12.砂映の彼女(1) 高校時代① 出会いと初めての呼び出し
そういうわけで翌日の朝、砂映はパン屋SAKIの袋をぶら下げて、雷夜の家へと向かった。
砂映は前の仕事を辞めてから、魔術学校に通うために今の部屋を借りた。卒業後の就職先となった途季魔法薬店も歩いて行ける距離の為、そのまま同じ部屋に住み続けている。雷夜の家は魔術学校と同じ方面で、砂映の家からの道は、通学していた道と途中まで同じである。
(すでにもう、懐かしい)
魔法薬店から雷夜の家に行ったことはあったが、自分の家から、しかもこんな朝の明るい時間に雷夜の家に向かったのは初めてだった。卒業しておよそ半年。半年ぶりの景色を眺めながら、砂映は思わず感慨にふける。
(ここで)
魔術学校へと向かう道と雷夜の家へと向かう道が分かれる手前の、陸橋。
(ちょうど一年くらい前・・・・・・)
魔草師資格試験を受験して、合否待ちの時だった。
ばったりと会ったのだ。
高校生の時につきあっていた彼女と。
そしてそのおよそ二十年ぶりの偶然の再会をきっかけに、またつきあうようになった。
(俺はずっと好きだったし・・・・・・)
高校時代につきあっていた彼女のことを、砂映は大人になってもずっと引きずっていた。その後何人かとつきあったし、そのうちの一人とは結婚を考えさえした。なのに踏み切れなかったのは、その彼女のことを、ずっと忘れることができなかったからだった。
彼女――涼雨との出会いは、高校一年生。
砂映が通った高校は、砂映の家の近所の公立で、新しいクラスの四十人のうち十人余りが砂映と同じ中学出身だった。
どうも自分は、大人っぽくてちょっと気の強そうな美人タイプの女性が好きらしい―――と高一の砂映は気づき始めていて、入学式の後、ぱっと見回した教室の中で、実はちょっと見た目だけで惹かれたのが涼雨だった。ざわめく教室の中で彼女は誰かに話しかけたり話しかけられたりすることもなく、一人で座っていた。ストレートの長い栗色の髪で、うつむき加減のやや面長の横顔が綺麗だと思った。もちろん容姿がちょっと好みだったというだけで、それ以上どうこうという気持はその時の砂映にはなかった。休み時間になると砂映は大抵教室の後ろでだべる男子の輪の中にいて、時折そこに女子が混ざってくることもあった。しかしその輪の中に涼雨が入って来るようなことは一度もなかった。
涼雨は静かに座っていると雰囲気のある美人だったが、少し、いやかなり挙動不審なところがあった。
四月に行なわれたホームルームでの親睦会では、たわいないなぞなぞに答えられずにかたまってしまったり、誰もが知っているような歌を知らないらしく焦ってきょろきょろしたりしていた。授業中突然立ち上がり、皆があっけにとられて見ていると、顔をしかめてそのまま座ったり、配られたプリントをなかなか後ろに回さずにぼうっとしていたり、何もない空中をじっと見上げていたり、突然耳を押さえたり、移動教室の時に廊下で迷子になってうろたえたりしていた。話しかけられても黙り込んだまま相手の顔を凝視したり、唐突に噛みあわない回答をしたりすることもあった。
「可愛い感じなら助けてやろうと思うけどさ。いつも怒ってるみたいな顔して、なんかどっかお高いというか、人を見下したような雰囲気っていうか、近寄りがたい感じでどうしようもないよな」と男子たちは言っていた。
「あざとくないところは好感もてるよね。でもなんかうちら馬鹿にされてるのかな。私はあなたたちとは違うんです、みたいなとこあるよね。仲良くはなれないかな」と女子たちは言っていた。
いじめのような雰囲気とまではならなかったが、春の終わり頃まで、涼雨の評判はクラスでとても悪かった。
初夏の頃、砂映はたまたま彼女の隣の席になった。
授業中に朗読を当てられてどこか分からず立ち尽くす彼女に頁を教えると、彼女は砂映をにらみつけた。ある日気分が悪そうな彼女の様子に気づいて砂映は声を上げ、彼女は委員に連れられて保健室に行った。昼休みに教室に戻ってきた彼女に砂映が声をかけると、またにらみつけられた。
