7 とりあえず動いてみる
「………。
……………はあ……」
あいにく、芙蓉姫は夢枕に立ってはくれなかったし、起きたら日本で麗子が覗き込んでいた…なんてこともなかった。
ガックリと肩を落としつつ、少しクリアになった頭で考える。
現代日本に戻るために、今気になっていることは2つ。
1、芙蓉姫の心残りとは何なのか?
2、芙蓉姫の首飾りは存在するのか?
1の心残りについては情報収集が必要そうだ。
鵬燕や伏龍に聞いたら、もう少しヒントが得られるかもしれない。
2の首飾りについて、これも気になっていた。
起きてからすぐに部屋を家捜ししてみたが、それらしいものはなかった。
首飾りによって、この世界(=芙蓉)と繋がったような気もするので、首飾りを手に入れることで現代とまた繋がるのではないかという気がする。
…これもまた結局は情報収集になりそうだ。それらしい装飾品を知らないか周りに聞いてみるしかないだろう。
あとは、保留にしていたこれからのこと。
冷静に考えて今“芙蓉”の立場を失ったら、衣食住が確保できない。
何か仕事を見つけられればいいのだが、少なくとも、この城やここからは離れなければまずいだろうし、仕事が見つけられたとしても、生きていくことを優先にせざるをえないだろう。
そうなったら情報収集どころではない。
情報収集をするためにも、芙蓉姫の立場はまだ失えない。
(でも結局、芙蓉姫だとしても行動範囲が限られて情報収集出来ないのかな…
いきなり自分のこと聞いて回ったり、市場に出かけたりすると不審がられるよね…?)
劉備たちにはもうバレているため構わないだろうが、劉表たちに不審者扱いされて城を追い出されるのは避けたい。
(…いっそ…劉備さん新野に連れて行ってくれないかなぁ…)
体調が少し回復したから、婚約者の城に輿入れする…といえば、一応筋は通っていないだろうか。
(…すごく劉備さんたちには甘えちゃうことになるけど…)
甘えすぎだろうか。
ふんわり微笑んでいる劉備の顔が浮かぶ。
劉備は受け入れてくれるかもしれないが、子龍あたりは猛反対しそうだ。
「相談してみるしかないな…」
またため息をつきながら独りごちて、ベッドから起き上がる。
丸い窓からすっかり暗くなった外が見えた。
(どれくらい寝てたんだろう?)
そう思いながら廊下に出て、広間へと向かった。
劉備たちがそこでまだどんちゃん騒ぎをしているかもしれないと思ったからだ。
「あれ、広間ってどっちだったっけ…」
「右です」
「ヒッ…!!!!」
自分の独り言に、即座に、しかもかなり近い位置から返事が返ってくるので、ひどく驚いて悲鳴が漏れる。
振り返ると、鵬燕が無表情でそこにいた。
「なっ…い…いつからそこに!!!!」
「廊下を出られてから後ろに控えておりましたが」
「なっ…」
(全然気配がなかったんですけど!!!!忍びかよ!!!)
すらりと長い手足に、均整のとれた身体つき。
鵬燕もまた、モデルさんのようにスタイルがよい。
しかし何だろうか、この存在感のなさは。
暗いトーンの色を着ているのは、寡黙男子雲長も同じだが、雲長には重く圧倒的な存在感があるので、服の色が理由ということでもないだろう。
(本当に忍者みたいだな…)
気配を最小限までに消して、邪魔にならないようにいつでも主のそばに控えているような。
(殿様が呼んだらシュッ!て出てくるのカッコい!!
…とか思ってたけど、実際自分がされると怖いよ!)
「きゅ、急に出てこないで!
気配を消さないで!びっくりするでしょ!」
「……失礼しました」
言っていることが理解できないような間があった。
たぶんこれは、理解してない。
頭を抱えながら、たぶんまた同じようなことがありそう…、と覚悟した。
しかし、それはともかくとして。
「後ろに居てくれたなら、ちょうどよかった。
鵬燕さんは、ずっと芙蓉姫の護衛をしてたんだよね?」
「はい」
「芙蓉姫の心残りって、何か心当たりないかな?こういうことしたがってた、とか。不満もらしてた、とか」
「……」
鵬燕は逡巡するように口を閉ざしたが、桜が自分が何か言うまで話さないのを悟って口を開く。
「…芙蓉様は疲れておられました。
私には、早く楽になりたかったように思えましたが」
「…えっ?」
早く楽になりたかった…?
