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翡翠ノ姫  作者: 矢本MAX
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第一章 遙かなる縄文時代より

街の片隅にひっそりと建つ郷土史史料館。

そこにはもしかしたら、歴史に忘れられた貴重なオブジェが眠っているのかも知れません。

これから、あなたの心はこの不思議な空間へと入って行くのです。

 郷土史資料館は、さびれた商店街の一画にあった。

 明治時代に建てられたという石造りの建物は、以前は銀行として使われていたもので、どこか異世界からタイムスリップして来たかのような風情があった。

日野薔薇人(バラード)は、ちょっとした冒険旅行にでも出るようなワクワクする気持ちで、扉が開かれた入口から、仄暗い内部へと足を踏み入れた。

 炎天下の舗道から中に入ると、空気はひんやりとしていた。

 眼の前に大理石製と思われるカウンターがあり、その奥には書架が並んでいる。

「受付」と書かれた黒い三角錐の置かれた席には、誰もいなかった。

 傍らには呼び鈴があり、「ご用の方は呼び鈴を押して下さい」と書かれていたので、ためらうことなくそれを押すと、透明感のある金属音が思ったより大きく館内に響いた。

 すると、奥のドアが軋みながら開いて、ホラー映画で伝説の怪物と対決する老学者のような男の人が姿を現した。

 高校生の自分からすると、ものすごい老人に見えたが、意外に背筋はしゃんとしていて、歩き方もしっかりしていた。この人が館長なのだろうと、薔薇人は思った。

「見学かね?」

 と老人は訊きながら、老眼鏡をずらして、珍しい動物でも見るようなまなざしで薔薇人を覗き込んだ。

「はい、ここに縄文時代の出土品があると聞いて、見せてもらいに来たんです」

 薔薇人が答えると、老人は人なつこい笑みを浮かべて、

「そうか、最近は若い人の見学者が少なくなってな、嘆いておったところだよ。縄文時代に興味があるなんて、嬉しいじゃないか。出土品の展示室は二階だ。さあ、ゆっくりと見て行っておくれ」

 老人の後について、ぎしぎしと軋る木の階段を昇りながら、薔薇人は何故自分が縄文時代に興味を持ったかについて話した。

 先日、父に連れられて、東京の博物館で開催されている「縄文展 一万年の美の息吹き」という展覧会を観に行った。

 高校の美術部に所属し、シュールレアリスムに深い関心のある薔薇人には、まるで宇宙人のような遮光器土偶や、シャープなデザイン感覚にあふれた縄文の女神、躍動感さえ感じさせる火焔型土器など、観るものひとつひとつが感動的だったが、数多い展示品の中で、自分の故郷である千葉県香取郡小見川町から「顔面装飾付香炉形土器」が出品されていることが最大の驚きだった。

 はるか一万年前の遠い世界だと思っていた縄文時代が、急に身近なものに感じられたのである。

「なるほど」と、足を止めて老人は振り返った。「それはいい体験をしたね」

 そして二階の扉を開けた。そこが展示室だった。

 開け放たれた窓からは涼しい風が吹き込んで、磨き上げられたガラス張りの陳列棚がキラキラと光っていた。

「まあ、東京の博物館には遠く及ばないがね」と言って老人は展示品をひとつひとつ説明してくれた。

「縄文展」で展示されている「顔面装飾付香炉形土器」が出土したのは、町の南地区の高台にある良文貝塚からで、縄文時代、町の市街地は海の底だったことを示しているのだという。

 周辺からは様々な道具類が見つかり、当時の生活が偲ばれる。

 装飾付香炉のように、実用のためだけではないデザインがほどこされているところに、文化の豊かさが示されているのだと、老人は誇らしげに言うのだった。

 また展示室には、薔薇人が通う小見川高校のある城山から出土されたものも多数あった。高校のある高台には、かつて巨大な前方後円墳があり埴輪などの副葬品などとともに、邪馬台国の女王・卑弥呼の銅鏡、三角縁三神五獣鏡も発掘され、古代のこの地の繁栄ぶりを示しているのだという。

 誇らしげに語る老人の話は、いつ尽きるとも知れず続いた。その勢いに圧倒されながらも、ふと彼の胸のネームブートに眼が止まった。

 そこには「古本」と記されていた。

ふるほん?

 その視線に気づいた老人が、すかさず答えた。

「〃ふるもと〃と読むんだよ。まあ、古本(ふるほん)も大好きだから、間違われても悪い気はしないがね。君の名前は?」

 問われて薔薇人は自分の名を名乗った。

「薔薇の人と書いてバラードと読みます。母が好きな薔薇の花と、父が好きなイギリスの作家の名前から付けられたということです。高校二年生です」

「いい名前だね。では薔薇人君、これを見てみたまえ」

 言って古本さんが示したのは、小さな石のかけらだった。

 ちょっとヘラのようなかたちをしていて、上部には穴が空いている。

 自然の石ではなく、加工されたものである。

 くすんではいるが、全体に緑色の模様があり、他の石器とは明らかに種類が違うことが解る。

 ネームプレートには「翡翠の装身具」と書かれている。

 翡翠といえば、日本の国石で、パワーストーンとして人気のある石であることくらいは薔薇人も知っていた。母親もアクセサリーとして持っている。

「これが?」

「翡翠というのはね、原産地が極めて限定された石なんだよ。日本では新潟県の糸魚川市にある姫川流域が最大の産地で、他ではほとんど採れないものなんだ。ということは、縄文時代に糸魚川とこの小見川に交流があったということだね。距離にして約四百キロも離れているにもかかわらず、だよ」