それまでは、評判の悪い彼女にやや同情していた砂映だったが、その後も目が合うたびにひどく険しい顔でにらまれるので、すっかり傷ついて、悪く言われるのは本人の自業自得、などと思ったりしていた。
しかしなぜかその頃には、逆にクラスメイトの涼雨への評価はよい方向に変わり始めていた。
「ちょっと不器用なだけで、そんなに悪い子じゃないみたい」などと言われているのを耳にして、実際、彼女がしおらしく礼を言っている様子なども見られるようになり、砂映は困惑した。
もしかして、自分だけ特別に嫌われているのだろうか。
そんな風に考え始めた頃、砂映は唐突に涼雨から呼び出しを受けた。
場所は呼び出しの定番地、体育館の裏である。ノートの切れ端にそっけなく書かれたメモを、いつもにも増して不愉快そうな顔で机の上に落とされた砂映は、震え上がった。
何か文句を言われるのだろうか。責められるのだろうか。罵倒されるのだろうか。
表に出したつもりはなかったが、顔も体型も好みなのは事実なので、無意識に何かいやらしい目つきで見たりしていたのかもしれない。授業中の助け船も、何か下心を感じさせる変な気配をかもしだしていたのかもしれない。目が合うととりあえずへらへらと笑っていたのが気持悪かったのかもしれない。
悪い想像をぐるぐると巡らせながら、砂映は指定された休み時間に体育館の裏へと向かった。
涼雨はすでにそこにいて、少し建物の陰になった場所に立っていた。
すごく怒っているような顔をしていた。
(殴られるんだろうか)
殴るというなら、大人しく殴られた方がよいだろうか。
砂映はそんなことを考えながら小走りして、相手の前に立った。
すると、ひどく怒ったような顔をした涼雨は、いきなり激しく頭を下げ、
「ごめんなさい!」と叫んだ。
(あれ?)
予想外のことに、砂映は訳が分からなくなった。
(どういうこと?)
体育館の裏は、喧嘩のふっかけ、いわゆる「いちゃもん」、相手への非難をぶつける場所として有名であるが、一方で、愛の告白の定番地でもある。一方が好意を告げ、告げられた方がお断わりの意思表示として頭を下げる光景を、砂映も見かけたことがある。なんだかまるで、そのシチュエーションのようだ。
しかし。
(いや、俺は告白していない。まだしてない。よな?)
呼び出したのは、向こうのはずだ。
相手の呼び出しで、今自分は来た、はずだ。
これまで何か、好意を示すような特別な接し方や露骨な態度をしたつもりはない。
いやでも、やはり何かがばれたのか?何かがだだ漏れていたのか?
「え?その・・・・・・何が・・・・・・『ごめんなさい』?」
内心かなり動揺しながらも表面的には平静に、砂映は問い返した。
涼雨は頭を下げたまま、もう一度「ごめんなさい!」と言った。
続けられた言葉は、砂映には予想外のものだった。
「ごめんなさい。感じ悪くて。変な奴で。ごめんなさい」
顔を上げずに涼雨は言った。
「あの、どうしても人がたくさんいるとパニックになりがちで。教室だといろんな人いるし、ずっと緊張してて、全然うまくできなくて。でも、何とかしたくて、どうしたらいいか考えて、それで、ちょっと前から、少しでも話を聞いてくれそうな女子に、お願いして、何とか、言い訳というか、説明させてもらったりしてて。男子は、その、砂映くんが初めてで。ごめんなさい。お時間をとってごめんなさい。来てくれてありがとう」
妙なタイミングで息を吸ったり吐いたりしながら、涼雨は言った。
そう言われると、砂映にも思い当たることがあった。
世話焼きの副委員長が、休み時間の終わりに涼雨となごやかに話しながら教室に戻ってきたのを少し前に見かけた。その後ぐらいから、「涼雨さんは誤解されやすいタイプなだけ」と彼女をかばうような発言がちらほら聞かれるようになった。気分が悪くなった涼雨につきそった保健委員の子も、行く時にはひどくいやがる様子を見せていたのが、戻ってきた時には「案外いい子かも」と言っていた。
