食べ物がないなら蟹を取ればいいじゃない
──温水の噴き出る大湿地 ヘレナの回想
出発してから1週間ほど経ち、境界の山脈が目前となった頃、周囲には巨大な湿地帯が広がっていた。
「うわ、ぬかるんでんな……」
ラティオが窓から乗り出して車輪を見ながら呟いた。
「完全に湿地帯入りする前に一泊しておきましょう」
私が馬車の扉を開くと子供たちが一斉に駆け出していく。
「すごーい!」
「泥だらけだー!」
シルヴィアがキラキラした目で私を見上げた。
「遊ぶなら離れないようにしなさい」
シルヴィアとラティオは道から外れた湿地へと勢い良く飛び込んだ。
「わーい!」
2人は全身泥まみれになりながらはしゃぎ、ルミナは少し戸惑いながらも巻き込まれている。
「あれだと洗うのが大変ね……」
「問題ありませんよ」
私のぼやきに御者のレイフラントが答えた。
彼女は、どうやらルクテイアの息がかかった間者らしく、このあたりの行き来も慣れているようだった。
「汚した物ばかり任せっぱなしだと悪いわよ」
私は前世の記憶も相まって貴族らしくないことを口にしてしまう。
「それが仕事ですから」
「そう……」
「ところで、この湿地はどれくらいで抜けられそう?」
「明日の早くに出れば1日もかからないかと」
「じゃあ明日は、なるべく早く出ましょう」
「こういうジメジメしたところは苦手なのよね」
「ふふふ、子供たちは楽しそうですが」
「ん……そうね」
3人は綺麗な髪と顔を泥まみれにして遊んでいた。
無邪気だなぁ……。
大人になると、ああいうことは自然とやらなくなる……不思議ね。
「おい、あれ見ろよ!」
ラティオが指差した先で人間の頭ぐらい大きな泥の塊が動いていた。
「でっけぇ!」
「これ捕まえてい~か?」
なにあれ?
「お待ちなさい」
そばで見守っていたルクテイアがラティオを止める。
「泥蟹に挟まれると指がなくなります」
「ですが蒸し焼きにすれば、その味噌は絶品です」
あー、あれって蟹なんだ……。
水辺で人の指をちぎるような生き物と聞いて私は良くニュースで見た外来種の亀を思い出した。
「まじか!」
「なら絶対捕まえる!」
「あぁ、ちょっと危ないじゃない」
ラティオはやる気満々で泥蟹に飛びかかった。
「止めなさいよ、ルクテイア」
「問題ありません」
「ラティオは、ああいうことに関しては素質があるようです」
「えぇ~……」
確かに運動神経は良いみたいだけど……。
勢い良く泥の中に飛び込んだラティオは激しく暴れる泥蟹の後ろ側にしがみついた。
そ、それにしても大きい……。
私は触りたくないわね……。
「つっ、捕まえた!」
ラティオは鋏が当たらないように背中側を掴んで泥蟹を持ち上げる。
「お見事」
ルクテイアが無愛想な顔に、ほんの僅かに喜びの色を浮かべていた。