14.砂映の彼女(3) 高校時代③ 二度目の呼び出し
そんなある日、蛾にそっくりな魔物が、窓から砂映たちの教室に迷い込んできた。
その時、涼雨の怖がり方が尋常ではなかった。彼女は一人立ち上がって廊下の方まで逃げていた。砂映は窓際の席で、正直なところそれが魔精生物だ、ということすらわかっていなかった。クラスの半分くらいの生徒は、その魔物の出した魔精波の影響で気分が悪くなっていたと後で聞いた。体調を崩して早退した生徒も三人ほどいた。この辺りの地域では小学校の低学年の時に全員が魔精力のテストを受けているはずで、点数が高かったような子はこんな普通科の高校には来ていない、と砂映は思っていたが、中学卒業後すぐに魔術学校に進む者もいれば高校卒業後、あるいはさらに後になって魔術学校に通いその道に進む者も珍しくないということを、砂映はこの時初めて知った。
砂映の友人の一人もその日早退をしていて、次の日、実は自分は魔精力がかなり高い、ということを打ち明けたので砂映はびっくりした。
「魔精力高いのも、感覚が強いのも、いろんな偏見あるから」
声をひそめがちに彼は言った。
「そうなん?」
砂映には意外だった。魔法が使える、ということについて、砂映には格好いいというイメージしかなかったし、魔精力のテストを受けた時も数値が高い子はまわりから羨望の目を向けられていた記憶しかない。まわりにいた他の友人たちも、ほとんど砂映と同様のようだった。
「地域によったら差別が酷かったりするし。老人世代とかは特に」その友人は言った。
「へえ」
「まあ、この辺はあんまりそういうのないみたいだけど」
「じゃあおまえも将来魔術師とかになんの?」
「魔術師かどうかはわからないけど。まあやっぱりそっちの進路かなって最近思ってる。僕が前に住んでた地域では、魔精力テストで点数高かった子供って、定期的に講習とか行かされることになってて。月一で今もそこ通ってるんだけど。魔術学校行けって、すごい勧められる」
「講習?そんなのあるんだ」
「感覚のコントロールとか、基本的な知識とか、そこで教えてもらえなかったらと思うとちょっとぞっとする」
友人たちにいろいろ訊ねられる中で、魔精の能力が高いのはそんなにいいことじゃない、と本人は繰り返していたが、砂映はうらやましくてしかたなかった。
特別な能力。才能があるとはっきり認められていて、その進路に進むことを望まれている。
魔法使いというものに砂映は子供の頃から漠然とした憧れを抱いていたので、なおさらだった。
(いいなあ。いいなあ)
とはいえその時は、それを口には出さなかった。
かわりに別の疑問を口にした。
「あ、じゃあさ、もしかしてすでに簡単な魔法とかは使えるん?例えば、別の場所にすっと現れて、すっと消える、みたいな。うっかりそういうことしちゃったりとか」
頭にあったのは、夜の公園に現れた涼雨のことだった。
彼女の魔物への反応は普通ではなかったので、もしかすると彼女もかなり感覚や魔精力が強いのかもしれない。そういう人にとっては、すっと現れたり消えたりなんて、実は朝飯前なのかもしれない。
と思ったら、
「いや。今の発言、どこからつっこんだらいいのか。とりあえず、シンプルに答えると無理」
彼の答えはにべもなかった。
まず、魔術学校等、魔術教育の免許を持った者の監督がある場以外で、資格を持っていない者が魔術を使うことは違法である。基本的には、誰かに操作されるか魔物に取り憑かれでもしないかぎり、本人が意図せずに魔法が発動することはありえない。呪文を唱えたり印を結んだりするにはそれなりの技術がいるので、訓練なしでそんなに簡単にできることではない。とはいえ、面白半分で何かを試したりしないよう、講習ではこれでもかというほど毎回しつこく注意されている。
それから、別の場所に現れたり消えたり、なんて、簡単にできることじゃない。例えば事前に魔法陣を構築しておけば瞬間での移動もできるだろうけど、それにはかなりの手間と時間がかかるから、そこにしょっちゅう行く必要があるとかでなければ普通はそんなことしない。空間接続の専門家とか魔道士とか、よほどの能力者なら何か別の方法を知っているのかもしれないけど。
彼はそんな風に説明してくれた。
「そっか・・・・・・いや実はちょっと前、夜の公園で、突然すっと人が現れて、ちょっと会話をしたんだけど、少ししたら消えたっていうことがあって・・・・・・」
「夢でも見たんじゃないの?じゃなかったら、精霊のいたずらとか」
「本人ってことはありえない?」
「普通に考えたら、ないと思う」
その彼の答えに、砂映は胸を撫で下ろした。
(じゃああれは俺の妄想か何かで・・・・・・少なくとも、俺の告白は相手には伝わってない・・・・・・)
好きでもない男子から唐突に告白なんてされたら、気分が悪いに決まっている。
(まあ、伝わってないにしてもすでに充分嫌がられているっぽいけど・・・・・・)
しかし安堵も束の間。
その次の休み時間に、あの春の時と同じように、いやそれ以上の怖ろしい表情で涼雨は砂映の机に呼び出しのメモを落として来た。場所も前と同じ、体育館の裏である。
砂映は混乱した。
(なぜこのタイミングで?この前うっかり好きだとか言ってしまったのは本人ではありえないって、さっきわかったとこなのに・・・・・けど、だから少なくともそれで迷惑だとか言われることはないはずで・・・・・・)
タイミングはたまたまで。
やはり何らかのだだ漏れを察知されたのか。
春の「失恋」の傷心がやや癒えたこと。「彼女」と別れたこと。本人に、ではなかったとしても「告白」をしてしまったこと。それらが重なって、この頃どうにも想いが募っていたことは否めない。一時期に比べると、つい涼雨に目をやってしまうことは増えていたかもしれない。
(殴られるんだろうか)
殴るというなら、殴っていただこう。それで相手の気が晴れるなら。
砂映は覚悟を決めて、指定された休み時間に体育館の裏に向かった。
あの日と同じように、涼雨は先にいて、少し建物の陰になった場所に立っていた。
やはり、すごく怒っているような顔をしている。
「あ、ええと」
砂映は小走りして、相手の前に立った。
すると、ひどく怒ったような顔をした涼雨さんは、いきなり激しく頭を下げ、「ごめんなさい!」と叫んだ。
(あれ?)
