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翡翠ノ姫  作者: 矢本MAX
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第九章 翡翠都市

美しい月光の下、不思議な少女にいざなわれて、薔薇人が案内された場所とは?

 眼の前に、それがあった。

 ある程度予測はしていたことだけれど、そこに出現したのは、あの尖塔が建ち並ぶ翡翠都市だったのだ。

 遂に目前にしたその都は、内側からの光によって朧に輝いていた。

 人工的な光ではなく、石自体が昼間の間に蓄積した光で自ら光っているように見えた。

「さあ、どうぞこちらへ」

 案内されたのは、都市の中央にそびえる、ひときわ高い尖塔だった。

 ここが街の中心なのだということは、説明されなくても解った。

 扉が左右にふわりと開き、内部に足を踏み入れた。

 思った以上に広い空間だった。

 ぐるりと囲む周囲の壁面には、少女の衣に描かれたような複雑にからみあったアラベスク模様が浮き彫りにされて、そこから伸びた茎には花が描かれている。

 石の花というか、植物と鉱物が合体したような、不思議な生命感が宿っていた。アール・ヌーヴォーにも共通するような意匠には、崇高さとともに親近感が持てた。

 天井からは二重の螺旋を描いて、階段が降りて来て、その中央の空間が祭壇のようになっていた。

 階段の下の方には、数十人の女性が並んで、透きとおる声で雅楽のような声明を発している。

 その声は、あたり一面に響き渡り、まるで天界から降り注ぐ天使のコーラスのようだ。

 ここは、今が縄文時代だとしたら、後の世に大国主命が訪れた、濡奈川姫の神殿のような場所に違いないと、薔薇人は思った。

 中央の祭壇もまた、複雑に絡み合った植物の集合体のようなかたちをしていて、その頂点に、蓮の花のような花弁が開いている。そしてその中には、夏休みに薔薇人が丹念に磨き上げた翡翠の脳と同じようなものが安置されていた。

 祭壇に向かう通路の両側には、神官とおぼしき白い衣の男たちが、数十人かしずいて、少女と薔薇人を迎えてくれる。

 そして、祭壇の中央には、少女の母親とおぼしき女性が、じっと彼等の姿を見守っていた。

 通路の中ほどまで進んだ時。その女性が静かに頭を下げた。薔薇人も足を止め、お辞儀をした。

「ようこそおいでくださいました。マレビトよ。あなたのおかげで、遠い未来でわれらの記憶が甦ったのです」と、女性が言うと、傍らに控えた最年長の神官が頭を下げた。

 その神官が再び顔を上げた時、薔薇人は「あっ」と声を上げてしまった。

 その顔は、あの古本さんそっくりだったからだ。

 びっくりした薔薇人の顔を見て、老神官はニヤリと笑ったように見えた。

「記憶というのは」と、薔薇人は声を発した。緊張のため、声が掠れた。「あの翡翠の脳のことですね?」

「左様です、これはヒトの脳のかたちに凝縮された、わたくしたちの星の記憶装置なのです。脳のかたちをしているのは、それが時間を凝縮するのに最適な構造になっているからです。あなたの脳にも、あなたの星の誕生から、生命の進化の過程がすべて凝縮されて保存されています。それをより密度の高い鉱物の構造に凝縮されたのが、ここにある翡翠の脳なのです」

「ということは、あなた方はこの地球の人ではないということなのですか?」

 薔薇人の問いに、女性はゆっくりとうなずいた。

「われわれは、あなたたちがおとめ座と呼ぶ星系からやって来たのです。私も、この者どもも、そして娘のトワも」

 言われて少女は振り返り、あらためて薔薇人に会釈した。

 神殿の前の女性は、この少女の母親であり、この翡翠都市、あるいは都市国家を統治する女王であるらしかった。

「お察しの通りです」と女王が言った。どうやら心を読まれたらしい。

「失礼しました。決して心を読んだわけではありません。われわれは翡翠の力によって感覚が研ぎ澄まされて、相手の表情や気配から、その人が何を思っているのかを感じ取ることが出来るのです」

