お尋ね者の勇者
「吾輩は」と魔王さんはおもむろに口を開きました。惚れ惚れするような重低音です。さすが魔族の王。とんでもない貫禄でした。彼は宙に浮いて、腕を組み、タコのマントをヒラヒラさせながら、鋭く観衆を睨みつけていました。
「魔王――ペスカトゥーレである」
ちょっと発音がよすぎてペスカトーレがぺスカトゥーレになっていました。魔王さんもそのことに気づいたのか、あ、と短く呟きましたが、すぐに、ゴホン、と咳払いをして何もなかったフリを装いました。誰も何も言えませんでした。黙っているとヤバいくらいの威圧感なのです。ヤバヤバです。
ギロリ、と魔王さんがペコリーノを睨むと、ペコリーノはへなへなとその場に座り込んでしまいました。足が震えて立てないようでした。
「ままま……まおう――」
声も震えていました。観客席のあちこちからは悲鳴が上がっていました。心地よい響きです。人々の泣きわめく声はどうしてこんなにも心が落ち着くのでしょう。私はひょっとして魔族なのでしょうか。知られざる出自に気づいてしまったような気がして、私は自分のカンの良さを恨めしく思いました。こういうのは劇的に明かされなくてはいけません。きっとこの先、お話の佳境で生き別れの母とか父とかからそれを告げられるはずです。まあ母も父も生き別れてもいないし存命でピンピンしていますが……
「わー魔王! 助けてくれ!」
勇者様が叫びました。勇者様は恐怖のためにおもらしをしていました。ズボンの股間にシミを作っていました。なんというみっともない姿でしょう。でもそこが愛らしいと言えなくもありません。
「待たせたな勇者よ! すぐに吾輩が助けてやるぞ!」
なんというカッコよさでしょう。魔王というかもうヒーローです。勇者様と役割を替わったほうがいいんじゃないでしょうか。そのほうがもうどう考えてもいいでしょう。ええでしょう。ええ、ええ、ええでしょう。
「な、なんだと! 勇者は魔王の仲間なのか?」
カマンベール王が余計なことに気づいてしまいました。これは魔王さんの失言でした。私たちが仲間であることがバレてしまったのです。まあどうせ処刑されかかっていたのですから、そんなことは大した問題ではないのですが。もうどうにでもなれって感じです。
「その通りだ!」
魔王さんは調子に乗ってそんなことを言い出します。ちょっとなんかノッてきたみたいでした。変な方向に暴走しそうな雰囲気を醸し出しています。
「このものたちは、我が魔王軍の新たな幹部!」
え? そんな設定でしたっけ? 勝手に何か追加しないでください。ちょっとアドリブがすぎるんじゃないですか?
「ホワイトゴリラよ、貴様の力を見せてやれ!」
魔王さんは魔術でナックルの手の縄を切りました。
あっずるい。
「私も私も!」
「よかろう、ブラックマジック」
私はブラックマジックですか。
なんかかっこいいじゃないですか。
「お、お、おれも!」
勇者様も叫びます。
「了解した。イエローウォーター」
それおしっこからつけたでしょう。
いいんですかそれで。
「では逃げるぞ!」
魔王さんは超魔術で闘技場に海を出現させました。
海水が溢れていきます。
でっかいサメが3匹も現れました。
「ヒレに捕まれい!」
無茶言います。
でも私たちはなんとかサメのヒレにしがみつきました。
それからはもう、サメのなすがままです。魔術の海が闘技場から溢れ、モッツアレラ王国は洪水に見舞われました。私たちは濁流のなかをサメに捕まって逃げ出しました。頭がぐるんぐるんして、水がひっきりなしに口とか鼻とかに入ってきて大騒ぎでした。
半分溺れかけみたいな状態で私たちはモッツアレラ王国を脱出しました。
そして私たちは、めでたく人類の敵となったのでした。