(よかった・・・・・・とりあえず俺が悪いという話ではないっぽい・・・・・・)
砂映は内心胸を撫で下ろした。
涼雨はおそるおそるという様子で顔を上げた。ひどく怒っているように見えたのは、どうやらひどく緊張していたせいらしい。
「その・・・・・・私はこれまでほとんど学校に行ってなくて。だからわからないことだらけで。それとちょっと・・・・・・感覚が過敏な方で。人がたくさんいる、教室という空間に、だいぶ参ってしまったところがあって。でも、ちょっとずつ慣れてきたので、もう少しましになると思うので・・・・・・あの、クラスのみんなに変だと思われてるのはわかってて、実際変だと思うし、迷惑もかけてると思うけど、ただ、何か誤解されている気がして・・・・・・誤解じゃないかもしれないけど・・・・・・その、急に・・・・・・ごめんなさい」
必死で言葉をつなぐように涼雨は言った。
「あ・・・・・・ええと」
一方の砂映は、自分が責められる話ではないことには安堵したものの、突然の切実な訴えに、なんと言葉を返していいのかわからなくて再び動揺していた。
(そうなんだ、ってだけ言うのは冷たいような。けど、気にしないで、っていうのも上から目線か?そんなことない、とも言えないし、がんばって、ってのもなんか突き放した感じになりそうだし。ええと)
何て言ったらいいんだ。
「大変、だったんだと思うし、大変、なんだと思うけど。あ、少なくとも、俺は、応援、してる。俺は応援します涼雨さんを」
(何を言ってるんだ俺は)
せっかくこれまでの自分が気持悪いと責められる話ではなかったというのに、下手をすると今の発言で気持悪がられるのでは。
「あ、いや別に他意はないですよ。応援してる人はたくさんいると思う。うん」
言いながら、しかしふと砂映は思った。
さっき涼雨さんは、「男子は砂映くんが初めて」と言っていなかったか。
涼雨さんに「話を聞いてもらう相手」の男子トップバッターとして選ばれた自分は、もしかするとそこそこ「好感を持たれている」のでは?
自分で思うのもなんだが、中学生の時には何度か女子から告白されてつきあったことがある。自分はまあまあ、女子から好意を持たれやすい方かもしれない。
「けど、その話をするの、なんで俺を選んでくれたの?」
えいや、と踏み込む気持で砂映は訊ねた。
しかし瞬時に、砂映は訊いたことを後悔した。
その瞬間の涼雨の、あからさまにしかめられた顔。
一瞬の間を置いて、冷ややかに発せられた言葉。
「・・・・・・砂映くんは、わかってくれそうな気がしたから。それだけです。あと、親切にしてもらったのに、私は感じ悪かったと思うから謝りたくて。ごめんなさい。それ以外、本当に、本っ当に、まっったく、何もないので」
後の涼雨が言うところでは、それは「必死に自分の気持を隠そうとした結果」だったらしい。
当時の涼雨にとっては、砂映は「クラスの人気者」、自分は「変な女」であり、そんな自分が少しでも好意を見せるのは分不相応、絶対嫌がられる、と思っていた、と。
「あ、そっか。変なこと訊いてすみませんねえ。ハハハ」
しかしこの時の砂映のダメージは相当のものだった。
そこまで親しくもない相手に告白をするのは、かなりの勇気が必要な行為である。それでも告げずにはいられない程に想いがつのった上で、決死の覚悟で行うという人が大半だ。実際この時点で、砂映がそれほど涼雨のことを好きだったのかといえば、全然そんなことはなかった。それなのに、心の準備もゼロで、何だかよくわからないまま、まるで自分が告白して振られたような、そんな状態になっていた。少なくとも砂映の気持は、完全にそれに等しかった。
(え、ちょっと待って。なにこれ。俺、泣く?)
そんな自分に焦りながら、ぎりぎりで感情を抑えて、何とかその場は笑って乗り切った。その後はもう、なるべく涼雨のことを気にしないように過ごした。もちろんことさらに無視をするようなことはなかったが、必要最低限しか関わらないようにした。視線もなるべく向けないようにした。