 どう返していいか、とっさに解らず、ただ「はい」と答えるしかなかった。

 女王は問わず語りに言葉を続けた。

「われわれの星は、虚無に呑まれて滅びました。虚無とは、人の心の奥底にある、深い絶望のようなものです。それが星そのものを自滅へと導いたのです。こんなふうに……」

 言葉が終わるか終わらないかのうちに、薔薇人は心が内側へ収縮するような恐怖を感じた。

 自分一人が無限の宇宙に取り残されたかのような、圧倒的な孤独感と絶望感だ。

 すると、トワと呼ばれた少女が、透きとおる声で歌い出した。

 ただ「Ah~」とだけ長く伸ばすように歌いはじめると、螺旋階段に並んだ女性たちも唱和し、それらの声が幾層にも重なり合い、混じり合い、渦を巻いて、無限音階となって天井へと上昇して行った。

 その歌声に呼応するように、祭壇の翡翠の脳が光を発しはじめた。

 光はスクリーンのように、空中に像を結んだ。

 それは、はるか彼方の宇宙空間に浮かぶ、彼等の母星の姿だと、薔薇人は直感した。

 地球が、青く光る海の星だとしたら、彼等の星は翠に光る翡翠の星だった。

「そう、ここがわたしたちのふるさとの星、ルローラでした」

 永遠の声が頭の中心で響いた。

「わたくしたちは、純度の高い翡翠の一片を体内に埋め込むことによって、その力を最大限に引き出すことに成功したのです」

 声は波紋のように広がり、その中にある光景が見えはじめた。

 この翡翠都市をもっと大規模にしたような街だった。鉱物で出来た摩天楼が建ち並ぶ街の内部は、上下左右すべての方向に人々が歩き回る、まるでエッシャーの描く世界のような空間だった。

 そこにある日、恐怖の大王が降臨した。

 それは、まさに虚無としか言い様のないものだった。

 見る者にとって、最もおぞましい姿を見せる、いわば心の鏡だった。

 ある者にはそれは、無数の足を持ち、くねくねと身をくねらせながら這い寄る百足のように見えた。

 またある者にはそれは、身体全体がぬめぬめとした粘膜で覆われた軟体動物のように見えた。

 そしてまたある者にはそれは、毛むくじゃらで曲がった角を持つ鬼のような者に見えた。

 しかし、最もおぞましい姿をしていたのは、人の姿かたちに似ていながら、どこか不自然にバランスを崩した擬人と呼ばれる者たちだった。それらは、見る者に、自らの最も醜い部分を拡大し、誇張したような姿に見えたのだ。

 それらの者たちに出会った人々は、正気を失い、愛する者たちに襲いかかり、彼等を殺すと、自らを傷つけ、自滅して行った。

 そんな地獄絵図を、天空からじっと醒めた眼で見下ろしているのが、恐怖の大王だった。

 ひとつの眼だけが虚空に浮いていた。

 凍てつくような冷たいまなざしだった。

 邪視、あるいは邪眼と呼ばれる禍々しい視線が、獲物を見すえるように地上を見下ろしていた。

 そして不思議なことにそれは、地上のどの地点で見ても、まったく同じように見えたのだった。

 各地の翡翠都市は混乱し、やがて翡翠そのものも光を失い、ただの石塊(いしくれ)へと堕ちて行った。

 災厄はじわじわと、トワたちのいる王宮へと忍び寄って来ていた。

「バラード!」

 呼ばれて薔薇人は顔を上げた。

 いつの間にか彼は、石の床にひざまずいて、自らの名を呼ばれるのを待っていたのだ。

 視線を上げると、そこは王座の前で、椅子に座していたのは、痩身ながら力強さと気品を兼ね備えた翡翠王その人だった。

 薔薇人は永遠の声明を聴くうちに、意識そのものが滅亡寸前の翡翠の星の、ある人物と同化していたらしい。

 バラードという、同じ名を持つ青年と。

ふいに異星の青年に転生してしまった少年を待ち受けていたのは、想像もつかない過酷な運命だった。

それは……。

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