古代のロマンシリーズ 富雄丸山古墳の謎に挑む
こんにちは~。ひだまりのねこですにゃあ。
さて、本年2023年1月、世紀の大発見があったことをご存じですか?
もうね、興奮しましたよ。
これはエッセイジャンルで誰かが書いてくれるはず!!
私はリアルが危機的状況でエッセイ書いている余裕なんて一ミリもなかったので、ずっと待っていたのですが……
にゃああ……誰も書いてくれない。
え……? おかしいでしょ? ロマンですよ? 古代のロマン!!
はあ……仕方ないから、私が書くしかないのか。
書き出すと連載になるから、ごく簡単にさわりだけにしますね。説明も最低限で。
はい、奈良県奈良市にある富雄丸山古墳(4世紀後半)から、前例のない国宝級の埋葬品が立て続けに発見されたのです。
一つは国内初確認の「盾形銅鏡」(長さ64cm、幅約31cm)です。
これね、盾形の鏡っていうのも神話とかファンタジーそのまんまでカッコいいんですけど、装飾やデザインが素晴らしいんですよ。日本固有のだ龍文や隼人の盾を連想させる鋸歯の縁取り。
間違いなく国産。
そしてもう一つもすごい、
国内最大にして最古の「蛇行剣」鉄剣です。
これ、なんと全長237cmです。柄の部分を考えると、267㎝になるという規格外。
あのガラパゴスアメリカグンカンドリの最大翼長と同じですよ。え……わかりにくい?
大人が使う竹刀の2倍の長さと言えばなんとなくわかりますでしょうか? 薙刀が柄も含めて220cmくらいなので、それよりも長い剣……ヤバいですね。
間違いなく古代の最高傑作。これだけの長さだと、現代の技術でも難しいそうです。
いやあ、とんでもないものが出ちゃいましたね。
この埋葬品ですが、造り出しという部分に埋葬されている木棺を覆う粘土槨から出ているんですよね。まるで埋葬者を守るかのように。
木棺も無事。盗掘されなかったのは、まさかこんなところにあると思わなかったからでしょう。
ちなみにこの木棺も今後調査されますので、また新たな発見があるのではないかと期待されているという状況。ある意味でWBCやサッカーワールドカップ以上に楽しみだったりします。
そして、この発見がなぜこれだけ盛り上がっているのか?(決して私だけじゃないはず)
それはですね、この古墳が、いわゆる空白の世紀(266年~413年)に当たるからです。空白と言っても、あくまで大陸が戦乱で中国側の記録が残っていないというだけなのですが。
そして、この古墳が、前期古墳から中期古墳へと切り替わる様式であること、他の古墳群からぽつんと離れていること。国内最大の円墳(109メートル)であること。とにかくすべてが特殊なのです。
当然、これだけの埋葬品となれば、一体誰の墓なのか? 気になりますよね?
だって、この盾鏡と剣、主葬者ではなく、おそらくは家臣の部分から出てきたんです。
前例のないほどの埋葬品を家臣に持たせる墓の主となれば間違いなく相当な人物であるのは間違いない。でもね、ここで問題なのは、富雄丸山古墳って円墳なんです。国内最大とはいえ、前方後円墳じゃなくて、一段ランクの落ちるとされる円墳。
ということは、大和王権への影響力は絶大でありながら、天皇や皇后ではないということ。一般的には有力な豪族だったりするんですけどね。
巷では、神武天皇の東征に抵抗した豪族、 長髄彦ゆかりの土地ということもあって、彼の墓じゃないかと言われたりもしますが、時代が合わないのでその可能性はほぼゼロだと個人的には思います。その流れをくむ豪族の長というならあり得ますけれど。
実は、この古墳、明治時代に盗掘されていまして、その時の埋葬品が買い集められて残っているのですが、それを見る限り、埋葬された人物は限りなく女性っぽいんですよね。
女性の姫君あるいは女王とそれを守り続ける親衛隊長のような古代の甘いロマンスを想像してしまいますが、実際、この時代女性のトップは珍しくないので、十分あり得る話です。
ということで、せっかくのロマンですから、私なりに予想してみましょう。
言っておきますが、情報が少なすぎるのであくまで想像の翼を広げてのことになります。それが許されるのがこの時代の良いところ。
早速謎に迫ってみましょう。
まず4世紀後半といえば、まさに神功皇后が活躍した時代。
彼女だったら時代もイメージも良い感じで候補になり得るんですけどね、神功皇后は389年没年ですから。
ただし円墳なのがネックなのと、五社神古墳が彼女のお墓なのは一応確定っぽいので、彼女と同じ時代に活躍した女性で考えてみましょう。
私が予想するのはズバリ、神功皇后の妹の豊姫(淀姫とも)
同じ仲哀天皇に嫁ぎ、姉の神功皇后とともに新羅征伐に活躍した女傑。仲哀天皇が亡くなった後に、神功皇后の右腕である武内宿禰の妻になったとされています。
彼女は今の佐賀県武雄温泉で22歳で亡くなっているらしいんですけど、最後まで丸山を眺めていたという伝承が残っています。
古墳のある場所は丸山、だから富雄丸山古墳なわけですが、偶然の一致だとは思えないんですよね。
古代の人は地名にものすごくこだわりを持っていましたから。
そして、夫である武内宿禰は隼人です。埋葬品の盾は隼人を連想させるものでしたし、神功皇后の右腕で武を象徴する彼ならば、蛇行剣もピッタリでは?
それならば家臣であるはずの人物には不釣り合いな埋葬品が豪華なのも武内宿禰ほどの人物ならば納得できます。
もしかすると円墳なのも丸山繋がり? なんて想像してみたり。
若くして亡くなった豊姫と違って、武内宿禰はその後も長生きします。きっと、自分が死んだら妻である豊姫の墓に埋葬するように指示していたのだと思います。
だからこそ守るように造り出し部分に後から埋めたのでしょう。通常祭祀用の場所だと言われる造り出しへの埋葬は全国でもかなりのレアケースなので、神功皇后と武内宿禰による豊姫への想いがそうさせたのだと思うのです。
前方後方墳ではないのに超巨大な円墳で超豪華な埋葬品の謎には、とても悲しくロマンあふれる古代の英雄たちの物語が隠されているような気がしてならないのです。
え……? 自信? うーん、80%くらい?
次点は同じく新羅討伐に同行して大功がある桂姫ですかね。彼女は後世隼人の守護女神になってますし。ああ、想像するのめっちゃ楽しい。