・・・・・・なに?」
砂映の笑いに気づいた涼雨が、少し憮然とした顔で訊く。
これまでに何度もこんなやりとりを繰り返してきた。
「ハハ。いえ。すみません。俺は・・・・・・俺はずっと、俺の隣に涼雨さんがいてくれたらいいなと思ってて」
「・・・・・・」
沈みこむようにまた黙り込んだ涼雨に、砂映はやっぱり聞き間違いじゃなかったらしい、と気づく。
「魔術学校の合否は、俺はまだわからないけど・・・・・・涼雨さんって試験はもう受けたの?」
「・・・・・・」
「もしも魔術学校受かっても、行くかどうかはこれから迷うところだけど・・・・・・学校違っても、そんなに遠いわけでもないし、全然会えるし」
「・・・・・・私は魔術学校には行かない」
ようやく口を開くと、涼雨は言った。
「えっ。じゃあどうすんの?」
「砂映くんには関係ない」
涼雨は静かに言った。
「なして?」
「・・・・・・」
「俺のこと、嫌い?」
砂映の問いに、涼雨はすぐには答えなかった。しばらく黙って自分の手元を見ていた。
それから顔を上げると砂映の方をじっと見つめて、目を潤ませて言った。
「嫌い」
初めてキスをする前に向き合った時も、涼雨はこんな顔をしていた。砂映が涼雨に好きだよと言った時に、私も、と返してくれた時も、こんな顔をしていた。正真正銘自分に恋してくれているとしか思えない女の子の顔。それらの顔と今の顔がどう違うのかわからない。もしかして、これまでのが全部勘違いで、今のことばが全ての真実だということなのか?俺の本能はやはりどうしようもないポンコツなのか?
「・・・・・・そっか」
何とか砂映はそれだけ言った。
急に全身が重く感じられ、砂映はがくりとうなだれた。
「じゃあ」
隣で涼雨が立ち上がる気配がした。
「あ、うん」
ベンチに座ったまま、砂映は力なく手を振った。
大量の飲み物をどうしたのか、その後の記憶がない。
数日後に卒業式があったはずだが、その日の記憶もほとんどない。
抜け殻のような数日が過ぎ、やがてほんの少し冷静になって、砂映は考え始めた。
本当の、涼雨の気持について。
――――だってやっぱり、告げられたことばと、伝わる感情があまりにも違いすぎた。
(もしかしたら、何か事情があるのかもしれない)
振られ男の、未練がましい無茶な解釈だろうか。
けれども諦めきれなかった。
(どうしても、もう一度会いたい)
別れたのにしつこくつきまとうストーカー男に、まさしく自分はなろうとしているのだろうか。余計嫌われるだろうか。迷ったけれど、結局砂映は心を決めて、涼雨の家に行ってみることにした。