 古本さんの言葉に熱がこもりはじめた。どうやらスイッチが入ってしまったらしい。

「現在のところ、縄文時代における石材の交易路としては、翡翠や黒曜石・琥珀などそれそぞれの原産地から武蔵野台地周辺に集中し、各地に分散されたルートが知られている。その東の端が銚子なので、ここ小見川もそのルートの一端を担っていたと推測出来るんだ。まだ国家という概念がない時代に、広大な範囲で交易が行われていたということだね。シルクロードならぬヒスイロードとでも呼びたいところだ。何故なら、翡翠の加工品は日本全国、いたるところの遺跡で発掘されているからね。当時の交易は、もちろん貨幣などないから、物物交換だっただろう。では、翡翠と交換された小見川からの物産品は何だったと思うかね?」

 と、一旦は問いかけの形をとりながら、薔薇人の答えは聞かずに言葉を続ける。

「これを見てみたまえ」

 と言って示したのは、陳列ケースの中にある、貝殻の標本だった。

「これはアカニシ貝といって、アッキガイ科の巻き貝なんだが、ここに穴が空いているだろう?」

 確かに貝殻の、人間でいえば背中に当たる部分に丸い穴が空いていた。

「これは小見川の貝塚から発掘されたものだが、食用にしては、穴の位置が不自然だろう?」

 同意を求められて、薔薇人はうなずくしかない。

「この穴の位置が重要なんだよ。アッキガイ科の貝にはパープル腺という特殊な器官があって、そこから出る分泌液を布に塗り太陽の紫外線に晒すと、鮮やかな紫色に変色するんだ。そして驚くべきことに、その色は、何千年の歳月が経っても色褪せない。植物性の染料や鉱物性の顔料よりも、はるかに耐久性に優れていて、ヨーロッパでは皇帝紫とも呼ばれ、珍重されたんだ。クレオパトラに愛され、イエス・キリストの衣にもその色が使われていたという説もある。その貝紫が、日本でも染色に利用されていたんだ。よく知られているのは、深い海に潜る海女さんたちが被る手ぬぐいに、五芒星などの魔除けの印が貝紫で描かれていたことだね。つまり、貝紫にはその発色と永遠性から、ある種の神秘的な力が宿っていると信じられていたんだと思うんだ。そしてこの貝紫による染色が、弥生時代にも行われていたという証拠に、九州の吉野ヶ里遺跡から発掘された布に、しっかりと貝紫の色が残っていたんだよ。そこでこの貝だが……」

 言って古本さんはガラスケースを開けてアカニシ貝を取り出し、件の穴を示した。

「この穴の位置が、ちょうどパープル腺の位置とぴったり符合するんだよ。このことに気づいた時、私ゃ鳥肌が立ったね。この小見川の地でも、貝紫による染色が行われていたのではないか? それも吉野ヶ里よりも古い縄文時代に、とね」

 ここで古本さんはニヤリと笑い、さらにたたみかけて来た。

「これはあくまでも私の仮説だがね。縄文時代のおそらく後期に、小見川と姫川の間に交易があり、そこで翡翠と交換されたのが、貝紫で染色された織物ではなかったのか! と」

 薔薇人は、このスケールの大きな話に圧倒された。展覧会を観て縄文時代に親近感を持った矢先だけに、老人の熱っぽい語り口もあり、まるでそれが真実であるかのように感じたのだ。

「君はどう思う?」

 問われて薔薇人は、「きっとそうだと思います」と答えていた。

「ありがとう。私の話をこれほど真剣に聞いてくれたのは、君が初めてだよ」

 と、古本さんはとても嬉しそうな顔をした。そしてさらに薔薇人に顔を近づけて、

「そこで君に折り入ってたのみたいことがあるんだが……」

 古本さんは部屋の隅に置かれた鍵のかかった棚を開けて、小ぶりなキャベツほどの大きさの石の塊を出して来て、テーブルの上に置いた。

「これは?」

「私が良文貝塚の周辺で発見したものだがね。まわりに付着した石の隙間から、緑色の地肌が見えるだろう? これはかなり大きな翡翠の原石、いや、加工品ではないかと思うんだ。というのもこの石、何かに似ているとは思わんかね?」

 最初にそれを見た時、薔薇人の脳裡にあるもののかたちが浮かんだ。そのことを率直に答えた。

「脳、ですか?」

「やっぱり君にもそう見えるか! そう、これは人間の脳のかたちに非常に酷似している。こんなものが自然の原石にあるとは思えない。ということは、誰かによって加工されたと考えるのが妥当だろう」

 翡翠の脳!

 その突飛なイメージに、薔薇人は眩暈がしそうだった。

「そのことを解明するためにも、これを本来あるべきかたちに戻してあげたいのだが、生憎、持病の神経痛が激しくってね、これ以上の作業が困難になってしまったのだよ。それで君にお願いなのだが、これに付着した石を取り除いて、さらに磨きをかけてはくれんかね? もちろんタダでとは言わんよ。私のポケットマネーからだが、ちゃんと報酬は払うよ。どうかね、夏休みのアルバイトのつもりで、引き受けてはくれんかね?」

 湧き上がる好奇心に背中を押されるようにして薔薇人は、

「はい」

 と答えていた。

                                  つづく

翡翠は古来より貴重な石として人々に愛されて来ました。

もしかしたらそこには、人知を越えたパワーが秘められているのかも知れません。

それでは、またお逢いしましょう。

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