59.これが有ればとりあえず何とかなる『柿の種』&『柿ピー』
缶ビール片手に、おつまみなんかないかなって思った時にこれが有ればたいていは何とかなる柿の種。その始まりはかなり意外な逸話が隠されておったのですよ。
困った時のこれって言う感じの『柿の種』な気がしません?ポテチでもフライドポテトでもいいんだけど、日本人なら米だよね。柿の種が有ればビールも日本酒も、もっと広げて白ワインだって行けちゃいそうな気がします。好きですか?柿の種。
さて、柿の種と言う名前で一番最初にこのお菓子を発売したのは新潟県の『浪花屋製菓株式会社』の創業者で今井與三郎さんと言う方なんだそうですよ。で、この開発秘話が面白くて、與三郎さんは1919年(大正8年)に新潟県古志郡四郎丸村でお煎餅の個人商店を営み始めたんだそうですよ。創業当初はうるち米で作っていたんですけどある日、大阪のあられ作りを関西出身の青年に教わってからはもち米を使った小判型あられを作るようになったんだそうです。
で、創業当時は伝統的な手作りでお煎餅もあられも製造してたんだそうですが、流石に時代が進めばオーメーション化と言うか大量生産にも挑む様になる訳であられに関しては一部に金型を使うようになって品質を安定させると共に量産もしてたんだそうですよ。そうした中、1923年(大正12年)に大事件、奥様がなんと金型をうっかり踏み潰して変形させてしまったんだそうですよ。與三郎は慌ててそれを元の形に戻そうと修理にかかったんだそうですが、結局もとには戻すことが出来ず、しょうがないからこのまま使うかってぇ事であられを作ってみたんだそうでう。そしたら出来ちゃったんですよ、あの、今、お馴染みの三日月形と言うか歪んだ小判型のあれが。
それを見て、これイケるんじゃね?と言う発想から試行錯誤を繰り返し商品化に漕ぎ着けたのは翌々年の1925年(大正14年)の事なんだそうです。大阪のあられ作りを指南してくれた青年に敬意を払って屋号を「浪花屋」に改めたを発売開始すると[1これがたちまち爆発的ヒット商品となったんだそうです。瓢箪から駒が出たを字で行くお話ですね。
で、今現在、私達が一般的に一番食べてるのは『亀田製菓』の『柿ピー』なんじゃないかしら。柿の種だけじゃなくてピーナッツ入ってるアレですよ。柿の種にピーナッツを混ぜると言うアイディアを最初に考えたのは諸説あるんですが、帝国ホテルの酒場がサービスとしてナッツを出す際、日本らしさを出すためピーナッツに柿の種を混ぜたのが始まりかなぁって言う説が一つ、もう一つはこれはもう亀田製菓の逸話で亀田製菓の直売所で創業者の妻が店番をしていた際、思い付きでピーナッツと柿の種を一緒に食べてみたのが始まりというもの、そして、1950年代に日立製作所供給所の仕入れ先の問屋と店員がかさ増し目的で混ぜたらヒットしたって言う説等等々がある見たいです。この中で一番成功したのはやっぱ、亀田製菓なんでしょうかねぇ。
食べ出すと際限なく食べてしまう柿の種。お土産として外国人の観光客にも最近人気が有って、チョコレートをコーティングした物とか山葵味の物とか味のバリエーションも増えつつある様ですね。でも、私はしょっぱ辛いオリジナルの柿ピーが好きかなぁ。でも、飲みすぎちゃんですよね、困ったものです。
ChatGPTに聞いてみたら『柿の種』の歴史は古く、昭和初期にまで遡ります。1926年に、福岡県北九州市で創業された株式会社井村屋が、初めての柿の種を生み出しました。当初は青唐辛子味のものが主流で、その後も様々なバリエーションが生まれました。って言う回答だったんですが、これに関してホントかどうか分かる方、いらっしゃいます?