なんだこれ。デジャヴ?
あの日がまた、再現されているのか?
「え?その・・・・・・何が・・・・・・『ごめんなさい』?」
「急に呼び出してごめんなさい。来てもらって、ありがとうございます。ただ、どうしても確認したいことがあって。教室ではどうしても話しにくくて。ごめんなさい」
妙なタイミングで息を吸ったり吐いたりしながら、涼雨は言った。
「あの。あの・・・・・・砂映くん。変なことを訊きますが」
「はい」
「聞くつもりはなかったんだけど、さっきの休み時間に聞こえてしまって。その、夜の公園に急に人が現れて、しばらく話して、急に消えたって・・・・・・」
「はい・・・・・・ええと」
「その、本当に変なこと言うけど。誤解だったら本当にごめんなさい。あの、それって、もしかして私のこと・・・・・・」
え。
砂映はかたまった。
ついさっきの休み時間に、あれは本人ではありえないと安堵したばかりだったのに。
こうやって訊いてくるというのは、本人だったということではないか。
(なんじゃそりゃ!)
友人を恨みつつ、砂映は動揺しながら何とか答えた。
「はい。やっぱりあれ、涼雨さん・・・・・・」
その瞬間。砂映は見た。
うろたえて、真っ赤になった涼雨さんを。
(え、ちょっと待って)
あの時、砂映が好意を口走った瞬間、涼雨はひどく顔をしかめていたし。
もしも実際に本人に告白してしまったのだったとしたら、冷ややかな嫌悪の表情を向けられるとばかり思っていたのだ。
なのになんでそんな。
まるで想い人に告白されたみたいに可愛らしい表情で、大きく開いた目をうるませて両手で口を押さえているのか。
砂映の本能が告げた。これは・・・・・・これは・・・・・・脈ありだ!
「涼雨さん、もしかして」
もしかして、これまでの嫌そうな顔や態度はすべて愛情の裏返しとか、照れ隠しとか、いわゆるツンデレとか、そういう。
「あの、私、あの公園のことは、夢か幻覚か何かかと思ってて」
「涼雨さん、俺」
「絶対違うって、現実じゃない、自分一人で勝手に見た夢だって、思ってて」
「俺のこと」
「なのに、そんな・・・・・・ごめんなさい!」
「俺・・・・・・え?」
期待に膨らんだ砂映の心が、その言葉にチクリと反応する。
「ごめんなさい・・・・・・?」砂映はなおも期待を捨てきれないまま問い返したものの、
「ごめんなさい!ごめんなさい砂映くん!そんなつもりじゃなかったのに・・・・・・まさかそんな・・・・・・忘れて砂映くん!忘れて!忘れて!」
両手で顔を覆い、最後の方は喉を枯らさんばかりにそう叫ぶと、涼雨はその場を走り去った。
砂映はおのれの本能の役立たずぶりを呪った。
(どうしよう・・・・・・これは・・・・・・俺・・・・・・無理)
我慢ができず、砂映はその場で立ち尽くしたまま天を仰いだ。
つう、と涙が頬をつたった。
それから涼雨は、露骨に砂映を避けるようになった。
砂映もなるべく視線を向けないようにしようとは思ったのだが、それでもつい見てしまうことがあった。そんな時、いつも涼雨は焦ったように目を背けたりうつむいたりした。これまでのような怒った顔ではなく、体育館の裏で見せたうろたえたような顔でもなく、深刻な、と言っていいほどのつらそうな表情で、砂映を避ける。
それだけではない。
「最近涼雨、元気ないよね」
そんな風に友人に心配されているのまで聞こえてきた。
(俺のせいか?そこまで嫌だったのか?)
そんな風に思って、砂映は打ちのめされた。