死にたがってたように見えたってこと?
「病気、そんなに重かったの?」
「芙蓉様は特別何か病気というわけではなく、気力のように思います。
芙蓉様のお立場を考えれば、致し方ないかとは思いますが」
「立場…?」
聞いている感じ、幼なじみのお兄ちゃん達に比較的大切にされていたイメージだったのだが違ったのだろうか。
「………」
鵬燕は桜を探るように見た。
なまじ芙蓉の姿をしているだけに、他人のフリをしているのではと疑っているのかもしれない。
気持ちはわかるが本当に知らないので教えてほしい。
目で訴えて頑として譲らない姿勢をとると、鵬燕は目を反らした後、少し言いよどむような間を置いて話をしてくれた。
「…衛茲様も張邈様も亡くなられ、袁紹様には人質のように扱われ、曹操様と婚約破棄になると部下である劉表様に下賜され、果ては話した事もない劉備様と婚約することになられたので」
(ん?ん…?!ん…?!?)
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って!!」
急に長文を喋ったと思ったら、色々聞き捨てないことを言っていた気がする。
エイジとかチョウバクとか言うのは、たぶん“亡くなった大切な人”だろう。
今は一旦おいておこう。
それより…
「人質とか、下賜とかって…?」
下賜、それは日本史をかじっていたから何度か聞いた事がある言葉だ。
武将が自分の持ち物(奥さんとかも含む)を部下にあげるっていう意味だったはずだ。
(自分の妻をモノ扱いして褒美に部下に与える…とか、本当にふざけた“ご褒美”ですこと)
言葉の意味を知った時のモヤモヤが少しよみがえったが、今はそれどころではないと鵬燕に意識を向ける。
鵬燕は桜の凝視や焦った様子をどう捉えたのか、少し取り繕うように視線をずらした。
「……袁紹様は芙蓉様を大切にされておられましたので、芙蓉様がどう感じておられたかは知りません」
「いや、うん、わかったんだけど…
そうじゃなくて…」
鵬燕は自分の考えや気持ちを言う事に慣れていないようだ。根っからの忍び気質なのかもしれない。
自分の意見は持たず、ただ命令に従うことが自分の在り方だとでもいうように。
鵬燕の育ちは知らないが話が進まない…、と桜がうまい聞き方を必死に考えた時、後ろから別の声が飛んできた。
「はは~ん。なるほどね、やっぱそゆことだったか」
「!」
その声は、まるで天の助けのように思えた。
あくまで客観的で、端的で。
自分に対して好意もないが悪意もないその態度には、むしろ好感をもてた。
圧倒的に参考になったからだ。
「伏龍さん!」
桜の気持ちが声や表情から伝わったのだろうか、振り返った桜に伏龍はニヤリと笑った。
見た目はただのチャラ男なのに、なんでこんなに頼りになるのだろう。
そういえば劉備さんは一見すると軽薄そうなナンパ男にも思えるし、本当に第一印象は当てにならないものだ。
「とりあえずなんか失礼なことを考えてんのは伝わったぞコラ」
桜は慌てて咳払いをして、話を戻す。
「伏龍さん、どうしてここに?」
「大将がまた酔っ払ってウザ絡みしてきたから逃げてきたんだよ」
「ああ…」
なんとなく想像がついてしまった。
子龍はともかく、雲長は止めないのだろうか。
「そしたら、なかなか面白い話してたからな」
「袁紹さんの話ですね。鵬燕さんの話に、何か心当たりがあるんですか?」
「へえ。学ぼうとする姿勢は良いじゃねえの。でも教えを乞いたいんなら、それなりの態度ってモンもあるだろ?」
伏龍はまたニヤリと笑う。
(……?)
何を求めているのかは分からないが、嫌らしさを感じる目つきではない。
「伏龍先生、教えていただけませんか」
迷った結果、ぺこりと頭を下げる。
教えを乞う態度といわれると、こうだろう。
「師匠ね、悪くない。いいぜ」
伏龍は楽しそうに笑う。
(──面白い奴。)
伏龍は“桜”が目が覚めてから、ずっとそんな感想を抱いていた。
芙蓉姫は自己主張も少なく、感情を表に出すこともない印象だった。それに政にも詳しくなかったはず。
伏龍は会話すらしたこともなく又聞きだったが、それでも“聞いていた芙蓉”と目の前の“桜”が違うことはハッキリしていた。
別の時代から来た“桜”という別の人間であることを信じてもいいと思っていた。