第五章 癒しの楽園
「えっ、嘘でしょ、ラビってば。そんな冗談信じられないよ〜」
りこは笑いながら言った。
「だってわたし、ベッドで寝たんだよ?それで目を開けたら真っ白い空間の中にいて…これが夢じゃないなんて、そんなことって〜」
しかし、ラビの真剣で困った顔を見て、りこの顔からも笑みが消えた。
「……本当、なの?」
「はい……本当にこの世界は夢ではなく存在しています。恐らくりこさんは、この世界に呼ばれたのだと思います…」
りこの背筋にヒヤッと何か冷たいものが当てられたように寒気を感じた。触れているはずの手元の紅茶の温かさも感じられない。何かおかしい、いつもの夢と違う、と頭の隅で感じていた不安が一気に襲いかかってくるようだった。ラビは心配そうな表情をしながら、ゆっくりと話し始めた。
「りこさんのように、人間の方があの森からいらっしゃることは少なくないのです。といっても、だいたい100年に1度の頻度と言われていますが……。人間の方に会った時に、この世界のことを伝えるのがこのうさぎ村のうさぎたちの役割なのだと、両親から言い聞かされていました。両親が言うには、あの森のどこかに人間界と僕たちの世界を繋ぐ扉があるのだそうです」
ゆっくり話すラビの言葉を、りこは整理するために頭の中で復唱しながら耳を傾けた。
ー100年に1度、うさぎ村の役割、世界を繋ぐ扉……
「その扉?に行けばわたしは帰れるの……?」
りこはすがる思いでラビに聞いた。しかしラビは頭を横に振った。
「いいえ……りこさんはこの世界に呼ばれてこちらにいらっしゃっています。その原因を解決しないと扉は開かれないと思います」
「その原因というのは……?」
「申し訳ないのですが、僕には分かりません。ただ、うさぎ村に伝わる言い伝えではこうあります。「この世界の“綻び(ほころび)“を縫い直すことで、2つの世界の均衡は保たれる」。「綻び」というのが何を指すのかは分かりませんが、恐らく再び、その綻びが生まれてしまっているのだと思うのです。僕たちは人間界から来た方をこの世界の救世主と考えています。そして、綻びを縫い直し、世界をあるべき形に保って頂くという畏怖の念を込めて、“縫い人様“と呼んでいます」
「縫い人様……」
りこは下を向いた。ラビの語ることが途方もない話に聞こえた。世界の綻びとは何なのか、いつ家に帰れるのか、分からないことだらけだった。だが、混乱した気持ちに応えるように、膝の上に乗せておいた虹色のマフラーから暖かさが伝わってきた。
「家に帰るためには綻びを直すしかない、ということだよね」
りこは呟いた。ラビは申し訳なさでいっぱいなようで、俯いて答えた。
「そういうことになります……」
りこは顔を上げてラビの目を見つめて言った。
「分かった。わたしがんばるよ。何をがんばればいいか正直分からないけど、困っている人がいたら助けてあげてねっておばあちゃんはよく言ってた。わたしは呼ばれた。助けてって声があったから呼ばれたんだとしたら、それに答えたい」
「り、り、りこさん…」
ラビは初めて会った時と同じように、赤い目に涙をいっぱいに溜めた。
「すみません、ありがとうございます。僕たちの世界の事情なのに、帰りたい気持ちもたくさんあるのに、助けたいと言って頂けて本当にありがとうございます…
人間界で生を受け、生を終える。その動物たちが次の生を受けるまで、好きなことをして心を癒す場所。この世界は死後の世界でもありますが、僕たち動物は“癒しの楽園“と呼んでいます。僕……いえ、僕たちはこの世界が大好きなのです。」
ラビは涙をぽろぽろ流した。りこはバックの中から慌ててハンカチを出してラビの涙を拭いた。
ーーこの涙を拭くために、わたしはこの世界に来たのかもしれない。
そう思ってしまうほど、透明な綺麗な涙だった。
そろそろ冒険に出たいですね〜